第09話 もう1人の愛川奈緒(2/2)

ザァアァァーー 


「あ……雨が降ってきた」


屋根のある狭い路地裏のラーメン屋さんの裏口で

わたしは小さく三角座りして、雨をしのいでいた。

ちらちらとさっきまで旋回する天使と名乗る男の姿が見えていたけど

雨のおかげでどこかに飛んで行ってしまったようだ。


「翼が濡れるのはきっと嫌だったんだよね。

 ありがとうございます。天の恵み様」


ぐぅ~…… 腹の虫の音だ。

わたしはついにラーメン屋さんの排気ダストのとんこつの匂いに

屈してしまった。


「嫌だなもう女の子がはしたないって。

……そうだった今は男の子だったんだった」


自分の手足を見て嘆くわたし。


「男子はその辺りも気にしないで楽は楽だけど何だかまだ恥ずかしいよ」


「夢の中でもおお父さんはわたしの帰りを心配しているんだろうな。

 お父さんは心配性だから泣いてければいいけど」


「でも性転換されたわたしの姿を見たらお父さんはかなりへこむだろうな。

 当事者であるわたしも心が落ち着くまでずっと泣いていたし……」


「このまま家に変えられないのは正直な気持ち寂しいな。

 家の窓からでもおとうさんの姿は確認できないかな?」


そう独り言を呟いていると自然にわたしの足が愛川家に向く。

愛川家に近づくたびに天使と名乗る男に刺された傷の痛みが

引いていくような気がする。


「……お父さんは泣いていないでちゃんと晩ご飯は食べているかな?」


自分のことを現実逃避して、お父さんのことばかりが気になり

痛みを覚える感覚すらわたしは忘れさせているかもしれない。


「女のヒトがきた。どこかに早く隠れないと……」


わたしは傍にあった電話ボックスの中に入って

電話をかけている振りをする。

まほらば町は結構な田舎で今は絶滅危惧種である電話ボックスが

まだいくつか残っている。珍しい地域だ。

山の方に近づけばスマートフォンの電波が届きにくいことも

電話ボックスが撤去せずに置いてある原因の1つかもしれない。


わたしが女の子の体だった頃は、おまわりさんに

職務質問をされる時が多かった。

笑って学生書を見せておまわりさんに納得して貰っていた。

だけどこの男の子の体ではさすがにおまわりさんに

職務質問されることはないと思うけど今着ている服装が問題である。

患者着は前が開きやすく1歩間違えれば露出狂の変態さんで通報されてしまう。

雨で患者着は濡れて肌が透けているのも完全にアウトだ。

夜道では男のヒトが怖かったけど今は女のヒトが怖い。皮肉なものである。


「もしもお父さん。今晩のご飯は何かな?」


電話ボックスの中なので相手に聞こえないことは分かっているけど

寂しさの余りつい口に出てしまうわたし。


「うん、わたしの大好きな甘屋さんの餡子たっぷり大福が

 あるんだ。ありがとう、お父さん……」


わたしは電話をする振りをして、女のヒトが角を曲がって見えなくなるのを

目視すると……


「お父さんの愛人の女のヒトはもう帰ったんだね。

 じゃあ、わたしも直ぐに帰るから餡子たっぷり大福を

 勝手に食べないで、常温に寝かせて置いてよね」


「冷蔵庫はお餅が硬くなるから、厳禁だよ。

 じゃあね、またね。お父さん。ガチャリ……プープープ~」


お父さんの電話をアドリブ混じりで演じ、そして電話を切るわたし。

わたしはこそドロのごとく、周囲を警戒して電話ボックスの中から

また夜の闇へと消えていく。


コソコソと隠れながら歩いているとようやく愛川の家の街灯が見えた。

わたしの心は不安にいっぱいにくじけそうになるが、

それでもお父さんの様子を知りたい好奇心が勝り門を開けてこっそり

中庭に回り込むわたし。自分のお家に入るんだから不法侵入じゃないよね。


「なんで、お父さんとわたし(女の子)が優雅におせんべいを食べて

 テレビを見てくつろいでいるの? しかもわたしは大股をひろげてさ」


わたしは中庭からこっそりと覗くとお父さんとわたし(女の子)が

まったりとした家族の時間を過ごしていた。


「……お父さんはあんな顔もするんだ」


わたしの知っているお父さんは夜ご飯が終わると1人で

お堅い報道番組やドラマを見ていた。

わたしは好きな音楽番組も見れずに2階に上がる

すれ違いのような日常生活。


いやいや、変なことを考えるなわたし。


「あいつ、あいつがわたしの全ての穏便なる生活を奪った現況なんだ」


性転換手術をされてなくて、ほっとする暇もなく

メラメラと怒りだけが頭を支配していく。


「わたしとあいつが入れ替わっていたんだ。

 よくもわたしのお父さんを騙してくれちゃって……」


恋愛ドラマのお約束の展開で、頭と頭をごっんこすれば

この変な悪夢から現実へと戻れるかもしれない。

今はわたしの方が腕力はあるんだ。

しかし怒りに身を任せて窓ガラスを叩き割ってわたしが家に入ると

警察を呼ばれたり、お父さんがパニックになって取り返しの使い事件に

なっていきそうで怖い。

あいつらからお父さんを切り離さないと…… そうだ。

わたしは少し冷静に考え、中庭に隠してある植木鉢の下から

家の合い鍵を手に握る。


「あいつの化けの皮をはがして、わたしは女の子の姿に戻るんだ」


外の雨はだんだんと弱まっていく。

家の合い鍵が使って、わたしは差し足抜き足忍び足で歩き出す。

わたしは自分のことが精一杯で天使と名乗る男のことも忘れ、

奈緒の部屋に続いている階段を登っていくのであった。

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