疑念

『レイ』

人の名前だろうか。店名かもしれないしバンド名かもしれない。そもそもなんの意味もない書き付けの可能性だって高い。

ただメモ帳ではなく本の間から見つかったことで、『レイ』が夫にとって何か大事なものである気がしてならなかった。


23時頃夫が帰宅した。これでも早い方だ。打ち合わせの際に少しお酒を飲んできたらしく、顔が赤らんでいた。軽く何か食べたいというので冷凍してあったご飯ですぐに出来る玉子雑炊を用意してやった。横に座る私には見向きもせずテレビを見ながら雑炊をかっ込む夫。合間にスマホを取り出しては少し眺め、満足したように視線をテレビに戻す。夫が私に興味を持たないのをいいことに、バレない程度に夫を観察した。

お互い26歳で結婚し、今年で7年が過ぎた。夫が原因で子どもが望めないだろうとわかったのが5年前。少し落ち込みはしたが元々子どもを強く望むカップルではなかったので、二人の生活を楽しむことに切り替えた。

決して二枚目、というわけでもない顔立ち。結婚した当初はそれでも爽やかな青年だったが、不規則な生活が祟って(夜に飲み歩くせいだ)顔周りとお腹周りに見逃せない贅肉が付いている。服装だけは若いつもりだが、袖から覗く肌は血色が悪くシミもある。本人は気付いていないが頭髪も少しずつその面積を減らしつつある。

年をとった。

夫の横顔を改めてじっくり眺めると、当たり前のことながらハッとさせられた。食事を終えた夫は、ごちそうさまも言わず改めてスマホを見つめている。時折スクロールしているものの、基本的には操作せずただひたすら画面を凝視しているようだ。

無性に腹が立った。私は夫のために何を犠牲にしてきた?夫が年をとったということは同い年の私にも同じことが言える。せめて体型だけでも崩れないようにと努力はしているが、7年前とまるきり同じというわけにはいかない。そんな努力も、専業主婦になることで捨てたキャリアも、子どもを持てないという覚悟も。その全てを夫に捧げたというのに、夫は私に感謝もせずそれどころか目隠しをして抱いた挙句、今だって私の方を見ようともしない。


わざと音を立てて立ち上がると、寝室へ引っ込んだ。夫は驚いてこちらを見たが声は掛けてこなかった。


翌日6時過ぎに起きると、既に夫の姿はなかった。そういえば今日は日帰りの取材旅行に行くと以前言っていた。帰りも終電頃になるだろうと。

家事を済ませると、早速夫の部屋へ行き例の新刊を手に取った。前に見た時と同じようにメモが挟まっている。

『レイ』

前回見ていなかったメモの裏側を見ようとひっくり返す。どうやらどこかの地域イベントのチラシの切れ端のようで、「〜祭実行委員会」という文字と電話番号と思われる8桁の数字が書かれていた。祭の前の文字と市外局番はこの紙には書かれていない。


試しに自分のスマホで市外局番なしの電話番号を検索してみた。すると意外なことに隣町の青年団のページがヒットした。青年団の活動履歴のページを見ると、一ヶ月前に祭があり青年団が実行委員会として活動していたようだ。つまりこのメモはこの祭りのチラシだったのだ。


頭をフル回転で働かせる。

このチラシはおそらく祭りの前〜当日の間に配られたものだ。そしてそれは一ヶ月以上前。だとすると夫が『レイ』に出会ったのもその頃だろう。そういえば夫が目隠しをしたがるようになったのも一ヶ月ほど前のことだった。だが手掛かりはそこまで。『レイ』が何なのかはこれ以上突き止められない。


諦めかけたその時、ふと思いついた。

まさか。

可能性はある。

一度試してみようか。

私は恐る恐る再び夫のパソコンを立ち上げ、パスワードの欄に「rei」と打ち込んだ。


パソコンは数秒間内部でカチャカチャと音を立てると、しばらくして画面にメッセージが表示された。

『ようこそ』

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