第5話 カメレオンと虹の王女 (アフリカ・南アフリカ共和国)

1.

 雨のしずくのきらめくドレスをまとったノムクブルワネ(注①:天の王女)は、黒檀の椅子の肘置きを指先でたたいて柳眉をひそめた。彼女の前では神々が言い争っている。ながいながい議論のはてに永遠の生命を人間に授けるときめ、地上へ使者を送ったのに。

 神々の偉大な決定を告げられれば、人間たちは祝祭を行うだろうと思われた。ところが、使者が旅立ってから何日も――地上の時間では数世紀も経つのに、未だその気配がないのだ。

 神々はれていた。カメレオンを使者に選んだのは間違いだったかもしれない、人間は実は不死など望んでいないのかもしれない。或いは、なにものかのはかりごとにより、破滅を運命づけられたのかもしれない、と。


 ノムクブルワネと同じ人間の擁護者・創造神ソデューム(注②)が、敵対するソマツウィ(注③:破壊神)に問うた。

「これは、貴方が仕組んだことなのか」

 ソマツウィは腕を組み、首を傾げてソデュームを見返した。

「異なことを。私はたしかに最初あの不完全な人間という種の創造に反対した。恨みと苦痛を産むだけのように思えたからだ。しかし、彼等は私が与えた試練をのりこえた」

 ソマツウィは美しき虹の王女ノムクブルワネに向きなおった。

「私は驚いているのです。私が生命の魔力を用いて産みだした野犬を、人間は手なずけてしまいました。いと高き山から火を持ち帰り、地上に永遠の火を点すことで。神々には成し得ぬ功績です」

 女神はうなずいた。紫の雲の衣をまとったソデュームが嫌味をこめて言う。

「兄弟よ、いったいいつから貴方は人間の味方になったのだ? 彼等の無知と傲慢を憎んでいたのではなかったのか」


 かつてソマツウィは人間を憎むあまり、ソデュームが管理していた生命の魔力をやどす宝珠をぬすみだし、怪物と野犬を創った。神々はソデュームを支持するものとソマツウィを庇うものとに分かれて争い、遂に偉大なる原初の創造神ムヴェリンクアンギ(注④)とノムクブルワネが調停するに至った。両者はともに罪を認め、和解したはずだった。


「絶望をうちやぶる偉大な戦士よ、どうぞ控えて。あなたの言葉は喜びを謳うためのもの」

 ノムクブルワネは両手をあげてソデュームをなだめ、ソマツウィは冷めた眼差しをライバルに当てた。

「いかにも人間の心の可能性を信じたのは貴方だ。女神よ、私が懸念するのは人間の自惚れです。神々の力に対する畏怖を持たせるため、彼等はひとりずつ死んだほうがよい」

 世界の調和をたもつ天の王女は溜息をついた。

「人間は卓越した知恵をもつ牧夫であり、この世のあらゆるものと絆をむすぶ存在です。けれどもわたくし達は、彼等のなかに神々を敬う心を育てることに失敗しました。わたくし達がこうして議論している間にも、人間はツシ族(ヒヒ)と争い、ヌソンド(注⑤:最初の父)はマランゲニ(注⑥:ヌソンドの息子)と仲違いをしています。

 天の詩人ムトビ(注⑦)よ。わたくし達は彼等につたえるべき言葉をたがえたのですか」

 ノムクブルワネは長いドレスの裾をさばいて立ち上がり、きっと視線をめぐらせて西の方角をみた。



2.

「人間は死なねばならない。人間は死なねばならないのだ! それだけが、神々の平和の代償となる」

 女神ノクファ(注⑧)は神々の決定に腹を立てていた。彼女の夫ソマツウィすらノムクブルワネの威厳に屈し、人間を滅ぼすことを躊躇っている。彼女は夫の不甲斐なさに憤激した。


 神々の祝福を伝えるため、詩人は動物たちのなかから使者を選んだ。ゾウは辞退し、ヒヒはその横柄さから退けられ、レイヨウはぎらぎらと照りつける太陽の光に挫折した。カメは忍耐力でまさっていたが、月と太陽の周期が完全に満ちるまでは耐えられなかった。

 詩人ムトビが選んだのは、いと小さく偉大ないきもの。カメより忍耐強く、世界をみとおすまなこをもち、謙虚に歩みつづけるカメレオンだ。

「壮麗な山々を旅し、神々の賢明なることばを守る者よ! 野生の果実と物語をさずける者よ! お前が天と地のさかいに立つとき、神々は終わりのない雨季をもたらすだろう。うるわしき瞳が天の道をたどって行くのだ!」

 カメレオンは詩人の讃辞を聴くと、慎ましやかに生命の舞踏を踊った。千のリズムを刻み、太陽の円形軌道をまねて両眼をめぐらし、腕を揚げて星々を植えるしぐさを真似る。詩人はカメレオンのためにおごそかに歌い、それから東へ戻っていった。

 カメレオンが夕陽に照らされる地平線の向こうへ旅立つのを、動物たちは誇らしい気持ちで見送った。



 ノクファは先回りして使者の道をそらそうと企てた。彼女は怒りと憎しみを吐き散らし、黒雲の威嚇とともに天空をめぐり、地上へ旋風をふきつけた。森の木々はたわみ、空は張り裂けそうに震えた。ソマツウィは妻をなだめようとしたが、彼女はいまや夫への憎しみに沸きたっていた。

 地上の人々は項垂れていた。従順だった犬たちが、奇妙な力に追われて逃げ出したのだ。毎日、犬たちは夜明け前にでかけ、疲れ切って帰っては耳慣れぬ声で吠えたので、人々は気味悪さにおびえた。

 ノクファは人間のすがたに化けて群衆にまぎれこんだ。

「こんな悲惨な生活を、私たちはいつまで続けなければならないの。なぜ、神々は死を経験させてくれないの」

 人々は彼女の言葉に興味をもち、ある者はその考えをもっと聞こうと近づき、またある者は彼女を諫めようとした。

「そんなことを言うべきではない。死は悲惨なもの、生き物にとって悲しい運命なのだ。それを免れているだけで満足しなければ」

「なんて愚かな言い草でしょう。そうやって神々の手のうちで盲目のまま過ごすの。あまねく生きもののなかで人間は獅子の勇気を持ち、何処へでも行ける。それなのに、他の動物たちが死後どこへ行くのかを知らずにいるの。永遠に、生命の究極の真実を理解せず」

 こう言われると、人間たちは互いに顔を見合わせた。彼等は未だに『死』を知らない。その恐ろしさも醜さも、救いも希望も、将来も。

 女の味方をする者が現れた。

「我々は馬鹿だった。創造という生命の炎のなかで自分達を誇っていたが、目隠しされた者の誇りなど知れたものではないか。我々には犬のような精神力はないし、あんなに速く走ることもできない。置き去りにされて呆然としている」

 誰かが言った。

「私が若い頃、世界は新鮮なできごとで満ちていた。だが、今や一日が始まるとき、それが終わるのを待ち焦がれるありさまだ。動物たちのたまわった究極の喜びがうらやましい。倦怠を超える新たな奇跡を渇望する」

 ノクファはこの言葉を喜び、ソデュームへの報復を想ってほくそえんだ。

「屈辱を千の襞にして返してやりましょう。大地を傷つけることで対抗するのです」



3.

 カメレオンは旅を続けていた。ノクファの化けた女が彼の前に立って道を塞いだので、カメレオンは彼女を威嚇した。

「どこの誰か知らないが、天の神々から呪いを受けぬうちに、そこをどけ」

「私の片手より小さいくせに! お前に出来ることなど何もないわ!」

 ノクファは一笑した。カメレオンは誇らかに言い返した。

「わたしは天の使者だ。神々に言っておまえを滅ぼしてやるぞ。偉大な主人に挑戦などしないことだ」

 ノクファは軽蔑をこめて彼をみおろした。

「ちっぽけな体に似合わず頑固な奴。お前は自分より賢い者に説教をしているのだ。ここはお前の知らぬところ、歓迎してもらえると思うな」

 カメレオンはひるまなかった。

「おまえが何を言いたいのか分からないが、わたしが世界の住人であることは分かっている。すべての真実はすべての生命と結びついているのだから」

 女ははらわたが煮えくり返らんばかりになっていたが、それを隠し、鼻先で嘲笑した。

「なるほど、恐れ入ったよ。お前のまえでは私などつまらぬ者だ。お前の召使になって、この世界を案内してやろう」


 カメレオンは策略にはまり、女について行った。彼等は旅をつづけ、日暮れに巨大な山にたどりついた。女は、その頂きを指さした。

「この山で食事をし、休むとしよう」

 ふたりが灰色の石で縁どられた小径に着くと、遠くに腕や足の断片の堆積が見えた。その上を、蠅の群れがぶんぶん音をたてて飛んでいる。女はカメレオンに蠅を食べるよう命じ、カメレオンは舌をのばして一匹ずつ捕えて食べた。蠅はカメレオンにとっては滋養に満ちた食べ物だが、神々にとっては創造の失敗と腐敗を意味している。女は蠅を食べず、キノコを食べて誤魔化した。

 満腹になったカメレオンが眠ってしまうと、女は彼を洞窟のなかへ放りこみ、石の上に立ちあがった。

「山の要塞よ! お前の内部に生命の恥辱が入りこんでいる。呑んで永遠に神々の恥を隠すがいい!」

 カメレオンは山の崩れる音を聞いて眼を覚まし、必死に逃げ出した。女は彼を助けるふりで駆けつけ、言い訳した。

「お前に警告しようと叫んだが、私の声が聞こえなかったのか?」

 カメレオンは動じることなく、ゆるぎない自信を抱いて歩き続けた。岐れ道にさしかかると、ノクファは言った。

「目的地まで近道を行くがいい。私はお前より速く歩けるので、遠回りして行こう。後で互いの経験を結びつければ、人間は冒険譚が好きだから、よい土産話になるだろう」

 この提案を気に入ったカメレオンは、女と別れ森のなかの暗い道を選んで行った。そこなら永遠の秘密を発見できると思ったのだ。

 カメレオンは森を抜け、広い砂漠へと踏みこんだ。忌まわしい静寂に支配された不毛な土地だ。さらに進むと、びっしり地を這う灌木のしげみに覆われた崖へ出た。叫んでも木霊しかかえらず、カメレオンは徐々にこの幻影の世界におびえはじめた。


 突然、カメレオンはたった独りで空間にとりのこされていることに気づいた。恐ろしい力に捕らわれて、彼は渦にまかれ、いちどにあらゆる方向へ投げ出された。



4.

 カメレオンが己の力の幻想に酔っている間に、神々の世界では数世紀が経過した。人間の生命にかんする論争は絶え、語り継がれるのはカメレオンを使者にしたのは大失敗だったということ。やがて神々はこの失敗がひき起こす不均衡を案じ、創造を禁じられるかもしれないと噂した。


 ソデュームの妻ノデューム(注⑨)は、詩人ムトビを心配していた。

「神々の詩人が祭りに加わらないのは何故です? 天から栄誉を授けられるのではなかったのですか?」

 ソデュームは妻の問いを無視できないと承知していたが、ことばが喉につかえてなかなか出てこなかった。努力の末、うちあける。

「おそらく我々は自らの愉悦に夢中になるあまり、ものごとの本質を忘れてしまったのだ。人間は永遠に生きると決めたとき、我々は自らの勝利に歓喜した。我が子に己の思い出を残したいと望む親たちのように、人間の記憶を通して神々の王座を保つよう定めたのだ。全てに渡り、我々が彼等の望みを訊ねたことは一度もなかった」

 ノデュームは夫の言葉に驚愕した。

「わたし達は、ムヴェリンクアンギの命令に従っていたのではないのですか?」

 ふたりが話しあっていると、虹色のガウンを翻してノムクブルワネがやってきた。

「ソデューム、あなたの知恵をかりに来ました」

 王女は深刻な表情で大地をゆすり、神々を起こした。

「カメレオンがあまりに遅いので、わたくしは人間の村に使者をおくり、酷い事実を知りました。彼等は死を求める歌をうたっているのです。地上の過酷な生活から逃れるためではなく、生命の秘密に分け入るために。人間は死のことばかり話し、死の喜びを想像して子ども達に教えています。なんということでしょう。わたくし達は彼等の無謀さを把握していませんでした」

 ソデュームは王女の悲嘆を理解した。

「人間の思考の本質に従わなかったのは我々の方です。カメレオンが天の使者だと、彼等は信じるでしょうか? カメレオンは殺されてしまうかもしれません」


 神々は再び集まり、人間の運命について議論した。ソマツウィが提案する。

「『我々に敵意を抱くものから死を与えられた』と思わぬよう、人間はみずから死を望んだことを記憶するべきだ。天の娘よ、わが兄弟ソデュームよ。永遠の種を人間の生命に投げ入れよ」

 天の恩寵をうけた娘ノムクブルワネが述べた。

「ソマツウィよ、あなたの努力で人間は滅びずに済むでしょう。彼等は神々から自立して、何が真実で普遍かを学ぶに違いありません。機転のきく者を密使とし、人間の望みを叶えるよう命じましょう。密使がカメレオンより先に地上に着けば、死を人間に与えるのです。カメレオンが先に着いたら、祝福をとりさげるわけにはいきません。密使はここへ戻るのです」

 創造神ソデュームは深くうなずいた。

「天の秩序にかなう方法です。この仕事をソマツウィの妻に託しましょう。死の光景を見せれば、彼女の怒りも鎮まるでしょう」

 神々は満場一致でこの考えを支持し、ソマツウィも満足した。ソマツウィは、たける妻に言葉を送った。

「神々の名において! 苦い死の伝言をつたえる使者を選び、お前の力でカメレオンを追い越させよ! 人間に称賛をもって迎えられるだろう。お前もまた、彼等を変化のない日々から解放したと称えられるだろう!」


 ノクファの胸は歓喜に高鳴った。 彼女は動物たちを集めて宣言した。

「偉大なしらせを持ってきた。あらゆるものに優れると自惚れていた人間は、地上のすべての生物同様、死の前にひれ伏すのだ! 奴等にこれを伝える使者を選ばなければならない」

 動物たちは大いに喜んだが、同時に困惑した。野ウサギは臆病すぎるし、カモシカでは多くの支持を得られない。女神は苛々して叫んだ。

「わかったぞ! 天の使者を誰にすべきか」

 彼女が木の上のサラマンダーを指さしたので、会場は一瞬沈黙し、それから大笑いに包まれた。サラマンダーの醜さは死を伝える使者にふさわしい。稲妻のごとく空を飛び、自己嫌悪の軟膏で体をぬめらせ、雷にうたれて裂けた樹皮のごとき頭を振る。サラマンダーは突如降りかかった栄誉に眩暈がした。


 ノクファはサラマンダーを神々のもとへ連れて行った。

「会議が命じたことをやり遂げよ。お前の両肺をひらいて翼に変えるのだ」

 天の詩人ムトビは、今度はサラマンダーのために歌った。

「さあ、雲の娘ノクファよ、行くがいい! 偉大なるトカゲ族のものよ、人間に死を告げよ! 彼等の骨を何層も積み重ね、大地を肥やすのだ」

 女神はサラマンダーが道に迷わぬよう、天地のさかいまでついて行った。彼女にとって輝かしい勝利のときだった。



5.

 カメレオンは数えきれない夜と増殖する太陽に眼がくらみ、地上を彷徨っていた。何度も道に迷い、ときには人間のものらしき足跡をみつけて後を追ったが、ヒヒに出くわしただけだった。彼はカムフラージュの能力を身につけ、黒く湿った土の上では黒く、緑の葉のしげる枝の上では緑に、紅葉のなかでは赤く変色し、灰色の叢のなかでは灰色に変わって歩き続けた。

「わたしは生命に関する伝言を運んでいるのだから、宇宙の光り輝くすべての力をまとうべきだ」

 そう呟き、使命を果たす瞬間の栄光を夢みながら、根気よく人間を探した。その彼を、一匹の蛇が観察していた。蛇に気づいたカメレオンは身を隠そうとしたが、蛇は先に口を開いた。

「待て! おまえを観るのは、これが初めてではない。心配はいらない、おまえの敵に暴露するつもりはない。わたしに、おまえと人間の絆をつなぐ特権を与えてくれ」

 カメレオンは、これも神々の策略だろうかと考えあぐねた。蛇は穏やかに続けた。

「わたしはニャンデズールーという蛇の一族だ。偉大なる創造主ムヴェリンクアンギの古いしもべだ。おまえに敵意をもってはいない」

「あなたが誰であれ、わが兄弟と思います。あなたなら、人間の住み処をみつけてくれるでしょう」

 新しい友人を得て勇気づいたカメレオンは、聖なる蛇に自分の長く恐ろしい旅の話をした。蛇は馬鹿にすることなく聴いてくれたので、カメレオンは気前よく彼を褒めた。

「あなたは経験豊かで、わたしの話に少しも驚きませんね」 


 ニャンデズールーはカメレオンを果実の稔る豊かな森へ案内し、空腹を満たした。ふたりは互いの冒険について話した。カメレオンが眠ると、蛇は人間の村へ様子をみにいった。

 人間たちは蛇を歓迎して言った。

「蛇は人間に親切で、従兄弟より人間が好きなんだな」

 蛇は彼等のこういう幻想を黙って聞いてやっていた。人間は人生のむなしさを嘆くこともあったが、蛇は己の考えを示さず微笑んでいた。夜が明けるとニャンデズールーはカメレオンのもとに戻り、ともに旅を続けた。聖なる蛇は、サラマンダーが神々の祝福をわめきながら猛スピードで地上へ向かっていることを知っていた。

「ニャンデズールーよ。いったいいつになったら人間の住み処へ到着するのだ?」

と問うカメレオンに、誇り高い蛇はこう答えた。

「おまえの足は短いので、あと十年はかかるだろう。走るか、わたしの背に乗って行くか?」

 カメレオンは、後から『蛇がいなければ奴は失敗した』と言われたくなかったので、

「わたしはいろんな経験をしてきたが、日々は地平線の周りをめぐり、生命はみずからの周期に従うものだ」

と言って断った。蛇は(急ぐべきだ)と思ったが、それ以上言わなかった。



 女神ノクファは漆黒の闇をぬってサラマンダーを導き、地上に近づいた。

「さあ、人間に未来の栄光を告げよ。彼等の心は希望でふくらみ、お前を神として祀るだろう」

 女神に励まされたサラマンダーは、燃える炎をめざし、丸太のごとく突進した。 人間の村をみつけると大声で笑った。

「天才だけが、わたしの言葉を理解できるのだ!」

 大群衆が待ち構えていた。彼等は使者の径の両側にならび、勇気を讃える古代の歌をうたい、泉から汲んだ水をサラマンダーに捧げた。サラマンダーは西へ東へ駆けめぐり、後を追う歌が震える空に木霊した。



 その振動は神々の館にまで届いたので、ソデュームと妻はカメレオンが到着したのだと誤解した。

「人間が不死を祝っているに違いない」

 ノムクブルワネは首を傾げ、虹の端に静かに腰を下ろした。

 ソマツウィは呟いた。

「人間が永遠に生きるなら、辛い苦難を背負わされたと、ソデューム一族を呪うだろう」



 サラマンダーは見物人を眺めながら威張って歩き、集まった群衆に呼びかけた。

「わたしは神々の贈り物を届けるためにやって来た!」

 人間達は声をそろえた。

「どうぞ! どうぞ! 教えてください! 天の美しい言葉を語って下さい!」

 サラマンダーは威厳をこめて叫んだ。

「創造する神々はこう言った。『人間は死……死……死ななければならない!』」

 途端に群衆が神々を称えてわっと声をあげたので、サラマンダーはそれ以上ことばを続けられなかった。



 女神ノクファは満足し、荒々しく足を踏みならした。

「私は仕事を成し遂げた。天の言葉を伝えたのだ! 人間は神々の善意を称えている。神々の命令に従って果実を摘み、天の近くに導こう」

 ノムクブルワネは冷静に述べた。

「ノクファよ、神々はあなたの熱意を褒めています。生命を次の段階に進めるため、わたくし達の力を解き放ちましょう。あなたはご自分の仕事を続け、人間の嘆きが大地を潤すまで両手を死で満たしなさい」

 虹の王女が語るにつれ、その言葉に心を刺し貫かれたノクファの面は蒼ざめていった。

 ソマツウィが重々しく告げた。

「我ら創造の使命ヴィジョンを継ぐものは、ムヴェリンクアンギから与えられた夢を放棄してはならない。宇宙の糸を束ね、結び、新たな世界を創ろう。死を通して創造は続く。人間が生命の闘いに打ち勝つとき、楽園が訪れる。大地の子宮から火山が噴出し、子らは収穫を祝うだろう」

 ソデュームはこれを聴くと感動して言った。

「我々は生命の神秘に触れました。至高の創造主は恩恵を授けて下さるでしょう。そして、我々は何度でも創造を行うのです」


          **


 カメレオンと聖なる蛇は、まだ地上を旅していた。ようやく人間の住み処へたどり着いた時、カメレオンは声をあげたが、人間はサラマンダーの歌をうたっていた。多くの人々が死の祝福を待ちつつ大地に横たわっていた。

 ヌソンド(最初の男)の死が告げられると、群衆は彼の村へ流れこんだ。待ち焦がれていた出来事を観るために。

「いま死という奇跡を体験しているヌソンドから、死の核心を学ぼう。宇宙の秘密で心を養い、神々の賛歌をうたおう」

 いたるところからうれし泣きの声が聞こえて来た。

「我々が待ち望んだ日がやってきた!」

 太陽が山々を赤く染めながら西へ傾くまで、彼等は歌い続けた。


 ――この後、人間は死の恐怖と真実を知ったが、もはや神々の決定はくつがえらなかった。






~『Shakin' The Tree』第五話・了~

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『Shakin' The Tree』第五話・解説


《南アフリカ共和国》


 アフリカ大陸最南端に位置する民主共和制国家、首都はプレトリア。元は複数のバンツー系民族が暮らしていました。1652年オランダ東インド会社がケープ植民地を建設。先住民と争う一方、オランダ領東インドから奴隷として連れてこられたインドネシア系住民との混血が進み、カラードと呼ばれる民族集団が生まれました。

 18世紀末、イギリス人が到来しオランダ系住人(ボーア人)と対立。19世紀初頭、ケープ植民地はオランダからイギリスに譲渡されました。イギリス化が進むにつれ『二等国民』と差別されたボーア人は、「アフリカーナー」と自称するようになります。1834年の奴隷制廃止にオランダ系農場主は反発し、二度のボーア戦争を起こしましたが、結局イギリスに敗れました。

 1910年、南アフリカ連邦として統合され、イギリスの自治領となります。翌1911年、白人労働者保護のための「鉱山・労働法」が制定され、以後も人種差別法の制定が続きました。

 1931年、ウエストミンスター憲章が採択され、イギリスと同格の主権を獲得。第二次世界大戦では連合国側に参加します。

 1948年、白人中心の国民党が政権を握り、アパルトヘイト政策(人種隔離政策)を推進します。1980年代にかけ、アフリカ民族会議(ANC)による民族解放運動とゲリラ戦が行われました。

 1961年、イギリスから人種主義政策を批判されたため、イギリス連邦を脱退します。その後、他の新興アフリカ国家から孤立し、西側諸国からの経済制裁も受けた結果、

 1990年、デ・クラーク大統領はアパルトヘイト関連法の廃止、人種主義法の全廃を決定します。

 1994年4月、同国初の全人種参加総選挙が実施され、ネルソン・マンデラ議長が大統領に就任。1996年に新憲法が制定されました。


 アフリカで数少ない複数政党制の民主主義国家です。金・ダイヤモンドなどの豊富な鉱物資源と果樹・穀物・牧畜産業、世界各国の自動車製造工場があり、GDPはサハラ以南アフリカ地域諸国の約4割を占めます。アフリカ唯一のG8加盟国です。

 人口は約5800万人(2018年)。黒人(ズールー族、コーザ族、ソト族、ツワナ族等)79%、白人(イギリス系、オランダ系等)9.6%、カラード(混血)8.6%、アジア系(インド人等)2.5%から構成され、「七色の国民(レインボー・ネイション)」と呼ばれます。英語、アフリカーンス語、バンツー系諸語(ズールー語、ソト語ほか)など11の言語が公用語とされています。

 アパルトヘイト政策は全廃されましたが、白人とそれ以外の人種間の経済格差、教育格差、治安の悪化、白人の国外流出、後天性免疫不全症候群(AIDS)などの問題は続いています。


■ズールー族

 紀元前2000年頃、現在のカメルーンとナイジェリア国境付近で発祥したバンツー系民族、ニジェール・コンゴ語族の一派。紀元1000年頃にかけてコンゴ盆地、南アフリカ付近へと移動・拡散しました。南アフリカ共和国からジンバブエにかけ約1000万人が居住し、その殆どが南アフリカ共和国内に暮らしズールー語を話しています。主産業は農耕と牧畜です。

 19世紀初頭、シャカ・ズールーが部族を率いて現在のクワズール・ナタール州にズールー王国を建国。周辺諸族を支配しましたが、シャカ王は恐怖政治を敷いたため内乱が起こります。1879年、イギリス帝国との間で戦争(ズールー戦争)が勃発。緒戦のイサンドルワナの戦いで、槍と弓矢のみで武装したズールー軍はイギリス軍を破ったものの、近代兵器を用いたイギリス軍に王都ウルンディを落とされ、王国は滅びました。

 ズールー族はもともと祖先崇拝を行っていましたが、現在はほぼキリスト教徒となっています。南アフリカ共和国で最大の民族です。


《創世神話に登場する神々と人間》

(注①)ノムクブルワネ: 宇宙創成の神ムヴェリンクアンギの娘。「天の娘」・「虹の王女」などと呼ばれます。雨を呼び大地をうるおす豊穣の女神であり、平和と均衡を司る神、生物の「種」を蒔く神でもあります。

(注②)ソデューム: 創造の力を司る神。「天の知者」とも呼ばれます。ソデュームは直訳すると「稲妻の父」という意味です。

(注③)ソマツウィ: 破壊の力を司る神。「ことばの主」とも呼ばれます。ノクファの夫。

(注④)ムヴェリンクアンギ: 全てのものの創造神。「原初の創造者」・「至高の創造者」と呼ばれます。ノムクブルワネの父。

(注⑤)ヌソンド: 人間の祖、「最初の父」です。ズールー族の創世神話では、人間は最初から成人として創られています。

(注⑥)マランゲニ: ヌソンドの息子。ツシ族(ヒヒ)との徹底抗戦を主張して、融和を説く父に反発しました。

(注⑦)ムトビ: 神々の言葉を地上へ伝える「天の詩人」。人間のデザインを決めた「天の芸術家」でもあります。

(注⑧)ノクファ: ソマツウィの妻、「死の母」と呼ばれます。人間の存在にもある程度の価値を認めるソマツウィと異なり、彼女は徹底的な滅亡を望みます。

(注⑨)ノデューム: ソデュームの妻。「稲妻の母」という意味です。


*本作品は、ズールー族の創世神話に基づきます。元は長大な叙事詩で、カメレオンの話はその一部です。

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