2-2

ディーンが予想した通り、サン・セバスチャンの街から戻ってすぐにシャワーを浴びた蓮は、ディーンがバスルームから出た時には、すやすやと部屋の窓側に備えられた二段ベッドの上段で眠っていた。


昼間は上段のベッドは壁に収納されていて、下段はソファーを変形させて窓際でベッドになる仕様になっている。

ディーンでは上半身を起こせば確実に頭が付いてしまうくらいに、上段は天井との間が狭い。

寝台列車の旅の初日、ベッドメイキング後の部屋に戻ったディーンは、一目見るなり下段のベッドを使う事を申し出た。

タオルで豪快に髪を拭きながら、ディーンはミニバーからナイトキャップ用のウイスキーのミニボトルを出すと、ため息混じりにベッドに腰を下ろした。

「――デラックスツインが聞いて呆れる」


・・・・

昨夜、木製のドアを開けて、初めての自社の寝台列車のツインルームに入った途端、ディーンは我が目を疑った。

それは、衝撃の光景だった。


「おい、この部屋は本当に二人用なのか? スチュワートは、確かデラックスツインとか言っていたが……」

それきり言葉を失くしたオーナーに、蓮は苦笑いを向ける。

「前に京都のビジネスホテルを笑って、申し訳ないくらいですね。でも、一面に大きな窓があって見晴らしはいいし、解放感はありますよ。それに、ソファーとテーブルもあるし。室内の雰囲気も木目調のレトロな趣もあるし、高級感はありますね。確かに狭いですけど」

呆然と立ち尽くす男の背中を押し、室内に入るとさっそくリサーチを始めた蓮に、ディーンが眉をひそめた。

「寝台列車とは、皆、こんなものなのか?」

「ウチのは少し古いタイプですが、今どきはキングサイズのベッドがある広々としたスタイリッシュなスィートがあったり、ジャパンではバスタブ付きの風呂が付いた仕様の列車もあるそうですよ」

蓮が客席とテーブルの正面にある照りのある木製のドアを開ければ、そこにはトイレと洗面台が見える。

「逆に、もっと狭くて、通路からカーテンで仕切られた簡易的な感じのものもあります。ただ、それらはあくまで長距離路線の深夜の移動手段として使われているので、ウチのコンセプトからは外れていますけど」


ふと、ディーンの視界に、トイレの横にある透明なアクリル板の引き戸が目に留まった。

ちょうどそのアクリル板の扉に手を伸ばしていた蓮が、それをそっと開けてみる。

「シャワールームですね。扇形になっていてかなり狭いけど、スペースを取らない設計みたいです。ちなみに、洗面台に置いてあるアメニティグッズ一式の中身は、歯ブラシに櫛、石鹸とウエットティッシュ、靴磨きですか。一応ブランドものを使っていますが、これが普通といったところなんでしょうかね」

ブツブツと独り言をつぶやきながら仕事を続けていた蓮が、思い出したように振り返る。

「先にシャワーを浴びますか? バスローブもありますよ?」


だが、そんなご機嫌な問いを無視したディーンは、眉間に皺を寄せてスマホを耳に当てる。

程なく、忠実なる秘書の声が答えた。

「お前、今はどこに居る?」

その少し苛立った主の声に、眼鏡の秘書はいつものように丁寧に答える。

「ボスが明朝到着なされる、サン・セバスチャンのホテルです。ミラーと配下の者達とも、先ほど合流致しました。ジャクソン達のグループは、列車が出発してから、その後を車で追うことになっております。ところで、何か不都合でもございましたか?」

その堅苦しい問いに、ディーンの眉がピクリと動く。

「不都合だと? お前、よくもそんな言葉が言えたな!」

そして、珍しくバリトンボイスの語気を荒げた。

「今すぐスィートを用意しろ。お前、俺達を、このウサギ小屋で一晩過ごさせる気か?」

その無理難題に、冷静な秘書の小さなため息が零れた。

「今回はお忍びということで、敢えてデラックスツインをお取り致しました。スィートでは車掌たちの目に留まりやすいですし、待遇も変わると思いましたので。加えて言わせて頂ければ、スウィートとデラックスの違いはひとつしか御座いません。ベッドがダブルということです。その分、部屋は若干広くなりますが、おそらく特別広くなったと感じることは無いかと思われますが?」


その淡々とした説明に、グッと言葉に詰まったオーナーへ、同行しているアドバイザーも慌てて詰め寄る。

「スウィートなんて絶対にダメですよ! 今回はお忍びじゃないと意味がないって、約束したでしょう? 狭いって理由だけで、我儘言わないで下さい」


二人から責められる形となり、「もういい」と半分自棄になって電話を切れば、ホッとしたような緑の瞳と視線が合う。

「これは設備面で、抜本的な見直しが必要なようだ」

悔し紛れに零せば、黒髪の青年が肩をすくめて見せた。

「寝台列車に、貴方の寝室のようなスペースを求めないで下さい」

そして、好奇心で輝く緑の瞳を向けた。

「それより、気分転換に車両の探検に行きましょう。バーにはお酒もありますし、初の寝台列車の旅を記念して、オレが一杯奢りますから。その間に、車掌さんにベッドメイキングをお願いしておきます」

どことなく浮かれた様子の蓮をジロリと睨むものの、気付けば列車はすでに発車している。

長い夜になりそうな予感に、ディーンは深いため息を吐いた。



アドバイザーは、「バーテンダーが乗っているらしいですよ」と、笑顔でデューディリジェンスを再開している。

その小柄な背に続き、人ひとりが通れる狭い客車の通路を抜けて、意気揚々と後方の食堂車の扉を開けた。

シェフはパリから乗り込むとのことで、重厚な木製の内装とノスタルジックな照明、落ち着いたロイヤルブルーを基調としたクロスをかけたテーブル席が並ぶ豪華な食堂車には人影もまばらだ。

そこを通り過ぎ、今度は深いグリーンのソファーが並ぶ落ち着いた雰囲気のラウンジに入れば、食堂車とは違い、国際色豊かな客達がそれぞれ陣取って歓談していた。年配の者がほとんどだ。


エメラルドとアメジスト。

2色の美しい瞳を持った若い男達の登場に、一斉にその皺に囲まれた視線が向けられるが、蓮は気にすることなくその奥へと進む。

こういった好奇の目には、慣れているのだろう。


ラウンジとバーは木目調のアップライトピアノで仕切られていて、自動演奏で品のいいクラッシックが控え目な音量で流れている。

その奥にカウンターバーがあり、それに背を向けるように窓際に向かって設置されているスタンディングタイプのテーブルへと向かう。

さっそく蓮は、カウンターの中に居る若いバーテンダーに、オーナーの為にシェリーを、そして自分の為にサングリアのカクテルを注文する。

どちらも、スペインの酒では世界的に有名なものだ。

真っ暗な車窓に向かって並び、グラスを合わせての乾杯後は、ネット仲間から仕入れてきた他社情報や、向かっているサン・セバスチャンの観光情報をにこやかに話す蓮の笑顔を酒のつまみに杯を重ねる。

幸いな事に酒の種類は豊富で、質の良いものを取り揃えてある。

ドライタイプの凍るほどに冷えたシェリーは悪くない。

普段は舐めるように酒を飲む蓮も、地元産のビールやワインをベースにしたカクテルを次々とご機嫌な調子で頼んでいる。

接客も丁寧且つスピーディーで申し分ないと、アルコールが入って頬を染めたアドバイザーが感心しているが、普段よりペースが速い様子に1時間ほどで切り上げる。

列車の振動とほろ酔い気分の千鳥足のため、不安定なその体を支えて部屋に戻り、その後は交代でシャワーを浴びて床に入った。


「落ちてくるなよ」と声をかければ、上から「落ちたら、受け止めてくらさい」などと舌ったらずな答えが返ってきて、ようやくディーンの口元にも笑みが浮かぶ。

閉塞感があり、寝心地も快適とは決して言えないが、2人だけで異国の地を旅するのはイタリアのタオルミーナ以来だ。

パリでは、午後の半日間は仕事の為に別行動となるが、夕方には合流して二人のデューディリジェンスの旅は続く。

真上からは、すでに夢の国に旅立った男の、安らかな寝息が聞こえ始めた。

ビジネスで世界各国を旅することの多い中、普段の殺伐とした旅とは違う感覚に、「たまには、こういうのも悪くないか」と呟き、ディーンは静かに瞼を閉じた。


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