第18話 抗う生贄達は、殺戮の刃に包囲され窮地に陥る

 この小さな街の警備隊員のコリトは、恋人と精霊祭を楽しんでいた。ところが大道芸人を観賞していた時に同僚に見つかり、壁の上にある詰所に来るよう言われた。


 運良く祭りの日に非番だったのに台無しだとコリトは不平を漏らす。別れ際の恋人の不満そうな顔ったら無かった。


 そもそも、なんの為の呼び出しかコリトには説明もなかった。


 隣国が大挙して国境線を破って侵攻でもしたのか。ブツブツ文句をいいながら、コリトは血の気の引いた同僚達が壁の外を見ていたので自分もそれに倣う。


 コリトは持っていた酒杯を落とした。コリトの目に、見た事のない数の魔物の群れが映った。真っ直ぐこちらに向かって来る。


 王都の騎士団中佐が負傷し、警備隊長であるカヒラは右往左往していた。まともに指示を出せる者が居ない。


 コリトより二つか三つ年下と思われる全身黒衣の黒髪の少年が、何故か周囲の警備隊員に指示を出していた。


「おいシリス。なんで部外者のあの少年が俺達に指示を出しているんだ?」


 コリトは隣にいた同僚に素朴な疑問を尋ねた。


「知らないわよ。ただ彼は冒険者みたいよ。実戦経験ならこの場にいる誰より積んでいるんじゃない?」


 肩までの黒髪を両手で縛りながら、シリスは素っ気なく答えた。コリトはこの無愛想な女警備隊員が苦手だった。


 シリスは一年程前からこの小さな街の警備隊に入隊したが、誰ともつるまずいつも無表情だった。


 コリトはカヒラ警備隊長を一瞥した。確かにあの狼狽している隊長よりは当てになるかも知れない。今はとにかく指示が欲しかった。部外者の指示だとしても。


 黒い巨体が空から飛来し、タクボ達の前に着地したのはこの時だった。あの化物は何だと警備隊員達は動揺する。


「全員弓を構えて! 狙うは中列の魔物だ。遠距離攻撃が出来る奴から潰していく!」


 警備隊の臨時指揮者となったエルドが弓を構える。三十人の警備隊員もそれに倣う。あの黒い巨体も気になるが、今は自分の役目に徹するしかないと黒髪の元暗殺者は魔物に狙いを定める。


「真ん中の奴だけなんて、当てる自信がないぞ!」


 警備隊員の誰かが悲鳴に近い声を上げた。


「大丈夫。外れても前列か後列の魔物にきっと当たるよ。外れなしだ」


 エルドが陽気に笑う。だが次の瞬間、黒髪の少年の表情が鋭く変貌する。


「第一射、撃て!!」


 壁の上から三十一本の矢が放たれた。魔物の群れの中列に位置する銀貨級魔物「迷い森の魔道士」奴等は物理攻撃の障壁呪文が使えない。死神ことサウザンドがそうエルドに教えてくれた。


 三十体の「迷い森の魔道士」は老人の様な細い身体に青銅の鎧を身にまとっていた。細い手に持った杖で次の呪文を唱えようとした時、頭上から矢の攻撃に晒された。


 四本が魔道士に命中した。エルドの矢は魔道士の眉間に命中し、シワだらけの魔道士は断末魔の声を上げる事無く即死した。


 シリスが放った矢は魔道士の喉を貫き、第一射目の攻撃で二人の魔道士を倒した。他の二体も矢が当たった魔道士は負傷している。

 

 タクボの弓矢にかけた魔法が効いているのかもしれない。その代価として、エルド達は報復の火炎の攻撃を受けた。


 二十八個の火球が壁に当たる。轟音と同時に壁の上まで振動が伝わる。カヒラ隊長はまた騒いでいたが、まだこの距離からは壁の上まで届かないと思われた。


 エルドがニ射目を指示しようとした時、群れの後方に人影がいる事に気づいた。丘陵地帯の窪みを利用してその身を隠しているように感じる。


 エルドは遠目が利いた。それは、暗殺者時代に培った特殊能力と言ってよかった。


 シリスはエルドの指示を待たずニ射目を放った。弓は一直線に風を切り魔道士の頬に刺さった。それを見たエルドは口笛を吹き、自分の代役を任せるのは彼女と決めた。


「素晴らしい腕だね。攻撃の指揮を君に任せて良いかな?」 


 エルドはシリスの隣に移動し、笑顔で指揮権移譲を申し出た。


「目立つ事は苦手なの」


 シリスの答えは素っ気なかった。誰にも媚びは売らない。そんな彼女の態度をエルドは気に入った。細見の身体にも関わらずあの射撃の腕も同様に。エルドは彼女の胸にあるペンダントに気づいた。


「僕だって目立つ事は苦手さ。僕はこれから魔物の群れを操っている奴を暗殺しに行くからさ。君の腕を見込んで指揮をお願いしたいんだ」


 エルドはちょっと近くまで出かけてくるかのような口調でとんでもない事を言ってのけた。


 二人のやり取りを聞いていたコリトは、この無愛想なシリスが引き受ける訳がないと決めつけていた。


「頼むよ。後で麦酒を御馳走するからさ」

 

 エルドが両手を合わせシリスに頼み込む。


「麦酒は嫌いなの。飲むと頭痛がするから」


「じゃあ十年物の白ワインを振る舞うよ。絶対悪酔いしない上物。僕が保証するよ」


 エルドが片目を閉じ、シリスの右手を握り握手する。すると元暗殺者の少年は、指揮権移譲が済んだとばかりに踵を返し駆けていく。壁の階段を降り厩舎から警備隊の馬を一頭拝借する。


 無理やり指揮権を押し付けられシリスは不機嫌だった。だがコリトに言わせると、シリスの表情はいつも通りの無愛想な顔だった。シリスは内心で小さいため息をつく


『······我がオルギス神よ。私はここで命を落としお役目を全う出来ないかもしれません。その時はお許し下さい』


 シリスは心の中で祈りを済ますと、コリトが驚く程の素早さで弓を構えた。


「警備隊! 第ニ射、構え!!」


 他の警備隊員が慌てて弓を構える。シリスがこんなに大声を張るのを同僚達は聞いた事が無かった。弓の達人である事も。


 だが、今は誰の指揮でもいいから組織的な攻撃が必要だった。この難局を乗り越えなかったら自分と恋人の未来はない。コリトはそう考え、必死に弓の弦を引く。


「第二射、放て!!」


 壁の上でシリスの号令が響いた。


 


 ······エルドは馬を駆り南門から街の外に出た。魔物の群れは西門に向かっている。魔物達を避けるように迂回し群れの後背につく。


 先刻エルドが壁の上から見たのは、馬に乗った人影だった。この群れを操るバタフシャーン一族の者だろうか。


 指揮権を半ば強引に押し付けたシリスという名のあの娘。彼女がつけていたあのペンダントの紋章は戦いの神オルギスのものだった。


 彼女はオルギス教の信者だろうか。そう思いながらエルドは馬を急がせる。彼女との約束を果たす為には、自分も生き残らなくてはならなかった。




「·····さて。君には色々質問したい事があるんだが」


 青と魔の賢人と呼ばれる組織。その賢人であるアルバは穏やかな口調で、馬に乗っている黄色い髪の青年に話しかける。


 質問では無く尋問の言い間違いだろう。そう思いながらべロットはため息をついた。バタブシャーン一族の頭目の孫は、アルバに接近された事にまるで気づかなかった。


「アルバ同志。あの黒い化物を放っておいてよろしいのでしょうか?」


 真紅の髪の男の後ろに立っていた金髪の若者が、焦った口調で質問する。


「勇者の金の卵が心配か? ロシアド」


 アルバが意地が悪そうな表情で部下を冷やかす。


「ち、違います! 誰があんな子供を」


 部下ながら本当に分かりやすい男だとアルバは内心苦笑した。チロルは今十三歳。四年経てばロシアドは二十四歳。チロルは十七歳で似合いの年齢になるではないか。


 そう部下に伝えると、ロシアドは更にムキになり上司に抗議して来た。しかしながらあの黒い巨体の力は未知数だった。


 勇者の金の卵と言えど、実戦経験はまだ未熟でもある。


「ロシアド。タクボ達の援護に行ってくれ」


 ここでアルバがチロルの援護と口にすれば、ロシアドは素直に従わなかったかもしれなかった。少々不満そうな表情をしたロシアドは、風の呪文で飛び去って行った。


「話が中断して済まなかった。君とは紳士的な会話が出来ると嬉しいな」


 アルバは微笑しながらべロットに近づいた。この真紅の髪をした男は絶対に頭の中では紳士的な事を考えてない。黄色い髪の青年は頭を掻きながらそう確信していた。

 


 


 ······チロルを抱えるタクボと黒い巨体の間に立ちはだかったのは、元魔王のヒマルヤ少年だった。


 どうやってドラゴンの炎を防いだのか。タクボの疑問を他所に、ヒマルヤは手に握っていた焼き栗の袋をチロルに渡す。


「チロル。この焼き栗は後で二人で食べようとそなたが申した。約束を果たす為持っていてくれ」


 ヒマルヤは優しい口調と表情でチロルに微笑む。


「······分かりましたヒマルヤさん。後で一緒に食べましょう」


 チロルも弱々しく笑い返す。ヒマルヤは再び黒い巨体に向かい合う。タクボは思う。この少年は戦うつもりなのかと。


 タクボがチロルと共に後退し始めた時、空から白いローブを纏った男が降りてきた。それは、金髪の美青年ロシアドだった。ロシアドはタクボとチロルに気づき向かって来る。


「······これは酷い怪我だ。子供が無茶をするからだ」


 気遣いか。説教か。チロルにどちらを言いたいのか分からないが、ロシアドはこれを飲むようにと小瓶をチロルに渡す。薬草を魔法で煎じた薬水らしい。


「ありがとうございます。ロシアドさん」


 チロルが礼を言うと、ロシアドは退がっていなさいと言い残しタクボ達に背を向けた。


 黒い巨体の前に元魔王ヒマルヤと賢人ロシアドが並び立つ。巨体はチロルの呪文で焼けた頭部がやっと鎮火し、焦げた獣の顔を恨めしそうにこちらに向ける。


「そなたはチロルの知己の者か? チロルは私が守る。そなたは退がっておれ」


 ヒマルヤ少年はロシアドに好戦的な表情を隠そうとしなかった。


「私はチロルに借りを返すだけだ。君こそ祭りにでも戻ったらどうだ? 子供が無理をすると怪我では済まないぞ」


 ロシアドは冷笑しながらヒマルヤをあしらう。元魔王の少年と金髪の美男子が睨み合い火花を散らす······ようにタクボには見えた。


『なんだ、この妙な展開は? 二人の若者がチロルを巡って争っているように見えなくもない』

 

 タクボは内心そう思い、心中穏やかでは居られなかった。


『いや。駄目だぞ二人共。この娘の保護者として断じて私は認めないぞ』


 タクボの中の妙なスイッチが入った。愛弟子は師匠の心配をよそに薬水を飲んだら寝てしまった。この薬水は眠り薬なのかとタクボはぼやいた。

 

 この間にもタクボ達の頭上では、壁を挟んで警備隊の弓と魔道士の火球の応酬が続いていた。


「アガァォォオオッ!!」


 黒い巨体が咆哮し、巨大なこん棒をヒマルヤとロシアに叩きつける。元魔王と賢人は左右に散り、当たれば人体が四散しそうな一撃を避ける。こん棒が目的を果たせず、地面に当たり爆発音のような音がした。


 巨体の左腕に生えたドラゴンが口を開き、ヒマルヤに炎を浴びせる。炎はヒマルヤの前で吹き飛んだ。ヒマルヤの右手には短い杖のような物が握られていた。


 その杖から黒い光が細く伸びている。その伸びた黒い光はまるで鞭のように長くしなっていた。ヒマルヤは杖を振る。黒い光の鞭は巨体の右肩から胸の間を切り裂いた。その光景を見てタクボは驚いた。


「先刻のドラゴンの炎はこの光の鞭で防いだのか?」


 鞭の傷は深く巨体は苦痛の声を発した。あのヒマルヤの力は一体何なのか。


「漆黒の鞭。魔王の資質を有する者のみ使用できる力だ」


 そう説明したのは、いつのまにかタクボの隣に立っていたサウザンドだった。死神は頭から血を流していた。思いの外ダメージは大きそうだ。


 一方、勇者の資質を有する者しか発動出来ない光の剣。ロシアドはその剣で巨体の右腕を一閃する。


 黒い巨体の右腕は半ば切断されかかった。黒い巨体は右手に握っていたこん棒を地面に落とす。ヒマルヤの漆黒の鞭は、目で追えない速さで黒い巨体を切り刻んでゆく。


 黒い巨体はよろめき、このまま倒されると思われた。


「愚か者共め。自身の刃でつけた傷の分だけ報いを受けよ」


 ドラゴンは不気味な言葉を吐いた。巨体の動きが停止した。何か様子がおかしい。ヒマルヤとロシアドにつけられた無数の傷口から白い泡が吹き出る。そして泡の中から触手のような物が伸びてくる。


 触手は素早く伸びロシアドに触れようとした。金髪の若者は剣を下から振り上げ冷静に触手を切断する。


 その瞬間、触手は爆発した。至近で爆風を受けロシアドが倒れる。

 

 触手はヒマルヤにも襲いかかる。ヒマルヤは漆黒の鞭を高速で操り鞭の壁を作る。その壁でいくつもの爆発が起きる。


 倒れているロシアドに更に三本の触手が伸びて来た。ロシアドは左手で氷結の呪文を唱えた。白い吹雪が三本の触手を凍りつかせる。


 だが、触手は次々とヒマルヤとロシアドに襲いかかる。その数は無限と思わせる程だった。先程不気味な予言をしたドラゴンが消えた事にタクボは気づいた。


 巨体の左手腕から生えていたドラゴンがいない。否。消えたのでは無い。腕からは胴体が生えている。

  

 頭が無いのだ。胴体の先を見ると、地面の中に消えている。頭が地面の中に潜ったように見えた。


「ヒマルヤ! ロシアド! 下に気をつけろ。地中からドラゴンが出て来るぞ!」


 タクボはドラゴンの意図を察し、大声で二人の若者の警告した。


 だがタクボの警告は外れた。ヒマルヤとロシアドの足元から飛び出してきたのは、それぞれ触手だった。触手は二人の足元に絡みつき爆発した。


 その光景を目にした瞬間、タクボとサウザンドの足元からドラゴンが顔を出した。


『胴体がここまで伸びるのか!?』

 

 タクボは内心絶叫する。

 

「小娘! 今度こそ逃さんぞ!!」

 

 ドラゴンが大きな口を開き、タクボとチロルに襲いかかる。サウザンドがそれを阻止しようと剣を構えた時、サウザンドの足元にも触手が地中から這い出てきて絡んでくる。


 サウザンドが爆発で吹き飛ばされた。その爆風でドラゴンの動きは止められたが、タクボとチロルも飛ばされた。


 ヒマルヤ。ロシアド。サウザンドが倒れている。ドラゴンが殺気がこもった両目をタクボとチロルに向ける。


 壁の上では警備隊員の悲鳴が聞こえて来た。魔道士の攻撃が壁の上に届くほど群れが接近してきたのだ。


 戦況は良くない。いや、最悪と言っても良かった。タクボの背中に絶望と言う名の汗が流れる。


 その時、北西の方角から馬蹄の音が聞こえてきた。その音は時間と共に大きくなっていく。それは、騎馬隊の集団だった。


 騎馬隊の先頭を走る騎士が見えた。その騎士の右手には、黄金に輝く剣が握られていた。









 


 


 







 


 


 


 


 


 

 



 


 


 


 

 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る