第02話 プロローグ(2/2)

廊下に出て階段を降りていくと香ばしいパンのにおいが漂ってくる。


「くんくん、くんくん、美味しそうなにおいだ」


天使には食べ物を食べる概念は存在しなかった。

つまり食の欲求そのものがないのだ。

それが人間の戻った途端にこの有様だ。

ぐうぐうとお腹が鳴って食を求めている。

俺が女体に過敏に反応した理由も同じかもしれない。

俺は鼻をひくひくと動かして嗅覚を頼りにしてオヤジが待っている

台所の場所を発見する。俺のもの凄く遠いご先祖様は犬だったかもしれない。


「オヤジ、ご飯っ!」


「今日はまた奈緒ちゃんは元気がいいね。

 最近は何もしゃべってくれなかったから父さんは心配していたよ」


髪の毛がふさふさで七三分けのメガネかけた優しそうな奈緒のオヤジだった。

俺のオヤジとはまったく違う生き物だ。

俺のオヤジはバーコードがトレイドマークでいつも髪の毛を

いじっては抜けを落ちて、いつも怒っている印象だった。

もしアプリに親のトレード機能が搭載したなら是非俺のオヤジと交換したい。

まぁ、近未来になっても人権や道徳的に無理と思うけど……


食卓にはパンにそして目玉焼きとサラダそしてオレンジジュースが置いてあった。

女の子いる家庭はとても華やかな光景だ。


「ハムハム、パクパク」


俺は席に座って、久しぶりのパンの耳にかぶりつく。

小麦粉ととろけるバターが絶妙に合わさってめちゃ旨い。


「はい、奈緒。ここに家のカギを置いておくね」


「……パクパク、ゴックン。ありがとう、オヤジ」


奈緒のオヤジは食卓に家のカギを置いて、イスに腰掛けて新聞を広げた。

もう奈緒のオヤジは朝ご飯を食べたのだろうか?

俺は食に没頭し、しばらく沈黙が続くと奈緒のオヤジからしゃべりかけてきた。


「まほらば町でまた殺人事件が起きているね。

 今度の被害者は身元不明の男の子みたいだけど

 現在は意識不明の昏睡状態だって」


「その前は複数の女の子が襲われているから

 父さんはとても奈緒のことが心配だよ」


「俺は大丈夫だって、オヤジ。

 そんな不審者に出くわしたら、フルボッコの返り討ちにしてやるよ」


俺が自信たっぷりに言い放つと奈緒のオヤジは俺を心配そうに。


「奈緒がもの凄く元気になったのは嬉しいことだけど女の子は

 もっとおしとやかにしないとねって母さんに頼まれていたから、

 何だか父さんは複雑な気持ちだよ」


俺は自然とパンを細かくちぎって口に放り込むしぐさに変わる。

オヤジの言葉には逆らうことができない昔からの俺の体質だ。


「聞き分けの良い子だ、奈緒は。ありがとう。

 できればいつものようにオヤジじゃなくて、お父さんって読んで欲しいな」


俺はつい昔の口癖でついお父さんのことをオヤジって読んでいた。

奈緒は当たり前だけどこのヒトことをお父さんって言っていたんだな。


「オヤジ……じゃなかったお父さん。そう言えばお母さんはどこ?」


「…………」


「もしかしてお母さんはパートかな?」


俺の質問に沈黙していた奈緒のオヤジが寂しげな顔をして口を開く。


「そう言えば母さんは僕がデザイナーを夢見ていたときに掛け持ちの

 パートで家計を支えてくれていたね」


「母さんとあゆむが交通事故で亡くなってから、もう何年になるのかな?」


「そんな……」


それは俺が望んでいた聞きたかった答えでなかった。

家庭に母親がいるそんな当たり前のことが聞きたかったのに。

男だった頃の俺の家庭は1人っ子で俺だけはいつも蚊帳の外の扱いだった。

母が他界し、俺は父と知らない女のヒトと3人で一緒に暮らしていた。

父は俺の教育の問題でその女のヒトといつもケンカしていがみ合っていたことを

今でもはっきりと覚えている。

勉強する鉛筆も2本あり父さんと女のヒトが選んでくれた物を

交互に顔色を見ながら使っていた俺。

片方だけ無意識に使ってしまうと拳が飛んできたこともあった。

夜ご飯もなかったことが多かったので、給食の残りを分割して食べていた。

でも問題集も定規も下敷きも全て2つずつある恵まれた家庭だ。


だから学校で明るく家庭のことを楽しそうに話す女子たちの

会話を聞くだけで羨ましく思ったことがある。

それなのに現実は俺も思うようには動いてはくれなかった。

俺は明るく眩しすぎる家庭でまた人生をやり直せられると思ったのに……


「……ごめん」


「奈緒が別に謝らなくてもいいんだよ。

 無理をさせて夢を叶えさせて貰った父さんが全て悪いんだから」


「お父さん、家の仏壇ってどこにあるだっけっ。

 俺いやわたしは久しぶりに手を合わせて祈りたい」


「毎日欠かさずに仏壇に手を合わしているのに

 どうしたんだい? 奈緒」


「……っ?」


うかつだった。俺は奈緒のストーカーをしていたわけじゃないから

赤の他人が仏壇の場所を知っているわけない。

そろそろ俺の奥底で眠り惚けている奈緒さん、起きてくれよ……

クソまだここまで頼んでも起きないのかよ。

へんじがない。ただのしかばねのようだってここは国民的RPGゲームの

世界じゃないんだぞ。ここは。


「今日の奈緒は眉を上げて怒った顔したり、どきどき男口調になったりして

 お父さん、何か奈緒の機嫌を損ねることをしたかな?」


どうする俺? 奈緒のオヤジさんを心配させているぞ。

余り嘘をつきたくないけどこの場合は嘘で塗り固めるしかないか方法はないか。


「昨日ね、……その花瓶を落としちゃって瞬間接着剤で

 固めたんだけどなかなかお父さんに言い出せなくって……」


俺は出任せに思いついたことを洗いざらい適当に並べて言葉した。


「……まだ出勤まで時間があるな。

 どれ、父さんがその花瓶を見てあげよう。

 怒らないから奈緒、僕の後ろについてきなさい」


奈緒のオヤジは腕時計で今の時間を確認すると台所を出て

右に曲がり手間に見えた和室の中に入っていく。

俺はただ黙ってオヤジの背中を追いかけた。


和室に入るとまだ比較的に綺麗な畳でいぐさのにおいがまだ残っていた。

和室の上に飾られていたお母さんとあゆむの遺影が目に入る。


「あゆむ……」


俺を元気に朝食に呼びに来た巨人族もといあゆむが交通事故で

亡くなっていたなんて……

あゆむの遺影を見ると思い出すあの恥じらいの可愛らしいしぐさ。

霊となってまでお姉ちゃんである奈緒の朝寝坊を

心配して天国から起こしに来たのか?

それともあゆむは奈緒の中にいた俺の存在に既に気づいていて

それがが気になって様子を見に来たのか?

もうあゆむが消えた今となっては分からない。

だが、俺には何か不思議な力が宿っていることだけは確認できた。

これも全てあゆむが頼りない奈緒お姉ちゃんを心配してくれたおかげだ。

ありがとうな、あゆむ。


仏壇の前で立ち止まると俺と奈緒のオヤジは座布団の上で正座する。

チーン。静かに奈緒のオヤジがおりんを叩く。

俺は元天使として仏壇に祈るか迷ったが、今は奈緒として生きている。

死んだ者の手向けを軽んじてはならない。

俺は奈緒のオヤジに合わせて手を重ね目を閉じ仏様に祈った。

奈緒のお母さんにあゆむを無事に天国に導いて下さいと。


「ところで奈緒。花瓶の割れた継ぎ目が見当たらないんだが

 どこにあるか分かるかい?」


仏壇に祈り終わると奈緒のオヤジが花瓶を取り俺に見せてくる。


「ごめん、お父さん。学校の花瓶と間違えてしまったみたい。

 夢の中で混同ちゃったのかな? わたしってドジっ子だよね。えへへ」


役者顔負けの迫真にせまる大根芝居。

奈緒のオヤジに殴られることを覚悟して俺は無意識に歯を食いしばる。


「……奈緒に怪我がなくて本当に良かったよ

 割れた瓶は学校に悪いけどまた買えばいいだけのことだからね」


「まだ奈緒には話してなかったけかな?

 実は奈緒のお母さんもおっちょこちょいでかなりのドジっ子だよね」


何1つ怒りもせずに爽やかに笑う奈緒のオヤジ。


「……そうなんだ。親子っていいね」


笑う奈緒のオヤジの笑顔が眩しすぎて

他人事のように軽く相づちを返すことしか俺にはできなかった。


「そろそろ僕は会社に行くよ。

 また帰りが遅くなるけど1人でお留守番をよろしくお願いするね」


「1人で寂しい思いをさせて本当にごめんな。

 休みになったらまたどこかにお父さんと遊びに行こうね」


「……うん」


「晩ご飯は冷蔵庫の中に入っているからレンジでチンして食べてね」


「うん」

 

「それでは行ってきますー」


「行ってらっしゃい。オヤジじゃなかったお父さん」


少しの気の緩みにオヤジって単語がまた出てしまったが

奈緒のオヤジも慌てていたようでその事には触れずに

俺に手を振って駆け足で会社に行ってしまった。

俺も優雅に食事の続きに戻ろうと思っていたが自分のパジャマ姿に

気づいてしまったため、慌てて2階の階段を登っていく。


「俺にも学校があるんだったって……

 こんな女子の制服なんか着たことがないから分かるわけないだろっ」


俺は奈緒の部屋に戻ってくるなりハンガーにかかっている

制服を豪快に床に投げつける。


「奈緒、そろそろいい加減に起きて俺と交代しろって。

 じゃないとお前の大事なところをいろいろと触りまくってやるぞ」


「聞いているのかこの、寝ぼすけ奈緒が……」


「……だめだこいつ。狸型ロボットの傍にいるいつでも

 寝れるヤツと同じ体質の寝太郎のダメなヤツだ」


愚痴をこぼしていても何も始まらない。文明の利器に頼るか。

今どきのガキでもスマートフォンぐらいは持っているだろ?


「ない、ない、ない……」


「部屋は貴重面に綺麗だから直ぐに見つかると思ったのに

 いったいどこに置いてあるんだよ。奈緒」


「……はぁ、はぁ、はぁ。

 あったぞ、スマートフォンケースまでウサギさんかよ」


ぬいぐるみのウサギにカモフラージュされていたから凄く分かりにくかった。

ベットの横の棚に置いてあったから盲点だったとも言えなくてもないけど。


「あのウサギたちは本当は生きているんじゃないだろうな……」


俺はスマートフォンにロックがかかっていないことを

指で確信してからインターネットで制服の着方って入力する。


すると液晶モニターには制服の女子たちの写真がいっぱいに出てきた。

一部男子のセーラー服の画像も一緒に出てきたけど、この際スルーだ。


「服の横にチャックがついていたんだな」


似ている制服の女の子を探し出して俺はよくやく女子の制服を

着ることができた。

これで大人になったらコスプレした女の子の制服を脱がす時も

戸惑いなく簡単にできそうである。

しかし手慣れていると思われるのもそれはそれで嫌かもしれない。


俺はランドセルを肩に背負い一階まで駆け足で降りる。

そしてお母さんとあゆむが眠る仏壇に手を合わる。

死んだあゆむの姿が見えていたのは奈緒に憑依した時の後遺症かもしれない。

奈緒に憑依した経緯は未だに何も思い出せないけど……

神の力で封印(消されてしまった)のだろうか?

今はまた下手な憶測を立てて考えるのはやめよう。時間のムダだ。


学校に遅刻すると奈緒のオヤジそして眠り姫の奈緒に悪い。

奈緒が目覚めるまでは彼女の生活に支障をきたすことだけは避けよう。

今だけは奈緒(女の子)を演じて生きていかないと……

そう心に決意して俺は食卓に置いていたカギを回し家の扉をロックして

外の世界に第1歩を踏み出す。

風で花びらが舞い俺じゃなかったわたしを歓迎しているようだ。


新しいわたしの人生の1ページがまたスタートする。

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