3-2

同時に起こったパリ東駅でのトラブルに、リムジンの後部座席に陣取る2人の男は、互いの状況を説明する。

そして相手の事情を知り、最初に口を開いたのは金髪の男だ。

ダークグレーのスラックスにブラックのシャツ、そして胸元には差し色で深みのあるグリーンのスカーフ。

上着はスラックスと同色のジャケットに、厚手のカシミアの黒いロングコートと、仕事ではスリーピーススーツを重用する彼にしては、カジュアルな井出達だ。

「積荷の数が合わないとは、穏やかではないな。まさか、盗られたのは高額商品の方ではないんだろう?」

その面白がるような揶揄混じりの問いに、ヘーゼルの瞳に険悪な光を輝かせた男は、不機嫌を露わにする。

こちらは、かっちりとした薄いベージュのスリーピーススーツで、同一カラーのトレンチコートを肩掛けにしている。膝には、同色のボルサリーノが乗る。

「消えたブツのリストの中に、1つ混じっている。後は、アサルトライフルが60丁、それに弾薬だ」


「――ずいぶん下手打ったじゃないか、カイザー」

揶揄が嘲笑へと変わった時、ディーンのスマホが振動を始めた。

すぐさま出れば、ジャクソンだ。

先程よりは幾分、声は落ち着きを取り戻していた。その証拠に、敬語で話している。

「ブリッツェン・エクスプレスの向かっている方向が分かりました。パリからを南東へと下って、ミュンヘン方向に向かっています。M51の貨物用の路線だそうです」

「追っているのか?」

「ああ、俺単独で追いかけています」

「なら、ミラー達にも追わせろ。車を走らせたままで銃撃戦が出来るようにしておけ。トレインジャックした連中の身元は分からんし、奴らは武装している」

「そのつもりです。ミラーが追いついたら、俺は列車を先回りする。どこかの駅で、捕まえられるかもしれん」

有能な部下からその後の行動予定の報告を受け、ジャクソンとの通話は切れた。


一方、カイザーにも誰からか電話がかかってきていた。

二、三言の会話を交わし、カイザーは「ちょっと待て」と指示してスピーカーに切り替える。

続く、「いいぞ」のひと言に、車内には張りのある若々しい男の声が鳴り響いた。

「東駅で取引したはずのブツの一部を、誰かに横取りされたんだろう? それ、今、ここにあるぜ」

「お前は今、どこにいるのだ? リーンハルト」


次の言葉に、2人は再び顔を見合わせる。

「濃い紫色の、やたらと豪華な列車の貨物車の中さ。不審な動きをした幹部の後を追ってきたら、この列車に入っていった。隠れて乗り込んだものの、急に動き出しちまった。これまで駅を二つ通り越したけど、次の駅で減速した時に飛び降りるから迎えに来てよ。それと、行き先はそっちで調べてくれよな」

そんな、緊張感の欠片もない若者の声に、ディーンは構わず怒鳴りつける。

「その列車の405号室に、黒髪で緑の瞳の男がいる。俺が行くまで、そいつを絶対に護れ!」

だが、その横柄な命令と剣幕に、「アンタ、だれ……」と言ったっきり、スマホから漏れていた声が唐突に途切れた。


カイザーがすぐさまリダイヤルをするが、電波が届かないらしく、つながらない。

その状況に苛立ったように、ディーンは運転席に座るスチュワートに命令する。

「どうやら、目的はカイザーと一緒のようだ。――俺たちも列車を追うぞ」

そしてカイザーへと向き合う。

「お前に、いくつか質問がある。時間が無いから、手短に答えろ」

その眼差しの真剣さに、カイザーは一瞬声を詰まらせる。

だが、「アレス クラー」――いいだろう、とドイツ語で頷いた。


「今の、リーンハルトとかいう奴は誰だ?」

「私の子飼いの殺し屋だ。もっとも、君も以前に一度会っている筈だよ。君の所の狂犬に噛みついた、アッシュブラウンの髪の子どもさ」

「――あのガキか」

以前といっても5年ほど前の事だ。

取引場所に、カイザーがハイスクールに入りたてくらいの子どもを連れてきた事があった。

訳あって引き取り、今後は幹部候補として育てたいと話していた。

その時、ディーンの護衛に当たっていたミラーをおばちゃん呼ばわりし、マシンガンを振り回すほどひどく怒らせた事件を思い出した。


「本人が殺し屋になりたいと言うから訓練は受けさせたが、実際はスパイのような仕事をしている」

「自称殺し屋か……。アテにはならんな」

そんな心もとない状況に、ディーンはひとつ落胆のため息をついた。

「カイザー、ブリッツェン・エクスプレスの正確な位置を割り出せるか?」

その依頼には、カイザーは窓の外を一瞥し、自信ありげに口の端を上げる。

「ならば、ここで降ろしてくれ。私が直接、列車運行管制システムのオフィスに出向こう」

窓の外の景色を見れば、もうすぐ東駅の周辺だ。

だが、信号待ちで停車した際、前の仕切り窓から、ハンドルを握っていたスチュワートが自身のスマホを差し出した。

スピーカーから漏れ聞こえたのは、聞き覚えのあるしわがれた声だ。


「お久しぶりで御座います。エンペラー様、カイザー様」

それは、南欧州を統括する男の執事のものだ。

「お前に用はない、セバスティアーノ。今は忙しい、後にしろ」

開口一番の拒絶に、通話を切られると覚悟した老執事は大いに慌てた。

「ですが、現在乗っ取られた寝台列車には、カエサル様もお乗りになっています。おそらく、エスメラルダ様とご一緒にいらっしゃるかと……」

「どういうことだ、クソジジイ! 事と場合によっては――」

だが、瞬間的に激高した男へとストップをかけたのは、本人の手に握られていたスマホの振動だ。

情報が錯綜する中、出ない訳にはいかない。

ディーンが通話ボタンをタッチした途端、列車を陸路で先回りしていたはずのジャクソンの切羽詰まった声が響く。

「ボス、状況が変わった。東駅で乗務員から話を聞いた部下からの報告では、列車が向かったM51の線路上には、五つ先の無人駅に貨物列車が故障のために停車しているらしい。そして、M51の線路は単線だ」

次の報告に、全員の背筋が凍りついた。


「――手前で線路の切り替えをしないと、列車は激突するそうだ」


・・・・

「ダメだね、スマホは圏外になっているよ」

「ネットも、Wi-Fiが使えないみたいです。全然つながりません」


命の危機を共有しあった寝台列車の客と侵入者は、まるで知己とばかりにため息混じりに互いの状況を報告し合い、困惑した顔を見合わせる。

「セバスティアーノとの電話が突然切れたのって、何なのかな?」

「圏外ということは、強制的に電波が遮断されたのでしょう。同時にWi-Fiも使えなくなった状況から、おそらくはジャミングの類ですかね。持ち運び出来る割と大きめのものは、ネット通販でも簡単に手に入りますし」

「ということは、計画的な犯行か。――目的は何だろうね」

「さあ? 亡命してくるなら分かりますが、フランスから逃げだそうとするなんて考えられませんし――」


「――たぶん、盗んだブツを、国外に運び出すつもりだぜ」


突然答えた低めのアルトの声に、「わっ」と蓮は後方に跳び下がり、カエサルは素早く腰から銃を握って、声の主に突きつける。それぞれの動きは対照的だが、実に自然で滑らかだ。

だが、アルトボイスの若者は、そんな二人の正反対の反応を気にも留めることもなく、呆れたように後を続けた。

「何でカエサル様がいるんだよ? オレは、そこにいる黒髪でグリーンアイズの男を探していたんだけど」

一方、名を呼ばれた男も目を瞬かせる。

「それはこっちの台詞だよ。何でカイザーの所のペリートくんが、ここに居るのかな?」

どうやら二人は顔見知りらしい。

顔を赤くしたアッシュブロンドの若い男が、カエサルに詰め寄った。

「おい、いい加減にその呼び方はやめろよ! 寄りによって犬呼ばわりはねえだろ! オレの名はリーンハルトだ。これでも、カイザー様お抱えの殺し屋だせ?」

だが、カエサルは「それは違うよ」と、にっこりと笑った。

「スペイン語でペリートは犬のことじゃないよ、子犬の事さ。可愛いニックネームだろう?」

「もっと、酷いだろ!」

だが、そんなどこかで聞いたような不毛なやりとりに待ったをかけたのは、それまで呆気にとられていた蓮だ。

強引に、二人の間に割って入る。


「今は、ニックネームについての議論をしている時間はありませんよ」

そして、リーンハルトと名乗った若者に向き直った。

アッシュブロンドの少し長めの髪を、ヘアバンドでオールバックにしてまとめている。派手なTシャツにライダースの皮ジャン、ブラックジーンズの井出達で、年の頃は蓮と同じくらいか。

全然、殺し屋に見えない。せいぜい、粋がるお年頃のパンク少年だ。

「君は、オレの事を探していたの? なら、君に命令したのは誰? それってもしかして、低い声で上から目線っぽい言い方をする男の人?」

若き自称殺し屋が茶色い瞳を瞬かせ、「ああ、すげえ横暴そうな奴に、あんたを守れって言われたぜ」と頷けば、蓮は唇に指を当てて考え込む。


――ディーンは、絶対に後を追ってくるはず。ならば……。

リーンハルトの言葉に確信を抱いた蓮は、固い声で二人に呼びかけた。

「とりあえず、車両の一番後ろに行きましょう。最後尾の展望車両から、デッキに出られます。屋外なら、ジャミングの影響を受けずに、外部と連絡が取れるかもしれない」

その唐突な提案に、二人は驚いたように顔を見合わせた。



その5分後。

3人は、寝台列車の狭い廊下を1列になって駆け抜けた。

先頭を走るのはカエサル。それに蓮、リーンハルトと続く。

順番については色々と揉めたが、最後は年齢順ということで落ち着いた。

幸い、蓮の部屋は食堂車に一番近い車両で、逃げ場のない通路の逃走は最短距離で済んだ。

だが、最後尾のリーンハルトの後姿が、見周りに来たトレインジャック犯の視界の端に映ったらしい。

「おい! 誰かいるぞ」との声が耳に届き、3人は息を飲んで足を止めた。

「とりあえず、隠れましょう」との蓮の指示に、それぞれがクロスのかかったテーブルの下に潜り込めば、程なくして4人程の男の荒々しい怒鳴り声が食堂車に響いた。


「――おい、誰もいねえじゃねえか」

「見間違いじゃねえのかよ?」

「まさか、アサドの野郎が逃げ出したとか……」

「それはありえねえぜ。あんだけ痛めつけたんだからよ」

「おい! 誰かバーのテーブルに縛り付けといたアサドがいるか、見に行って来い!」


リーダーらしき野太い声が命令したものの、その言葉に応えたのは、今まで発言していた男達とは違う、別の男の声だった。

活舌の悪い話し方に加えて、ハアハアと盛大な息遣いが妙にイラつく。

だがその内容は、息を殺して隠れている蓮さえも、思わず息を飲むものだった。

「大変だよ、バウアーさん! ウォルフの奴、ついカッとなって、逃げ出そうとした運転士を殺しちまった」

その報告に、慌てたのは蓮だけではない。喚いていた荒っぽい連中達も色めきだった。


「おい、本当かよ!」

「クソっ! それじゃあ、列車が止められなくなったじゃねえか!」

「アサドなんてどうでもいい! とにかく、機関車に戻るぞ!」

それぞれが怒声で喚き散らし、バタバタと慌ただしい音を立てて去った後は、物音一つしない静寂が食堂車を包む。

そろりとテーブルクロスの間から顔を出せば、反対側と隣のテーブルの下から、カエサルとリーンハルトも這い出して来た。


「事態は深刻みたいです。とにかく、先を急ぎましょう!」

再び蓮の提案を受け入れ、3人が食堂車を抜けてラウンジを通り過ぎれば、バーのスタンディングテーブルの脚には、アラブ系の顔立ちの男が後ろ手に縛りつけられている。

ひどく暴行を受けたのか、上質そうな白いワイシャツは足跡だらけで汚れ、気絶でもしているのか、ぐったりと顔を項垂れていた。

「……お前、やっぱり!」と息を飲んだリーンハルトが、次の瞬間噛みつくように男の胸倉を掴み、力任せに引き起こした。

「まさか、忠犬なんて呼ばれていたアンタが、本当にカイザー様を裏切るとはな、アサド ハッサン マフムード!」

だが、ガクガクと揺すって無理やり起こそうとする少年を、諫めるように蓮が止めた。

「止めて下さい、今はそんな事を言って責めている場合じゃないんですよ!」


その見事なクイーンズイングリッシュに、殴られて青痣だらけの顔を、男はそろりと上げた。

そして、腫れあがった瞼の下の、バサバサのまつ毛に囲まれた黒い瞳を大きく見開く。

「黒髪にエメラルドの瞳だと? まさか、カイザー様が噂されていた、魔王のエスメラルダ様なのか? どうしてここに……」

そして、大いに慌て始めた。

「ダメだ。すぐにお逃げ下さい。貴方にもしもの事があれば、カイザー様に責が及んでしまう!」

蓮に向けられた黒い瞳は、元部下へと向けられた。

「すぐに、安全なところにエスメラルダ様をお連れするんだ、リーン! カイザー様が魔王の逆鱗に触れないよう、エスメラルダ様をお護り出来るのは、お前しかいない」

全身をばたつかせて喚き始めた男に、蓮とリーンハルトが呆気にとられる中、唯一冷静だった年長者が腰を落した。

「どうやら君は、この事態の一部始終を知っているようだね」

そう言うと、躊躇することなく男が縛られている縄を解き始める。

「とにかく、後で彼の話を聞けば全てが分かる。――彼も連れて行く。これは決定事項だし、俺の邪魔をしたら殺すよ」

年長者の迫力ある脅しに、4人目が最後尾の展望キャビンへの逃走に加わる事になった。



勢いよく展望車両へのドアを開ければ、腰から上は細い木製のフレームで仕切られたガラス窓が張り巡らされた開放的な空間が広がる。

そこで初めて、片側はどこまでも続く開けた平原、反対側は山が壁のように続き、列車が山沿いに走っていたことを知る。

また、レールが敷かれた山沿いは、すでに夕日は山に隠されて仄暗いが、平原にはまだ陽光が注ぎ、大地を美しい朱に染めあげている。

間もなく日暮れ時、所謂トワイライトタイムの光景だ。


後方の木製のドアを開け、4人が狭いデッキへと飛び出した。

スマホへと視線を落せば、蓮の予想通りに圏外の文字は消えている。


無言のまま、3人は顔を見合わせて状況を確認すると、それぞれが一斉に電話をかけはじめた。





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