私の鳥達は悪意ある他人に殺されたので、今は忠犬達と妹の鳥と生きてます。くろという名前は初めての妹の手のり桜文鳥のぶぶさんの一番最初の名前と同じです。中学生の私はうーしゃと読んで、独占したがったモノです。
ぶぶさんは、家に入ってきた野良シャム猫に酷い殺され方をしました。猫にはCLAMPの迦陵頻伽を殺された迦楼羅王や司狼神威を安楽死させるかの如く相手をしている桃生神威の様なすざまじい殺意を抱きました。今はその猫だけ呪い他の猫には殺意を抱いてません。
作者からの返信
お読み頂きましてありがとうございます。
野良猫だと、誰の責任でもない故に感情のやり場に困りますね。無関係な猫には敵意を持たないとのことで、優しいお気持ちに安心しました。
犠牲になってしまった鳥さんも、今の妹さんたちとの穏やかな生活を見守ってくれているのでしょうね。
コメントありがとうございました。
仕方がなかったのだと思います。でもやりきれないですよね。生きていくということは、程度の差こそあれ、こういった経験を伴うものなのかも知れません。上手くコメントが書けずすみません。
作者からの返信
お読み頂きありがとうございます。こちらこそ、勢いに任せて読みづらいものを書いてしまったなと反省しております。
オレンジ11さまの作品は、私とは真逆で、ほっこりとした明るい物語の中に、主人公にとっての小さな棘のような過去の呪縛を潜ませ、更にそこからの救済まで導く深いものでした。私自身、勝手ながら、お皿のエピソードがリアルと共通していたことで、手探りの子育てを肯定してもらえたような嬉しさを感じました。
ありがとうございました(*´`)
こんなに遅れてのコメントを失礼します。
「1秒の葛藤」にすべてが凝縮されている気がしました。
そして、どんなに大きな葛藤があったとしても、「正しい判断だった」と言えるのは確かな強さだと思いました。
私は動物病院に勤めており、小鳥の死を日常的に目の当たりにしてきています。
踏んでしまった。
ドアに挟んでしまった。
カーテンレールにとまっているのを気付かずにカーテンを引いた。
そんな小さな事故で、小鳥達が死んでいきます。
家族の心に大きな傷を残して。
「ペット」が「人間」に命の意味を教えるというのは、本当だと思います。
最期には自らの死をもって、人間に大きな悲しみや葛藤や後悔を与えます。
それらの感情は、すべて命への敬意だと思うのです。
作者からの返信
お読みいただきましてありがとうございます。
動物の命に直接関わっていらっしゃる立場からコメント頂き、自分の体験が特殊なものではなかったことを改めて理解しました。
このわだかまりが命への敬意であると認識できたことは大きな救いです。
幼い子供の頃の出来事でしたが、きちんと文章にして、皆様のご意見を頂戴し、深く考える機会を持てたことは良かったと思いました。ありがとうございます。