5 le congrès s'amuse 会議は踊る

アメリカ合衆国、ニューヨーク市。

マンハッタン島の高層ビル群が立ち並ぶミッドタウン。


現地鉄道事業部、そして鉄道事業担当の本社幹部が顔を揃えたレセテント・リージェント・グループ本社の会議室は、異様な緊張感に包まれていた。

本社と事業部が対面して並んで顔を突き合わせるものの、双方ともに何も聞かされていないのか、互いに困惑した表情を浮かべている。


オーナーが急遽招集した、初の事業別経営会議。

それまで、新規事業を立ち上げる他は、既存事業には口を出してこなかったオーナーが、突如経営に乗り出してきた。

その異例な事態と予測不能な展開への不安感に、集った社員たちの言葉数も減り、所在なさげに手元の資料をペラペラとめくったり、スマホで時間を確認したりして時間を潰している。


そして、会議の開始時間からきっかり5分前。

唐突に会議室のドアが開かれた。


先頭を悠然と歩くのは、ダークカラーのスリーピーススーツを見事に着こなした金髪美丈夫の男。

年齢の割に独特な存在感と威圧感を放つ、雲の上の存在。

声を聞いた者も少なく、自社のオーナーではあるが得体が知れない人物である。

本社幹部が間髪入れずに立ち上がったことで、対岸に陣取っていた鉄道事業部も一拍遅れて一斉に立ち上がって出迎える。


その後に続いて入ってきたのは、ノートパソコンを片腕に颯爽と歩く、黒髪の小柄な青年。

最近、オーナーにヘッドハンティングされて入社したらしいが、オーナー付きということで本社を訪れたことはなく、こちらも得体が知れない。

ただ、彼の入社後、幾度となくメールや電話で、様々な財務関係の資料を送って欲しいとの打診があり、その存在は認知している。

物腰や口調は丁寧だが、書類について疑問があれば、毅然とした態度で臆することなく突っ込んでくる、芯の強い一面を垣間見せた。

一瞬、その横顔が社員たちの方を向き、ちらりと一瞥したその瞳が、美しいエメラルドの光彩であることに気付いた者達は目を瞬かせた。

オーナー同様、どこかミステリアスな雰囲気が滲む青年である。


二人は会議室の両端に分かれ、一人はコの字型に配置されたビジネステーブルの上座中央へと向かう。

もう一人は、上座に相対するようにプレゼン用の演台にパソコンを置き、配線などの準備にかかる。

また、上座に向かう男には、眼鏡をかけた真面目そうな白人の秘書が、演台で準備を進める青年には銀髪で体躯の良い黒人の男が、それぞれ付き従う。


オーナーが、上座から集う社員たちを一瞥して座ったのをきっかけに、社員全員も腰を下ろす。

紫色の瞳を向けて、チラリと演台で作業を続ける青年の様子を確認すると、オーナーは威風堂々たる姿勢で、そこに集う社員全員に切り出した。



「オーナーとして、グループの各事業の経営状況を確認させてもらった。本日は、その中でいくつか改善が必要な事案について、事業内容の見直し、および提案を行う為に集まってもらった」

よく響くバリトンボイスの概要説明への動揺から、議場に微かなどよめきが湧く。

だが、そのざわめきを一切無視して、オーナーは堂々と言葉を続けた。

「紹介する。そこの演台に居るのは、今回、各事業の経営状況の精査、並びに事業見直しの提案をとりまとめた、当社の財務アドバイザーだ」

オーナー自らの紹介と紫の瞳がゴーサインを出し、演台を前にした黒髪の青年が社員たちを一瞥する。

「オーナーより紹介いただきました、財務アドバイザーの黒羽蓮です」

小声で、「日本人なのか?」「ハーフか?」などと囁き声が聞こえる中、こちらも臆することなく説明が続く。

「さしあたっての問題点が少ない事業に関しましては、些末ながら文書にて、指摘事項並びに改善に向けての提案書を送らせて頂きました。ですが、この鉄道事業においては抜本的な見直しが必要であり、皆様に直接説明させて頂きます」


それには、鉄道事業部からのどよめきが大きくなる。

それをも無視して蓮がパソコンのキーをひとつ叩けば、スクリーンにグラフが表示された。

蓮が、最初に秘書室でディーンに見せたものと同じ画像だ。

そして、その時と同様に、マドリード、パリ間の採算割れを指摘する説明を行う。


「ですが、事業全体としては黒字であります。三都市を結ぶ旅は、事業開始当初からの伝統であります。我々は、それを守る為の努力を重ねてきました」

事業部のナンバー2のスペイン人が思わず口を挟むが、蓮は冷静な視線を向けた。

「確かに、努力や工夫はされています。パリ、ベルリン間のバラ売りは、その最たるものと認識しています。ですが、その努力を無駄にするのがマドリード、パリ間の業績です」

敢えて挑発的に指摘する。

「パリ、ベルリン間は、客車のセキュリティとプライバシー保護の為の設備改善と、バーテンダーの育成を図る以外は問題ないでしょう。ですが、マドリード、パリ間については、いくつもの問題点があります。それが、採算割れを起こす程、集客に決定的な影響を及ぼしています」


上座で蓮の説明に聞き入っていたディーンの口角が僅かに上がる。

あのトレインジャック騒動の後、ジャクソンが案内したモンマルトルにある酒場で、蓮が話していた言葉が甦る。



「カエサルさんを怒らないで下さい。彼には、色々と教えて頂きました」

ロックのポモー・ド・ノルマンディを舐めるように飲んだ蓮が、早くもアルコールで頬が染まった顔を向けた。

ポモー・ド・ノルマンディは、カルヴァドスにリンゴジュースを混ぜて熟成させたもので、甘い香りとフルーティーさが特徴的なやや甘口の酒だ。

蓮も飲みやすいのか、早くも3杯目に突入している。

「あの人、車掌が持つマスターのカードキーを偽造して、部屋に入り込んできたんです。カードキーは便利ですが、偽造されやすくて、セキュリティには問題があるそうです」

そしてまた一口、口に含む。

「それに、廊下で話すトレインジャック犯の声が、室内からしっかりと聞き取れました。その時は、おかげで隠れる事が出来たんですけど……」

一旦言葉を止めて躊躇するが、ヤケクソ気味にグビッとグラスに残った酒を煽り、ダンッと音を立ててテーブルにグラスを置く。

「それって、部屋の中の声も色々と聞こえるってことですよね。それは非常にマズいと思います!」

ディーンはカルヴァドスの入ったグラスを握ったまま、傍らの青年へと訝しむように視線を向けた。

「つまり、何が言いたい?」

短い問いに、気まずそうに蓮はプイッと顔を背けた。

アルコールのせいか、耳まで真っ赤になっている。


「……聞こえちゃいます」

「だから、何が?」

「色々と、……人には聞かせたくない会話とか、声とか?」

だが、遠まわしな会話に苛立ちはじめた気短な男の袖を引き、仕方ない様子でその耳元でコソコソと明かした。

「カエサルさんに、言われたんです」


――二人で同室か。もしかして、そっちの方でもスペシャルな関係なの、君達?


途端に、美丈夫な顔のこめかみに青筋が浮き出る。

大きな手の中にあるグラスの中のカルヴァドスも怒りに震え、小刻みに揺れ始めた。

その激高に、「あ、それはキッパリと否定してありますから、安心して下さい」と軽い口調で報告し、アドバイザーは寄せていた顔を戻す。

そして手酌でグラスに酒を注ぎつつ、しみじみした口調で続けた。

「でも、そういうお客様だって居ると思うんですよ。スイートルームはダブルベッドだって言うし。でもその場合、声とか廊下に聞こえたら嫌でしょう? 今は、お客はご老人ばかりでしたが、客の年齢層も今後は幅を広げる必要はあるし、いずれそういうクレームも出てくると思います」


その見解に、今度はディーンがグラスの酒を煽るように飲み干した。

そして、ニヤリと意味ありげに口元に笑みを浮かべる。

そんなオーナーの豪快な飲みっぷりに釣られる様に、蓮も酒を口に含む。

「俺はあまり気にならないが、お前はそういうのを気にするんだな。――ところでお前は、ヤっている最中の時でも、エロい声を出すのを気にするのか?」

その破廉恥で明け透けなプライベートな質問に、途端に蓮がブッと酒を噴き出した。

そして、袖口で口元を拭いながら、真っ赤に染まった顔で睨みつけてきた。

「オレがその手のことに縁がないって、分かっていて言ってますよね! 世間知らずな貴方は知らないかもしれませんが、それってセクハラですからね! それ以上言ったら、訴えますから!」

そしてハアハアと上がる息を整えながら、結論を述べた。

「大体、オレの事は別にいいんです! それより、客車のセキュリティと防音については、設備の改善は急務だと言いたかったんです!」





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