最愛

なっち

気配

夫の様子がなんだかおかしい。


スマホを肌身離さず持ち歩き、暇さえあれば眺めている。それだけならば「ゲームにでもハマったかな」としか思わないだろう。課金し過ぎないようそれとなく注意するだけだ。

ゲームではなかったのだ、と思ったのは夫婦の時間、つまりセックスの内容が変化してからだ。もともと恋愛結婚の私達は当たり前のように幾度も婚前交渉を経てきた。色々ありここ数年はほとんど行為すらなかったのが、ここ一ヶ月程で回数が急に増えたのだ。ただし回数"だけ"。


夫は私に目隠しをするようになった。

『こういう趣向もたまにはいいだろ』

その言葉にもなんら疑いを持たなかった。私自身夫との行為にマンネリを感じていたし、確かに視覚を閉ざされての行為は新鮮だった。夫に言われるまま数回目隠しの行為が続いたある時、最中に横たわった私の頭に硬い物体が当たるのに気付いた。

『スマホだ』

夫に揺られながら悲しみと憤りで涙が出た。夫は私とセックスしたいわけではない。私を誰かの身代わりにしているのだ。恐らくスマホに表示されているはずの誰かの。


翌日からコッソリ夫の行動日記を付けることにした。テレビのワイドショーか何かで「浮気を疑う時はまず記録を付けろ」というトピックを見たからだ。子どものいない私には、時間だけはたっぷりある。

夫は雑誌の編集者で、勤務時間が不規則だ。それもあって「いつ僕が帰っても家にいてご飯を作って出迎えてほしい」という夫の希望を叶えるため、結婚とともに専業主婦になった。そのことに不満はない。


9時過ぎ、夫が起床。昨日(もう今朝、と言った方がいいのか)は4時過ぎに帰宅した(物音で目覚めてしまった)ようなので、決して寝過ぎというわけではない。シャワーを浴び、遅い朝食を済ませると10時頃夫は家を出た。今日は打ち合わせが何件かあるらしい。夫の後を尾けてみようか、そんな考えもよぎったが所詮素人が探偵のマネをしたところですぐバレてしまうだろう。家の中で『何か』の痕跡を調べることにした。

夫がベッドに入る前に脱ぎ散らかした服を集める。丹念にポケットを調べると数枚のレシートが出てきた。コンビニが何枚かと定食屋、そして書店だ。購入したものも特に変わったものではない。とりあえず茶封筒にでもしまっておこう。以前勝手に捨てて怒られたことがある。経費で落とすためにとっておいたのに、と言って。

夫の部屋に入ってみる。言い訳のために申し訳程度に掃除機をかけた。机の周りに散らばっている紙くずを一つずつ拾って中を確認する。取材メモの書き損じばかりだ。ゴミ箱に入れておくが、ゴミ箱の中のものを処分したりはしない。ここも私には不可侵の領域なのだ。

机の上は意外と片付いている。少しの筆記用具と数冊のメモ帳。そして我が物顔で机に横たわっているノートパソコン。引き出しのないタイプの机なので、見るべきものはこれだけだ。メモ帳をパラパラとめくる。今担当している雑誌は音楽情報誌なので、様々なアーティストの名前と曲名らしき単語が並んでいる。私が知っているような有名な歌手から、名前も聞いたことがないようなバンド名(おそらく)まで。メモ帳を元通りの位置に自分でも神経質に思えるほどキッチリ並べ終えると、いよいよパソコンを開いてみることにした。

私が使っているパソコンはリビングにいつも置いてある。ここにあるパソコンは夫専用で夫の部屋から出したことがほぼない。つまり私に見られたくないようなものが入っていてもおかしくはない。慎重に電源を入れると、パスワードの入力画面が現れた。

果たして夫は一体何をパスワードにしているのか。ダメ元で結婚記念日を入れてみる。

エラー。

二人の名前を入れてみる。

エラー。

次失敗すると私がパソコンを開けようとしたことがバレてしまう。以前、三回ミスを重ねると写真が撮影されるようになっている、と言っていたのだ。

これ以上リスクを冒すことはできない。少なくとももっとパスワードに見当が付けられるようになってから再チャレンジしてみよう。


パソコンの探索はとりあえず一旦諦め、最後にざっと壁面の本棚を眺める。出版社勤務なだけあって蔵書量はかなりのものだ。ただ何の皮肉か、出版社に勤め始めると同時に読書に割ける時間が一気に減り、本の購入頻度もすっかり減ってしまったと夫から聞いたことがある。並んでいる本の背の部分をゆっくり人差し指でなぞっていく。大学時代に文芸サークルで知り合ったこともあり、私も好きな純文学を中心とした小説が多い。中には私が読んでみたかった本もあり、数冊借りることにした。見付かったら「掃除の時に見付けた」と言えば不自然ではないだろう。あながち嘘というわけでもないし。

夫が好きな作家の新刊を見付けた。新刊発売がニュースでも取り上げられるほど有名な作家だ。先月出たばかりのその本は、ページの隅がまだピンと角張っており、手を触れた回数が少ないことを物語っていた。手にとってページをパラパラめくってみると、最後の方に名刺くらいのサイズのメモが挟まっていた。


そこには夫の荒々しい文字で『レイ』と書かれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る