第5話 閉幕宣言
あの人は言った。
「君には才能がある」
確かにそう言った。私へ向けて、射抜くような目で。誰にも省みられることがなかった私の文章を読んで。
月明りもない闇夜を一人進むような、そんな孤独な戦いで乾いた心にその言葉はするりと侵入する。
「あとは君自身の中にある沢山の感情をひとつひとつ見つけ出していけば良い。その為に必要なのは行動だよ。実体験以上に自身の感情と向き合えるチャンスは無い」
その上から目線の言い方にむっとするも、直前に言われた甘美な言葉の余韻でうまく反論できないでいた。
「もし君に行動を起こす覚悟があるのなら僕が手伝ってあげよう。間違いなく物語の血肉となるような最高の舞台を君のために用意するよ」
あの人は芝居がかった動作で手を差し出すと悪魔のように笑う。
私は憑りつかれたようにその手を握り返した。
「さあ本物になる準備をしよう」
落ち着いた倉田さんは躊躇しながらもこれまでの事を話してくれた。
三吉さんを軟禁していたという話には驚いたけれども、当の本人が今は気にしていない様子だったので今は追及しない事にした。三吉さんとは短い軟禁の間に随分と仲良くなったようだ。
「紅童子だってことは認めるし、それには後悔もしない。でも開会式の映像の件は悪かった…」
ばつが悪そうに俯く倉田さんに僕ら放送部員は気軽に言葉を返せない。
開会式で映像をすり替えられたことは確かに悔しくて、笑って許す気にはなれない。本気で作ったものだからこそ、うまくは切り替えられないし納得もなかなか出来なかった。それは僕だけじゃないだろう。
「三吉さんはそれでいいの?あんなに落ち込んでたのに」
倉田さんは三吉さんの方を見ようとしない。後悔はないと言っているけれど、なまじ仲良くなってしまったので後ろめたい気持ちはぬぐいきれないようだ。
「藤城君の言う通り、私も納得してるわけじゃないし倉田さんは自分勝手だと思う」
三吉さんは表情を柔らかくして続ける。
「でも、ちょっと羨ましいって思っちゃったんだ。そこまでして本気で叶えたい夢があるのがすごいなって。だからってわけじゃないんだけど、今は責める気持ちがあまり湧いてこないの」
今回の件で一番落ち込んでいた彼女にそう言われてしまうと、僕たちもどう怒ればいいのかわからなくなってしまう。楠見さんや道家と顔を見合わせる。僕は観念するつもりで大きなため息をつく。
「わかった。三好さんがそう言うならとりあえず開会式のことはもういい。でもさっきの”私じゃない”ってどういう意味?犯人は倉田さんなんだよね」
「そう。私が犯人。そのはずなんだけど私は午前中にしたイタズラしか知らない。ましてや怪我人なんて......」
この後に及んで倉田さんが嘘をついているとも思えない。それに三吉さんとずっと一緒に居たなら怪人として活動することは不可能だ。
もしかして。
ずっと気になっていた小さな違和感、その正体がわかった気がした。開会式の映像、そうだあれは......。
その時、重くなった室内の空気を一掃するようにドアが開いた。今日の放送室は本当に慌ただしい。
「わかったわ。やれば良いんでしょやれば」
「ありがとう。これで祭りがもっと盛り上がる。いやぁ助かるなぁ」
今度は珍しく不機嫌そうな日野先輩と、それとは対照的に上機嫌な戸神会長だった。放送室に居るみんなの視線がふたりに集まる。
「ごめんね、ちょっと臨時放送かけることになったから。戸神君はアナウンスブースに座ってて。楠見さん、マイクでの喋り方を簡単に教えてあげて」
「あ、はい」
日野先輩がミキサー卓につき戸神会長がマイクの前にスタンバイする。
アナウンスブースに放送部員以外が座っているのはとても珍しい光景だった。何を放送するつもりなのか、戸神会長はとても楽しそうだ。
放送の準備が整ったので僕らはいつもどおり息を潜める。
倉田さんには先ほど三吉さんが「放送中は静かにしててね」と注意していたので大丈夫だろう。
しかし倉田さんの様子がおかしかった。驚いた表情でガラス越しのアナウンスブースにいる会長を見つめていた。会長の方もそれに気づいたようだが、あくまで自然体でいる。一瞬倉田さんを見てふっと笑ったのは見間違いだろうか。
ピンポンパンポーン。
日野先輩がキューを出す。戸神会長が原稿もなしに放送を始めた。
「皆さん楽しんでますか?生徒会長の戸神です。学祭一日目はもうすぐ終わりますが、明日のエンディングに向けてひとつサプライズ企画をお知らせします。開会式で話題をさらい学祭中も犯行を繰り返している紅童子の正体を、皆で暴く犯人当てゲームを開催します!正体がわかった方、捕まえた方は生徒会室までお知らせください。特別な賞品を用意しました。力を合わせればきっと犯人を捕まえられます!明日のエンディングでその正体を暴いてやりましょう!」
戸神会長は紅童子を本格的に祭りの一部にしてしまった。これで犯人はもう次のイタズラはしにくくなるという狙いだろうか。
アナウンスブースから出て来た戸神会長は笑顔でお礼を言うが日野先輩はそれを睨み返す。
「怪我人が出たことによって先生方が明日の二日目の縮小を相談していたのは私も知ってる。それをあの怪我はサプライズ企画中の不慮の事故だと謝罪し説き伏せたのは確かにすごいファインプレーだった。でもさっきも言ったように、このやり方は良くないでしょう。犯人を全校生徒の前に吊るし上げるのは間違ってる」
吊るし上げる、という言葉に倉田さんがビクッと反応する。会長は涼しい顔で反論する。
「今は明日も予定通り学祭を成功させるのが第一じゃないか。この日のために準備をしてきた君たちや生徒全員、ここで中止なんて展開は望んでないだろう?怪我をした彼だってそう思ってるからこそ口裏を合わせてくれたんだ」
日野先輩は美人なだけに怒ると怖いんだけれど、戸神会長はどこ吹く風だ。
「やり過ぎだって言ってるの。懸賞金をかけて煽るみたいなことをしたら、悪ノリで更に怪我人を出してもおかしくない。それに犯人を発表してその後はどうするつもり?お祭りが終わってもその子の学校生活は続くのよ」
会長は軽いため息をついて僕らを見渡した。視線が倉田さんのところで止まる。
「罪には罰が必要だ。開会式であれだけ派手にやったんだ、彼女だってそれくらいの覚悟はあって当然だろう」
僕たちは息を飲んだ。この人は知っている。
倉田さんが紅童子だということを。そんな僕たちの動揺を事情がわからない日野部長だけが訝しんでいた。会長は楽しそうに告げる。
「それにこれは彼女の望んだ展開でもあるはずさ。犯人にはふさわしい結末が用意されるべきだ。その葛藤を味わってこそ本物の経験が手に入る。己の血肉になる」
この人だったのか。先ほどの考えがより明確な形で僕の頭に浮かんできた。確信に変わったそれを、僕は言葉にせずにはいられなかった。
「戸神会長、あなたがもう一人の紅童子なんですね」
あれはひと月前、雨の降る放課後だった。私は執筆中の作品を書くために図書室を訪れていた。
リアリティのあるものを書くためには自分の知識やネットの情報だけではいまいちだと思っているので、私は良い本がないか図書室へ良く資料を探しに行っている。こういう時に蔵書量豊富なうちの図書室はとても有り難い。
入り口から一番遠い窓際が私の指定席だ。近くの棚も郷土史なので人気がなく滅多に人が来ないので気に入っている。
雨の日はグラウンドも静かだ。図書室に居るのは司書の先生を除けば私一人で、しとしと降り続く雨音を聞きながらペンを握っていた。なかなか次の展開が浮かんで来なかった。昨夜も遅くまで起きていたせいで気が付いたらうとうとしてしまっていた。
手からペンが滑り落ちた音で目が覚めた。はっとして隣の席を見ると見知らぬ男子生徒が座っていた。席は他にも空いているのに何故わざわざここに座るのだろう。訝しんでいると彼から声をかけてきた。
「君、なかなか面白いものを書いているね。まだ全部は読めてないけど続きも読みたいな」
にやりと笑ってそう言う彼の手には私のノートがある。
「それ私の...!」
ノートを取り返そうと手を伸ばすもひょいと躱される。
「ふざけてないで返してよ、あなたなんなの」
「あれ、僕のこと知らない?あぁ、そうか一年生なんだね。僕は三年の戸神武彦。そこの棚で本を探していたらこのノートが目に入ってつい」
「ついって何。人のもの盗み見るなんて最低ですね」
三年生らしいので一応敬語にしておくが不快感から言葉の棘は消せない。人を食ったような態度も気に入らなかった。
「ははは、そうだね。でも僕の身近にはこういうものを書いてる人はいないから興味があってさ」
この不躾な先輩は何を言っているんだろう。初対面の後輩を捕まえて少しおかしいんじゃないだろうか。
何を言っても無駄な気がしたのでノートは力任せに奪い返した。この男は「おっとごめんよ」などとなおも軽口を叩く。
ノートを奪い返されても一向に席を立つ気配がないので私の方が帰る事にする。これ以上関わり合いにないりたくない。小説の続きは家で考えるしかないだろう。
「もったいないなぁ」
手早く荷物を片付けてその場を去ろうとしていた私の背後からそんな言葉が投げかけられた。不意を突かれた私はつい振り返ってしまった。
「君の文章、光るものはあるけれどキャラクターに生々しさが足りないね」
「生々しさ?」
先ほどまでのくだらない問答であれば無視しても良かったけれど作品についての感想は無視できなかった。
私の作品を読んだ感想だ。読んでもらう事に、ましてや感想をもらうという事に私は酷く飢えていた。
「そう。例えばこの作中の主人公、悔しさや怒りなんかは実に良く書けているけれど、その怒りを行動に移した現場での描写は実に薄い。手を汚す際の良心の呵責や暗い高揚感、現場でのヒリつくような臨場感、その後も続いていく人生があるからこその焦りや後悔。生きていればあって当然なそれら内面が君の物語からは抜け落ちている。実にもったいない」
思いのほかちゃんと読まれていた衝撃と未熟さを真正面から指摘された恥ずかしさで言葉が出てこない。
お前に何がわかるんだと言い返したいところだけれど、指摘された部分には全て自覚があった。戸神先輩はさらに畳みかけてくる。
「これは多分、君自身に経験があるかないかの差なんだろうね。もうちょっと大人になって視野が広がれば埋められる部分なのかな。まあ焦らずにゆっくりやればそのうち良いものが書けそうだね」
大人になれば。いつか。そのうち。それはいったいいつになるんだ。私はいま苦しい。今見返したい奴らがいる。この気持ちが風化するとは思えないけれど長い時間が過ぎたら薄れないとは言えない。出来るだけ早く成功という果実が欲しい。
「......私に経験があればその生々しさが描けると思うんですか?」
私のか細い呟きを吟味するようにたっぷりと間を取って戸神先輩は口を開いた。遠くで雷鳴が聞こえる。心なしか雨が強くなった気がする。
「君には才能がある」
それから戸神先輩はまるで用意していたかのように具体的なプランを私に提案した。私が生み出した主人公が経験するようなスリルや興奮、後ろめたさを私自身が経験するためのプランを。生徒会長だという事実には心底驚いたけれど、そんな自分が協力すれば十分に実現出来る計画だという言葉には説得力があった。
学祭を利用して全校生徒を巻き込んだ紅童子の物語はこの時に始まったのだ。
初めに違和感を感じたのは開会式の映像だった。
DVDをすり替えられた衝撃とフィクションのような展開に驚いてなかなか違和感の正体に気づけなかったけれど、先ほどはっきりとわかった。あの映像は一人で作ることが出来ない。カメラワークは明らかに手持ちでの撮影によるものだった。
つまり主役として喋っている紅童子のほかにもう一人『撮影者』が必要なのだ。
それに加えて倉田さんの身に覚えがない紅童子の出没情報を合わせると少なくともあと一人は共犯者がいるはずだった。それが誰かまではわからなかったが先ほどの会長の発言でそれもはっきりした。
会長は紅童子を『彼女』と呼んだ。仮装と仮面で性別なんてわからないのに。会長は最初から倉田さんの事を知っていた。
「会長はどうして紅童子を彼女って読んでいたんですか?」
僕の推理は間違っていただろうか。
僕の話を聞いている間も会長に動揺の色は見られなかった。むしろ余裕すら感じる。
「ふふ、そうだね。だいたい君の言う通りだ。僕はそこにいる倉田君の協力者さ」
取り繕う様子を微塵も居せずに会長は白状した。周囲が固唾を飲む中で真っ先に口を開いたのは倉田さんだった。
「戸神先輩さっきの放送は何なんですか!」
「倉田君、今まで僕のことを黙っていてくれてありがとう。でももう良いよ。ここまで来てしまえばもう結末は変わらない」
「答えてくださいっ。私に大人しく捕まれって言うんですか...?」
「嫌なのかい?創作に活かせるような本物の経験がしたい、それが君の望みだっただろう?罪と罰はセットだよ。いま君の心に吹き荒れる焦りや恐怖は今後の創作の糧になるはずだ」
倉田さんが言葉に詰まる。しかしそのまま黙る事はしなかった。
「た、確かに全部私が望んだ事だけど、でもだからこそ私の知らないところで紅童子が使われるのは嫌です。私のキャラクターで勝手な事しないでください!」
会長の目がすっと温度を下げた。
「はぁ。だって君がやること全然面白くないんだもの。あんなイタズラじゃあ盛り上がりに欠ける。せめて最後くらいは劇的に捕まってくれないと協力した割に合わない」
淡々と語る戸神会長は悪びれずにそう言い放つ。倉田さんは絶句して言葉も出ない。
僕たち放送部にとっては二人とも加害者だからどちらかの味方をするのもおかしな話だけれども、明らかに会長はやり過ぎだった。倉田さんを吊るし上げることで一体どんな得があるっていういんだ。何を考えているのかさっぱりわからない。
「戸神会長はいったい何がしたいんですか?倉田さんに協力したり、かと思えば捕まれって言ったり支離滅裂です」
一瞬質問の意味がわからないかのようにきょとんとした顔をした会長は呆れ顔になって返答をよこした。
「さっきから言ってるじゃないか。学祭を盛り上げたい、ただそれだけさ。正体不明の怪人が現われた学園祭、エンディングではきちんと捕まってこそエンターテインメントだろう。ハプニングこそ記憶に残る。僕はみんなに忘れられない思い出を作りたいだけなんだ。生徒会長としておかしな事かな?」
それだけ?
それだけの為にこんな手の込んだことをするなんて。この人はやはりどこかおかしい。
「戸神君、あなた本当に何も変わってないのね。中学の時からそうだった。みんなの為を振りかざして自分が面白いと思うことを強行する。誰かが陰で泣いても気にはしない」
日野部長が怒りを孕んだ声でなじっても会長には響かない。
「ま、否定はしないけどね。でも実際に大多数の生徒にとっては面白いハプニングだったろう?」
会長の言葉に僕たちは言葉を無くす。後ろめたさを感じていたのだ。
確かにその他大勢にとってこの事件は魅力的な話題の種だった。開会式でしてやられた僕たちでさえ非日常的な出来事にわくわくしていたという気持ちは拭えない。
だけど、だからと言ってみんなの楽しみの為に一人の気持ちを弄ぶというのは間違っているんじゃないだろうか。
「と言うわけで、倉田君は明日のエンディングが始まる前に体育館の舞台袖に来てくれたまえ。ちなみにもし来なかった場合は君が犯人だったという証拠映像を流して締めくくる事になる。それでも正体暴露としてそこそこ盛り上がるだろうけど、やっぱり舞台上で仮面をはぐ方が盛り上がるから是非来てほしいな」
悔しさと怒りで紅潮した倉田さんは今にも会長に噛みつきそうな迫力で睨みつけていた。
「最初から私を笑いものにするつもりだったんだ。私に才能がある本物になれるって言ったのも嘘なの」
「人聞きが悪い。協力はちゃんとしたじゃないか。充分本物の気分を味わえているだろう。それとも捕まる覚悟はしていなかったとでも?夢という個人的なエゴのためなら何でもするというのは嘘なのかい。いざ自分が罰せられるのは嫌だとでも?」
パンっという小気味よい音が響く。倉田さんの手が会長の頬を打っていた。
「あなたなんて大っ嫌い」
ぶたれても会長の口元から笑みは消えなかった。
それどころかその目は面白いものを見られたと言わんばかりに爛々と輝いている。
「で、返事は?君の覚悟を見せてほしいんだけどな」
会長を強く睨みつけたまま倉田さんは声を絞り出す。
「......行けば良いんでしょ。その代わりステージ上であんたも共犯だって暴露してやるから」
「どうぞご自由に。誰が信じてくれるか楽しみだね」
そう言って満面の笑顔を浮かべた会長はようやく放送室を出ていった。
室内は嵐が過ぎ去った後のように静まり返り気まずい沈黙が横たわっていた。その沈黙を破ったのは三吉さんだった。
「大丈夫?」
倉田さんは頷くものの先ほど会長に見せた分で威勢は使い果たしたようだった。今はただ弱り切った女の子が佇んでいる。
「自業自得だから仕方ない......かな。会長の言う通り私が甘かった」
「でも、このままじゃ」
三吉さんの不安そうな表情に、倉田さんは力なく首を振った。
「もう良いよ。別に今までだって学校が楽しかったわけじゃないし。それにやっぱりこれは罰なんだよ。沢山の人に、三吉さんたちにも迷惑かけた私が悪い」
「それじゃあ全部会長の思い通りじゃない」
倉田さんは俯いたまま口をぎゅっと結ぶ。口を開くと何かが零れ落ちてしまうかのように。
確かに会長が言ったことは間違っていない。首謀者である限り、この騒動に対する倉田さんの責任が揺らぐことは無い。
だけど責任の取り方はひとつじゃないはずだ。少なくとも彼女の真剣な想いを面白半分に利用するようなやり方はきっと間違っている。
「僕にひとつ提案があります」
翌日。長いようで短かった学校祭もいよいよフィナーレを迎える。
学祭二日目は紅童子の犯行も行われずにつつがなくお祭りが運営された。それなりにトラブルはあったものの通常想定される範囲内のもので実行委員も僕ら放送部も落ち着いて対処することが出来た。
残すところは最後のエンディングのみ。全校生徒が体育館に集まり最後のプログラムが消化されていく。僕が徹夜で制作を進めた学祭の振り返り映像も無事に上映が終わった。本当についさっきまで編集していたのでちゃんと2日目の内容も入っている力作だ。上映後に巻き起こった拍手で胸がいっぱいになった。
今は司会の実行委員が最も素晴らしい催しを行ったクラスを表彰するクラス対抗の結果発表が行われている。優勝したクラスが発表されると盛り上がりは最高潮に達した。選ばれた3年生のクラス代表はステージに上り感極まって泣きながらコメントをしている。
その舞台袖では学祭の最後を締めくくる閉会宣言のために戸神会長が待機していた。
「さあ、もう少しで君の晴れ舞台だ。覚悟はいいかい?」
暗がりでぼうっと浮き上がるような仮面を被った彼女は黙って頷く。僕は彼女の代わりとして皮肉に答える。
「晴れ舞台じゃなくて処刑台の間違いでは?」
「藤城君は物騒だなぁ。別に死ぬわけじゃなし。僕らは役者としてそれぞれの役割を全うして皆に劇的な思い出をプレゼントするんだ。晴れ舞台に決まってるじゃないか」
柔らかな笑顔で同意を求めてくる会長を無視して僕は紅童子に扮した彼女に目をやる。その隣では付き添っている三吉さんが「大丈夫?」などと心配そうに言葉をかけている。
紅童子の正体をエンディングで暴露するという計画は直前まで伏せられた。
エンディング準備のために体育館が暗くなったタイミングを狙って仮面の犯人は出頭した。舞台袖に居た実行委員は驚きを隠しきれない様子だったが、そこは戸神会長が口八丁により説得してエンディング内での逮捕劇をねじ込んだ。
会長の提案に犯人自身も黙って頷いている以上、強硬に反対する委員は一人もいなかった。
やがて司会が全ての発表を終えて閉会宣言のために会長の名前を呼んだ。
舞台袖から出ていく間際「それじゃあ、合図したらちゃんと出てくるんだよ」と冷たい声で念押しをすると軽やかにステージへと上がる。全校生徒を目の前にしても臆することなく堂々とマイクに声を乗せた。
「みなさん、この二日間存分に楽しみましたか。泣いても笑っても学校祭はもうすぐ終わります。でもその前にひとつだけ発表したい事があります。オープニングで大胆不敵な犯行予告を行い、その宣言通りに僕たちのお祭りをある意味盛り上げてくれた紅童子。僕たち実行委員はその犯人を突き止めてここに捕まえました!」
戸神会長の言葉に生徒たちがどよめく。舞台袖から実行委員2名に囲まれる形で彼女はスポットライトで煌々と照らされるステージに歩み出た。その姿はまさに連行されてきた犯人そのものだ。
付き添っていた三吉さんと僕は舞台袖に残り彼女を見守っている。僕らの出番はもう少し先だ。きっと上手くいくよねと心配する三吉さんに僕はしっかりと頷く。
「彼女ならきっと大丈夫」
ステージ上には戸貝会長と紅童子、一歩下がって見張り役の実行委員が二名と合計四名が立っていた。
会場の興奮が冷めやらぬ中で戸神会長が紅童子に語りかける。
「君はなんでこんなことをしたのか、それを教えてほしいんだ」
彼女はうつむいたまま答えない。体育館中が静まり返り彼女の言葉を待っていた。
しかし彼女は何も言わない。生徒たちがざわついてきた。それを制するように会長が怪人に一歩近づく。
「弁明もしないのかい?ならせめてその仮面は外してもらおう。仮面のままじゃ喋りづらいだろう」
会長が壇上の実行委員に目配せをして仮面を外すように促す。
委員たちの顔に好奇の色が見て取れた。自分の手で秘密を暴けるという気持ちが透けて見える。実行委員たちには会長から事前共有があったが正体までは明かされていない
紅童子はゆっくりと迫る実行委員たちから離れようと後ずさるが狭いステージ上に二対一だ。直ぐに追いつめられる。委員の手がゆっくりと仮面に伸びる。
ついに仮面がはがされるかに思えたその時。
目の前が真っ暗になった。ステージのライトはもちろん体育館中の電気が消えていた。
突然の出来事にパニックを起こしかける生徒たちのざわめきを押さえつけるかのように、一筋のスポットライトが体育館後方の二階席、つまりステージとは反対側を照らし出す。
あれ、もうひとり?というどこかの女子生徒の声がやけに響いた。
そのスポットライトの中心には仮面の怪人が佇んでいた。ステージ上に居るのと同じ紅童子の姿がそこにはあった。
ここからが正念場だ。頑張れ倉田さん。
もうひとりの紅童子は芝居がかった動作で体育館中を眺めまわすと、手に持ったマイクを使い緊張感のない様子で言葉を発した。
「私を捕まえられないからって偽物を用意するなんて。随分とまあ良い趣味してるね生徒会長さん」
その台詞に生徒の注目が再び会長の方へと向けられた。いつの間にかステージを照らすスポットライトも復活している。予定外のことに会長も咄嗟の反論が出てこないようだ。
「ほら、そこの偽物さん。もう仮面取っちゃいなよ。お芝居は終わり」
ステージ上の紅童子はそれでも戸惑っているように見えたが意を決してガバっとその場で頭を下げた。
「ごめんなさい!私、会長にお願いされて。この方が盛り上がるから協力してって言われて断れなくて...」
そう言って仮面を外すとその正体は秋葉さんだ。本当にごめんなさい、そうその場にへたり込む。
僕の横に居た三吉さんがステージ状に飛び出し秋葉さんに駆け寄った。ウソ泣きがばれないようにするための壁役だ。
そして生徒たちの中から「あ!あの子、ずっとステージ発表の司会やってた子だ!」という声が上がる。
続けて何人かが気づき、ずっとステージで仕事をしていた秋葉さんには犯行が不可能だという共通認識が広がっていく。これで偽物を演じた秋葉さんのアリバイはクリアした。
最初に声を挙げたのはあえてクラスの列に戻した道家だ。この場で生徒達からアリバイが証明されることで秋葉さんの潔白は保障される。これで会長が用意した方は偽物だということを証明できた。
「だから言ったでしょう。私が本物だって。みんな信じてくれたかなー?嘘つきは会長だよん」
お道化た仕草で生徒たちに手を振る紅童子はどこまでも陽気に見える。
全校生徒の前で恥をかかされた会長は流石に動揺しているようで「早くあいつを捕まえてこい!」などとらしくない慌てぶりで壇上の実行委員二人に命令を出している。
壇上から実行委員が飛び出していったタイミングで僕もステージに上がり秋葉さんの横に立つ。そして会長を真っすぐに見据える。
「落ち着いてください会長。今彼女を捕まえるのは無意味なのはわかるはずです。もう、カーテンフォールにしましょう」
会長から刺すような視線が向けられるが今更怯みはしない。
ここまで来れば僕たちの勝ちだ。
「僕にひとつ提案があります」
そう前置きをした藤城君の考えは突飛なものだった。初めは意味がわからなかったけれど内容を詳しく聞けばやってみる価値は十分にありそうな計画だった。
「僕たちの勝利条件は倉田さんが晒し者になるのを防ぐこと、今後に後腐れを残さないこと、そして学祭を滞りなく終わらせること、これらを達成しないと無事解決したとは言えない」
「後腐れなくっていうのはどういうこと?」
「会長との禍根を残さないってことかな。学校は今後も続くのだからなるべく敵意は持たれないようにしないといけない。全部を暴露して共倒れになったらダメなんだ。さっき会長が言った通り信用は向こうの方が上だしね。放送部としても生徒会との軋轢は避けた方が良い。そうですよね?」
それはそうね、と日野部長が応じる。放送部としては今後も行事の度に生徒会とは連携していくので、その度に気まずい思いをしたくはない。確かにこれは大事なことだ。
「これらをクリアするためには会長の望みを叶えつつ倉田さんが晒し者になるのを防げば良い」
「会長の望み?」
「本人が言っていた通り会長の望みは学祭を盛り上げること。倉田さんに関しては単なる手段に過ぎないんでしょう。目的のために手段は選ばない。戸神会長ってそういう人ですよね?」
再び日野部長は頷く。倉田さんもこれには同意のようだった。
「それなら会長の筋書きを上書きして別の形で祭りを盛り上げてやれば良いと思うんです。倉田さんが無事な形、つまり怪人の正体が明かされるというエンディングとは別のエンディングで盛り上げればいい」
別のエンディング。
そんな筋書きが可能だろうか。会長は倉田さんが犯人だという証拠映像まで握っている。発言力もあっちが上だ。
こちらで何をやったところで会長が紅童子の正体をばらしてしまえばそれでお終いだろう。そう思ったのは私だけではないようだ。
「そんな都合のいい方法があるわけ?」
さっぱり思いつかないという顔で道家君が先を促す。
「紅童子の偽物を用意するんだ。そして偽物は会長に捕まってもらう」
「はぁ!?」
私たちの声がハモる。特に倉田さんが剣呑な目つきになっている。
「私の代わりに誰かを身代わりにするっていうなら冗談じゃない。全部私の自業自得なのにそんな事させられるわけないでしょう!」
「安心しなよ。身代わりなんかじゃない。みんなの協力は必要だけど目指すは大団円だ。筋書きはこうです......」
藤城君は私たち一人ひとりをぐるりと見回して説明を始めた。藤城君の話はこうだ。
戸神会長はエンディングのステージに犯人を登場させて正体を暴くというドラマを演じようとしている。
途中まではその筋書きに乗るんだ。紅童子はステージ上に登場しないといけない。その前に何かすると倉田さんの正体を直接ばらす展開になりかねないからだ。
ステージに出ていけば会長は最後の詰めに紅童子の正体を暴こうとするだろう。
でもそこでステージ上に出てきた紅童子は偽物にすり替えておく。丁度いい事に仮面とマントを被ってしまえば代役を立てるのは難しくないしね。
会長が紅童子の正体を発表する前に、体育館の別の場所に本物の犯人が現れて会長が偽物を作ったと告発するんだ。
その怪人は偽物だ!私こそが本物の紅童子であり、会長は嘘をついている!ってね。
そして偽物もその場で会長に命令されたと認めて謝罪。本物の紅童子は高笑いしながらその場から逃げる...。
こんな風に『優秀な会長でも捕まえられなかった伝説の怪人』というストーリーにしてしまうんだ。
これなら紅童子の正体がわからなくてもインパクトは十分だし盛り上がることは間違いない。みんな強い人が出し抜かれるって展開も大好きだからね。
私もみんなも藤城君の突飛なアイディアにぽかんとしてしまった。道家君が呆れ顔でつぶやく。
「お前、よくそんなこと思いつくなぁ」
長い説明を終えた藤城君は一息ついてなんでも無いことのように答えた。
「え、駄目かな。これなら倉田さんも晒しものにされないし、学祭も盛り上がるから会長も許してくれるんじゃないかと思うんだけど」
「でも、あの戸神がそんな面子を潰されるような真似されて黙っているかな」
「うん、楠見さんが言うように僕もそれは考えたんだけど、それこそ会長って目的が達成されれば自分の事も二の次にしそうな気がするんですよね。優秀だから一見プライド高そうに見えますけど、他人からの評価はそもそも眼中にないと言うか。その辺、部長に確認したかったんですけどどう思います?」
日野部長は少し考える素振りを見せるが直ぐに結論を出した。
「藤代君の言う通りだと思う。保身とか面子とかそういうのにはこだわる奴じゃないわ」
藤代君は自信を深めたようにゆっくりと頷いた。私も話の中で疑問に思った点を聞いてみる。
「その計画だと偽物役が必要だよね。それは誰がやるの?」
「ダメだったら僕がやっても良いんだけど、秋葉さんにお願い出来たらと思ってるんだ。彼女なら学祭の間ずっとステージで司会をしてたからアリバイの証明が確実に出来るから。その場で戸神会長に仮面を剥がされても生徒の中にサクラを仕込んでおいて、ずっと司会をやってた子だ!とでも言えば後は周りが勝手に偽物にされた被害者だって身の潔白を信じてくれる」
確かにこの学祭中で秋葉さんの顔は随分と覚えられたはずだから確かに適役だろう。ただ秋葉さんがやってくれるかはわからない。彼女もまた紅童子に振り回された一人だから。精一杯説明してわかってもらうしかないだろう。
「わかった。秋葉さんの説得は私が頑張る、私も少しくらい力になりたいから」
藤城君が神妙に頷いて話の先を続ける。
「あとの問題は、本物の怪人を倉田さんがやってくれるかだけど…」
みんなが一斉に倉田さんに注目する。
「計画的にはどうせ逃げ切るつもりだし別に本人がやる必要は無いんだけど、やっぱりこれは倉田さんがやるべきだと思う。責任を取るって意味でも。会長を見返してやるって意味でもね。どうかな」
藤城君のまるで試すような静かな言葉を真正面から受け止める倉田さんは目に力を込めてこう言い放った。
「やるに決まってるでしょ。正真正銘、私が本物なんだから!」
生徒たちのざわめきが遠く聞こえる。
「君は放送部の......名前は聞いてなかったよね」
紅童子の派手な逃走劇に生徒たちが浮足立つ中で、僕はスポットライトに照らされたステージ上で会長と対峙する。皆が体育館後方を見ておりステージに注目している生徒はほとんどいない。
「放送部一年の藤城慎一です。戸神会長」
ここでの会話は他の生徒には聞かれないように八代先輩に頼んでステージ上のマイクは全てオフにしてもらっている。榊先輩と日野部長は今はスポットライトを担当してもらっていた。
「彼女を捕まえない方が良いとはどういう事なのかな」
僕が話しかけたことで幾分か落ち着きを取り戻した会長は、いつもの余裕をたたえた表情で問う。
「会長ならわかってるはずです。今この瞬間、お祭りはクライマックスを迎えました。正体不明の犯人はそのまま伝説になり、語り継がれるであろう学祭がここに完成しました。全てが暴かれ解決するのもエンターテインメントのひとつの形ではありますが、語りたくなる謎、余白が残るというのも粋な展開だと思いませんか」
会長の目が真っすぐに僕を射抜く。ここが正念場だ。なんとしても会長を納得させなければならない。
次の言葉を待つ時間がやけに長く感じる。
ダメか。
焦って言葉を継ぎ足そうとしたその時。
「あーあ。わかったよ。どうやら他に選択肢はないみたいだね」
ため息交じりの、それでいてどこか愉快そうな返事があった。
僕は賭けに勝てたのだろうか。ほっとして気が緩んだせいかつい余計なこと口走ってしまう。
「良いんですか?」
「まあね。君の言う通り歴史に残る幕引きにはなったし、この場の雰囲気を塗り替える材料もないしね。ここは君の筋書きに倣うのが一番の良いだろう」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると僕たちも助かります」
やれやれとでも言い出しそうな雰囲気の会長に出し抜かれた怒りや恨みは感じられない。本当に良かった。
「それじゃあ時間も無いことだし、僕も道化役を張り切って演じるとしようか。ちゃんと幕引きはしないとね」
そう言って足取り軽くステージ前面に進むと、生徒たちに向けて力の入った声で叫ぶ。
「おのれ紅童子!この第十代生徒会長、戸神武彦に恥をかかせるとは!貴様は必ずや俺の手で捕まえてやるぞ!閉幕宣言なんてやってられるか、代わりに君がやっておけ!」
舞台俳優のように良く響く声で宣言した会長は自身のマイクを偽物の紅童子役だった秋葉さんに無理やり押し付けた。そしてステージから飛び降りてそのまま体育館を出て走り去ってしまった。
その様子を唖然と見送る生徒たち。
突然の事態に全員が置いてけぼりの中で秋葉さんの「え、何これマジで。私がやるの?」という素の声をマイクが拾う。
何人かの生徒がそれで吹き出して会場全体に笑いが伝染した。
その爆笑の渦の中からは道家の「なんでも良いから閉幕しちまえ!」という楽し気な声も聞こえる。
僕と三吉さんも秋葉さんの隣で「がんば!」と声を揃える。
「あー!もう何なの!みんな私を働かせ過ぎじゃない!?......せーの、みなさんは学祭楽しみましたか!」
会場全体からイエーイ!と盛大な返事が聞こえてくる。
「思い出は出来ましたか!」
イエーイ!
「笑いましたか!泣きましたか!」
イエーイ!
「私は働きっぱなしで声も枯れそうですが最高の学祭だったようで何よりですね!それももうお終いですよ良いですか、ここに第十回北葉高校学校祭の閉幕を宣言します!」
うおぉー!という謎の盛り上がりを見せる中で僕たちの学祭は幕を閉じた。
ステージの緞帳が降りたところで僕も三吉さんも秋葉さんもその場に座り込む。
「藤城君、本当にお疲れ様」
三吉さんのそのありふれた言葉でようやく肩の荷が降りたことを僕は実感した。
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