第6話 湖の星 (南米・ブラジル連邦共和国)


1.

 三日目のジャシーが蒼ざめた手をのばし、木々の梢に音もなくふれた。

 マライーは身を起こすと、〈女たちの家〉の柱に掛けたハンモックから足を下ろした。右のあしゆびで土の感触をたしかめ、その隣に左足をおろす。縄で繋がった姉妹たちの寝床を揺らさないよう気をつけながら地に下りる。ほつれた髪を肩へ流し、母と幼い妹が身じろぐ気配を背に、家を出た。


 少女は集落をでて森へ入った。羊歯の葉、マングローブの根をこえ、蔦のカーテンをかきわけて、小走りに駆けて行く。夜を告げる鳥の声、やわらかく喉をふるわせる蛙のうた、ひそやかに立ち去るジャガーの足音を耳にしながら。頭上では、ほそく痩せた月が、しずかに彼女を見下ろしていた。

 マライーは集落を囲む森を抜け、川辺にでた。そのまま川岸をさかのぼり、森の奥の湖を目指す。彼女の姿をみつけて動物たちが集まって来た。アルマジロにベラー鹿、リスザル、コンゴウインコたちだ。彼女が湖の岸にたどりつき、汗ばんだ胸をふくらませ、軽く息を弾ませて立ち止まると、魚たちも寄って来た。

 マライーは夜をともに過ごす仲間たちに微笑みかけ、羊歯の上に腰をおろした。エウテルペの木(ヤシの一種)の梢のはるか上で、三日月が輝いている。その周りで、銀の星ぼしが煌めく。マライーはうっとりと囁いた。

「なんて綺麗なんでしょう」

 一頭のベラー鹿が彼女に近づき、鼻を鳴らす。マライーは鹿の背を優しく撫で、夜明けまで月の光を浴びていた。



2.

 マライーは幼い頃から、虫や動物たちが大好きだった。母と姉妹とともに畑を耕すときも、森で木の実を集めるときも、色鮮やかな蝶やイモムシやアリをみつけては、じっと凝視みつめていた。コンゴウインコの歌に応え、リスザルと呼び交わし、警戒心のつよいベラー鹿とさえ友だちになる。姉妹たちはそんな彼女の振る舞いを奇妙に思いつつ、あたたかく見守っていた。


 マライーの部族トゥピの民は、男女分かれて暮らしている。狩猟や祭りは男たちが行い、獲れた獲物は集落全員で分ける決まりだ。

 少女たちは年頃になると、気に入った若い男子を〈女たちの家〉に招き、それぞれのハンモックの中で夜を過ごす。男たちは夜が明けきる前に相手と離れ、〈男たちの家〉へ戻る。マライーの姉たちも、母も、祖母も、曾祖母も、ずっとそうしてきた。

 しかし、マライーは年頃になっても相手を選ばず、誰もおのれのハンモックに迎えようとはしなかった。むら一番うつくしいと評判の彼女を望む男は多かったが、少女は見向きもせず、相変わらず鳥や動物たちと遊んでいた。

 空に月がある限り夜ごと森へでかける彼女を、姉妹たちは心配した。

「マライー、どうしちゃったの? あんた、このごろ変よ」

 マライーにも理由はわからない。昼も彼女の心は森をさまよい、花々の上を飛ぶハチドリの後を追い、トキイロコンドルの翼に乗って樹冠を渡った。ジャシーと星々への憧憬はつのるばかりで、月が丸みをおびるにつれ激しくなった(そして、満月を過ぎると鎮まっていくのだ)。

 父は娘を案じて言った。

「誰か気に入った男はいないのか? アニラウィはどうだ? よい狩人だぞ」

 マライーはカカオの花さながら愛らしいかんばせを伏せ、溜息をついた。問い返す。

「夜空の星は、どこから来たの?」

 父は笑った。

「むかし、星になりたいと祈った娘たちがいた。月がその願いを聞き入れ、娘たちを天にひきあげて星に変えたんだ」

 マライーは父の話に驚愕し、ひそかに喜んだ。祈れば星になれるのね!


 その日から、マライーは以前にもまして夜が待ち遠しくなった。晴れた夜空に月があらわれると、いそいそと湖へ向かった。

「月よ。わたしを星にしてちょうだい。あなたの傍へ連れて行って!」

 少女は来る日も来る日も祈った。



3.

 マライーと親しい鳥と動物たちは、困惑した。ベラー鹿とカワウソの仔は、彼女の顔をのぞきこんだ。

「マライー。星になったら、ぼくらと遊べなくなっちゃうんじゃない?」

「そうよ。会えなくなるのは嫌よ」

「ワタシ、月までは飛べないわよ!」

 ベニコンゴウインコも、鮮やかな緋色の尾羽を揺らして言った。

 マライーは考えこんだ。母と姉妹たちは父の話を信じていない。わたしは星なりたい! でも、そうしたら友だちに会えなくなる……。

 けれども、星に焦がれる気持ちは消しがたく、少女の胸の奥で燃えつづけた。


 ある満月の夜。いつものように月と星の光に導かれて湖を訪れたマライーは、息を呑んだ。今までで最も美しい月が、そこにいたからだ。彼女は両腕を伸ばし、ふらふらと湖へ歩み寄った。

「ああ、ジャシー! なんて美しいの。どうか、わたしを星にしてちょうだい」

 少女の裸足の足は夜露にぬれる下草を踏みわけ、眠っていた蝶や甲虫を起こしながら、水の中へと入っていった。アロワナの銀のうろこが彼女の脚を撫で、水面にうかぶ黄金の円盤を揺らした。

 マライーは、湖にうつった月に魅入られたのだ。

 魚と動物たちは、驚いて彼女を呼び止めた。

「マライー、マライー! 待って!」

「月よ、彼女を連れて行かないで! 僕らの友だちを放っておいて!」

 そのさまを観ていた月は、少女を空へひきあげて星にするのではなく、湖の上でかがやく星の形をした花に変えた。動物たちのもとにとどめたのだ。

 美しい〈湖の星〉、ムムルー(オオオニバス)の花になったマライーは、今も夜ごと深い森の奥で、そっと咲いている。





  ~『Shakin' The Tree』第六話・了~


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『Shakin' The Tree』第六話・解説


《ブラジル連邦共和国》

 首都はブラジリア、南アメリカ大陸最大の面積(851.2万平方キロメートル、日本の22.5倍)を領有する民主共和制国家です。人口は約2億947万人(2018年世銀)で、欧州系(約48%)・アフリカ系(約8%)・東洋系(約1.1%)・混血(約48%)・先住民(約0.4%)です。主要言語はポルトガル語、宗教はカトリック約65%・プロテスタント約22%・その他、となっています。

 1500年、ポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラがこの地に到着する以前は、東アジアからベーリング海峡を渡って移動してきた先住民が暮らしていましたが、詳しいことは分かっていません。

 18世紀、金鉱山が発見されてゴールド・ラッシュが起こり、約30万人のポルトガル人が欧州より移住し、黒人奴隷も導入されました。

 1789年、ポルトガルからの独立を画策した「ミナスの陰謀」事件が起こります。

 1822年2月、独立戦争が勃発。9月、ポルトガルより独立。当初は帝政でしたが、各地で反乱が起こりました。

 1888年5月、奴隷制廃止。

 1889年、革命により帝政が廃止され、民主共和制樹立。

 1964年、アメリカ合衆国の支援を受けたカステロ・ブランコ将軍が軍事独裁政権を敷きますが、1985年に民政移管(サルネイ政権)しています。

 主要産業は製造業、鉱業(鉄鋼石他)、農牧業(砂糖・オレンジ・コーヒー・大豆他)です。


 北は赤道直下の熱帯雨林気候で、大河アマゾンが流れています。南部はブラジル高原で、ブラジリア、リアオデジャネイロ、サンパウロ等の都市が存在します。南西部パラグアイとアルゼンチンとの国境付近に、イグアスの滝があります。


《ブラジル先住民》

 1500年にポルトガル人によってブラジルが「発見」されたころ、先住民はおよそ100万〜300万人いたと言われています。その後、白人による虐殺や奴隷狩り、鉱山労働や疫病などにより、少なくとも100近い民族が消滅しました。現在のブラジル先住民の人口は約90万人で、うち48%がアマゾン川流域に暮らしています。約305の民族、274言語が存在するそうです。先住民族保護区はブラジル全土に505ヶ所存在し、総面積は国土の12.5%にあたる107平方キロメートル、98%はアマゾン流域の森林地帯です。

 先住民族の多くは、狩猟・採集や小規模な焼畑農業を生業としています。外部社会との接触による結核やマラリアなどの感染症、開発業者による強盗・殺戮などが問題になっています。


 ■ムンドゥルク族

 アマゾン川南部に暮らす先住民族、トゥピ語族に属します。マニオク(キャッサバ)栽培と採集漁労を行っています。30家族程度の集落を形成し、家屋は母系で相続され、男性は男性だけの家で暮らす習慣をもっています。かつては首狩りを行うとして恐れられましたが、現在はキリスト教化しています。




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