5-2

クッと小さく笑い声を漏らしたことに、「いかが致しました、ボス?」と小声でスチュワートに呼びかけられたディーンは、今が鉄道事業部の経営会議中であったと我に返る。

見れば、鉄道事業部からの質問を聞く振りをして、蓮がこちらをジロリと睨みつけてくるところを見ると、向こうも酒場でのやり取りを思い出したらしい。

ついでにあの後、アドバイザーがずっと、ツンケンした態度を取っていたことも思い出した。


「バスク地方の観光が悪いと言っているのではありません。てすが、当社のコンセプトは、煌めくような極上の列車の旅。経費削減は分かりますが、そのためにコンセプトを見失うことが本末転倒、問題だと言っているのです」

パソコンのキーを叩き、蓮はスクリーンに欧州の地図を出す。

「お客様が下す旅行の評価は、観光や食事、宿泊した場所の満足感で、あらかたの良し悪しが決まります。そして、豪華寝台列車の旅には、プラス、列車での移動中に如何に満足できたかが重要です。バスク地方観光ありきでのマドリード、パリ間のスケジュール設定では、それを充実させることは出来ません」

そして、ディーンへとまっすぐに視線を向けた。

「ここまでで、オーナーからは何かご意見はありますか?」


その声に棘があることに、ディーンは肩をすくめて口を開いた。

「客室の防音対策、それとセキュリティの強化について、対策する必要性は判った。事業部は、営業に無理のない範囲で早急に対策案をまとめて実行しろ。本社も特任チームを作り、事業部のサポートに当たれ」

社員一同が頷く中、地図へと視線を向けた。

「それと、ルートについては、検討の余地は大いにあると考えている」と結論を述べ、再びアドバイザーへと視線を向けた。

「それについての、アドバイザーからの提案はあるのか?」



オーナーからバトンを受け継ぎ、蓮はキーをひとつ押す。

すると、パリを南下してニースを通り、その後はフィレンツェ、ローマ、ナポリ、そしてシチリア島を終着駅とする黄色いライン。

もうひとつは、パリからミュンヘン、ベネチア、フィレンツェと移動し、後は同じルートを辿り、最後も同じでタオルミーナで終わる青いラインが描き出された。

「この提案は、あくまでも例としての案です。ですから、基本的なコンセプトのみご説明させて頂きます」

蓮は、ベルサイユ宮殿内に最近出来た、星付き名シェフの経営するレストランでランチを楽しみつつ、ディーンと対案について検討した時のことを思い出していた。



「ルートの変更はやむを得ないと思います。マドリードからバスク地方は、圧倒的に距離が短すぎます。鉄道の旅が始まってすぐに最初の観光地に着くのは、利用客からすれば、ちょっとがっかりですよね」

「それには同感だな。夜出発も、乗ってすぐ寝るだけというのは頂けない。娯楽も酒だけでは、呑めない客は不満を抱くだろうな」

「かといって、出発地を変えるとなると、マドリードのオフィスを丸ごと移動することになるし、色々面倒ですよね」

フルーティーだが、複雑な味わいが混じるソースがかけられたバニラアイスを口に運びながら、蓮が新たな支出への懸念を指摘する。

その指摘に、ディーンは唸るように呟いた。

「欧州にある鉄道事業部のオフィスは、ベルリンにパリ、そしてマドリードの3か所か……」


だが、ディーンは言葉を止めて蓮の顔をまじまじと見た。

「――タオルミーナ」

その一言に、蓮もハッと息を飲んだ。

「それです! マドリードは閉鎖することになるけど、タオルミーナのオフィスを一緒に使えばいいんです。無駄はありません」

「それに走行距離も随分伸びる。だが、ベルリンからパリ、そしてシチリアまで来るとなると、相当日数が必要になるな」


ディーンが指摘した新たな懸念には、蓮は笑みを浮かべて首を振る。

「パリ、ベルリン間は、もともと独立させることにしていました。あそこはただでさえ黒字です。せっかく事業部が開拓した金のなる木を、わざわざ手放す必要はありません。むしろ、もっと稼働率を上げて稼いでもらいます」

そして、自身のスマホを取り出し、欧州の地図を出す。

2人用のコンパクトなテーブルの上にそれを置き、二人で覗き込む。

「ただ、ルートはいくつかありますね。そのまま南下するのと、ドイツに抜けて下るのと、スイス経由のコースもいけますよ」

「なら、いくつかルートを提示して、あとは事業部に任せたらどうだ? 提案も、やり過ぎると現場の士気は落ちる。もっとも、事業部から提案されれば、現地視察くらいは行くつもりだがな」

雰囲気を一変させてニヤリと笑う男に、蓮は呆れてため息をついた。

「また一緒に付いて来る気ですか? 今度はもっと狭い移動用の寝台列車かもしれませんよ」

「視察に行くのは当然だ。だが、あれ以上に狭い寝台は御免だな。移動手段は追々考えるとして、あとは列車をどうするかだ」


その声には、何やら策士の匂いが漂う。

「まさか、新造する気ですか? オレは、他社の買収で調達しようと調べていましたし、アテもあることはありますよ?」

その、察しのいい問いと提案に、ディーンは不敵な顔を向けた。

「パリ、タオルミーナ間は、列車旅行の日数も増える。もっと広い客室は当然として、何ならバスタブ付きのバスルームも付けてやるぞ? それに広いラウンジも必要だ。何なら、ダンスパーティーでも企画して売りにすればいい。こけら落としの時は、1曲、お前の相手をしてやるぞ」

紫の瞳の色味が深まる。

「――希少性と、お前は言ったよな? 他社の車両を買収して手に入れたところで、ウチの事業価値は上がるのか? 他社と一線画すには、それではダメだと本当は分かっているんじゃないのか?」

その言葉に、はにかみながら蓮が肩をすくめて見せる。

そのポーズ、イコールご名答ということだ。

満足気にひとつ頷き、再びディーンは意味ありげな笑みを蓮へと向けた。

「無論、セキュリティと防音対策は徹底する。お前が望んだ通り、ヤッている時の声が廊下に漏れないようにな――」

ニヤニヤと意地悪い笑みを口元に浮かべたオーナーに、「昼間からエロい事を言わないで下さい。本気でセクハラで訴えますよ!」と、蓮は頬に自然と集まる熱を気にしつつ、恨みがましい緑の瞳で睨みつけた。


・・・・・

「では、バスク観光は無くなることになるのですか……」

マンハッタンにあるレセレント・リージェント・グループ本社の会議室では、伝統を守ろうと頑張ってきた鉄道事業部の社員たちがガックリと項垂れる様子に、蓮は小さく息を吐く。

「バスク地方の観光は、確かに魅力的です。ですが、採算を考えれば、タオルミーナのカジノ事業との提携は他社にない希少性も得られ、双方にとってシナジー効果を生むと思われます」


変更への有意義性を説く言葉を紡ぎながらも、バスク地方を見捨てる後ろめたさから、彼らと視線を交える事を拒んで目を反らす蓮の様子に、ディーンが口を開いた。

「鉄道事業では、スペインのルートは消えることになる。だが、バスク地域は、確かに魅力的な地域ではあるし、今後さらに世界的な人気が出る観光地としての商品価値は認める。依って、クルージング事業のルート見直しの際、寄港地として候補に入れておく。マドリードには既存のオフィスもある。その分、他の候補地よりは有利になるだろう」

そして鉄道事業部に、オーナーは真摯な紫の瞳を向けた。

「それで手を打て。――お前達がこだわった、伝統のバスクの地を見捨てるつもりはない」

声を改め、堂々たるバリトンボイスが会議の議場に響き渡った。

「それについての、アドバイザーからの意見は?」


その投げかけに、蓮はホッとしたように微笑んだ。

「グループ内の事業間の協力は望むところです。オーナーの意見に異論はありません」

黒髪のアドバイザーが、オーナーに向けた花綻ぶような微笑みに、社員一同は思わず見惚れる。

だが、続く矢継ぎ早なオーナーからのオーダーに、全員が瞬時に現実に引き戻された。

「では、鉄道事業部並びに本社は、合同で新たに新ルートの検討チームを立ち上げる。いくつか候補を模索し、絞った時点でアドバイザーにプランを上げろ。それと並行して、本社では列車新造の手配を進める。編成や客室の構造にはいくつか注文がある。設計技師が決まったら、俺の秘書まで連絡を入れろ。時間を作る」

「期間はどれくらいですか?」

本社幹部からの問いにチラリと傍らの秘書を見上げれば、スチュワートが手元のタブレットを確認し、無言でそれをオーナーに示す。

その回答にひとつ頷き、バイオレットの瞳が全員を見渡した。

「3月末に、最終候補地の決定会議を行う。それまでに本社は設計技師と発注業者の選定も進めておけ。それにより、4月半ばには現地に俺自らが視察に出かける」

オーナー自らの出陣に立てしての社員たちのどよめきに、ディーンは自信あふれる顔を向けた。

「伝統を壊して前に進めるんだ。それくらいの労力が必要な事は、オーナーとして覚悟している」

そして、凛とした声が会議室に響く。

「これは新規の事業だと思って、仕事にかかれ。――ここに居る、社員一同の働きに期待する」


最後にディーンは、演台にいる蓮を見て、してやったりの笑みを浮かべた。

「ちなみに、俺のスケジュール設定には、アドバイザーからは異論はないのか?」

確信犯からの問いかけに、蓮は途端に目を座らせるが、立場上、この場でノーを突きつける訳にはいかない。

仕方なしに、にっこりと微笑んでみせた。

だが、緑の瞳は、全然笑ってはいない。

「問題はありませんよ、オーナー」

その答えに満足気に大きく頷き、ディーンは立ち上がった。

その声は、どこまでも穏やかだ。

「お前がYesと言えばそれでいい――」

そして、紫の瞳は会議のテーブルに付く社員達を一瞥した。

「――これをもって、鉄道事業部の経営会議を終了する。各自、さっそく仕事に取りかかれ」


こうして、鉄道事業部の新路線開発プロジェクトは正式にスタートした。

以後、関わる社員全員の高いモチベーションに支えられ、プロジェクトはグループトップの手を離れ、順風満帆に進行していくことになる。


それは、事業ごとに独立していたレセテント・リージェント・グループが、新たなグループ内提携でのシナジー効果を生んだ最初の事例として、長きにわたり語り継がれることになった。

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