未来へと託す書

ある日、私は一人の執筆家と出会いました


男の住まいには屋根がありませんでした


それどころか壁もなく床もない。唯一あるのは木造仕上げのロッキングチェアーのみ


それが男の寝所であり職場であり書斎でもあったのです


私は男に尋ねました


貴方はその環境下でいったい何を書こうというのですかと


すると男はこう答えました


何も場所だけが筆を進める訳ではありません。私は此処で満足しているのですと


私は重ねて男に問いました


しかしそれでは貴方自身の体に不調をきたすでしょうと


男はそれでも頑なにその場所を変えようとはしませんでした


私自身の体が大事だと言うのならば確かに私はこの場所を離れるべきでしょうねと


なるほど、男には自身のみに伝わる理由があり、それを確固たるものとしているのでしょう


しかしながら、それは赤の他人からすれば愚行に過ぎず、自己満足に過ぎません


私は男にこの生活をやめるよう諭しました


それが愚かな進言だと分かりながらも、何故だか私には男の行動が許せなかったのです


すると男は激昂するでもなく、無視をするでもなく、笑ったのです


ああ、成程。貴方はそうやって、自己を保つのですねと


その言葉を聞いた途端、私は自分の言葉に恥ずかしさを覚えました


ああ、成程。私はこうやって、正しいふりをしていたのかと


大事なものを自己でのみ判断し、他人を顧みずに愚かな言を口にする


私は男に謝罪しました


それが何の意味も持たず、何の結果を生まないものだとしても


すると男は最後にこう言ったのです


貴方は少し変わるべきだ。これこそ傲慢かもしれないが、そのまま行けば、それこそ貴方が破綻してしまいますよと


私にはその言葉の意味が理解出来ませんでした


でも、今になって思うのです


あの執筆家はいったい何をそうまでして書き連ねていたのかと


そして、あの助言を聞き入れなかった自分を呪うのです

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