第06話 初めての女の子の世界

「……お母さん、あゆむ。学校に行ってきます」


俺は仏壇に手を合わせてから家を出る。

奈緒の真似をして強制的に嫌々しているわけではない。

俺には他人だったとしても奈緒の体に出会えた縁を大事にしたいと

思っただけのことだ。


「今日もお日様がポカポカで気持ちがいい。

 木の枝で寝たい気分だ」


晴天である空は青く、そして美しい。

俺は太陽の光の下で軽く手をかざして伸びする。


「ランドセルの封印よし、腹ごしらえよし、身だしなみよし」


前回の過ちを正し、俺は時間にゆとりを持って行動している。

今日もまた奈緒の言葉は聞けなかった。

この年頃の女の子はきっと思春期になって反抗しているかもしれない。

「お父さん臭い」って言っている奈緒の姿を想像するだけで

奈緒のお父さんがかわいそうだ。

きっと俺の存在も煙たがっているんだろうな、奈緒は。

奈緒から殻を破って出てくるまで親の気持ちで末永く待ち続けようと思う。

ふとそんなことを考えている間に俺はまほらば東高等学校の正門を潜る。


実は入院中にお見舞いにきた担任の先生に頭を強く打った演技をして

奈緒のクラスを聞いている。これで晴れて大根役者も卒業である。

教科書やノートに明記している名前を見たら、もっと簡単効率よく

奈緒のクラスの情報を知ることができたかもしれないけど……

置き勉が常習犯になっていた俺には考える余地すらもなかった。


「大谷って名乗った先生は確か…1Bクラスって言っていたよな」


クラスの扉の前では謎の緊張がする。

俺はクラスメイトの姿形も性格も何も知らない。

だけどあいつらクラスメイトは俺の個人情報を握っている。

つまり戦場では俺が徹底的に不利ってわけである。

何も知らずに地雷原に飛び込んでいくようなものだ。

死を恐れない生き物などこの世には存在しない。


「……すーはぁ……すーはぁ……」


少し落ち着くだ俺。こんなことのために凄く早くに家を飛び出したんだ。

こんな朝の早い時間ならまだほとんどのクラスメイトがいないはず。

先に教室で陣を敷いて身構えていたら、おのずと道が見えてくるはずなんだ。

俺はそう自分にいい聞かせて教室の扉に手をかけた。


ガラガラガラ……


「おはよう、みんな……」


俺が教室の扉を女子たちが集まって花瓶にお花を生ける準備をしていた。

さすが女の子だ。男子とはまた気配りの意識が違う。


「九条さん、九条さん。愛川さんが来たわよ」


女子生徒が九条さんって言う女の子に俺が来たことを伝えている。


「もう嫌だ、嫌だ。こんなに早くにきて。

 少しは空気を読んでよ。愛川さん」


「みんなで早起きまでして頑張って準備していたのに

 せっかくのサプライズパーティーが台無しじゃないの?」


朝から俺につかかってくる九条さん。見た感じ、髪は腰まで伸ばされた茶髪で

瞳はつり目なことも噛み合って気が強そうな女性である。

でも俺ことを思ってみんなが早くから集まってくれたことはとにかく嬉しい。


「みんな、ありがとう」


バーシャーン


「……ごめんなさい、愛川さん。手が当たっちゃった」


俺に目がけて倒れてた花瓶。

とうぜん花瓶に入っていた水がしぶきとなり俺に襲いかかってくる。

かわす余裕もなく、俺の着ていた制服が水でべたべたになってしまう。

濡れた制服は冷たくてかなり気色悪かった。

九条さんの行動がわざとに見えたけどたぶん気のせいだろう。

ヒトを疑い出すときりがない。

濡れた髪をかき上げて、俺はまた奈緒のために笑う。


「わたし全然気にしていないから。

 うん、水のしたたるいい女ってね」


「わたし、制服が濡れて恥ずかしいから体操服に

 着替えてくるね」


俺は「気色悪い」を「恥ずかしい」って思っとも女の子らしい言葉に

変換して、後ろの壁にくっついているロッカーに向かって歩き出す。

ロッカーに出席番の表記の横に名前が明記されていて、

ほっとしたのもつかの間のできごとだった。


「あれ、あれ、わたしのロッカーは空っぽだ」


更なる試練が俺を襲う。ロッカーは空っぽって予想外の展開である。

奈緒のヤツ小まめに体操服を持って帰っているな。几帳面なヤツめ。

俺は仕方なく右往左往して困っていると……


「わたしの体操服なら貸してあげるね。

 ちゃんと洗って返してよ。愛川さん」


名前も知らない女の子が俺に話しかけてくる。


「ありがとう。えっーと、山口さん」


名札と言う便利なアイテムのおかで、俺はこの場を乗り切ることができた。

物を貸し借りできる友達って本当にいいな。


「わたし、お手洗いで着替えてくるね」


俺は山口さんから体操服の入った袋を受け取るとお手洗いに行こうとする。


「今は男子がいないんだし、この教室で着替えなよ」


だけど俺の行く手を遮り、俺のスカートめくり上げてくる九条さん。

女子スキンシップは男の俺が思っていたよりも過激である。


「まだウサギのプリントされたパンツ履いているんだ。

 愛川さんって見た目通りお子様だよね」


「愛川さんはまだ退院して1人で着替えられないんでしょ」


「わたしはもう1人で着替えられるって……」


「遠慮しなくていいって、わたしたちはあなたの友達だよね?」


「うん」


俺は何も考えずに相当して返事をしまう。

まだ俺が男だった頃の記憶にある孤独の思い出が影響したかもしれない。


「男子が登校するまでに愛川さんの着替えるのを

 みんなで全力サポートしましょう」


「おーう、さすが九条さん。優しい~」


九条さんの掛け声で周りの取り巻きの女子たちが集まり

俺を揉みくちゃにする。


「……ちょっとこそばいって、やめてよ」

 

「遠慮しないで、さあさあ脱いで、脱いで……」


俺がまだ男だったら、ハレームだって喜んだかもしれないけど……

女同士だとただお節介で恥ずかしいとしか思えなかった。

俺の意思とは無関係に脱がされていく衣服。


「良かった、怪我の跡は残っていていないみたね」


俺のお腹を見て言う九条さん。


「前はちょっといろいろとやり過ぎたから、

 それが原因で倒れちゃったんじゃないかって、みんなで心配していたんだよ」


良かった。九条さんたちは俺が倒れた現場にいなかったみたいだ。

それなら、みんなを簡単にごまかせられる。


「気にしないでよ。わたしは大丈夫。

 そう、あれはただの貧血を起こしただけなんだ。

 朝ご飯を抜いちゃって、頑張って学校まで走ったから……」


「朝ご飯が食べられないんだったら、バナナ1本ぐらい食べてきなよ。

 じゃないとまた働けなくなるわよ」


「……そろそろ佐藤が登校してくる時間だ。みんな急いでっ」


「OK、任せて九条さん」


「愛川さんもぼーとしていないでさっさと腕を上げてって」


「……うん」


また九条さんの一声の女子たちの手がスピードアップする。

俺は着せ替え人形のように服を取っ替え引っ返えされて

男子が教室に入ってくる前に体操服に着替えることができたのである。

これも九条さんたちの功績のおかげかもしれない。

まぁ、自分で着替えた方が早いと思うけどこれも触れあいの一環だ。


ようやく俺は九条さんたちから解放されると教卓に張ってある

座席表を確認して自分の席に腰を落として一段落する。


「よ、おはよう愛川さん。

 朝からまた元気に体操服に着替えちゃって体はもう大丈夫なの?」


俺にきさくに話しかけてるたぶん男子の佐藤くん。


「おかげさまで、この通り元気だよ。それで……」


佐藤くんに言葉を続けようとした時に耳を疑うような言葉が

聞こえてきたので、俺は口は自然と止まっていく。


「朝から愛川さんがおしっこを漏らしたから

 みんなで掃除するのが大変だったんだよねぇ」


「愛川ってどこでも放尿する性癖の持ち主だったりして…」


「それって超うけるんだけど」


「俺、今日から愛川菌が移るからバリア張るわ」


「わたしもバリア張るね」


「じゃあ、わたしもバリア張るよ」


さっきまで助けてくれていた九条さんたちが楽しく男子たちと

俺のことをネタにして笑っていた。

この先俺はどうやって九条さんたちとどう接していけばいいのだろうか?


「愛川さん、ごめんな。

 俺はあいつらのターゲットになりたくないんで、席に戻るね」


佐藤くんは俺にしか聞こえない声でしゃべって自分の席に戻って行った。


俺は黙ってカバンの中からノートをぱらぱらめくると

ページが破かれたりラクガキがされているのが確認できた。

死ね、殺すとかビッチなどヒトを脅迫するための文字のオンパレード。


念のために俺は借りた体操服の名前を見てみるとマジックで

塗りつぶされた跡があった。

蛍光灯で体操着を透かすと愛川奈緒の名前が浮き出てくるかもしれない。

情けないことに俺はヒトの優しさに溺れて、山口さんと背丈が違うのに

体操服がぴったりと同じサイズだって疑問すら浮かばなかったんだから。


女の子の世界は男とは違って甘酸っぱくて優しい世界だと思っていた。

それは男が夢見た願望だけで女の子なっても何も変わることはなかった。

奈緒が俺に姿を現さないのも信じていた心がちくちくと

あいつらに削られ、汚され、そして壊れてしまったのが原因かもしれない。


天使アキエルのように愛を育む勉強をもっとしとくべきだった。

天使として生きていた俺はただ悪魔を殺すことしか学ばなかった。

それで天狗になって英雄気取りの裸の王様で、みんなにちやほやされて。

愛をバカにしていたのか? それとも愛を知ることが怖かったのか?

今となってはもうそれも分からないことだけど……


奈緒が何も変わることを望まないなら、俺はそれを甘んじて受けよう。

そう、それが2代目愛川奈緒が導き出した答えなんだから。

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