最終話 星の航海士 (ポリネシアン・トライアングル)


1.

 テイゲは、首筋をつたいおちる汗を感じながら、背筋をのばして砂浜に坐っていた。

 車座になった男たちの中心に、半分に割ったココヤシの実が置かれている。その周りに点々と配された石と貝殻は、この海域の島々だ。砂絵を横切る数条の線は潮流を、斜めにおかれた木の枝は風向きを表している。

 父と伯父と師匠から教わってきた航海術の知識を、たしかめる儀式だ。師匠と長老たちの問いに答えなければならない。テイゲの描いた砂上の航海図ウォーファヌーを観て、師匠は満足げにうなずいた。

「よし。では、星の位置を述べてみよ」

 テイゲはうなずくと、眼を閉じて己のうちなる星空を思いうかべた。

「……われわれは、シリウスの通り道の真下にいる」

 タヒチの真上、天の頂きをとおる星ゼニース・スターは、全天でもっとも明るい星シリウス(大犬座α星)だ。

 テイゲは腕を伸ばして砂絵の一点をさした。


「シリウスはここから出て、この方向に進み、ポルックス(双子座β星)と一緒に水平線にしずむ。カノープス(竜骨座α星)はここから昇り、シリウスに少し遅れて天の子午線を通る。……北斗七星のひしゃくは傾き、南には大小のマゼラン星雲がかかっている。アヴィオール(竜骨座ε星)が天の子午線にかかるとき、ズーベ(大熊座α星)は水平線にしずむ。……アリオト(大熊座ε星)は高く、コル・カロリ(猟犬座α星)の下にある」


 ココヤシの実の周りに星の軌道を示すテイゲの言葉を、長老たちは相槌をうつことなく、厳格な無表情を保って聴いていた。

 星の羅針盤スター・コンパスは、主要な三十二星ののぼる位置としずむ位置から方角を同定し、船の進行方向を定めるものだ。航海士をめざす者は、その全てを暗記していなければならない。

 テイゲに不安はなかった。間違うはずはない。何年も星たちを見詰めてきたのだから……。

 師匠は長老のひとりと顔を見合わせ、うなずいた。

方角の同定アマヌはよかろう。次は、プコフの古謡チャントを聞かせてもらおう。」



2.

 太平洋に散らばるサンゴ島のひとつで生まれたテイゲは、物心がつくとすぐ、父に船に乗せられた。泳ぎと漁をしこまれ、船に酔うと海に投げこまれた。そうやって選ばれた男子だけが、師匠について航海術を教わる資格を与えられる。

 少年たちは十数年にわたり知識と経験を積んだのち、「ポ」の儀式に臨む。師匠と長老たちとともに四日四晩カヌー小屋にこもり、試問を受けるのだ。これを通過できなければ、遠洋に臨むことはできない。

 

 南回帰線周辺のタヒチの海では、カノープス(竜骨座α星)ののぼる方角から貿易風がふいてくる(南東貿易風)。海流は、赤道付近では東から西へ流れ(赤道南流)、赤道をこえて北へいくと反転して西から東へ流れ(赤道反流)、さらに北のハワイイ諸島周辺ではまた東から西へ流れるようになる(北赤道海流)。北回帰線周辺では、シリウスののぼる方角から貿易風がふいてくる(北東貿易風)。

 この海域を航行する船は、ときには風と潮の流れに逆らい、ときには島影が全くみえない大海原を、目的地めざして進まなければならない。

 晴れた夜なら月と星が、昼は太陽と潮流と風向き、雲の形や海の色、魚の種類、鳥たちの飛ぶ方向などが目印プコフとなる。

 テイゲたちは、目印に関する膨大な情報を、古謡チャントに載せて記憶していた。


   プルワット、プルサック、タムタム、プラップ、ウルル……

    (大きなブダイが、プルワット環礁の穴のなかで暮らしていた。)

   アグア、オノ、オナリ、ピルセス……

    (ある日、穴に釣り棒が突っ込まれたので、ブダイは驚いてプルサック島へ逃げて行った。)


 プルサック島でも穴の中に釣り棒が突っ込まれたので、ブダイは次の島へ逃げて行った。――こうして島の名前がつながっていく。


   イースト・ファユ、ノムウィン、ファナム、トラック、オロルック、ポナペ……

   コスラエ、ンガティク、ルクノル、タ……

   サタワン、モール、クトゥ、ナモルック……


 結局、ブダイはカロリン諸島の全ての島をめぐり、プルワット環礁へ帰って来るのだ。

 『一羽のグンカンドリを囲む三羽のムナグロ』や『炎の中に住む精霊』、『巨大なモンガラカワハギ』、『スズキの餌占い』等……。さまざまな古謡が、多数の航路と航海術を示している。


 テイゲたちは「ポ」を通過すると、遠洋航海を成功させ、部族のリーダーになっていった。



3.

 西欧人が羅針盤と六分儀、GPS(全地球測位システム)などをもたらし、テイゲたちの航海術は廃れた。航海士たちの数は減り、後継者は現われず、技術と知識は消えてしまうだろうと思われた。


 あるとき、ひとりの若者が、テイゲの孫弟子にあたる男の許をたずねた。

「私たちは、古代の双胴ダブルカヌーを再建し、伝統的な航海術をつかってポリネシアの海をつなぐプロジェクトを進めています。貴方の航海術を、貴方が身に着けたのと同じ方法で、私に教えていただけませんか?」

 孫弟子は、自分と同じ祖先の血をひく若者をみつめ、少し笑って答えた。

「わたしが習ったのと同じ方法で教えるのは無理だ。違う方法で教えるから、紙と鉛筆を用意して書きとめなさい。少しずつ話そう。でも、一度しか言わないよ」

 本来、彼らの航海術は口伝による。それでは既に伝えられないと、孫弟子は知っていた。


 テイゲたちの航海術は生き残り、ポリネシアン・トライアングルへの人類拡散と、多文化共生の象徴となった。再現されたダブル・カヌーはハワイイ諸島の天頂星『幸福の星ホクレア』(牛飼い座α星アルクツルス)の名を冠し、星の航海術をもちいて航行した。


          **


 1975年、伝統航海士ルッパンを船長とするシングルアウトリガー・カヌー『チェチェメニ号』は、ミクロネシア・サタワル島を出発し、沖縄へ到着した。パンダナスを織った帆を張り、飲料水はヤシの実、保存食はパンの実をついて作ったパンモチだけで、約3000キロメートルの航海を成功させた。

 現在、チェチェメニ号は、大阪府吹田市の国立民族学博物館に展示されている。


 1976年、ルッパンの弟子ピウス・マウ・ピアイルックは、伝統航海術をもちいてダブル・カヌー『ホクレア号』をハワイイからタヒチへ導き、約5500キロメートルの航海を成功させた。

 1980年、マウとマウの弟子ナイノア・トンプソンは、ハワイイ―タヒチ間のホクレア号往復航海を成功させた。

 その後、ホクレア号は、タヒチ、アオテアロア(ニュージーランド)、クック諸島、マルケサス諸島、ラパ・ヌイ(イースター島)への航海を成功させ、2007年には日本へ到着した。日本では沖縄、熊本、長崎、福岡、山口、広島、愛媛、高知、神奈川に寄港し、各地で熱烈な歓迎をうけた。

 ホクレア号はさらに、2014年から2017年にかけて、世界一周を成し遂げている。



  『我々は航海する民だ。もしも航海をしなくなったなら、我々は、もはや我々自身ではいられなくなるのだ。』――マウ・ピアイルック






~『Shakin' The Tree』最終話・了~

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『Shakin' The Tree』最終話、解説


《ポリネシアン・トライアングル》

 北端をハワイイ諸島、南西をニュージーランド島(アオテアロア)、東端をイースター島(ラパ・ヌイ)に囲まれた、約二十五万平方キロメートルの三角海域を言います。アウストロネシア語族のマレー・ポリネシア語派、ポリネシア諸語が使われている文化圏です。ハワイイとニュージーランド間の距離は約8000km、タヒチからイースター島までは約4000km、ハワイイとタヒチの間は約5500kmあります。ヨーロッパ文化圏の約三倍です。

 ニュージーランドのマオリ、ハワイイ諸島、イースター島、サモア諸島、フランス領ポリネシア、クック諸島、トンガなどに、それぞれの先住民文化があり、互いによく似ています。

 紀元前1000年までに、東アジアから台湾を経由して移動してきたアジア系の人々が、サモア諸島に到着しました。この人々がラピタ人です。彼らは紀元三世紀~十二世紀にかけ、タヒチからハワイイ諸島、ニュージーランド、イースター島へ到達しました。

 ポリネシア文化圏は、この三角海域以外にも、ミクロネシアやメラネシアに飛び地のように残っていて、域外ポリネシアと呼ばれます。


 ■航海術習得儀礼「ポ」

 スター・コンパスを利用した航海術やカヌーの建造技術、占いや嵐おさめの儀式などは、秘儀的な知識として、特定の専門職集団や階層に占有されていました。

 ミクロネシア、サタワル島の社会では、男子は4~5才で父親とともに海に出るようになり、10才頃から父や伯父などから航海の手ほどきをうけます。専門知識の伝承は14~15才になってから行われ、20才前後に航海士の仲間入りの儀式「ポ」を受けます。長老航海士による口頭試問です。その後、昼夜を問わず実技訓練をつみ、100km離れた島への往復航海を成功させてはじめて「航海士パリュー」に認定されます。真の航海士と認められるまでには、さらに二十年近い経験を積む必要があり、「知識の源」・リーダーとして尊敬されるようになります。

 

 本作品は、ポリネシアの伝統航海術の伝承をテーマに作成しました。

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