2-3
目覚めた時にはすでに、フランスの首都・パリにあるフランス国鉄の主要ターミナル駅の一つ、東駅に列車は到着していた。
車掌により食堂車に案内され、テーブルに簡単な朝食が運ばれる。
それを食べたところで乗客たちは順次、パリの街に繰り出していく。
次の目的地、ドイツのフランクフルトへの出発時間は、夕方5時となっている。
またその間、それまで機関車と貨物車に、客車が4両、食堂車とラウンジ、展望車の9両編成から、新たに貨物車と客車が3両、食堂車と調理車も2両追加されて、堂々の15両編成になるという。
二人がまず最初に向かったのは、パリ11区にあるカフェ。
4年前、銃撃や爆破による同時多発テロの惨劇があったうちのひとつだ。
そして、蓮を日本の養護施設から、イギリスへと導いてくれた老夫婦が殺害された場所である。
赤を基調としたカフェの外観には、見覚えがある。
連日、新聞やらテレビのニュースで、度々惨劇の様子が報道されていたからだ。
当時は鎮魂の祈りのために、店の前は花やロウソク、そして犠牲者の写真などで埋め尽くされていたが、今ではすっかり片付けられて営業が再開されている。
テロに屈しない姿勢を貫くが故の、パリジャンの心意気が成せる業だ。
入口ドアの横で静かに黙祷し、蓮は潤んだ緑の瞳を傍らのディーンへと向けた。
「ありがとうございました。仕事で何度もパリには来ましたが、やっとこの場所で冥福を祈ることが出来ました。事件の後も一人で来る勇気がなくて、なかなかここを訪れる事が出来なかったので……」
「来れてよかったです」と、儚げな笑みを向ければ、ディーンは励ますようにそっと肩に手を置いた。
「中には入らないのか?」
その短い問いに、蓮は緩く首を横に振る。
「今は涙腺が緩んでいるんで止めておきます。お客がいきなり泣き出したら、お店の人を困らせてしまいますし」
グスっと鼻をすするグリーンの瞳は、今にも零れそうな涙で濡れている。
「またいつか来る機会があったら、今度は一緒に中に入ってくれますか?」
「ああ。その時は、二人が飲めなかったカフェオレを頼めばいい」
その言葉に、とうとう涙をポロポロとこぼし始めた青年の泣き顔を隠す様に、ディーンは包み込むように抱きしめ、その青みがかかった美しい黒髪にキスをひとつ落とす。
通りには多くの観光客や地元の者達もいたが、誰も二人を揶揄したり、咎める者はいない。
惨劇を悼むそれは、今でも度々見かける光景だからだ。
パリの街は、どれほど時が過ぎようとも、悪夢の夜を決して忘れる事は無いのだ。
その後は、パリは度々訪れるというディーンの案内で、ランチまでの間をパリ市街の観光に向かう。
といっても、エッフェル塔やノートルダム大聖堂、ルーブル美術館といったメジャースポットは避け、パリの3大蚤の市のひとつ、パリ14区にあるヴァンヴの散策に費やすことにした。
平日ということで土日よりは出店数が少ないが、それでもアンティークのボタンやレース、食器に絵画など、露店ながらその品揃えの豊富さに蓮は驚き、はしゃぐ子どものように目を輝かせた。
「オレ、欲しい物があるんです」と、キョロキョロと目当てのものを探しながら足早に歩く蓮の後を、ディーンが付いていく。
しばらく歩くと、ある店の前で緑の瞳が輝き、「ボンジュール」「これ触ってもいいですか?」などと、店員との交渉が始まった。
程なくして、紙袋を抱えて満面の笑みを浮かべ、ディーンの元へと駆け戻ってくる。
そしておもむろに、ずいっと紙袋を眼前に差し出した。
「はい、おみやげです」
意外な言葉に、ディーンが受け取った紙袋を覗けば、小ぶりな木箱が入っている。
途端に「何だ?」と眉をひそめたオーナーに、アドバイザーはにっこり笑ってみせた。
「列車に戻ったら、開けてみて下さい」
「お前からのプレゼントは、さすがに警戒するな。まさか、後で高くつくことはないだろうな?」
その憎まれ口に、蓮は涼しい顔で答える。
「今回は駆け引きなしです。それに、貴方だけでなく、オレも幸せになれる一品ですよ」と胸を張った。
そのまま近くのカフェでランチをとり、その後はタクシーを拾ったところで、「お前は、これからどうする?」とのオーナーからの問いに、蓮は肩をすくめてみせた。
「昨日も報告書が書けなかったので、列車に戻って仕事します。追加された車両の様子も見てみたいですし、オレは仕事でここに来ているんですよ。当然です」
散々観光を楽しんでいたにも関わらず、平然と言いのけた言葉にディーンは呆れたものの、「5時までには戻る。それまで、いい子にしていろよ」と、黒髪をくしゃりとかき回し、東駅の前で蓮を降ろして行ってしまった。
仕事相手とは、コンコルド広場近くのホテルで会うとの事で、ルート的には遠回りとなるが、ディーンは最後まで先に蓮を降ろすことを譲らず、結局送り届けられた、という感じである。
走り去るタクシーのテールランプを見送り、蓮は東駅の構内を進む。
ホームに停車しているレテセント・リージェント・グループの寝台列車ブリッツェン・エクスプレスは、深い紫をベースとした金と黒で装飾された高級感ある車体をホームに横たえていた。機関車の後ろの貨物車が1両増えていることから、おそらくこれから客室部分の連結作業が始まるのだろう。
蓮は自身の客室がある車内へと向かい、部屋番号を確認してカードキーを刺した。
ブラックのチェスターコートをクローゼットにしまい、ひとつため息をつく。
今日は老夫婦が亡くなったカフェに哀悼の意を捧げに行くこともあり、青紫の深い色合いのセーターにブラックのスキニージーンズと、落ち着いた色合いの井出達で出かけた。
湿っぽくならないように頑張ったものの、結局泣いてしまい、ディーンに迷惑をかけてしまった。
だが、彼が一緒に居てくれることに勇気をもらい、二人が命を落とした場所で冥福を祈る事が出来た。
蓮は、ひとつため息をつくと、頭の中を切り替える。
ディーンに言った通り、パリには仕事で来ているのだ。
「ちゃんと、仕事をしないとな」
ぽつりと呟いて、パソコンに向かう。
ディーンにはああ言ったものの、パリを発つ前に、それまでのデューディリジェンスで浮かび上がった問題点を整理したいと思っていた。
バスク地方は素晴らしい観光地であり、夜に発車して朝から二つの街を観光が出来ることは一見良しと思えるが、マドリードからバスクの都市まで、3、4時間程度で辿りつける距離を、寝台列車で費やす意義について疑問を感じていた。
また、「煌めく極上の思い出」というコンセプトの割に、列車内での娯楽が少なすぎる。
シェフのいない食堂車。
ラウンジの自動演奏のピアノ。
味気ない朝食。
唯一、合格ラインギリギリのバーは、酒の品揃えはいいが、肝心のバーテンダーの腕が悪すぎた。
頼んだカクテルは、どれも期待外れのものばかりで、「今度こそ」と一縷の望みをかけたがゆえに飲みすぎてしまった。もっとも、ディーンはシェリーやワインといった、ストレートで飲む酒を頼んでいたので気付いてはいないだろうが。
それに何より、スタッフの数が少なすぎる。
経費削減を狙っているのだろうが、2両に一人の車掌というのは頂けない。
ハイクラスの寝台列車は、どの会社のものでも1両に一人がスタンダードだ。
「これは、夢の屋の近江さんに、おもてなしの精神を一から教えてもらう必要があるかな……」
ため息をついて、ポツリと零す。
「――オウミさんって誰の事?」
唐突にかけられた飄々とした問いかけに、蓮の体がぎくりと硬直した。
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