灰色の恋
あさがお
第1話
昔々あるところに一人の天使がおりました。彼女は天使でありながら黒い体に、黒い翼を持っていました。
「どうしてあなたはくろいのですか?」
わからないのです、彼女はいつもそう答えます。他の天使たちの真っ白に澄んだ瞳が彼女を見つめます。彼女の瞳は灰色に濁っているのです。瞳は心をあらわしているのでした。
天使は真っ白な心を持っています。真っ白な心は全てが好きなのです。何も疑わないのです。誰も傷つけないのです。嘘をつかないのです。つけないのです。
彼女は違いました。
天使でありながら灰色の心を持っていました。何かを嫌いになれました。何かを疑うこともできました。誰かを傷つけられました。嘘をつくこともできました。
でもそれをしなかったのは彼女が天界に住まう天使だからでした。黒い体に黒い翼を持っていても、やはり彼女は天使だったのです。
昔々あるところに、一人の悪魔がおりました。彼は悪魔でありながら白い体に白い翼を持っていました。
「しろいんだからあくまじゃないんだろ?」
自分は悪魔だと彼は言いました。他の悪魔たちの真っ黒な瞳が彼を睨みます。彼の言葉を信じる悪魔は誰もいません。
彼の瞳は灰色に澄んでいるのです。悪魔は真っ黒な心を持っています。真っ黒心は全てのものが嫌いなのです。何も好きにならないのです。傷つけることしかできないのです。何かを信じることもないのです。信じられないのです。
彼は違いました。
悪魔でありながら灰色の心を持っていました。何かを好きになれました。傷つけないことができました。信じることができました。
でもそれをしなかったのは彼が悪魔であるからでした。白い体に白い翼を持っていても、やはり彼は悪魔だったのです。
天使と悪魔は昔から相容れない生き物でした。天界と魔界は人間界を挟んで遠いところにありましたが、時々仕事のために人間界を訪れます。仕事とは人間の魂を運ぶことでした。天使と悪魔は人間の心の色を見る力を持っています。人間は灰色の心を持っているのです。天使と悪魔は灰色の濃さで自分が運ぶべき魂を見分けるのです。天使は良い人間の、悪魔は悪い人間の魂を運ぶのでした。
ある日のことです。人間界へ仕事に来ていた黒い天使が白い生き物を見かけました。人のような形をしているのに心の色が見えなかったので、彼女はそれを天使だと思いました。
「こんにちは。」
彼女は声をかけました。その生き物は彼女を見て驚いた顔をしました。慌てて彼女は言葉を繋ぎます。
「このような体をしておりますが、私は天使なのです。」
そうですか。短く返された言葉に彼女は微笑みました。どうして体が黒いのか聞かれなかったのは初めてだったからです。
「よろしければ一緒に仕事をしませんか?」
嬉しくなった彼女はそう言いました。天使が彼女の顔を見つめます。彼女は少し驚きました。なぜならその天使の瞳は、灰色だったからです。
いいえと首を振りかけた白い悪魔は少し迷って、首をたてに振りました。あんなに黒い体で天使であるはずがないと思いました。彼女が自分をからかっているのだろうと考えたのです。二人は一緒に歩き出しました。彼女は終始楽しそうで、結局二人は仕事のことを忘れてただ話していただけでした。
「そろそろ帰りましょうか。」
結局あまり仕事はできませんでしたね、と彼女は微笑みました。そうですね、と彼は返します。一緒に帰りましょうと言うのを断って、彼は彼女に別れを告げました。話をするうちに彼は彼女が本当に天使なのではないかと思い始めたからです。天使の彼女が帰る天界に、悪魔の彼は帰ることができません。そうすると彼女に自分が悪魔であることが知られてしまいます。そうなることがなぜかどうしても嫌でした。彼女は寂しそうに別れを告げて帰って行きました。
天界に帰った彼女はとても幸せでした。仕事はあまりできませんでしたがあの天使と話した時間がとても楽しかったからです。それからしばらくの間、何をするにもあの灰色の瞳が思い出されて彼女は少し困りました。
でもあの天使のことを思い出すのは楽しかったので、彼女は次の仕事を心待ちにしていました。どういうわけか天界であの天使に会うことはなかったからです。
仕事の日がやって来ました。悪魔である彼もまた、仕事の日を心待ちにしていました。彼女と話をしたのがとても楽しかったからです。彼女と会うのは楽しみでしたが、少し怖くもありました。自分が悪魔であることが知られてしまうかもしれないと思ったからです。
「こんにちは。」
こんにちは、彼は返します。お久しぶりです、と彼女は微笑みました。よろしければ一緒に仕事をしませんか?彼は迷わず頷きました。
「天界では一度もお会いしませんでしたがお忙しいのですか?」
「そうなのです、お会いしたいとは思っていたのですが。」
しばらく話した後の唐突な質問に慌てた彼は、言うつもりでなかったことを口走ってしまいました。恐る恐る彼女の表情をうかがうと、彼女はとても嬉しそうに微笑んでいました。
「ありがとうございます。私も会いたいと思っていました。」
少し砕けた口調が彼女の嬉しさをよく表していました。彼はとても嬉しくなって、同時に怖くなりました。どれだけ体が白くてもやはり自分は悪魔で、そのことは嘘をついていたとしてもいつか必ず知られてしまうことだとわかっていたからです。
天使は白い心を、悪魔は黒い心を、人間は灰色の心を持っています。人間の心は白い心と黒い心が混ざりあってできているのです。人間は好きになることも嫌いになることも信じることも疑うことも嘘をつくこともつかないこともできるのです。そしてもう一つ、人間の灰色の心は天使の白い心でも悪魔の黒い心でもできないことができました。灰色の心はたった一人を特別に思うこと、つまり、恋ができたのです。
会う回数が増えていくととともに彼はどんどん怖くなっていきました。嬉しそうな彼女の笑顔を見るたびに、いつかそれが見られなくなることを、彼が悪魔であることが知られてしまうことを恐れました。それと同時に、彼女に嘘をついていることへの申し訳なさが彼の心をしめつけました。悪魔である彼が初めて嘘をつくことを嫌だと思った瞬間でした。今日こそは、彼は思います。今日こそは彼女に本当のことを言おう。魔界を出る直前、彼は自分自身にそう誓いました。
「こんにちは。」
いつものように彼女は声をかけます。こんにちは、そう返した彼の顔がいつもより曇っているように見えました。一緒に仕事をしませんか?まるで儀式のように毎回行っているやり取りです。しかし、今日はいつものような返事が返ってきませんでした。どうかしましたか?彼女はそう言いました。彼女を見る彼の灰色の瞳は不安げに揺れていました。 「あなたに言わなければいけないことがあるのです。」
私は、と彼はうわごとのように繰り返しました。大丈夫ですか?そう聞いた彼女を彼は見て、大きく深呼吸をして強く目を瞑りました。
「私は悪魔です。」
彼女は驚きました。彼が天使であると信じ切っていました。悪魔というのはもっと恐ろしいものだと聞いていたからです。彼はそんな風に恐ろしいものには見えませんでした。彼の表情から彼がこのことを打ち明けるのにどれだけ悩んだのかが見て取れました。彼女は動揺を悟られないように笑顔を作ってこう言いました。
「そのことならずっと前からわかっていましたよ。」
彼の瞳は驚きで開かれました。天使である彼女が初めて嘘をついた瞬間でした。戸惑いが隠し切れない彼に彼女は微笑みました。
「よろしければ一緒に仕事をしませんか?」
はい、彼は答えました。嬉しそうな笑顔が広がっていました。
それ以降二人はこっそり人間界に来ては隠れて会うようになりました。二人でいると嬉しくて、楽しくて、幸せだったからです。それだけではありません、嬉しくて楽しくて幸せ以上の思いが二人の間にはありました。二人にはそれがなんだかわかりませんでした。なぜならそれは白い心の天使の間で生きる彼女も、黒い心の悪魔の間で生きる彼も知らない、灰色の心を持つ人間しか持っていない、感情だったからです。それは恋でした。真っ黒な天使と真っ白な悪魔は恋に落ちてしまったのです。
天使と悪魔が恋をすること、それは起こるはずのない、起こってはならないことでした。二人はそれに気がついていませんでしたし、二人の周りの天使も悪魔もそのことを知りませんでした。二人は会っていることを隠していましたし、当の二人もこれが恋であることは知らなかったからです。でも一人だけ、神様だけはそれに気がついていました。
黒い天使と白い悪魔は神様が間違えて生み出してしまったものでした。生み出した時に消してしまわなかったのは、間違えたとは言え、二人が大切な存在であることに変わりはなかったからです。しかし恋をしてしまった天使と悪魔をそのままにしておくことはやはりできません。ですが消してしまうこともやはりできませんでした。そもそもこれは神様が間違えてしまったせいで起きたことで二人には何の罪もないのですから。
神様は悩みました。三日三晩悩んだ四日目の朝、とうとう神様は名案を思いつきました。それは二人を人間にすることでした。灰色の心を持つ二人を人間にすることは簡単なことです。神様はすぐにそれを実行しました。
こうして天界と魔界から真っ黒な天使と真っ白な悪魔が姿を消し、人間界で一人の少女と少年が恋におちました。
灰色の恋 あさがお @yu10ve
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