第4話 本物の証明

「あーもう!いい加減にしてっ」

 放送を終えた楠見さんが叫ぶ。放送室は防音仕様だから別に良いんだけど、びっくりするので声量を押さえてほしい。ミキサー室に居る僕まではっきりと聞こえてくる音量というのは結構な大きさだ。

 でもそう叫びたくなる気持ちはわかる。先ほどからイレギュラーな放送依頼が多すぎて予定のスケジュールが大幅に遅れているのだ。

 原因は、開会式をジャックした紅童子だ。奴は、道家が目撃したという落書き事件をはじめ、至る所で愉快犯的な犯行を繰り広げている。そのせいで余計な放送が増えており学祭の運営に支障が出てきていた。読まなければならない出し物のPRをまだ半分も読めていない。

 大変なのはここだけではない。

 さっき休憩ついでに体育館のステージ担当である秋葉さんの様子を見てきたら八代先輩の横で机に突っ伏していたことを思い出す。


「秋葉さん、お疲れ様」

 そういって差し入れのスポーツ飲料を差し出す。八代先輩にも同じものを買ってあるので二本分だ。

「ありがとー藤城」

 よほど疲れているのかよろよろとペットボトルを受け取る。隣で八代先輩が苦笑している。

 七月初めの札幌ではそこまで暑い気温にはならない。しかし大勢の生徒とスポットライトの熱で体育館はそれなりの気温になっていた。じんわりと汗ばんでくる。日野先輩に言われた通り飲み物を持ってきて正解だった。

 ステージではちょうど吹奏楽部の発表が始まったところで、二人ともしばらくは仕事が無さそうだ。へろへろの秋葉さんはそっとしておいて先輩にステージ運営の様子を訪ねてみた。

「うーん、スケジュールは去年に比べてだいぶ押しちゃってるなぁ」

「やっぱり、例のやつですか」

「だね」

 八代先輩は芝居がかった動作で肩をすくめ、諦めたようにため息をついた。

「だね、じゃないですよ先輩っ。なんなんですかあいつっ」

 吹奏楽部の演奏中に大きな声を出す訳にはいかないから小声だが、秋葉さんは怒り顔で食ってかかる。

「開会式だけじゃなくステージ発表にも乱入してきて!あげく実行委員の人たちまで追っかけてステージに上がるわでもう滅茶苦茶!フォローするこっちの身にもなれってんですよっ」

 まあまあと八代先輩になだめられ、秋葉さんはすとん椅子に座り直す。表情は不機嫌この上ないけれど。

 八つ当たりされるのは面倒だったので僕はふたりにエールを送り体育館を後にした。寄り道しても良かったのだけれど、ステージの様子から放送室の方が心配になってきたので真っ直ぐ戻ることにした。


 すると案の定、楠見さんの苛立ちがピークに達していたというわけだ。

 こうしてみるとアクシデントに対して怒り出す楠見さんと秋葉さんは案外似たもの同士なのかもしれない。性格は正反対なのに最近はうまくやっているのは、どこか根っこの部分が似ているからだろうか。

 きっと三吉さんだったらこういう時、怒らないで落ち込むんだろうな。見ている側としては、もう少し自分に自信持ってやれば良いと思うんだけど。面と向かっては言えないことをぼんやりと考えた。

 楠見さんが次の放送の準備をしている間に、代わりに放送卓を操作してくれていた部長と交代する。

「部長、三吉さんまだ戻らないんですか?」

「そうなのよねぇ、スマホに連絡してみたけどそっちにも返事ないみたい」

「さすがにちょっと心配ですね......」

 今頃どこで何をしているんだろう。昼前に休憩へ出たから、もう二時間だ。いくら何でも遅すぎる。さっきすれ違った道家にも聞いてみたけど、校内でも一度も見かけていないという。

「三吉さん、落ち込んでるからって仕事放り出すような性格じゃないと思うんですけどね」

 むしろ責任感が強すぎて仕事に失敗するタイプだ。

「同感。お祭りで外部の人も多いし、変なトラブルに巻き込まれてなきゃ良いんだけど。藤城君やっぱり探してきてくれない?ここは私と楠見さんで大丈夫だから」




 中心から外れたこの進路指導室では祭りの喧噪も遠くかすかに聞こえる程度だ。その微かに聞こえる喧噪が余計にこの部屋の沈黙を際立たせているようだった。

「本物になりたいってどういう意味?」

 私は彼女に尋ねる。

「別に。そこまで言う必要ある?」

 そう呟いた彼女は目をそらす。

 そのバツが悪そうな、拗ねた横顔は小さな女の子のようで拘束されている恐怖が幾分か和らいだ。それと同時に、心の奥になりをひそめていた怒りが浮き上がってくる。みんなの頑張りを台無しにしようとするなんてやっぱり酷い。

 彼女はわざとらしく軽薄な口調で言葉を繋げる。

「でもさぁ、結構私のことを楽しんでる奴だっていると思うな。お祭りでしょう?ハプニングがあったって良いじゃない」

 その意見に私は同意することが出来ない。

「そうかもしれないけど......。だけど少なくともあなたのせいで実行委員や私たちは困ってる。今日まで必死で準備してきたものが遊び半分で壊されるのは、辛いよ」

 喋っているうちにまた涙が目にたまる。それに気づいた彼女は若干うわずった声で睨み返す。

「私たちって、あんたは何なのよ」

「放送部。開会式で、あんな映像流すつもりじゃなかったのに。放送と委員のみんなで一生懸命作ったオープニング、ちゃんと発表したかった」

 そうなのだ。

 何も映像の確認をしなかった事だけで落ち込んでいたわけじゃない。

 あそこで流すはずだった本当の映像は、苦労してみんなで作り上げた力作だった。拙い部分もあるけれど楽しみながら良いものが作れた実感があった。

 その発表の場が奪われた事が悲しかった。

 涙をこぼさないように目に力を込めて彼女を見ると、先ほどまでの小馬鹿にしたような態度ではなく、目を見開いて動揺していた。私が見つめ返すと目を反らしてそれきり黙りこんでしまう。

 そして彼女はついに耐えきれなくなったのか舌打ちをして言葉を発した。

「......私、いま小説を書いてて。その主人公が孤独な愉快犯で...」

 私は彼女が何の話をしだしたのか理解出来ずにきょとんとする。反応の悪い私に業を煮やした彼女は補足してくれた。

「つまり、良い作品をちゃんと書くために犯人の気持ちや行動をいま実体験してんの。わかった?」

 全然わからない。その気持ちがそのまま言葉に出た。

「え、そんなことのために?」

 その瞬間、彼女は立ち上がって座っていた椅子を蹴り飛ばした。

 静かな部屋に派手な音を立てて椅子が転がる。その大きな音に私は竦み上がる。

 彼女のスカートが揺れる。

「っ、痛ったっ」

 せっかくの迫力が台無しだった。

 彼女はしゃがんでつま先を押さえていた。手荒なことには慣れていないらしい。たぶん見た目通り普段は大人しい人なのだろう。

「だ、大丈夫?」

 思わず心配してしまった。

「大丈夫っ。それよりもそんな事って言った?私にとっては、良い小説を書くことが全てなの。そのためだったら何でもやる。経験が足りないっていうなら実際に経験してやろうじゃない」

 彼女は私に話しているというより、自分自身に言い聞かせているように下を向いて言葉を吐き出していた。

「絶対に良いもの書いて証明してやるんだ。私の才能は本物だって。中途半端でやめたりはしない。本物になるためなら、誰を困らせてもいい。でも」

 彼女が顔をあげて私を見つめる。

「......あなた達の発表の場を奪ったことは、謝らないけど悪かったと思っている。恨んでいい」

 その表情を見たら、恨む気持ちがどこかにいってしまった。

 彼女は彼女なりに必死なのだ。

 彼女がやっているのは明らかに迷惑行為だ。でも、どうしてだろう。今聞いた言葉に嘘はない。そう確信出来るくらい気持ちが伝わるような表情だった。

 私は、彼女を許せる気がしてきた。

「ねぇ、恨まないしもう良いから、これ解いてくれない?」

「それはダメ。今日はここに居てもらう」

 やはりそう簡単には打ち解けられないらしい。彼女は私の隣に腰を降ろし、長めのスカートを抱えて体育座りをする。

「ねぇ、あんた名前なんていうの?」

「三吉、三吉ちさと。一年三組」

「私は倉田立夏。一年五組」

「あ、同級生だったんだ」

 倉田さんは小さくため息をついて、また黙り込んでしまう。なんだか拘束にも慣れてきて、倉田さんもあまり怖くなくなった分、だいぶ余裕が出てきた。

「倉田さん」

「なに」

「さっき、書いてるって言ってたけど、どんなの書いてるの」

 返事がない。あまりにリアクションが無いので、体をよじって倉田さんの顔をのぞき込んでみると、顔が耳まで真っ赤だった。

「な、何見てんのっ」

 気づかれて怒鳴られた。でも全然怖くない。

「ごめん、いや、私も普段から本を読むのが好きでどんなのかなー、同い年なのにすごいなぁって気になって」

 そう言うと倉田さんは体育座りしていた膝に顔をうずめてしまった。

 さっきの啖呵は本当に衝動的なもので素の彼女はこっちなのかもしれない。返事はもらえないと思っていたけれど、彼女の方からぼそっとした声が帰ってきた。

「本が好きって、例えば何を読むの」

 野良猫がちょっと心を開いてくれたようで少し嬉しい。

「今は穂村太陽の『さよならの向こう岸』を読んでるとこだけど」

 倉田さんがガバっと顔をあげた。

「良いよねっ、穂村さんっ。私は処女作が一番好きだけど、『さよならの確率』も好きで、あぁ、でも年が近い主人公だったら『白い流星』なんかも外せない...あ、ごめん.......」

 ちょっとどころか心全開で話しかけられてしまった。

「いや、全然いいよ。私穂村さんの他の本はまだ読んでないから、倉田さんが良ければおすすめを教えてほしいな」

 本の話になると倉田さんは嘘のように饒舌に話し始めた。

 今日が終われば開放してくれるって言うし、私はこの犯人とは意外に仲良くなれそうだと思いはじめていた。




「うーん、いったいどこに行ったんだろうな」

 日野部長の指示で三吉さんを探しに出てはみたけれど、どこを探せばいいのやら。

 とりあえず三吉さんが好きそうな場所を回ってみようか。途中でばったり合うかもしれないし。

 僕は学祭のしおりを見つついくつか見当をつける。一番近くで可能性がありそうなのは文芸部の展示だ。三吉さん小説好きだし、賑やかなところより落ち着いたところに行きそうな気がしている。

 文芸部の展示は図書室で行われているようだ。

 図書室は一階の吹き抜けスペースに隣接しており普通教室の三倍ほどの大きさがある。これは市内でもトップクラスの蔵書量らしい。初代校長が大変な読書家で「若者の世界を広げるのは本である」という信念のもと、周囲を説き伏せて図書の充実に力を入れた結果だという。

 そんな我が校自慢の図書室に着くとまず巨大な手作りポップ群が目を引いた。

 図書室に入荷した話題本だったり文芸部員のおすすめだったりと、傾向もジャンルもバラバラな本が並べられていた。それぞれに巨大ポップが付けられており、まるで珍妙な花畑のようだった。どこで買ってきたのか本屋でたまに見かけるようなLEDで光るタイプまである。

 藤城はポップ群を流し見て図書室の奥へ進むと、そこには薄い冊子が大量に平積みされていた。文芸部が今回の学祭用に作った同人誌だ。

 それを手に取りつつ店番をしている部員に三吉さんの事を尋ねてみた。暇そうに文庫本を読んでいたその子は首を傾げて考える仕草をするも思い当たる事はなかったようだ。

「んー、そういう子は来てないかなぁ」

「見かけたらみんな心配してるから放送室に戻るよう伝えてくれると嬉しいです」

「了解。どうせ暇だしね。今どき誰も文芸なんかに興味ないのかなぁ。新入生も入らなくて部員は私ひとりだし」

 部員改め文芸部部長はつまらなそうにため息をつく。

 藤城は礼を言いつつせっかくだから同人誌を一冊書うことにした。小説は僕も好きなほうだ。すると部員の後ろの机に平積されている本とは別の本が見えた。

「あれ?もう一種類あるんですね」

「あぁ、あれは違うの。見てみる?」

 手渡されたその冊子はタイトルに「文学少女の繭」と書かれていた。しかし促されて裏表紙の著者名をを見るとそこには紅童子と書かれていた。

「これ、いつの間にかうちの本と一緒に並べられてたのよ。よくもまあこんなに手の込んだイタズラするもんね。しかもこいつ、うちの部よりも良い印刷してるところがムカつく」

「どんな内容なんですか?」

「さあ。イタズラ目的なんだからネットで拾ってきたものをコピペでもしてんじゃないの。なんだったら持っていっていいわよ。どうせ学祭が終わったら捨てる事になるでしょうし」

 藤城は文芸部の部誌と紅童子のイタズラ本を抱えて図書室を後にした。

 紅童子のイタズラは本当に多岐に渡っているようだ。ステージへの飛び入りなんかは昨日今日の思いつきでも実行可能だけど、この本のようなイタズラは前々からきちんと計画して準備しなければ不可能だ。犯人は何を思ってこんな手間をかけた事をしているのだろうか。

 そんな風に紅童子についてぼんやり考えながらも三吉さんが寄りそうな場所を見て回ったけど、結局三吉さんは見つからなかった。家庭科部や美術部など当たりをつけた場所や、クラスメイトたちにも見かけたら連絡してくれるように頼んだが今のところ成果は芳しくない。

 進展がないと気持ちがダレてくる。普段の学校とは違う人混みに疲れたこともあり、同じ一年生が行っている喫茶教室に入ることにした。甘いものでも食べて頭を回復させよう。

「あれ、藤城じゃん。いらっしゃい」

「あ、ここ明石さんのクラスだったんだ」

 ドアを開けると目の前で接客をしていた明石さんに声をかけられた。明石美紀はクラスは違うが生徒会に入っており、僕ら放送部のメンバーとは皆面識がある。

 猫のような大きな目はくるくると良く動き、明るく闊達な性格は男女の垣根を感じさせない。

 その明石は白衣姿でお客のオーダーをとっていた。このクラス喫茶のウリは化学喫茶という趣向だからだ。一見あり得ない組み合わせのソフトドリンクのカクテルが並んでいるが藤城はその中でも無難そうな飲み物をオーダーした。

「つまんないわねぇ、いつも涼しい顔をしてる藤城のレアな表情が見れると思ったのに」

「生憎食べ物では冒険しない主義でね。あ、それよりも三吉さん見なかった?」

 すると明石さんは僕が机に置いていた冊子に目を留めていた。イタズラ本の方を手に取りしげしげと眺める。

「どうしたの?」

「三吉ちゃんは見てないけど、これまた随分と懐かしいもの持ってるわね。どしたのこれ」

「懐かしい?これが?」

「え、だってコレって私の中学にあった文芸部が出してた冊子だよ。私としては何で藤城が今こんなもの持ってるかって方が謎なんだけど」

 どういうことだろう。藤城は明石に先ほどの事の経緯を説明した。

「うーん、じゃあ紅童子は私と同中の子?」

「多分。中学生が学祭で発表してた同人誌なんてイタズラのために外部の人間が手に入れるとは考えづらいし。それに十中八九、元文芸部だった子じゃないかなぁ。この冊子パッと見でも10冊以上置いてあったからそんなに在庫を持ってるのは本人達しかいない気がする」

「なるほど。そういう事ならちょっと待ってて」

 ぱちっとウインクをした明石さんはどうするのか聞く暇もなくパッと教室から出て行く。

 藤城はとりあえずオーダーしたドリンクを飲みながら『文学少女の繭』を読み進めてみる。どうやら『衝動』というテーマで部員がそれぞれ書いた短編小説をまとめているようだった。

 本の中にも紅童子の名前が出てくるかもと思ったけどそんな事はなかった。パラパラと作者名の欄を見てみるが明らかにペンネームとわかる名前が並んでいるだけだった。

 試しに最初の話を読み始めるが、途中で明石さんが知らない女子を連れて戻ってきた。

「やー、さっきの本を見てもらおうと思って!ね、これって犬童さん達が作ったやつだよね?」

 明石さんが僕の持った『文学少女の繭』を指差す。犬童さんがそれを認識した途端、僕の手から凄い勢いで奪われた。

「な、な、なんで今これが出てくるの!?」

 誰にも見られたくないと言うようにがっちりと本を胸に抱えて隠そうとする犬童さんは顔まで真っ赤になっていた。明石さんがかくかくしかじかと事情を説明する。

「と、いうわけでこの冊子に書かれてる紅童子て何なのかなって思ってさ」

「そ、それは...」

 犬童さんの口は話を聞いてからもなお重そうだったので場を和ませようとちょっと話を脱線させてみた。

「あ、そうだ犬童さんが書いたのってこれかな?『俺様執事の照れ隠し』。さっき暇だったからざっと読んでみたんだけど僕には新鮮な文章で...」

「もうやめて!わかった、話すからもうこれ以上こんなところで黒歴史を掘り返さないでっ」

 明石さんが悪い奴めという顔で視線を送ってくるけど別に脅そうと思ったわけじゃないんだけどな。

 まあ僕も放送の大会で脚本を書いたことがあるから、自分の創作物の感想を聞くのは照れ臭いものだというのはわかるけども。


 犬童さんの話をまとめると、この『文学少女の繭』に出てくる紅童子とはこの冊子を作った当時の三年生三人の名字を組み合わせた共同ペンネームらしい。

 紅野紗香、犬童りん、倉田燈子の頭文字から字をとってそれっぽく並べただけのもので深い意味はないらしい。冊子を見ると紅童子の文字の横に『クリムゾンガールズ』というルビが振ってあるけどそれについての指摘はやめておく。武士の情けだ。

「別にスノークラウンて名前に深い意味なんて無いんだよね。これを今回の犯人が置いてったっていうなら、私らと同中の奴が単純に名前パクっただけじゃないかな?私は犯人じゃないし倉田にもそんな度胸無いよ。紅野に至っては違う高校だしね。内容読んだならわかると思うけど、今回の事件に関係しそうな事は何も書いてないでしょう?」

「確かに。全然関係なさそう内容だった」

 明石さんが中身を読もうと犬童さんに手を伸ばすも、鉄壁のガードに弾かれてそれは叶わなかった。どうしても今ここで見られるのは恥ずかしいようだ。

「中学では趣味が同じもの同士でわいわい盛り上がってるのがとにかく楽しくてさ。調子に乗ってこんなものまで作っちゃって。冷静になって読み返したらもう二度と見たくないってレベルの恥ずかしさなんだけど、あの時は楽しかったなぁ」

 少し前、放送の大会でひとつの作品を何とか完成させた僕にはどこか共感できる話だった。自分が作ったものは人に見せるのが恥ずかしくても多かれ少なかれ愛着が湧く。

「ただ頑張って作った冊子だったけど全然読んでもらえなかったんだよねぇ。私はやっぱり恥ずいから助かったって思ったけど倉田は悔しそうだったな。あの子は本気で小説家になりたがってたから」

 この学祭もそうだけど、ほとんどの部活や学校行事なんかは本人たちが納得してやれていればそれで良いんじゃないだろうか。もちろん大会で勝てれば嬉しいしそのために練習もするけれど、僕たち学生はまだ結果よりも過程に重きを置いたって許されるはずだ。

 照れつつも笑顔で当時を語る犬童さんを見れば、例え結果が不本意だったとしても彼女達の思い出としては成功なんじゃないだろうか。




「私だけが本気だった」

 思いがけず巻き込んでしまった三吉さんとは意外なことに趣味が合いすっかり打ち解けてしまった。高校に入ってからこんなに気兼ねなく会話ができる相手は初めてだったし開会式の負い目もあった。

 だからずっとずっと溜め込んでいた、あの人にも言わなかった私の重石が口から転がり出てしまった。一度口を開いたらもう止められないのはわかっていたのに。

「倉田さんだけが?」

「あの冊子を作っている時は3人で夢中になって作ったよ。ちゃんと発表するのなんて初めてだったから緊張したけど、それでも良いものにしようと私たちなりに頑張った。どうしても形にしたくて雑用も全部私が引き受けた。これがうまくいったらほんの少しだけ夢に近づけるような、そんな気がして。なのに」

 そこで言葉に詰まる。

 この先はずっと私の中でくすぶり続けてきた出来事を話すことになる。他人には大したことじゃないと思えるかもしれないけど、私にとっては視界が真っ赤になったと思えるほどショックな出来事だったのだ。口に出すことでその感情を否定されたくない。

 でも三吉さんは次の言葉をじっと待っている。

 余計な口は挟まずに私のタイミングを待ってくれている。私はその沈黙に三吉さんの優しさを感じて少し呼吸が楽になった。

「そんな私の本気を、あいつらは影で笑ってたんだ」


 あれは中学の学祭が終わった後片付けの時間のことだった。

 私たち文芸部の3人の中では私だけクラスが違っていた。だから後片付けや掃除も私だけ別だったのだけれど、ゴミ箱の中身を捨てに行く途中で二人の教室から話し声が聞こえてきた。

「うっそ、やめてよこんなところで!」

 聞き慣れたその声に、咄嗟に足が止まってしまった。二人だけじゃなく女子数人で話しているらしい。話題の中心はどうやら私たちの『文学少女の繭』のようだった。

「こんな冊子よく作ったなぁ。私だったら恥ずかしくて無理だわ。すげーよ紅野と犬童。ほら、お前らも見てみろよ」

 教室内に下品な笑い声が響いていた。声の主は私の知らない子だったが、その声音には明らかに馬鹿にした響きがあった。

 顔が熱くなるのを感じた。内容に対する批判ならまだ良い。でもあれは絶対読んでもいない。ただ笑うためのネタとして反射で喋っているだけの猿だ。

 怒りで思考が止まってしまった私の心を呼び戻したのは、紅野の一言だった。

「だからやめてって言ってるでしょ!仕方なく作っただけなんだってば、部活でやらなきゃいけない事になったから適当に合わせただけなんだって。ね、犬童もそうだよねっ」

「え、う、うんそうそう。本気でやるわけないじゃんそんなの。倉田がやりたいって言うから付き合っただけだよ」

 教室ではなおも下品な笑い声が続いているようだったが、もう私の耳には届かなかった。

 先ほどの怒りとは違う。ハンマーで殴られたような、今まで踏みしめていた地面が揺らいだような衝撃を受けた。

 仕方なく作っただけ。

 適当に合わせただけ。

 本気じゃない。

 運んでいたゴミ箱をその場に落とし、私は走り出していた。ゴミ箱が転がるがらんという音が遠ざかっていく。

 気づいてはいた。部内で本気で創作をしているのは私だけだってことは。もともと何となく本が好きな人が集まっただけのゆるい部活で、今回の企画も最後くらい文芸部らしい事をしておこうという空気から決まったことだ。

 だけど、それでもあんなセリフは聞きたくなかった。

 一緒に冊子を作っている間、楽しかったのは私だけだったのだろうか。

 慣れない創作に四苦八苦しながらも、なんとかカタチにするために相談しあいながら作品を仕上げた日々。ひっそりと一人で書くのが当たり前だった私には、それは新鮮でとても嬉しい経験だった。

 同じ目標を持った仲間が居る。それだけであんなに心強いとは思っていなかった。

 それなのに。


 あの言葉は裏切りだ。


 たとえその場しのぎに口をついた軽口だったとしても、私はもう二人を信じられない。

 自分の気持ちも、夢も、自分一人で守っていくのが一番良いんだとあの時思った。油断して心を開いてしまったら、その分だけ後で痛い目を見る。

 私は一人で自分の世界を磨いていこうと決めたのだ。


「だから私は、私を馬鹿にした奴ら全員を見返すために必ず小説家になる。良いものを作るためには色々な経験が必要で私にそれが足りないって言うのなら犯人だってやってやる」

 そんな言葉で話を締めくくる。ここまで胸のうちを晒したのは初めてだった。昨日までは他人だった、しがらみもわだかまりも無い相手だからこそ話せたような気もする。

 三吉さんは何て言おうか言葉を選ぶように視線を彷徨わせている。しかしなかなか言葉が出てこないようだった。

「あー。ごめんごめん。こんな自分語り何言えば良いかわかんないでしょう」

「そんな事ない!でも、あの、私うまくは言えないけど倉田さんはすごいって思った。傷ついたって事はそれだけ本気だった証だし、それに傷ついても諦めないでまた頑張れるなんてなかなか出来る事じゃない。私は失敗すると直ぐに立ち止まってばかりだから......羨ましい」

 今度は私から言葉が出てこなくなる番だった。私の意地が人から羨ましがられるなんて思いもしなかった。


 ピンポンパンポーン♪


 容赦無く静寂を破る軽快なベルが進路指導室に響く。

「1年4組三吉ちさとさん、大至急放送室まで来てください。繰り返します。1年4組三吉ちさとさん、大至急放送室まで来てください」

 放送を私と三吉さんは顔を見合わせる。これ以上ここに隠れるのは難しくなったかもしれない。




「ありがとう楠見さん」

「確かに地道に探しに行くよりこの方が手っ取り早いかもね。ちーちゃんも校内には居るんだろうし」

 明石さんのクラスを出てから僕は放送室に戻って楠見さんに三吉さんの呼び出し放送をかけてもらった。学祭期間はいろいろな呼び出しがかかるので自分たちの都合で放送を使ってもさして問題はない。

「これで放送聞けば直ぐ戻ってくると思うんだけど。三吉さん真面目だから」

 今は道家が撮影してきた映像データをパソコンにコピーしているところだ。道家が置いていったメモリーカードからHD撮影された映像データがパソコンにコピーされていく。撮影した膨大な映像データは明日のエンディングまでに編集して『振り返りVTR』を作ることになっている。コピーしたファイルはちゃんと内容別に整理していく。これをやっておかないと後での編集が大変過ぎるからだ。

 この『振り返りVTR』はかなり曲者で各クラスの展示や出し物、部活の発表などを網羅し、かつ楽しげなお祭りの様子も随所に挟まなければならない。学祭という青春の1ページが凝縮された映像に仕上げ、エンディングを盛り上げる必要がある。責任は結構重大だ。

 毎年このVTR作成は1年生の中で編集作業が一番できる部員が担当することになっており、今年は僕に白羽の矢が立った。5月のNHK杯でテレビドラマ部門に参加して編集の基本はマスターしていたからだ。

「このVTR作成ってかなり過酷なスケジュールだけど、藤城大丈夫なの?去年は榊先輩が徹夜したらしいじゃない」

 楠見さんが気の毒そうな顔で聞いてくるけど、それについて僕はもう諦めていた。

「やるしかないよね。先輩から編集にも使えるノートパソコンも借りたから、校舎閉まっちゃっても家で作業出来るし。これでも元運動部だから、徹夜くらい大丈夫」

「さっすが未来の技術部長」

「はは。それに先輩から聞いた話では、映像がテープの頃はもっと大変だったみたいだからね。負けてられないでしょ」

 今でこそビデオカメラはほとんどがデータ保存だけど、DVテープを使ってた頃はデータの取り込みにもいちいち時間がかかっていたし、映像ファイルの整理にも四苦八苦していたらしい。それに映像編集が出来るようなスペックのノートパソコンなんて高価過ぎて高校生は持っていなかった。

 そのため当時は学校で作業するしかなく深夜0時過ぎまで学校に居残って作業する...なんて無茶もまかり通っていたという。学校の規則が厳しくなった昨今ではちょっと考えられない。

 今夜の長い戦いに思いを馳せていると、長らく行方不明だった三吉さんが放送室のドアから顔を出した。

「ちーちゃん!どこ行ってたの心配したじゃん。あれ、その子は?」

 三吉さんの後ろに隠れるように一人の女子生徒が立っていた。メガネをした地味目な印象の子だ。上靴の色で同じ一年生だとわかるが面識はない。

「遅くなってごめんなさい。えっと、この子は倉田さん。私を一人にするのは心配だからってついてきたんだけど...」

「友達よ友達。文句ある?」

 見た目に反して押しが強い性格らしい。楠見さんが対応に困っている。

 ん?いま倉田って言った?

 楠見さんが笑顔を張り付けたままやんわりとこちらの都合を伝える。

「んー、ダメじゃないけど今私たち学祭の運営で結構忙しいんだよね。ちーちゃんも仕事しなきゃだし」

「別に邪魔はしないから。ね、三吉さん良いでしょ」

 倉田さんは三吉さんに助け舟を求めるが、三吉さんの方も微妙な表情だ。

「ちゃんと約束は守るから、やっぱり今は仕事させて欲しいんだけど...ね?」

「うー...。約束守ってよ...」

 約束ってなんだろう。

 でも、今はそれよりも気になることがある。

 僕はミキサー卓の横に置いてある『文学少女の繭』を手に持って玄関まで出て行く。

「えっと初めましてだよね。放送部の藤城です。ちょっと聞きたいんだけど倉田さんて中学でこれ書いた人?」

 倉田さんは『文学少女の繭』を見ても特段反応は示さなかった。当てが外れただろうか。怪訝に思った楠見さんが会話に割って入る。そろそろ仕事に戻りたいのだろう。イライラしてるのが伝わってくる。

「さっきから気になってたけど何なのその本」

「紅童子がいたずらで置いていったっぽい本なんだよね。いたずら目的にしてはちゃんとしてるから明石さんと調べてみたらなんか明石さんの元中の文芸部が作った冊子らしくて。1年の犬童さんって子がいろいろ教えてくれたんだけど、そのメンバーの一人が倉田って苗字だからもしかしてと思ってさ」

 僕の説明によってその場の視線は自然と倉田さんに集まる。

 なぜか三吉さんの方がおろおろと不安な表情で倉田さんの顔を伺っているが、当の倉田さんは冷たい表情のままため息をついた。

「確かに私が作った冊子だけど、それが何?同中の生徒なら誰でも持ってる可能性がある冊子だけど」

「や、別に何ってわけじゃないんだけど......」

 そんなに突っかかる言い方をしなくても良いと思う。別に僕は犯人探しをしてるわけじゃなくて確認をしたかっただけなんだけど。

 そこに場の雰囲気を読まない能天気な道家が帰ってきた。目敏く僕の手にある冊子に気づいたので再び事の経緯を説明する。もう三回目なので流石に飽きてきた。

「それ完璧に犯人の手がかりじゃん!いっそ俺らで捕まえてVTRの目玉にしちゃうか!」

 どこまでもお気楽な道家の軽口をたしなめようと口を開きかけたところで突然倉田さんがヒステリックな声をあげる。

「だから違うって言ってるでしょ!」

 流石に道家も息を飲んで黙る。ただしそれも束の間のことだった。

 道家に代わって謝ろうと口を開きかけたその時、再び放送室のドアが開き2年生の実行委員が飛び込んで来た。

「大変!東堂先生を保健室に呼び出し放送をかけて。2年生が怪我をしちゃって骨が折れてるかもって」

 凍りついていた場がぱっと動き出す。

 楠見さんは原稿をメモしてマイクの前へ。僕はミキサー卓の前にスタンバイする。

「怪我ってステージかなんかで失敗でもあったんですか?」

 委員の先輩は走ってきたのかまだ息を整えていた。日に焼けた肌を見るに運動部の雰囲気をまとっている。

「私もよくは知らないんだけど、あの犯人、紅童子だっけ。あれのいたずらのせいだって話よ。怪我をした子は明日も来られないかもって」

 嘘。とか細い声が聞こえた気がした。震えた声が耳に届く。

「私じゃない」

「え?」

 倉田さんが頭を抱えてその場にへたり込む。

「私じゃないっ」

 先ほどの剣幕以上に、怯えたようにうずくまるその様子に今度こそ僕たちは固まってしまう。三吉さんだけはそんな倉田さんを支えるようにしゃがみ背中に手を置いていた。

 大丈夫、違うって私が知ってるから。そう繰り返しながら。

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