4  contre・attaque 反撃

フランス鉄道運行管制システム会社のオフィスでは、公私問わずに、パリを中心にして蜘蛛の巣状に網羅される各列車の運行状況を、モニター越しに監視している。

その精密機器が並ぶ管制室の上階には、一面ガラスで仕切られた近未来的な司令室が、下フロアの仕事ぶりを監視している。

指令室の中央には大きな司令用のデスクがポツンと置かれ、そこに座する司令はインカム越しに、監視している職員達からの報告を聞き、指示を出す。


でっぷりと越えた身体を窮屈そうにゴロ付きのビジネスチェアーに押し込み、司令は傍らに佇む細身の男を恐る恐る見上げた。

「本当に、M51ラインにトレインジャックされた列車が入り込んでいるんですか?」

もっかの所、何の異常も知らせて来ない部下たちが居るフロアをチラリと一瞥し、司令は額に浮かぶ汗を大仰な仕草で袖口で拭う。

「M51ラインは、午前中に1本だけ、3両編成の貨物列車が往復するローカル線です。採算割れで、そろそろ廃線にしようという声も出るほどで、駅の間隔も長い路線です。そんな所に入り込んだら、それこそ目立ってすぐに報告が来るはずですが、運行システムが検知しない以上、そんな列車がいるとは思えませんよ」

だが、ベージュのトレンチコートを腕に抱えた男は、無表情のまま管制室の上部に輝く大型電光掲示板を凝視していた。

そのトレンチコートの下には、鈍い光を放つ銃口が僅かに覗いている。


電光掲示板には、フランスの全ての路線図が色分けされ、男のヘーゼルの瞳は、赤いLEDが線となって灯るM51と書かれた一本の路線を注視していた。

「貴様は言われた通り、M51にある全ての駅を迷い込んだ列車が通過出来るよう、分岐点を変えればいい」


淡々と命令した直後、男の胸ポケットに入れたスマホが振動を始めた。

相手も確認せず、「――私だ」とカイザーが出れば、必要以上のボリュームで、元気いっぱいの待ち望んだ声が喚いた。

「今、列車の一番後ろのデッキに出てきた! 色々と事情は分かったけど、今、こっちはすごくヤバい状況なんだ」

「――簡潔に話しなさい、リーンハルト」

耳に当てたスマホを遠ざけてのいつもの命令口調に、電話の向こうの殺し屋はさらに興奮気味に捲し立てた。

「今、ここにいるのは、魔王の大事な黒髪に緑の瞳の男、それになぜかカエサル様。最後に諸悪の根源のアサド ハッサン マフムード。次に、確認している犯人の数は6、7人ってところだ。どっかのテロリストと合流する為に、手土産としてアンタのブツをくすねたらしい。手引きしたのはアサドだけど、裏切ったのには訳があるようだよ。――それと、今、この列車はジャミングで電波を遮断されている」

そして、最後のひと言に、さすがのカイザーも目を見張った。

「犯人の奴ら、誘拐した運転士を殺しちまったらしい。つまり、列車を停止させることが出来る奴が、この列車内には居なくなっちまった」



一方、デッキに辿り着いたカエサルは、後を追っているはずの老執事と会話していた。

「だから、お止めになる様に言ったのですよ! 少しはご自分のお立場を……」

だが、カエサルはムッとした顔つきのまま、説教を始めた老執事に問いかけた。

「この路線が辿りつく先には、どんな国があるの? 無論、紛争地帯に抜けるルートを抱える国のことだよ」

その感情が消えた淡々とした問いかけに、主の変化を悟った老執事は、声を改めて厳かに答えた。

「この路線はミュンヘンに向かっております。どうやら、トレインジャック犯は、カイザー様のブツを横取りした模様です。ならばおそらくは、どこか途中の廃駅で荷物の積み替え作業をして、あとは陸路で海に出る算段なのでは? トリエステなどの港に出てしまえば、船をチャーターすればアドリア海経由で簡単に紛争地に向えます」

カエサルのアンバーな瞳が、老執事の推測に同意するように冷たく輝いた。

「なら、積み替える場所にも、まだ仲間が居るかもしれないね」

そして、命令を下す。

「手の空いている奴らを総動員して、この路線の全ての駅周辺を洗わせろ。おそらく、盗んだ荷を積み替えるトレーラーが準備されているはずだ。ただし、そいつらの一人も逃がさず、全員を生かしたままで俺の眼前に雁首を並べろ。――俺の手で始末をつけてやる」

「――御意」

短い答えを以って、老執事との通話が切れた。

そしてカエサルは、先ほどから上空を見上げて怒鳴りつけている黒髪の男を振り返った。



・・・

「ディーン、オレだよ。今、展望車両のデッキにいる」と通話が始まった途端に聞こえた第一声に、ディーンは小さく安堵の息を吐いた。

「そこから、ヘリが見えるか?」

問いかければ、美しい夕焼けの空を探し、ようやく見つけたらしい。

「見えました」と、短い返事が返って来た。

「今からヘリを接近させて、梯子を降ろす。少し危険だが、それを使ってすぐに助け出してやる」

だが、返ってきたアドバイザーの返答は信じられないものだった。

「謹んでお断りします、ディーン。助けはいらないし、オレはこの列車を降りません」

しかも続く報告には、一瞬でディーンの胆が冷える。


「運転士が犯人達に殺されてしまったみたいで、今は列車を止めることが出来ない状況です。だから、オレがこの列車を止めなければなりません」

その頑な声に、まずはディーンが瞬間沸騰した。

「馬鹿を言うな! なら尚更、首に縄を付けてでもヘリに連れ戻す!」

今まで聞いたことのない荒々しい声に、本来ならば「ヒッ」と声を上げて竦みあがるのだろうが、現在置かれている自身の状況に、アドバイザーは決意を固めた。

同様に、珍しく語気を荒げた高めのテノールが、電話口から響く。

「馬鹿は貴方です、ディーン! 列車を強奪された挙句、暴走させてしまう事が、会社にとってどんなに致命的な事か分かりますか! レセテント・リージェントの信用が失墜してしまいます」


だが、「そんなものより……」と言いかけて、バイオレットの瞳が、澄んだエメラルドグリーンの瞳を睨みつける。

「今、俺が最優先するのは、お前の命だ。――蓮」



デッキ上部の真上まで近づいたヘリのハッチが開かれ、そこに居たのはディーンだ。

スマホを片手に身を乗り出し、真剣な紫の瞳で睨みつけてくる。

だが、彼の申し出を受ける事は出来ない。

「今なら、まだ止められます。ジャミングを無効化してパソコンを使えば、列車は止められるんです!」

「駄目だ、絶対に許さん! この先の駅には、動けなくなった貨物列車が停車している。それに、その列車の貨物車には盗まれた爆弾が積んである。衝突すれば、どうなるか分かるだろう!」


――怒鳴り合って主張しあっていても、何も解決しない。今の場面はディールと同じだ。今は、ディーンを説得することに専念するべきだ。

その眼力だけで射殺すような鋭い青紫の瞳の迫力に、反射的に蓮の背筋にゾクッと悪寒が走るが、ひとつ息を吐き出してやり過ごした蓮は、自身の滾る感情を抑えるように、敢えて声のトーンを一段落とした。



「なら、尚更、今すぐにでも列車を止めないとなりません」

そして、真摯な光を湛えたエメラルドの瞳を向ける。

「もしも、この列車が爆発事故を起こせば、それこそ大スキャンダルです。レセテント・リージェントの名と共に、鉄道事業の信用は地に堕ち、それはグループ全体に及びます。観光を生業とする仕事なら尚更、世間的な信用を取り戻すことは長い時間を要します。事と次第によっては、会社存亡の危機となるかもしれません。それに、爆弾を積んでいる事自体、世間から何を疑われるか分かりませんし、もしかすると貴方自身の身にも、疑念の目が向けられるかもしれない」

顔つきも、いつものディールの時のものになっている。

「オレはもう、レセテント・リージェントの人間です。――貴方の表のビジネス。その会社を護るのは、社員たるオレの役目です。そうでしょう、オーナー?」

エメラルドの光彩が色味を深め、口の端が不敵に上がる。

「でもオレは、貴方に損はさせないし、絶対に貴方の許に帰ります。それに今まで、オレは貴方との約束を破ったことはないでしょう?」



ヘリの巻き起こす暴風が、青みがかかった黒髪の前髪を躍らせ、露わになって向けられるエメラルド色の真摯な眼差しと、ヘリのエンジンが喚き散らす轟音を避けて、スマホからダイレクトに耳に届く高めのテノールボイスの言葉に、ディーンはひとつ深くため息をついた。

こういう時の蓮は、絶対に主張を曲げないことを知っている。

ふと、ディーンは初めて蓮し出会った京都で、ディールから身を引くように買収ようと説得した時のことを思い出した。


――オレは、貴方の買収に応じるつもりはありません。ミスター コールド。


「いいだろう。お前の好きにしろ。――ただし、会社の危機を救ったからと言って、俺の下を去る事は許さんぞ」

その小さな懸念には、アドバイザーは意外そうな表情を向けた後、にっこりと笑みを返してきた。

「それは、こちらからお断りしますよ。オレはもっと貴方を知りた――」

その時、展望車両背から銃声が鳴り響き、デッキの金属製の柵に当たって、キンという甲高い音とともに火花が散ったことで、後に続くはずの言葉が途絶えた。



・・・・

それぞれが報告と命令を終えた三人は、ヘリに乗る金色の魔王を睨みつけながら、必死の交渉を続ける男へと羨望の眼差しを向けた。

黒髪がヘリの放つ旋風に巻き上げられ、その端正な横顔には、臆することのない崇高な意志が感じられる。

「なんか。……すげえな、あいつ。魔王が自分で救出に来たのもすげえけど、その魔王を怒鳴りつけているぜ」

「信じられませんよ。あの恫喝に一歩も怯まないなんて……」

「あの彼が言い負かされることもあるんだ。――確かに、レアすぎる状況だよね」

リーンハルトの感想に、二人がポロリと本音を漏らした瞬間、展望車両の仲から耳に届いた銃の安全装置を外した音に、蓮が反応するよりも早く、カエサルが蓮の手首を握って引き寄せた。

また、デッキの反対側にいたアサドは、犯人から蓮を庇うように圧し掛かり、小柄な身体を床へと押し倒す。



デッキへと銃を連射しながら踊り出てきた不用意な男は、ヘリからの一発の銃弾が眉間に突き刺さり、突進の勢いそのままにデッキから線路へと転げ落ちた。

おそらくは、ヘリの接近する音で様子を見に来たようだ。

今は直接排除出来たが、この後もおそらく犯人達が集まってくる。


――つまりは、一掃するチャンスの到来を意味する。

チラリと列車周辺へと視線を走らせ、ディーンは期待通りの状況に、微かな笑みを作るように口角を上げた。

その青みがかったバイオレットの瞳には、冷酷な光が灯っている。

「スチュワート! ミラーに、今すぐ展望室に居る奴らを一人残らず排除させろ。その屍が判別出来ないになるくらい、奴らに銃弾をぶち込んでやれ」


そして、真下のデッキに這いつくばる男たちを怒鳴りつける。

「今から俺がいいと言うまで、そのまま伏せていろ。頭を上げたら、銃撃に巻き込まれるぞ!」

警告を言い渡した絶妙のタイミングで、複数の銃声が一斉に展望室に降り注ぐ。

50メートルほど離れて平行するように線路に沿って続く一本道には、一台のウイング車がピッタリと張り付き、不自然に片側のウイングが上空に開け放たれていた。

そこから、ミラーをはじめとした黒服達が、伏せた体勢で次々とショットガンを連射している。

ガラス部分が特に多い展望車両。

横からの銃撃を想定していなかった犯人たちは、車両の中ほどで格好の的となって次々と銃弾の餌食になって倒れる。


その地獄絵図の光景を恍惚とした表情を浮かべて観賞していたディーンは、デッキへと視線を向けた直後に我に返った。


――直接的に危害を加える相手を排除したところで、蓮はまだ、死に向かって爆走する列車に囚われたままだ。

そして、慎重に二人の男たちの下敷きとなって護られている青年の様子を探る。


――今のところ、例の症状は出ていないか。

咄嗟のことで、ディーンが犯人の眉間を撃ち抜いた場面は、蓮を庇った二人の男達の影になって見なかったらしい。

何があの症状を発症するキーとなるか判明しない以上、慎重に事を運ぶ必要がある。


その時、ヘリの操縦桿を握るスチュワートから、声がかかった。

「ボス、トンネルです。地図情報からは500メートル程度ですが、そこを抜ければ、例の駅までは田園地帯が続きます」

「駅までのタイムリミットは?」

「――短く見積もって25分。長くて30分でしょう」

それは、ジャミングを排除し、列車を止めるミッションには厳しい時間設定である。

だが、蓮はやり遂げねばならない。

生きるために。


――Time is money.


蓮の声が、聞こえた気がした。

「――ミラーに直ちに銃撃を止めさせろ。あいつらに車内を確認させて、蓮が作戦をスタートさせる」


そして、デッキへと声を張り上げた。

「カエサル! お前の悪趣味なそのストールで蓮の目を覆え。展望車内の光景は絶対に見せるな。それと、そこのアラブ系の奴! いい加減、蓮の上からどけ。撃ち殺すぞ!」

矢継ぎ早の指示は、畳みかけるように続く。

紫の瞳は、デッキの隅で頭を抱えて縮こまっている若い男に向けられた。アッシュブロンドの若者は、確かに以前会った時よりも成長している。

「小僧は先行して、他に犯人が残っていないか確認しろ。誰かいれば即刻撃ち殺せ。いなければ、設置場所を知るその男を連れて、さっさとジャミングを無力化してこい!」


そして最後に、蓮へとまっすぐに視線を向ける。

その声のトーンが、冷静なものへとガラリと変わった。

「制限時間は20分だ。それまでに列車を止めないと、列車は駅に停車している貨物車に激突して爆発する。俺が間に合わないと判断したら、俺はお前を連れ戻しに列車に飛び移る! ――それを忘れるな」

そしてディーンは、ヘリのエンジン音や列車の走行音にかき消されるのを承知して、願うように呟いた。

「――俺との約束を果たせよ、蓮」


バイオレットとエメラルドグリーンの視線が重なる。

カエサルが、その決意の光が輝く緑の宝玉をストールで覆う直前。

その口元が微かに動き、掠れた高めのテノールボイスの決意が、スマホ越しにディーンの耳に届いた。


――絶対に帰ります。貴方の許へ。


「ボス、トンネルです! 回避します」

ヘリはプロペラ音を高々と張り上げ、張り出した山を迂回するために急旋回し、列車は暗黒のトンネルへと呑まれていく。

その間、指示に従って列車内を移動し始めた男達のスマホは、一斉に圏外の文字を小さく表示した。

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