兄の番人 02

※この章には同性の性的な描写があります。苦手な方はお気を付けください。


2


 うちには子ども部屋がふたつあった。八畳と、その向かいの四畳半。一人部屋をつかう予定だった星一がおれに部屋をゆずってくれたから、おれがいまでも四畳半をつかっている。

 ふたりは仲がいいからね、と母親はいっていた。でも、星一が理月の相手をしてやっているだけなのに、それをほんとうに仲がいいといえるんだろうか。

 理月が聴くCD、観る映画、買う服、ぜんぶ星一はつきあってやるけれど、おれは星一が理月になにか薦めているのを見たことがない。

 すべて人のいいなりの星一に仲がいい奴なんてだれもいない。



 一週間後のクリスマスがすぎれば、冬休みになる。期末テストが終わって――十番だけ順位が上がって――冬休みを待つだけの最近は、クラスのみんなが妙に明るくみえる。

 冬休みのはじめに、おれはバスケ部の同級生と一緒にスキーに行く計画を立てていた。

 冬休みのあいだは部活もあるし、塾の冬期講習もあるしで、中学二年生の冬休みはけっこう忙しいのだった。



 息が白くなるほど体育館は冷えきっていた。

 おれが部活の練習にきたときには、バスケ部の部員はほとんど全員そろっていた。一年生がバレー部との区切りのためにネットを張り、チェーンをガラガラいわせて使わないバスケットのリングを片づけている。

 おれは部室で紺のジャージと白い体操服に着替えると、さきにきていた茅場の横に腰を下ろした。

「足だいじょうぶ?」

 茅場が心配そうにきく。細くて白い顔に間隔のひらいた丸い目、大きな口。さらさらした髪をきれいに切りそろえている。身長は165センチくらいだが、細身なせいかもうすこし高くみえる。

「いたい」

 並んでバッシュのひもを結ぶ。成長痛だから故障ではないが、身体を動かすのはきつそうだ。午前中に保健室で痛み止めをもらったが、そろそろ薬が切れるころだった。

「ストレッチで治す」

 おれは立ち上がるとアキレス腱をのばそうとした。痛みに悲鳴をあげる。

「なにしてんの皆川みなかわ

 部長のせきがおれにきいた。眼鏡をかけていつも眠そうな顔をしているくせに、関は部員全体をよくみている。

「関節痛くてさ」

「また? 今日顧問来ないから帰れ。ほかのやつらにいっとくから」

 放りだすようにいって、関はかえっていった。横で茅場が、いいなー俺も帰りてーとつぶやいている。脳味噌垂れ流しなのがいじめられる原因だということに茅場はいまでも気づいていない。

「おれは帰りたくないよ」

「ま、気をつけて」

 不満を忘れた顔で、茅場はにやりとわらった。

 おれはあいさつすると、グレーのブレザーの制服と紺のダッフルコートに着替えて体育館を出ていった。



 関節の痛みをごまかしながら、マウンテンバイクで家までかえった。学校から家まではずっと下りだから、ペダルを漕がなくてもギアとブレーキでなんとかなる。

 ここは街まで電車で二十分のベッドタウンで、住宅団地が階段のように海際までつづいている。バス通りの広い通路をくだると、葉のおちたケヤキの並木越しに海がみえた。晴れると水平線がみえるが、曇ると空と海の区別がつかなくなる。

 おれが家にかえったとき、家にはだれもいなかった。薬箱から痛み止めをとって二階の自分の部屋へむかう。母親は六時までスーパーのレジ打ちをしているし、理月は教会のコンサートの準備で夜中まで帰ってこない。星一は家庭教師のバイトを入れているので、帰りが早かったり遅かったりする。

 部屋にはいると、おれは薬を飲んでベッドへ横になった。

 ひざの痛みが治まってきた。痛みが気にならなくなったころ、おれは吸い込まれるように眠ってしまっていた。



 目をさますと、緑のカーテンから黄色い光がさす夕方になっていることに気づいた。

 おれはドアを開けかけて、動きを止めた。苦しんでいるような呻き声。男の。

 おれはそっとドアをあけて、暗い廊下へ出た。となりは星一と理月の部屋のドアで、さらに歩くと吹抜けの踊り場にでる。

 踊り場から一階のリビングを覗いた。

 ソファに裸の男がふたり向かいあって坐っていた。ソファのうしろで金色に染まった白いカーテンがゆれている。

 リビングの、うすい緑のソファ。幾何学模様のなかで、肌色の身体がふるえている。

 躍るうすい茶髪と、茶髪の肩を抱いてぐったりともたれかかる黒い髪。

 理月が顔をあげておれを見た。凍りついたような表情で、理月は星一の身体を手で覆いかくした。

 ガタガタと肩がふるえる。気がつくと床に坐りこんでいた。

 ちがう。ちがう。ちがう。あれは星一じゃない。

 星一の声じゃない。

 喉から吐き気がこみあげる。両手でかたく口を覆う。

 ギリギリの声が高くなっていく。

 満足した子供のようなためいきのあとで、動きが止まった。激しい吐息がしばらく続いていた。

「もういいだろ」

 理月の低い声がひびいた。

 ザッと視界にノイズが走って、フローリングの床の目地がゆがむ。こんなところでなにをしているんだ。気持ち悪い。あんなのまともじゃない。

 ゆっくりと不規則な足音が遠ざかって、浴室のドアが閉まる音がした。

 低い声がおれを呼んだ。

「下りてこい」

 おれはのろのろと階段をおりていくと、脱ぎっぱなしになっている理月の制服を拾い上げた。

 さっきまで性行為をしていたとは思えないような、冷ややかな顔だった。

 理月は茶髪を長めにのばした髪型をしていて、身体が細いせいかでかい女みたいにみえる。170センチまでいかない星一はとっくに追い抜かしたが、177センチある理月とはあとちょっとの差だ。理月はそのことにすごく腹を立てているけれど、おれはじきに理月を追い抜かすだろうと思っている。

 理月はむかしから女嫌いだった。

 理月がホモだったなんてしらなかった。星一も――そうなんだろうか。

「――なにやってんの」

「セックス」

 青臭い精液のにおいがした。吐き気が喉からこみあげてくる。

「よごれないの」

 理月は顔をあげておれをみた。二重の切れ長の目。すこし下った目尻がエロい。

「ホモなの?」

 理月は肩をほぐすように上下させると、床に放ってあった緑のトランクスを穿いた。

「あいつは誰も好きじゃないし、俺も男は好きじゃない」

「じゃ、なんで?」

「おまえには関係ない」

 理月はおれの手から制服をむしりとると、そのまま階段をあがっていこうとした。

「なんでこんなこと……」

 理月は足を止めておれをみおろした。

「おまえ、まえから知ってただろ?」

「なにを」

「おれたちのこと。クリスマスの日、見てただろ?」

 一瞬理月がなにをいっているのかわからなかった。が、おれは、ふたりがクリスマスツリーの向こう側でキスをしていたことを思いだした。

 理月ははじめからおれがみていたのを知っていたのだろうか。

 さっきすぐにおれに気づいたように。

「親に言うか?」

 理月は顔の半分だけをゆがめる笑い方をした。

「チクれよ。得意だろ?」

 カッと頬が熱くなる。

 風呂場で物音がしなくなったことに気づいたのか、理月はおれの腕をつかむとむりやり二階へ引きずっていった。

「星一には言うな」

 おれの部屋のドアをあけると、理月はおれを荷物のように放りこんだ。衝撃をやわらげた右手に痛みが走る。

「言ったら殺す」

 冷ややかな声でいうと、理月はおれの部屋のドアを閉めた。

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