Believe in Spring

兄の番人

兄の番人 01

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 カインが弟アベルに声をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。

 主はカインに言われた。

「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」

 カインは答えた。

「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」

                             創世記4・8-9




 小学校三年生のクリスマスイブの話だ。

 家族とダイニングの食卓でケーキをたべていたとき、おれはクリスマスツリーがほしいといった。

 おれはそんなことをいいだす子供ではなかったから、両親はおどろいたように顔をみあわせた。ふたりの兄はふしぎそうにおれをみていた。長男の星一せいいちは中学二年生、次男の理月りつきは小学六年生、ふたりともツリーに興味はなさそうだった。

 その日、幼なじみの茅場かやばのアパートでツリーの飾りつけをした。茅場のお母さんは仕事でいそがしくてツリーを飾るひまがなかった。茅場とおれはショッピングモールで雪や人形を買ってツリーに飾りつけた。

 飾り終えてからてっぺんの星を忘れたことに気づいた。おれは厚紙とアルミホイルで星をつくってツリーのてっぺんにとりつけた。

晴也はるやって意外と律義だよね」

 と茅場正かやばただしにいわれたのは、部活の準備のために体育館の床をモップでふいていたときのことだった。バッシュがすべるとイヤだから、といったら茅場はにやりとわらっていた。色白で目が離れていて口がでかい茅場はかえるに似ている。

 おれはみかけは体育会系だが、中身は繊細だ。天然パーマの髪と眉がくるくるしていて、目と鼻と口がでかい。小学生のときにミニバスケットをはじめてようやく身長が伸びたけれど、幼稚園のころはチビで、茅場といっしょに列のいちばん前に並ばされていた。中二で175センチはまあまあだが、センターとしてはまったく背が足りない。三年生が引退して、ようやくスタメンになったのだから、あと二十センチは背がほしいと思っている。

 兄たちは一見繊細そうだが、中身は大雑把だ。星一は整ったやさしげな顔をしていて、理月は凶悪な性格とはかけはなれた天使のような顔立ちをしている。でもちょっと目尻が下っていて完全に清らかというわけではない。

 理月は教会で天使をやらされている。それは高校の奉仕活動で、クリスマスになると、理月は天使に扮して裏声で賛美歌をうたう。

 ツリーの話にもどろう。おれは自分のツリーがほしかったのだが、それは一瞬だけだった。次の日にはツリーのことなどすっかり忘れていた。

 が、星一はそのことをちゃんと覚えていた。

 次の日、星一はゴミ置き場で足の壊れたツリーをひろってきた。

 星一は誰に対してもやさしかった。勉強やスポーツはずばぬけてできたし、顔はいいしで、親にとっては理想の子供だった。毎年学級委員をやっていたが、あまりにも完璧すぎるのか、仲のいい友達はいないようだった。星一は今年県内の国立大学に推薦で受かって、家から大学へ通っている。

 ツリーの足をなおすと、おれは星一と理月といっしょに買ってきた飾りをツリーにつけた。

 モールと照明だけを巻いたツリーに、銀の星。おれは自分のツリーができて満足だった。

 が、まったく興味なさそうな顔をしていた理月が、積み木の人形をツリーに飾りだした。理月は凝り性だった。最初はしらけた顔をしていても、なにかやりだすと熱くなる。

 星一がこんぺいとうの袋を台所からもってきた。ツリーの枝にカラフルなこんぺいとうを置こうとする星一を理月が止めた。兄弟のなかでは理月だけが甘党だった。こんぺいとうが汚れるのがいやだったらしい。

 おれは星一に文句を言う理月をおいて洗面所へいった。手を洗って洗面所を出ようとした瞬間、おれはおどろいて身体をひっこめた。

 理月が星一に唇を押しつけていた。

 星一は目をみひらいたまま、まったく抵抗しなかった。

 星一の首にかけられた理月の手が、首をぎゅっとしめつけていた。

 理月は星一の目をのぞきこんだ。そしてつまらなそうに目をほそめると、星一をつきはなした。

 カラカラとこんぺいとうが落ちる音がして、ふたりはクリスマスツリーをふりかえった。あわてて洗面所にひっこむ。

 星一がまったく反応しないことに理月は腹を立てていた。理月は相手のいやがることなら自分がいやなことでも平気でやるやつだ。キスをされて星一はおどろいていたが、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 おれたちは星一の怒った顔や泣いた顔をみたことがなかった。両親は星一のそういうところをほめたたえていた。

 お兄ちゃんのようになりなさい。

 星一のように、完璧に。



 親がそういうことにはわけがある。

 子どものころの理月は離人症だった。まわりの人と障害物の区別がつかなくて、おれにぶつかっては無表情で離れていく。当時のおれは、理月を薄気味悪いやつとしか思っていなかった。

 親が子どもの出来にこだわるのは、理月が幼いときにまわりにいろいろ言われたからだった。

 父親は母と結婚するのを反対されていた。学生結婚だったということもあるけれど、理由はそれだけではない。母親がある町の人間だったからだ。

 古くからここに住んでいる人たちにとって、その町の名前は不吉なものだった。昔は処刑場があったとか、防空壕跡に建てられた小学校に幽霊が出るとか、いろいろとへんなうわさが流れてくるところだった。

 母親の育ちが悪い、というのは何の根拠もないデマだった。でも、理月が『まとも』になっていちばん安心したのは母親だった。

 理月は小学校の四年生のころに変わった。

 その日、庭にたおれていた理月を発見したのはおれだった。

 おれはそのとき小学校の一年生だった。理月は熱を出して学校を休んでいた。おれはパートに出ていた母親から、理月の額の氷を替えてねといわれていた。

 おれは家にかえってすぐに理月の部屋へいったが、理月はいなかった。家中の部屋を捜したあと、リビングへ行った。

 リビングのカーテン越しに、ひらいた黒いこうもり傘が見えた。

 忘れものだろうか。今日は晴れているのに。

 カーテンをあけると、庭の芝生に理月が倒れていた。

 なげだされた腕のすきまからしろい顔がのぞいていた。

 こうもり傘がその場から逃げるように風でころがっていった。

 理月が死んでる。

 おれは家をとびだして、となりのおばさんに救急車を呼んでくれとたのんだ。

 理月はその日の夕方に目を覚ました。右腕を複雑骨折していた。そのころには両親と星一が来て理月のベッドを囲んでいた。

 なにがあったのか問いただす母親に、理月は自分で屋根のうえから飛び降りたといった。

「飛べそうだったから」

 理月は二階の屋根から飛び降りた。黒いこうもり傘をもって。

 母親は医者に、理月には精神疾患の兆候があるといわれていた。両親は理月がとうとう自分たちの世界から離れてしまったと思ったらしい。

 でもその予言ははずれた。

 理月はおとなしい子供ではなくなった。いつもイライラして、なにかにむかついている、いまどきのふつうの子供になった。

 そのころから理月は星一のあとをついてまわるようになった。理月は星一が自分だけにやさしくしていると思っていたのだろう。星一は理月のぬいぐるみだった。星一は家から通える大学に入ったけれど、理月は星一がほかの県の大学を受けるといったらどうするつもりだったのだろう。理月は星一にべったりで、いつ理月がぬいぐるみを手放すかはだれにもわからない。



 理月にいわれるまで、おれはクリスマスの日のことなんかすっかり忘れていた。

 理月はいつも淡々としている星一にむかついて、星一の金を盗んだり物を隠したりして星一を怒らせようとした。が、星一が理月に怒ったことは一度もなかった。

 理月は、星一の神経はイカ並みだという。イカには神経が一本しかないそうだ。星一は一度も泣いたことがないともいっていた。当然それはうそだったが、理月もおれも、星一がいつから泣かなくなったのか知らない。

 おれは、理月が星一にキスをしたのは、理月のいやがらせだとしか思っていなかった。

 だから理月に、お前は最初から知っていただろう、といわれても、おれにはなにもいえなかった。

 あのときも親にいわなかっただろう、と共犯者のようにいわれても。

 星一とセックスしていたとき、理月はおれをガラス玉みたいな目でずっとみていた。

 弟に抱かれていた星一の身体を手で覆い隠しながら。

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