第21話 野望は血を欲し、慧眼は未来に言霊を託す

 湖水に浮かぶ孤島に古びた城があった。その城には城主は存在しなかった。城内には四百人近い人々が規律正しく働き、城の中にはいつも事務的な雰囲気が流れていた。


 人々の仕事は様々だった。庶務を司る者。内外の折衝を司る者。史書を記録保管する者。財務会計を司る者。城の警備を司る者。調理を司る者。清掃を司る者。


 この人々は青と魔の賢人達に忠誠を近い、世界の歴史をより良い方向へ導くために働いていた。自分達の仕事を誇らしいと胸を張りながら。


 彼等が忠誠を誓う賢人達は五十名いた。謎の襲撃者達の暴挙によって二名が殺害され、現在はその数を四十八に減らした。


 この組織の意思決定権を持つ中央裁行部。この機関は六名で構成されていた。それ以外の賢人達は一ヶ月に一度の定例会に集まる以外、世界中に散り今日も勇者の卵、魔王の卵を探索していた。


 その定例会は明日を開かれる予定だった。


「魔力探査隊の監視の網をどうかいくぐったのだ?アルバ賢人」


 自身のの執務室でネグリット議長は招かざる客と対峙していた。相変わらず議長は視線を本から動かさない。白髪の前髪が眼鏡にかかったが、それを直す様子もなかった。


 この青と魔の賢人の本拠地には、侵入者を防ぐ為に常に魔力探査器を身に着けた監視員達がいた。


 アルバは身につけていた黒いローブを外し、ネグリット議長に見せる。議長は視線を動かさず、顔に刻まれた深いシワも微動だにしなかった。


「この黒いローブは魔力探査器を無効化する代物です。貴方と繋がりが深いある一族の手製品です」


 それは黒いローブの四兄弟、モグルフが纏っていたローブだった。アルバの一刀で切り裂かれたローブを、アルバはネグリットの執務室に来る為利用したのだった。


「なぜ人目を隠れて来る必要がある?ここは君の帰る場所ではないのかね」


 中央裁行部の議長は、乾いた声でアルバに問いかける。その問いにアルバは口の端を釣り上げ答える。


「ネグリット議長がバタフシャーン一族と繋がり、部下である私を亡き者にしようとした事実。このような事実を他の者の耳に入れる訳には参りません」


 本で溢れかえったこの執務室に、誰が発したか殺気めいた空気が流れ始めた。この執務室には、廊下に出る為の扉の他にもう一つ扉があった。


 その扉の中は書庫になっており、書庫には一人の少年がいた。十四歳の少年はネグリット議長の秘書の一人だった。


 彼は日課の書庫整理をしていた。この書庫に保管されている書物は、古代から現代に至るまでの世界の歴史その物と言って良かった。


 アルバもこの組織に入った当初は、この書庫で寝食を忘れ貴重な書物を読み漁った。秘書であり本好きの少年は、この重要な書物を取り扱う仕事に大きな幸せを感じていた。


 その書物を点検していた時、議長がいる隣の部屋から声がした。少年は何気なく聞き耳を立てると、何なら穏やかでない会話が聞こえてきた。


「······大袈裟だな。君には一度痛い目に合って欲しかっただけだ。己の力を過信し過ぎる君にな」


 ネグリット議長は、ゆっくりと指で本のページをめくる。アルバは本を支えている議長の左手を見る。


 その左手の甲には目が張り付いていた。単眼は大きく見開き、アルバを見据えている。それは、アルバの一挙手一投足を見逃すまいとしているようだった。


 ネグリット議長は魔族でも珍しい手掌眼一族の出身だった。その手の単眼は、未来を見通す力があると言い伝えがあった。


「議長の望み通り痛い目に合いました。最も、あと一歩で痛みを感じない身体になる所でしたが」


 部屋のこもる殺気の空気はいよいよ濃くなってきた。書庫の扉に張り付いていた少年は胸騒ぎがして来た。


「いい機会だ。今後はもう少し控えなさい。これから中央裁行部の会議でな。あまりゆっくり出来んのだ。裁行部の年長者達は君の事をあまり良く思っていない」


 ネグリットはアルバを諭すように呟く。組織の前例踏襲をあからさまに批判するアルバは、中央裁行部から忌み嫌われていた。


「残念ですネグリット議長。今後はありません。貴方と裁行部の老人達にはね」


 真紅の髪の青年は破滅の言葉を口にした。それはもう二度と後戻り出来ない領域に足を踏み入れる事だったが、アルバは全く逡巡しなかった。


「アルバ賢人。言葉はもう少し思慮深く使うものだ。さもなくば我が身を滅ぼすぞ」


 ネグリット議長の手掌眼がアルバを睨むように強い視線を送る。その視線をアルバは意に介さず懐中から小瓶を出した。瓶の中には透明な液体が揺れていた。


「この液体は空気に触れるとすぐに気化します。議長の執務室にお邪魔する際、僅かですが部屋に散布させて頂きました。裁行部の五人が集まっていた会議室にもね」


「······一体君は何を言って」


 言葉を言い終える前に、議長は手にしていた本を机の下に落とした。七十七歳を越えた魔族の男の顔が苦痛に歪んでいく。


「······アルバ。君は何を?」


 ネグリットは動悸も激しくなったのか、胸を押さえる。その様子をアルバは冷たい目で眺めている。


「最後に聞いておきたい事があります。四兄弟に殺害された賢人二名。それも議長がバタフシャーン一族に情報を流したのですか?」


「······それは四兄弟が自力で行った事だ。彼等は各国の大臣を買収して我々の情報を得ている」


 青と魔の賢人の探索人が街に訪れると、その賢人を接待しようとする役人が各国に存在した。


 殆どの賢人はその接待を固辞するが、大臣から情報を得られれば賢人の居場所を知る事が可能だった。四兄弟はその情報を元に襲撃を行っていた。


 二名の賢人が殺害され、ネグリット議長はバタフシャーン一族を問いただした。一族の関与を疑っての事だ。


 一族は表向きは否定した。そしてネグリット議長に今後の友好と協力を申し出た。ここに、双方が言質を取らない協定が成立した。


 バタフシャーン一族が影から支援する四兄弟。ネグリットに四兄弟を見逃してもらう代わりに一族はネグリット個人に協力する。


 魔物を造り出すバタフシャーン一族は、青と魔の賢人の世界管理の為に必要な存在だった。ネグリットは部下二名の犠牲と引き換えにバタフシャーン一族の協力を得た。


 そして襲撃者が四人と知りながら、ネグリットはアルバとロシアド二名を調査に向かわせた。


「よく分かりました議長。私もお教えしましょう。この小瓶の中の液体は病原菌です。空気感染し、人から人へと感染して行く物です。一度感染すれば血清を打つ以外助かる方法はありません」


 先刻口にしたアルバの破滅の言葉は、世界の破滅を意味していた。


「······なんだと? そんな物を君は一体どうしようと言うのだ?」


 ネグリットは机から立とうとしたが、上半身を支えようとした両腕に力が入らない様子だった。


「新たな世界を創る為です。人間も魔族も増えすぎました。これらをこの妙薬で一掃致します」


「妙薬だと? 悪魔の薬の言い間違いであろう。アルバ。君はそこまで道を踏み外したか」


「それは違います議長。私は踏み外していた道を正しい道に戻っただけです」


「······アルバ。これ程愚かだったか」


「さようなら。ネグリット議長。黄泉への旅路が良き旅程になる事を祈っています」


「······それは自身がこれから体験する事か? アルバ賢人」

  

「!?」 


 突如アルバは床に叩きつけられた。体重が何倍にもなったように重くなり身動きが出来ない。ネグリットが地下重力の呪文をアルバに唱えていた。


「······馬鹿な! 間違いなく感染している筈だ。なぜ動ける?」


 驚愕したアルバが辛うじて顔だけを動かし、ネグリットに見開いた両目を向ける。


「湖水の森にある研究室。いや、あれは人体実験所だな。アルバ。私がそれを知らないとてども思っていたか?」


 ネグリットの左手の手掌眼が、アルバを細い目で見据える。


「······あそこから血清を盗んだのか。いつからだ?   いつから私を監視していた!?」


 アルバの顔が苦痛と屈辱に歪む。アルバの身体は更に重さを増していく。


「全ては己が招いた結果だ。今君がした事。これからしようとする事は我が組織への。いや。世界の歴史への反逆だ。最早助命は出来んぞアルバ」


 ネグリットは眉一つ動かさず冷酷な最後通告をかつての弟子に下した。表情は変わらなかったが、左手の手掌眼の瞳は沈痛な色を浮かべていた。


 ネグリットは思い出していた。この組織に入った時のアルバを。真紅の髪の若者は若く才気に溢れ

ていた。いずれ自分の後継者になると議長は期待を寄せていた。


 だが、その弟子は今床に伏し断罪の時を迎えていた。


「研究室を見つけてくれてありがとうこざいます。ネグリット議長」


 アルバが不敵な笑みを浮かべた瞬間、地下重力の呪文は弾かれた。真紅の髪の青年は魔法障壁を唱え戒めから解放された。


「衰えましたな。ネグリット議長。かつての貴方の地下重力は街一つをも沈めた。だが、今は私一人すら押さえられない」


 アルバはゆっくり立ち上がり、乱れた長い前髪から両目を覗かせた。その両目は、ネグリットが昔見た希望に満ちた目では無かった。その目は黒く淀んで見えた。


「老いは恥ではない。後ろめたい事実が露呈した後は力······で抵抗す······る気か」


 ネグリットの声がだんだんか細くなっていく。呼吸が荒くなり汗が止まらい。全身の血液が逆流しているような感覚にネグリットは襲われる。


「研究室で貴方が得た血清は研究初期の病原菌用の物です」


 ネグリットはアルバの言っている意味がすぐに理解出来なかった。全身の血液が全て頭に集まったかの様に頭部が重たくなって行く。


「貴方が私を監視していた事は分かっていました。研究室を知られた事もね。それで貴方達が満足してくれたお陰で真の病原菌を作る事が出来ました」


「べ、別の人体実験所があったのか?」


 一つ扉を隔てて扉に張り付いていた少年は自分の口を両手で押さえ、必死に声を出さないように堪えていた。


 尊敬するネグリット議長のただならぬ様子に、少年は絶望感に襲われる。


「······今度こそお別れです。ネグリット議長。いや。ネグリット先生」


 アルバの両目に、一瞬だけ悲しげな色が浮かんで消えた。


「······ライヒル。お前は」


 ネグリットが口にした言葉は、人生の大半を偽名で過ごしてきた真紅の髪の男の本当の名だった。その言葉がネグリットの最期の言葉となった。


 かつては魔王として、人間の国々を恐怖に陥れた手掌眼一族の男は口から血を流し、地に伏せ絶命した。


「か、火事だあ!」


「中央裁行部の会議室が燃えているぞ!」


 ネグリットの執務室の外から、悲鳴に近い声が聞こえてきた。アルバは裁行部五人が集まる会議室に細菌を撒き、五人を殺害後火を放っていた。


「感染を広げない為です。ここも燃やします。ネグリット先生」


 アルバは小さく呟くと、火炎の呪文を唱えた。火は瞬く間に燃え広がり、かつての師は紅蓮の炎に燃えていく。


 アルバは再び姿隠しを使い、ネグリットの執務室を後にした。少年は侵入者が開けたドアが閉まる音を確認し、ネグリットの執務室に入った。


「······ネグリット先生」


 少年は泣いた。それは火災が起きているこの部屋から上がる煙が原因では無かった。尊敬するネグリットは無残にも殺され、その身を焼かれていた。少年は涙を拭い懐から短剣を取り出した。


 少年はネグリットの左手を見る。ネグリットの左手首はまだ燃えていなかった。少年は握った短剣でネグリットの左手首を切り落とす。血が飛び散り少年にもかかったが、気にする余裕は少年には無かった。


 ネグリットの左手を鞄に入れ、少年は書庫に戻る。この書庫には外に通じる秘密の階段があった。少年は煙を吸わないように布で口を押さえ階段を降りていく。


 無事外に脱出した少年は船の停留所に急ぐ。停留所の係員は少年を見て親しげに話しかける。


「ようモンブラ。またネグリット先生のお使いか?」


「そうなんだ。森のキノコを採って来いって。小舟を貸してもらえるかな?」


 停留所の係員の男はモンブラの要求に笑顔で応じてくれた。小舟に乗り込んだモンブラは急いで船を漕ぎ出した。


「なんだか城の中が騒がしいなあ。何かあったのか?」


 係員の男のその言葉が遠のいてゆく。少年モンブラはネグリットに以前から申し付けられていた。自分にもしもの事があったら、左手を切り落としある男に届けるようにと。


 その為に金貨などを入れた非常用の鞄を、いつも身近に用意していた。モンブラは再び涙を流す。この鞄を使う日が来る事など少年には思いもよらなかった。


 ネグリットの生前の遺言をなんとしても実行する。モンブラは強い決意を胸に誓った。目指すはオルギス教の総本山カリフェース。そこには、ネグリットのかつての弟子がいる筈だった。


 その弟子にネグリットの左手を届ける。モンブラは青と魔の賢人達の城を見つめる。


『······ここにはもう戻って来れないかもしれない』


 慣れ親しんだ自分の家に、少年は静かに別れを告げた。






 






 



 



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