第20話 人生は、祭りのような一瞬の喧騒と知る

 世界の争いの歴史の中で、公然と死の商人として存在し続けたバダフシャーン一族。黄色い髪の青年べロットは、自分の出生を深刻に悲観していた訳では無かった。


 だが、一族の頭目である祖父のように冷酷にはなれず、一族の悪行に染まる事に違和感を抱いていた。


 だからと言って自分に何か変えられる訳でも無かった。魔物を造り出す一族の生業。人間と魔族の争いの歴史。自分はその大きな流れの歯車でしか無かった。


 べロットの目の前に突如現れた全身黒衣の少年。少年はアルバの背後から右手に握った短剣をアルバの喉元に当てる。


「姿隠しの暗殺術か。見事なものだ」


 冷静さを寸分と失わず、アルバは暗殺者を称賛する。


「お褒めに預かり光栄だね。しっかりと防がれたけどね」


 元暗殺者の少年エルドは頬に汗を流す。緊張からか少年のその表情が硬かった。アルバはエルドの暗殺者術を察し、抜いた剣の柄で喉元を防御していた。


「······君は確かエルドと言ったな。暗殺する相手を黄色い髪の青年と間違えたかな?」


 アルバは背後にいるエルドに穏やかな口調で質問する。


「君達賢人達がバタフシャーン一族と手を組んでこの街を蹂躙する。そんな気がしたのでね」


 エルドは返答しながら短剣をアルバの喉元から引いた。短剣を防がれた時点で、エルドの勝機は失われていた。


「エルド君。その心配なら杞憂だ。バダフシャーン一族のあの黄色い髪の青年はなかなか話が分かる男だ。この街は助かるよ」


 真紅の髪の男は微笑する。エルドは腰を低く保ち油断しなかった。アルバとあの黄色い髪の男の間に何が話し合われたのか。


「バタフシャーン一族の者よ。私の名はもう知っているだろう。君の名は?」


 アルバも剣を鞘に戻しべロットに問いかける。


「べロットと言います。アルバ賢人。貴方の言う通り、我々の軍勢は総崩れのようですね」


 エルドが遠目を効かし戦場を見る。この時

、ウェンデル達によって魔物の群れは壊滅しつつあった。


「君が一族の長になればお互い良い取引相手になれると思うが。考えてみてはくれないかな? 」


 べロットは内心ため息をつく。このアルバという男の野心的な目。頭目である自分の祖父とどこか似ていた。要するにべロットなら操りやすい。アルバはそう考えたのだろう。


「魅力的なお話ですが、私にそんな器量はありません。私がここで貴方に口軽く内情を話す事も頭目の計算の内です」


 べロットは撤退を決めた。黒い巨体の最後を確認したかったが、これ以上の長居は危険だった。風の呪文を唱え始め、べロットの周囲には風が舞い始めていた。


「べロット。頭目に伝えてくれ。貴方が取引する相手は私が相応しいと。そうすれば、君達一族は莫大な利益を得る事が出来る」


「······伝えましょう。アルバ賢人」


 べロットはそう言い残し去って行った。それを見送り、アルバはエルドに笑いかける。


「エルド君。我々も街に戻ろう。その頃には決着は着いているだろう」


「······だといいんだけどね」


 エルドの暗殺者術にアルバは内心驚いていた。気配を感じさせず、あれ程見事に後ろを取られる事に。


 アルバのこの街で仲間に引き入れる名簿に、エルドの名はこの時初めて加えられた。


 エルドはアルバの言葉を反芻していた。彼は言った。暗殺する相手を間違えたのかと。アルバの言う通りだった。エルドは当初べロットを狙っていた。


 べロットを暗殺すれば魔物の群れは統制を失い街は救われる筈だった。なぜ自分は咄嗟に標的を変えてしまったのか。


 エルドは明確な答えを出せなかった。ただ感じたのだ。アルバが危険な男だと。この男が、いつかとんでもない災厄をもたらすのではないかと。


 エルドは自分の不鮮明な考えに戸惑った。不確かな未来を憂うには、あまりも確証が足りなかった。


 




 ······街の壁の至近では、コード大尉率いる騎馬隊と砦の尖兵の戦いが続いていた。騎馬隊は砦の尖兵を完全に包囲し、五倍の兵力を生かし次々と砦の尖兵を打ち倒していく。


 カヒラ警備隊長は、その様子を恐る恐る壁の上から覗く。どうやら自分達は助かりそうだと心からカヒラ隊長は安堵した。だが、眼下から黒い巨体の咆哮が聞こえた。


 カヒラ隊長の目に入ったのは、タクボに抱えられたチロルの姿だった。気づいた時、カヒラは肥満した身体に鞭を打ち走り出していた。


 あの銀髪の少女を戦場から救わなくはならない。カヒラは自分を無能だと知っていた。だが、あの黒い巨体から少女を見殺しにする程、卑怯者にはなれなかった。


 カヒラは西門から外に飛び出し、チロルを抱えたタクボに叫ぶ。


「その少女をこちらに! 街の中に避難させるんだ!」


 カヒラの声にタクボが振り向く。あの右往左往していた警備隊長がついにやる気を出したのか。ともかくチロルを安全な場所に移すのはタクボも賛成だった。


「助かる。この娘を頼む!」


 タクボが後ろに体の向きを変えたとき、タクボの腕の中に居た筈のチロルが消えていた。


 タクボは反射的に黒い巨体がいる方を見る。薬水の眠りから覚めた銀髪の少女は、黒い巨体めがけて駆け出していた。


 チロルが警備隊の武器庫から調達した剣に光を発動させる。しかし、その剣は砕けてしまった。並の剣では光の力に耐えられなかったのだ。


「少女よ。この剣を使え!」


 触手の爆発で足に重症を負ったサウザンドが、勇魔の剣をチロルに投げる。チロルは走りながらその投じられた剣を華麗に掴み取り、再び剣に光を発動させた。


「小娘が! 今度こそ止めを差してくれる」


 黒い巨体の左腕から生えた胴体を前のめりにしてドラゴンが叫ぶ。巨体の体から無数の触手が飛び出し、その狙いをチロルに定めた。


「させるか!」


 タクボは地下重力の呪文を唱えた。黒い巨体の周囲に強力な重力がのしかかり巨体は倒れそうになる。


「······これしきの重しで、我を倒せると思っているのか!」


 ドラゴンが咆哮するように叫ぶ。黒い巨体は魔法障壁の呪文を唱える。硝子が砕けるような音が響き

、障壁はタクボの重力を押しのけた。


「障壁を張るのが遅かったな。自分の触手が地中に掘った穴に自らが落ちるがいい」


 不敵に笑うタクボの予言はすぐに現実の物となった。黒い巨体が無数の触手を地中に這わせた結果、巨体の足元の地中は穴だらけだった。


 そこにタクボの地下重力が加わり、巨体の足元は崩れ大きく陥没した。巨体はバランスを崩し攻撃どころでは無かった。そこにチロルが勇魔の剣で斬りかかった。


 黒い巨体は光の剣で頭から股間にかけて両断された。その切断面から更に触手が伸びて来る。触手がチロルを襲おうとした時、巨体は陥没した穴に引きずり込まれて行く。


「武器を地中に通せるのは、そなただけではないぞ!」


 元魔王ヒマルヤが口から血を流しながら宣言した。巨体の足首に黒い光の鞭が絡みつき、地中に引きずり込む。


 触手の爆発の傷を負いながらも、ヒマルヤは漆黒の鞭を地中に通していた。


 巨体はバランスを崩し陥没に倒れ込んだ。左腕のドラゴンが胴体を伸ばし、大口を開きチロルに襲いかかる。


 サウザンドが即応し光の玉をドラゴンの開いた口の中に叩き込む。ドラゴンの口から体の中に入った光の玉が爆発しドラゴンの体は四散した。 


 それでも尚、黒い巨体の身体中から触手が伸びてくる。何というしぶとさか。そうタクボは舌打ちした。意思ある統制を失った触手は暴走を起こそうとしていた。


「いい加減に観念しろ」


 額から血を流した賢人ロシアドが、氷結の呪文を唱える。黒い巨体の周囲に吹雪が起こり、巨体と触手達は凍りつき完全にその動きを停止させられた。


 ヒマルヤが漆黒の鞭を振るい、チロルが火炎の呪文を唱え、ロシアドが衝撃波の呪文を唱える。


 三人の攻撃を同時に受け、黒い巨体は粉々に砕け散った。氷の破片が衝撃波の余波で舞い散り、傾き始めた陽光に破片が乱反射した。


「······花びらが舞っているようだ」


 戦場には場違いなその光景に、タクボは小さくそう呟いた。


 それが、この戦いの終わりの合図だった。



 

 ······魔物の群れ達との戦いは終わった。砦の尖兵達はコード大尉達騎馬隊によって全滅させられた。騎馬隊は三十人の負傷者を出したが、奇跡的に戦死者を出さなかった。


 カヒラ警備隊長は安心したのか、その場に座り込んでしまった。一方、壁の上に並んでいた街の警備隊員達は、自分達は勝利したのかと仲間同士で確認し合っていた。


「おいシリス! 俺達、勝ったんだよな?」


 興奮気味のコリトが臨時指揮官シリスに問いかける。だが、隣にいた筈のシリスの姿は消えていた。


 タクボがサウザンドに肩を貸し、二人は戦場をしばらく眺めていた。チロルはまだ足元がふらついていた。

 

 ヒマルヤとロシアドが何やら言い争っているように見える。どちらがチロルを抱えるか主張し合っているのだろうか。


 タクボはそんな事をぼんやりと考えていた。程なくしてタクボの耳に大きな歓声が聞こえてきた。


 歓声は騎馬隊の兵士達の声だった。兵士達の中心に紅茶色の髪の青年がいた。ウェンデルか黄金の剣を天に掲げると、兵士達の歓声は一際大きくなった。


 兵士達から歓呼で称えられるウェンデル。その光景を、眩しそうに見つめる少年がいた。


「······彼は、まるで王の様だ」


 それは、自分が手にしなくてはならなかった物であり、手にする事が叶わなかった物だった。心に去来する小さくない痛みを感じつつ、ヒマルヤはウェンデルから暫く目を離す事が出来なかった。


「皇帝の剣を携える騎士よ!!」


 歓呼に沸く騎馬隊の輪の中で、突然若い女の声が響き渡った。ウェンデルの前に一人の女がひざまずいている。その女の肩は少し震えていた。


「······伝説の皇帝、オルギス皇帝の剣を持つ騎士様。私の名はシリスと申します」


 シリスはウェンデルの目を真っ直ぐと見る。紅茶色の髪の青年は事態を飲み込めず、戸惑いの表情を見せる。


「お嬢さん。私の剣の事をご存知か?」


「その剣を甦らせる方を、我々は千年待ち続けました。どうか我々の所へ御帰還下さい」

  

 シリスの震える声に、ウェンデルはその疑問を素直に問いかける。


「千年待った? 帰還とは?」


「オルギス教総本山カリフェースへ。我が王よ」

  

 その言葉を発した時、シリスの声の震えは止まっていた。




 ······日はすっかり暮れて、精霊祭は夜の部へ移行していた。街灯には火が灯り、露店も店を明るく見せる為にガラス陶器の中に蝋燭を立て客達を呼び込んでいる。


 街の住民達は、壁の外で行われていた戦いも知らず祭りの後半を楽しもうと忙しそうだった。その中で、三十代半ばの魔法使いが必死に弟子を説き伏せていた。


「いいかチロル。治癒の呪文で傷口が塞がっでも、身体の中はダメージを負っているんだ。お前には安静が必要なんだ」


「分かりました師匠。つまり、腹八分目が肝要と言う事ですね」


 育ち盛りの弟子との会話は成立せず、銀髪の少女はヒマルヤとロシアドの手を引っ張り、夜の露店街に消えて行った。


「助けられた礼に、我が君と金髪の賢人に出店の食を馳走するらしい」


 サウザンドが穏やかな目で主君を見送る。あの消極的だったヒマルヤがチロルを救う為に自ら能動的に行動した。


 今回ヒマルヤをこの街に連れて来た甲斐があったらしく、死神は満足気な様子だった。


「いいかサウザンド。お前の主君と言えど、チロルにちょっかいは出させんぞ! そしてあの金髪の美男子も同様だ!」

 

 タクボはそう言い、一人でイライラしていた。そのタクボの表情を見て死神は短く苦笑した。


 人の一生とは。人間も魔族も、この祭りのように一瞬の喧騒のうちに過ぎるのかも知れない。夜の祭りの灯りを眺めながら、死神はそんな事を考えていた。


 エルドは出店の前に置かれているテーブルの前の椅子に座り、向いに座っているシリスに白ワインを勧めていた。


「······私はこんな所で、お酒を飲んでる場合じゃないんだけど」


 シリスはそう言い終えた後で、ワイングラスを口に運びグラスを空にした。言動はしっかりとしていたが、頬が赤く染まっている。


「まあまあ。君達オルギス教の信者達は、皇帝の剣を持つ者を千年待ち続けたんでしょう? 今日一晩くらい待ってもなんて事ないよ」


 シリスの空いたグラスに、エルドが七杯目のワインを注ぐ。シリスはウェンデルにお目通りが叶ったが、詳しい話は明日と言う事になった。


 エルドは兵士達の歓呼の輪の中にいたウェンデルの姿を思い出し、彼がどこか遠い存在に思えた。あの正義馬鹿は、本当にどこかの王にでもなってしまうのだろうか。


 エルドは頭にかかった靄を払うように、グラスに入った白ワインを一気に飲み干した。まだ少年には、暗闇を照らす光が必要だった。



 ウェンデルと騎士団の兵士達は、街の中央広場で宴を開いていた。今回の戦いで兵士達が得た物は何も無い。魔物を倒した恩賞も。街の住民の感謝も。何一つ無かった。


 それでも兵士達の表情は明るかった。これ程兵士達が充実感に満ちた顔を見るのは、コード大尉も記憶に無かった。


 初陣を飾った一等兵パスルは、酒杯を口につけながらウェンデルを眺めていた。パスル自身も含め、騎士団三百名はあの紅茶色の髪の青年に動かされた。


 あのウェンデルの魅力に惹かれ、この益の無い戦いに身を投じたのだ。あの紅茶色の髪の青年は、いつか王になるのでは無いか? パスルは酔った頭でそんな事を考えていた。


 空を見上げると、雲ひとつ無い星空が広がっていた。精霊祭は賑々しさの盛りを迎えていた。一等兵の若者は、そんな街の雰囲気にどこか心をそわそわさせていた。



 

 ······この小さな街から六つの国を隔てて、山々に囲まれている巨大な湖水かあった。その湖水に浮かぶ孤島のような陸地に、青と魔の賢人達の本拠地は在った。


 本拠地では長く連絡が途絶えていたアルバとロシアドの生存が絶望視されていた。謎の襲撃者達を討伐する筈が返り討ちにあったのかと。


 この組織の指針を決める中央裁行部。その主席に君臨する男の執務室は、本の山で囲まれていた。執務室の主は近頃は老眼が進み、本を読む時は眼鏡が手放せなかった。


 中央裁行部議長ネグリット。それが遠い昔、魔王だった魔族の男の肩書と名だった。


「姿を見せたらどうだ? 隠れるのも労力が必要だろうに」


 ネグリット議長は椅子に座り、机の上に山積みにされた本の一冊を読んでいた。本から視線を動かさず、誰も居ない部屋でそう呟いた。


「さすがは議長。付け焼き刃の姿隠しでは騙せませんな」


 議長の目の前の景色が歪み、そこに黒いローブを纏った男が現れた。


「······生きていたか。アルバ賢人」


 ネグリット議長は尚、本から視線を動かさず侵入者の名を口にした。


「議長にとっては残念ながら」


 侵入者は乾いた声で答えた。真紅の長い前髪に隠れたその両目は、形容しがたい不気味な光を発していた。


 



 


 


 










 



 



 



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