第7話 タック・タック (南米・ペルー共和国)


1.

 フアンは貧しいが働き者で、気のいい青年だった。いつも父親を手伝って畑を耕したり、野菜を市へ運んで売ったりしていた。両親と親戚は、彼に優しい恋人ができればよいと考えていた。

 のんきなフアンにも、恋人と呼べる娘ができた。となり村に住むロサだ。フアンは毎日仕事のあとでロサに会いにいくのを楽しみにするようになった。


 ある日のこと。フアンは、飼っている驢馬が脚を痛めたおばあさんの荷物を運んであげたため、仕事を終えるのが遅くなってしまった。彼はロサが待っていると思い、いそいで彼女に会いに行った。

 村はずれのロサの家についたフアンは、彼女の部屋に入った。ところが、既に日が暮れているのに部屋の明かりはついておらず、窓は開いたままだった。ベッドからは、大きないびきの音が響いていた。

「おかしいなあ。待ちくたびれて寝ちゃったのかな?」

 フアンがベッドをのぞくと、そこにロサは寝ていたものの、彼女の顔は見えなかった。……フアンはごしごし眼をこすり、あらためて観た。ロサには頭がなく、首から下の体が寝ているだけだった。

「どどど、どういうことだ? ロサはいったいどうしちまったんだ!」

 慌てたフアンは、とりあえず、彼女の首の断面にマテ茶(注①)を塗った。――いつも、ケガをした時に備えて、母親が持たせてくれているのだ。――けれども、首が生えてくる気配はなかった。

(どうしよう。医者を連れて来るべきか? 神父さまを呼んでこようか? でも、こんなの聞いたことないぞ!)

 フアンが途方にくれていると、開いた窓の外から奇妙な音が聞こえてきた。ロサのいびきの合間に、こう聞こえた。


 タック、タック……。タック、タックタック……。


 フアンは顔からざあっと血の気がひき、冷汗が背中を滝のように流れるのを感じた。『タック・タック』、それは村の言い伝えによると、生首だけの化け物。生きている人間の首が胴を離れ、飛び回るものなのだ(注②)。

 フアンは窓の下に隠れ、そうっと外を覗いた。月明りの下、村の中心を通る道の向こうから、長い黒髪をふりみだし、タックタックと毬のように跳ねて来る女の生首がみえた。

(大変だ。ロサが『タック・タック』になってしまった……!)

 フアンは両手で口をおおい、悲鳴をおさえた。体がガタガタ震えそうになるのを、奥歯をかみしめてこらえる。

 ロサの生首は窓から部屋に入ると、寝台で眠る自分の体めがけて跳んで行った。元の姿にもどろうというのだろう。ぴょーんと跳ねて首の断面をつけようとしたが、くっつかず、離れては跳ぶことを繰り返した。

(おれがマテ茶を塗ったから、首がつながらないんだ。)

 フアンは呆然とみていたが、部屋中を跳びまわる生首の様子がなんだか可笑しくなってきた。音を立ててはいけないと思いつつ、とうとう堪えきれなくなり、くすっと笑ってしまった。

 とたんにロサ――今やタック・タック――は彼をみつけ、奇声をあげて跳んで来ると、フアンの左肩にくっついてしまった。



2.

 翌日から、フアンの地獄のような日々が始まった。寝ても覚めてもロサの首と一緒なのだ。母親は嘆き、父親は力任せにもぎ取ろうとしたが、首はどうやってもフアンの肩を離れなかった。ロサはそのままで喋り、歌をうたい、食事をしたが、自分の状態をどう考えているのかは言わなかった。生首が食事をしても体とつながっていないので、食べ物は全てフアンの肩からこぼれて服を汚した。

 困りはてたフアンは、村人たちがぎょっとして見守るなか、教会へ行って神父に相談した。

「神父さま、おれの肩にタック・タックがくっついて離れません。どうしたらいいでしょう」

 神父は驚いて青年とその肩についたタック・タックを眺めていたが、しばし考えたのち、こう言った。

「日が暮れたら、木の実の沢山なっている森へ行きなさい。人になつかないシカやワナク(野生のリャマ)がいるところがいい。いちばん鶏が鳴くまでそこにいて、帰るときは決して後ろを振り返らないように」

 神父は布の袋をフアンに渡し、付け加えた。

「困ったときは、これを一つずつ投げなさい」

 タック・タックが隣で聴いているので、神父はそれ以上詳しいことは言えなかった。

 フアンは太陽が西の山の向こうへ沈むのを待ち、タック・タックを肩につけたまま森へ入った。



 フアンは人気のない森を歩いていき、たわわに実ったザクロの木の下を通りかかった。すると、タック・タックが叫んだ。

「ああ、喉が渇いた! わたし、ザクロが食べたいわ!」

「お前がおれの肩から降りてくれれば、ザクロを採って来てあげるよ」

 けれども、タック・タックは彼の肩から離れようとしなかった。しばらくそのまま進んでいくと、再びザクロの木の下を通りかかった。

 タック・タックはまた叫んだ。

「ああ、ザクロが食べたいわ! ひとつでいいの。見ているだけで涎が出そうよ」

「おれの肩から降りて、待っていろよ。採って来てあげるから」

 フアンが自分もザクロを食べたいと思いながら言うと、タック・タックはようやく彼の肩から離れ、木の根元に降りた。フアンは身軽になってほっと息を吐くと、意を決して木を登り始めた。するとそこへ一頭のシカが駆けてきて、枝の下を通り過ぎた。タック・タックは驚き、恋人が逃げてしまったと勘違いして大声をあげた。

「待って、待って! わたしを置いて行かないで! わたしを捨てないで!」

 タック・タックがシカを追いかけて跳ねて行ったので、フアンはしめたと思い、木の枝から地面にとび降りた。今のうちに逃げようと駆けだしたものの、シカがどこまでタック・タックをひきつけてくれたか心配で、つい振り返ってしまった。

 タック・タックは自分の間違いに気づき、びゅんと向きをかえて彼を追いかけ始めた。

「あなた!」



3.

 フアンは走った。後ろを見ず、叢をかきわけ、小川を跳び越えて走り続けた。タック・タックはびゅんびゅん驚くほどの速さで跳ね、きいきい喚いた。

「あなた、待って! ずっと一緒にいてくれるって言ったじゃない!」

 声が背後に迫るのを感じたフアンは、神父が持たせてくれた袋に片手を突っこむと、最初に触れた物を後ろへ向かって投げつけた。

 フアンが投げたのは石鹸だった。それは地面に落ちると、たちまち大きな沼に変わった。行く手をふさがれたタック・タックは、岸辺でぴょんぴょん跳ねて道を探し、沼を迂回して再びフアンを追いかけた。

 フアンは息をきらせながら、神父の袋からまた物を取り出した。今度は円い手鏡だった。青年がそれを投げると、鏡は大きな湖となってタック・タックを止めた。その間に、フアンはどんどん逃げて行った。しかし、タック・タックは諦めず、湖の岸をまわって追って来た。

 フアンは木の根に足をとられてよろめきながら、神父の袋に手を突っこんだ。チクリと針が指を刺した。フアンは針を自分の後ろへ放り投げ、血のにじむ指をくわえて走り続けた。

 針は地面に着くと、ぐうんと伸びて絡み合い、棘だらけのいばらの茂みに変わった。タック・タックは茂みにとびこんでぎゃっと悲鳴をあげ、しばらくそこで高く跳ねていたが、懲りずにフアンを追って来た。

 フアンは傷だらけになりながら袋の中を手探りした。もう道具はないかと諦めかけた時、指が小さな木の櫛に触れた。フアンは櫛を投げ、空になった袋も投げ捨て、必死に逃げた。

 櫛は大地に触れると根をはやし、またたく間に幹と枝葉を伸ばして巨木の森へ変わった。タック・タックは枝にぶつかり跳ねかえった。

「フアン! 待って、わたしを捨てないで!」

 フアンはようやく村はずれの礼拝堂へたどり着いた。タック・タックはもうすぐ後ろへ迫っていた。

 フアンは命からがら礼拝堂へ逃げこむと、入口の扉を閉めて錠をかけた。礼拝堂のなかでは神父が待っていて、彼をみて力強く頷いた。

「フアン! ひどいわ、わたしを一人にしないで。一緒にいてくれるって言ったじゃない。出てきて頂戴!」

 礼拝堂へ入れないタック・タックは、扉の外で跳ね、はりさけそうな声で泣き叫んだ。フアンは両手で耳をふさぎ、眼をかたく閉じて耐えた。神父は彼の腕をつかんで支えた。

 礼拝堂の外には、沢山の彷徨える森の亡霊が集まっていた。タック・タックの泣き声に喚ばれて来たのだ。彼らはロサの声に合わせて歌い、恨みをこめて呼びかけた。

「フアン、フアン! この扉を開けておくれ。少しだけでいいから」

 彼らの声とタック・タックの泣き声は、礼拝堂のなかに鳴り響いた。


 やがて、いちばん鶏の声が村に響き、東の空に白い朝の光が現われた。鶏が三度鳴き、空がすっかり明るくなると、タック・タックと亡霊たちは消えていた。

 首を失ったロサの体はほんとうに死んでしまったので、翌日、フアンと神父は彼女を丁重に葬ったという(注③)。






     ~『Shakin' The Tree』第七話・了~

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『Shakin' The Tree』第七話・解説


《ペルー共和国》

 首都はリマ、南米大陸の北西に位置します。面積は約129万平方キロメートル(日本の約3.4倍)で、沿岸部は砂漠地帯(コスタ、国土の約12%)、アンデス山地(シエラ、約28%)、アマゾン川流域(セルパ、約60%)です。人口は約3279万人(2020年世界銀行)、うちメスティソ(混血)60.2%、先住民(ケチュア、アイマラ、アマゾン先住民等)25.8%、白人系5.9%、アフリカ系3.6%、その他(中国系、日系、その他)4.5%、となっています。 主要言語はスペイン語で、他にケチュア語やアイマラ語などが使われ、国民の多くがキリスト教徒(ローマ・カトリック、約81%)です。

 紀元前3000年頃から多くの古代文明が栄えていました(モチェ文化、ナスカ文化、シカン文化など)。15世紀、ケチュア族の王パチャクテクによって南部クスコ周辺の山岳地域が統一され、インカ帝国(タワンティン・スーユ)が成立し、アンデス地域の諸王国を支配下におきました。16世紀には人口は1200万人に達していたと推測されています。パナマ地域からヨーロッパ人がもたらした疫病が流行し、さらに帝位継承を巡る内乱で疲弊していたところ、フランシスコ・ピサロ率いるスペインの征服者たちによる侵略を受け、1533年第13代皇帝アタワルパは絞首刑にされました。その後、1572年、ビルカバンバに逃れていた最後の皇帝トゥパク・アマルーが処刑され、インカ帝国は滅亡しました。

 スペイン植民地時代、先住民は鉱山開発に酷使され、約100万人が死亡したと言われます。こうした疫病と戦争と虐殺により、インカ帝国全盛期に1600万人いたとされるペルーの人口は、18世紀末には108万人になっていました。

 1811年ペルー独立戦争が勃発。1821年7月28日、ホセ・デ・サン=マルティンによる独立宣言を経て植民地支配は終わりました。1980年、軍事政権から民政へ移管し、立憲共和制国家となっています。

 主要産業は製造業、石油・鉱業、農業など。貧富の差が大きく、特に山岳地域やアマゾン地域では貧困層の割合が高く、電力、上下水道、灌漑等の基礎インフラが十分整備されていません。沿岸部とこの地域の格差是正が大きな課題となっています。


■ケチュア族

 インカ帝国(タワンティン・スーユ)を築いたインカ族の子孫にあたる民族です。現在のペルー、ボリビア国の主に山岳地帯に居住しています。公用語のスペイン語とケチュア語の二重話者が多いです。主食のトウモロコシとジャガイモを畑で栽培し、羊・牛・豚・リャマなどを飼育する半農半牧畜民です。長いスペイン支配により、カトリックの影響を受けた民話が多く残っています。

 ケチュア族の人々は世界を天上界・地上界・地下界の三層にわけて考えていました。地下には昔生きた人々の国があります。魔物や亡霊は夜の世界、生きている人間は昼の世界を支配するとされています。タック・タックは別名ウマン・タクタ、或いはウマとだけ呼ばれる生首で、日本のろくろ首とは違い完全に胴体と離れます。アンデス地方の代表的な民話です。


(注①)マテ茶: 日本でも有名なマテという植物の葉を煎じたお茶。苦く、どんな病気にも効くと言われています。

(注②)タック・タック: 多くの場合、女性が眠っている間に首が胴体から離れ、長い髪をなびかせて飛びはじめるとされています。首が分離する理由はさまざまで、「寝る前にお祈りをしなかったから」や「何か悪いことをしたから」などと言われます。

(注③)本当に死ぬ: タック・タックは夜明けまでに体にくっつかないと消えてしまい、体も死ぬとされています。フアンの肩にくっついている間はロサの体は生きていましたが、彼から離れたまま朝を迎えてしまったので、死んでしまったのです。


 ケチュア族の代表的な民話であり、カトリックの影響を示していること、道具を投げつけて魔物から逃れる展開が日本の民話 『三枚のお札』 を思わせることから、この話を選びました。

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