第19話 窮地に陥った生贄達は、捨て身の反撃を試みる
シリスがこの小さな街の警備隊に入隊したのは一年程前だった。故郷はどこなのか。なぜこの街にやって来たのか。
口数少ない彼女は黙して語らず、また同僚達もこの無愛想な娘にあえて聞こうとしなかった。
彼女がいつも肌見放さず身に着けているペンダント。戦いの神、オルギス教の紋章が印されているのに気づいたのもエルドが初めてだった。
飄々とした全身黒衣の少年に指揮権を押し付けられ、同僚達を指揮していたシリスは両目を見開いた。
彼女の人生でこれ程両目を大きく開いたのは初めてかもしれなかった。
シリスは一人の騎士の姿に釘付けになった。突如北西から現れた騎馬隊の集団。その先頭に立つ騎士の右手に握られた黄金色に輝く剣。
シリスは呆然と立ち尽くした。身体を震わし涙を流す。それを見た同僚のコリトは仰天した。
『あの鉄仮面のように無表情なシリスが泣いている!?』
騎馬隊の出現にも驚いたが、シリスの異変の方がコリトには優った。
「お、おいシリス。急に一体どうした?」
コリトはシリスに問いかける。魔道士の攻撃が壁の上まで届くようになったこの緊急事態に臨時指揮官はどうしたのか。
「······大司教様。ついに。ついに見つけました」
シリスの震える小声をコリトは聞き取れなかった。シリスは涙を拭い、コリトが今まで見た事のないような勇ましい表情になった。
「警備隊! 全員弓を構えろ! あの騎馬隊を援護する!!」
臨時指揮官の目が覚めるような大声に、同僚達は驚き、反射的にすぐ様弓を構えた。
「狙うは中列、魔道士だ! あの騎馬隊を呪文で攻撃させるな! 死ぬ気で弓を当てろ!!」
どうやらあの騎馬隊は我々の味方らしい。あの騎馬隊を援護し、魔物達を倒してもらわないと我々警備隊も魔物の餌食になる。コリト達は本能的にそう察した。
「放て!!」
シリスの更に大きな声が戦場に響き渡った。
······魔法使いにとって敵との距離の長さは勝率に比例する。この戦場において、騎馬隊と森の魔道士達の間にはまだ距離があった。確実に魔道士達が先制攻撃が出来る筈だった。
それを痛い程理解していたシリスは、弓矢で魔道士の先制攻撃をなんとしても阻止したかった。森の魔道士達はまだ二十体は健在だった。
騎馬隊の先頭を疾走するウェンデルは、馬上で高揚感に包まれていた。だが彼は知っていた。この高揚感は自分の物ではないと。
この皇帝の剣を使用する時、ウェンデルは自分の中に別の何かが存在する事に気づいていた。この高揚感はその何かが感じている物だ。
紅茶色の髪の青年は、その存在が何者かおおよそ想像がついていた。
『······千年ぶりの戦ぞ!』
ウェンデルの中で、もう一人の誰かが歓喜した。
「陣形を崩すな! このまま敵の中列に突入する!!」
紅茶色の髪の青年の大声が轟く。一軍を統御するに相応しい声だった。騎馬隊は鋒矢の陣形を保ち、魔物群れの中列、森の魔道士達に突進して行く。
森の魔道士達は騎馬隊に爆裂の呪文を唱えようとした。銀貨級の魔道士二十体。この数の呪文がまともに当たれば三百人の騎士団は壊滅する。
森の魔道士が正に呪文を撃つ時、シリス以下警備隊の弓矢が魔道士達を襲った。警備隊が放った弓矢は今日一番の命中率を上げた。
魔道士達が次々と矢に倒れて行く。それでも五体の魔道士が爆裂の呪文を唱えた。騎馬隊の周辺で爆発が起こる。粉塵に包まれる騎馬隊を見てシリスの呼吸は一瞬止まった。
粉塵の中から真っ先に飛び出して来たのは黄金の剣を握る騎士。その姿を見て安堵したシリスの呼吸は再開した。
シリス達の弓矢で負傷していた魔道士達は狙いを外した。騎馬隊は救われた。それは、コリト達警備隊自身を救う事を意味していた。
魔物の群れの中央に騎馬隊は突入して行く。残りの森の魔道士達は、ウェンデル達に一瞬で切り伏せられる。
中央を突破した騎馬隊は、そのまま時計回りに反転し今度は群れの前列、砦の尖兵に突撃して行く。
「我々は敵の五倍の兵力だ! 一気に蹴散らせ!」
コード大尉は騎馬隊に号令する。三百の騎馬隊は六十体の砦の尖兵を半包囲し突撃して行く。コード大尉は後方を一瞬だけ振り返る。
ウェンデルがただ一騎で金貨級魔物十体に向かっていく。魔物の群れの後列に位置するは金貨級魔物「枯れ葉の毒婦」
その小柄な身体は、頭部からつま先まで全て枯れ葉に覆われている。
その枯れ葉に触れると、人間の皮膚は焼けただれ腐っていく。身の軽さを生かし、動きも早い魔物だった。
ウェンデルは金貨級魔物を一人で引き受けた。兵士達の生存率を少しでも上げる為だ。コード大尉は紅茶色の髪の青年の無事を祈った。
実戦を初めて経験する事となった一等兵パスルは、馬上で蒼白な顔をしていた。自身の乗る愛馬が一秒ごとに魔物に接近している。
仲間の声も。魔物の咆哮も。愛馬の足音すらパスルには聞こえていなかった。唯一聞こえるのは、激しく揺れる自分の心臓の音だけだった。
『······訓練通り、訓練通りやるんだ!』
パスルは呪文のように何度も心で呟く。眼前の砦の尖兵がパスルに向かってくる。
「うわあああっ!!」
自分の発した大声も気づかず、パスルは右手に持った剣を砦の尖兵の首めがけて振り下ろした。
······枯れ葉の毒婦十体がウェンデルを包囲して行く。一体の毒婦がウェンデルめがけて体から枯れ葉を飛ばしてきた。ウェンデルは元部下のコード大尉から借りたマントでそれを防ぐ。
枯れ葉が付着したマントは、熱した鉄に水をかけたような音を出し焼けただれて行く。ウェンデルは無事だったが、騎乗していた馬は毒枯れ葉に悶え苦しみ、ウェンデルを振り落とし走り去ってしまった。
「さて。これは参ったな。迂闊に近づけん上に、このままでは遠距離攻撃でやられるな」
落馬しつつも受け身を取り、紅茶色の髪の青年は立ち上がる。魔物に包囲されつつあるウェンデルは、心の中で誰かに語りかける。
『私の中に居る誰かに尋ねる。貴方に何か妙案はないかな?』
すると、ウェンデルの中から何者かの声が聞こえて来た。
『······ほう。余の存在に気づいておったか。だが、早々に他者の力を当てにするのはあまり感心せぬな』
返って来たその声は威厳と自信に満ち溢れた物だった。ウェンデルはその声の主に陽気に話しかける。
『私が死ねば千年ぶりの戦も楽しめんぞ。ここは歩み寄って力を合わせた方が互いの為になると思うが?』
『······お主、なかなか図々しい性根をしておるな』
『たくましい性格と言って欲しいな。交渉成立だな。私の名はウェンデル。貴方の名は?』
一体いつ交渉が成立したのか。ウェンデルの中の何者かは呆れ果てた。だがこの紅茶色の髪の青年が言う通り、この窮地を脱しなければ戦の続きを楽しめなくなるのも事実だった。
『······オルギス。余の名はオルギスだ』
ウェンデルは皇帝の剣を天にかざした。今しがた名を知ったオルギスに教えられた通り詠唱する。
「我が臣下達よ。千年の時を経て再び我が名において命ずる。十英雄よ! 戦だ!!」
皇帝の剣が黄金の光を放ち、その光から二つの光の玉が飛び出した。その光輝く二つの玉はウェンデルの前に降りてくる。ウェンデルの足元で二つの光が弾けた。
眩しい光にウェンデルは目を細めた。光が止んだ時、紅茶色の髪の青年の前には二体の騎士が屹立していた。
二体共全身を甲冑で固めている。一体は黒づくめの甲冑の騎士だ。大柄なウェンデルよりも更に大きな体躯を誇り、円の形をした盾と戦斧を持っている。
もう一体は細見の騎士だ。白銀色の甲冑に、長い槍を持っている。兜の頭頂部の鳥の羽が風に揺れていた。
二体の騎士はウェンデルに跪く。甲冑の中に人が入っている様子が無い。これは人の者では無さそうだった。
オルギスはウェンデルに語りかける。オルギスには有能な臣下が数多く居たが、その中でも世に十英雄と呼ばれる臣下達が居た。
本来ならその十人の臣下を呼び寄せる詠唱だったが、ウェンデルの今の実力では二人しか呼べなかったらしい。
ウェンデルは詠唱の後、全身の生気が抜けて行くような脱力感に襲われた。
『なる程。私の力はまだ未熟と言う事か』
ウェンデルは苦笑いした。
「黒衣の暴風バテリッタ! 雷槍のマテリス! そなた達に命ずる。魔物達を殲滅せよ!」
ウェンデルはオルギスに習い、騎士達に命令する。二体の騎士は立ち上がり、枯れ葉の毒婦に向かっていく。
黒い騎士バテリッタが単独で魔物達に突進して行く。バテリッタはたちまち毒婦達の枯れ葉に襲われる。
バテリッタは円の盾を掲げ、ひたすら防御に徹した。だが、盾も甲冑も枯れ葉の毒でみるみる内に焼けただれて行く。
そのバテリッタの後方でマテリスが槍を突き出す。すると、槍の先端から雷が飛び出し枯れ葉の毒婦に命中する。
轟音が起こり、一体の毒婦が枯れ葉を散らしながら焼け焦げ倒れる。ウェンデルは二体の騎士の意図を察した。
バテリッタが囮にり、その後ろからマテリスの雷撃で攻撃する。だが残りの九体を倒すまでにバテリッタが持ち堪えられるのか。
枯れ葉の毒婦が七体倒された時点で、バテリッタは限界と思われた。両膝を地に着き、今にも倒れそうだった。
『オルギス! バテリッタが保たない。彼は倒れるとどうなるのだ? 彼らにも死はあるのか?』
ウェンデルの必死の呼び掛けに、バテリッタの元主君は冷静さを崩さず答える。
『······一度地に伏せれば、再び詠唱で呼び寄せる事は叶わぬ』
『つまり彼は、バテリッタは死ぬと言う事だな?』
『そなたが気に病む事はあるまい。彼等は甲冑の中に血肉がある訳でもない』
『それは違うぞオルギス。彼の。バテリッタの声が聞こえないのか?』
『······何? 声だと』
『彼は言っている。また主君の為に働けて本望だと。血肉は無くとも、彼の魂はあそこに存在している!』
心の中でオルギスにそう叫ぶとウェンデルは駆け出した。バテリッタを救う為に。マテリスが八体目の毒婦を倒した時、バテリッタは毒婦に止めを差されようとしていた。
バテリッタの横からウェンデルが飛び出し毒婦に斬りかかる。皇帝の剣は毒婦の首を切断した。
最後の一体となった毒婦が、ウェンデルに抱きつこうとする。それは死の抱擁だった。その時、両膝を着いていたバテリッタが立ち上がり、黒い戦斧で毒婦の胴体を両断した。
毒婦が断末魔の声を上げ、二つに切断され身体が地に落ちる。ウェンデルはバテリッタに駆け寄る。
「バテリッタ! 大丈夫か!?」
バテリッタは無言だった。盾も甲冑もボロボロになり、地に立てた戦斧の柄に掴まりようやく身体を支える有様だった。
「無事とは行かないが命は拾ったようだな。ありがとう。君達のお陰で助かった」
ウェンデルはバテリッタとマテリスに笑いかけた。
『······この青年。十英雄を只の戦いの道具と見ないか。しかも魂の声だと? 主君である余ですらそんな声は聞こえなかった······』
オルギスの心境は複雑だった。千年ぶりに戦いを楽しんだ一方、自分の剣を甦らせたこの紅茶色の髪の青年。オルギスはウェンデルに底知れぬ何かを感じていた。
「······つまり、バタフシャーン一族は自己の利益しか考えてない。そう言う事かな?」
「その通り。貴方にも色々思う所があるでしょうが結論はその一点です。そこを見誤ると本質を見失います」
丘陵地帯の窪みで、バダフシャーン一族の黄色い髪の青年と、青と魔の賢人の真紅の髪の男が言葉を交わしていた。
アルバの質問にべロットは包み隠さず答えていた。アルバ自身が拍子抜けする程に。アルバの予想通り、青と魔の賢人の組織にバタフシャーン一族と繋がっている者がいた。
そして組織内の邪魔者であるアルバに四兄弟をぶつけ亡き者にしようとしたのだ。だが、バタフシャーン一族は組織の良心的な同盟者では無かった。
バダフシャーン一族の頭目は、青と魔の賢人達すらも所詮金儲けの道具としか見ていないらしい。
青と魔の賢人達が結束し、バタフシャーン一族を滅ぼす選択肢もある。アルバの問いにべロットはそれは現実的では無いと言う。
人間と魔族の人口比は三対一。賢人達の世界管理上、その人口差を補う為に魔物を造り出すバタフシャーン一族がどうしても必要だった。
その時、突然べロットは怪訝な表情に変わった。アルバがそれに気づいた時、べロットの顔は更に変化する。
べロットは自分の目を擦った。日頃の忙しさで自分は疲れているのだろうかと。アルバの背後の風景が一部歪んで見えた。その歪みは見えたと思ったら一瞬で大きくなる。
その歪みから突如人が現れた。黒衣を纏ったその人影は、短剣をアルバの喉元に突き立てようとしていた。
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