困惑

夫のパソコンのデスクトップには見たこともないバンドの写真がでかでかと表示されていた。


舞台の上に組んである枠には紅白の提灯が等間隔に並んでいる。きっと小さなイベントなのだろう。そう、「地域の夏祭り」のような。ベニヤ板丸出しの急ごしらえのステージに立つボーカルとギターとキーボード。画面の端にはドラムセットとベースのヘッド部分が写っているが、写真に写っている人物は3人。かなり若い。ひょっとしたら中学生か高校生ではないだろうか。スタンドマイクを両手で掴み、吠えるように叫んでいる男の子。……いや、違う。短髪で鋭い目付きなので一瞬男の子だと認識したが、白いTシャツに薄っすらと下着が透けている。スポーツタイプのブラ。

あとの二人はどう見ても男の子だ。綺麗な顔立ちをしているがタンクトップから出る腕が男のそれであるキーボードと、丸刈りで日焼けした上半身を惜しげもなく晒しているギター。夫はなぜこの写真をデスクトップに表示させているのか。考えるまでもない。このバンドが、いや、おそらくこのボーカルの彼女が『レイ』なのだ。


ゾッとした。まだ幼さの残る子どもに、夫は心を奪われているのだろうか。パソコンにはまだ他の写真が入っているかもしれないが、探す勇気はなかった。あるはずがないと思いつつ、もし夫と『レイ』の裸の写真が出てきたとしたら。正気を保てるかどうかわからない。


パソコンをそっと閉じると棚から持ち出したままの新刊を元の場所に戻す。私が入ってきた時と同じ状態になった部屋からそっと抜け出した。変わってしまったのは私の気持ちだけだ。


これからどうすべきか。これが不倫ならば、直接『レイ』に話をしに行くか。だが未成年なら夫の方が罪に問われるのではないか。不倫でないとしたら夫を問い詰めて、『レイ』のことは忘れろと言うべきか。だがそれで聞くような人間ではないだろう。逆に勝手に部屋に入りパソコンを見たことをなじられるに違いない。

そもそも私はどうしたいのか。

夫の気持ちを『レイ』から引き剥がし再構築するのか、見限って離婚するのか。夫に対し愛情がないと言えば嘘になる。ただ年々愛よりも情が勝ってきているのも事実だ。

答えの出ない問いに心がパンクしそうだ。


一旦気持ちを落ち着けるために外に出ることにした。たまに昼食を食べに帰ってくる夫だが、今日は夜まで帰らないと言っていた。ならばショッピングモールにでも行って、ランチを食べて買い物をして帰ってくる時間の余裕はある。

ショッピングモールに行く道すがら、制服を着た中学生たちとすれ違った。一人や二人ではないので、おそらくテストか何かの行事があり午前中で学校が終わったのだろう。


ショッピングモールは平日の昼間なのにやや混雑していた。先程見かけた制服があちらこちらに点在している。フードコートで食事を終えると、一人の学生に目が吸い寄せられた。


『レイ』がいる。


セーラー服を着ているせいか、写真で見た時のようなボーイッシュな雰囲気は薄れている。ショートカットに切れ長の目。間違いなく彼女だ。写真で見たキーボードの男の子と同じテーブルで雑誌を読んでいる。夫の担当している音楽雑誌だ。時折隣の男子に見せる笑顔は、中学生の女の子そのもので幼さを残している。

不倫はしていない。彼女を実際に見るとそれは確信に変わった。汚いものをまだ知らない、少女特有の潔癖さが見てとれた。


買い物を続けようとそっと席を立った時、信じられないものを見た。

『レイ』達が座るテーブルの二つ隣に夫がいる。それだけではなく、さりげなくスマホのカメラ部分をじっと彼女らに向けている。盗撮?おぞましさに鳥肌が立った。

今すぐ夫の元へ行って盗撮を告発しようと思ったが、ここは地元のショッピングモール。知り合いもいるはずだと思い直し、急いで席に座り直した。所詮私も世間体を気にする汚い大人なのだ。夫は相変わらずスマホを構えている。もしかしたら動画を撮っているのかもしれない。目線の高さからスマホを動かす様子がない。盗撮は止めさせたいが直接声を掛けるのは避けたい。そこで私は夫にメッセージを送ることにした。

「帰ったら話がある。あなたが何をしているのかは知ってる」

メッセージの通知を見たのだろう。夫が慌ててスマホを操作している。私はそれを見届けると夫に背を向けてフードコートを後にした。

脳裏に焼き付いているのは、生身の『レイ』が見せた屈託のない笑顔と、それを眺める夫の締まりのないニヤついた顔。私はフードコート横のトイレで嘔吐した。

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