第3話 恋するウナギ (ポリネシア諸島・サモア独立国)
1.
シナ(注①)は、たいそう美しい娘だった。黒く大きな瞳は星空のようで、長いまつげにふちどられている。日に焼けた肌はつやつやと黄金色に輝いている。胸は毬のようにおおきく腰は細くくびれ、脚はすらりと伸び、髪はくろぐろと波をうって背中を流れている。誰もがふりむくその美貌は、遠くフィジーにまで鳴り響き、噂を聞きつけたフィジーの神トゥイフィティ(注②)は、彼女を妻にしたいと考えた。
トゥイフィティは、魔法でウナギに変身すると、サモアへ向けて出発した(注③)。
シナは毎日、母のために水汲みをしていた(注④)。
ある朝、シナがひょうたんを手に海辺へ出掛けて行くと、ウナギの稚魚がそこにいた。日差しにきらめく波打ち際を泳ぐ、透明な小さいウナギは、とても可愛らしかった。
シナは水汲み用のひょうたんでウナギを掬い、家へと持ち帰った。母は怪訝そうに訊ねた。
「シナ。何を捕まえたんだい?」
「お母さん、ウナギよ。まだ子どものウナギ、可愛いでしょ」
こうして、ウナギはシナに飼われることになったのだが、それは、トゥイフィティの化けたウナギだった。
ウナギは最初シナのすんなりとした小指ていどの大きさだったので、彼女は彼を自分のお椀に入れて飼っていた。ウナギが何を食べるのかシナは知らなかったが、このウナギは不思議なことに、彼女と母親が食べるものならなんでも食べた(注⑤)。――タロ芋も、魚も、貝のすり身も。それで、小指ほどの大きさだったウナギは、三日目には中指大になり、十日目にはお椀に入りきらなくなってしまった。
そこで、シナは彼を家の近くの泉に放すことにした。
泉には、鳥たちと家畜がやってくる。他の魚も泳いでいる。シナはウナギが食べられてしまうのではないかと案じたが、そんなことはなく、みるみるうちに彼女の腕ほどの大きさに成長した。
「不思議なウナギだねえ。こんなに早く大きくなるのは、観たことがないよ」
と母は言い、村人たちも珍しいウナギを観に来るようになった。
トゥイフィティのウナギは、シナのくれる美味しい餌を毎日食べ、すくすく育っていった。
2.
やがて、ウナギはシナと同じくらいの大きさに成長し、泉では間に合わなくなってしまった。このままでは家畜たちが水を飲めないし、他の魚も飼えなくなってしまう。
シナが母に相談したところ、母は、
「このウナギは、きっとウナギの王様なんだよ。村の共同の水浴場で飼わせてもらいましょう。私が村長に話しておくよ」
と言った。
シナは長い黒髪を首の後ろでくくり、腰まで泉に入ってウナギを捕まえた。ウナギは、おとなしく彼女に抱かれて運ばれた。若いシナが銀色に光る巨大なウナギを抱えて行くのを、村の子ども達は楽しそうに後をついて行って見物した。
シナが彼を水浴場へ入れると、ウナギは水しぶきをあげて岩の下にもぐりこんだ。
「ふう、重かった! ここなら自由に体を伸ばせるわね」
シナは、ウナギが気楽に暮らせるようになると考え、嬉しくなって呟いた。
その夜は満月で、金色にかがやく円盤が、空から水浴場のなかを明るく照らした。
子ども達が水浴を終えた真夜中に、シナが水に入ると、ウナギは岩の下から出てきて彼女の身体にまとわりついた。黄金の月光を浴びて黄金にかがやくシナの身体に、ウナギはするりと肌を寄せ、くびれた腰に巻きついた。別にそれだけだったのだが、シナは何となく気味の悪さを覚えた。
翌日も、その翌日も、ウナギは昼間は岩の下に隠れて人目を避け、シナが水浴すると現れて、彼女の腰や手足にからみつくようになった。シナは徐々に恐くなり、共同の水浴場ではなく、家のそばの以前ウナギを飼っていた泉で水浴びをすることにした。
ところが、驚いたことに、ウナギはそこに移動してシナを待っていたのだ。
「お母さん、わたし、あのウナギが恐いわ」
「何だって?」
シナは母親に『ウナギの王様』の行為について相談した。母は初めのうち半信半疑だったが、彼が泉まで娘を追いかけて来るに及んで、ただごとではないと察した。
「シナ、お逃げ。村を出るんだよ。でも気をつけて、誰にも話しちゃいけないよ」
シナは用心をして身の回りのものをまとめ、夜明け前に家を出た。ウナギは泉の底で眠っているようだった。
3.
シナは暮らしていた村を出て、叔母の住む隣村へと歩いて行った。強い日差しに疲れた彼女が、木の下で休憩して水を飲もうとすると、ひょうたんの中にウナギの顔がみえた。まさかね……と思いつつ、シナはさらに旅を続けた。
夕暮れ。叔母の住む村の入り口にたどりついたシナが、お椀に水を入れて飲もうとすると、ひょうたんから……あのウナギが、銀の身体を光らせながら出てきて、観る間に大きく膨らんだ。今ではシナより巨きく、木の梢に届くほど伸びたウナギは、黒い眸で彼女を見下ろした。
「いーやああああああああっ!!」
シナは悲鳴をあげてお椀とひょうたんを放り出し、一目散に逃げだした。村じゅう、大騒ぎになった。
シナはとうとう島を出て、隣の島に渡った。ところが、翌日にはもう大ウナギがやってきたという報せがあった。ウナギは海を渡り、丘と森をこえ、しつこく彼女を追いかけた。へとへとになった彼女は、最後にとある村に辿りついた。
村の神殿では、
そのとき、男たちは、巨大なウナギが地響きをあげながら彼らめがけてやってくるのに気がついた。
「何だ、あれは?」
「こっちへ来る!」
「お願い、助けて下さい! ウナギがわたしを襲ってくるの!」
「なにぃ? 俺たちのシナちゃんに、けしからん! さあ、そこへ坐って!」
シナは、車座に坐っている男たちの輪のなかに入ると、その中心に跪いた。
ウナギはシナと同じく神殿の後ろから中に入り、彼女を守っている男たちの周りを巡ると、シナの正面にやってきた。そこで、ウナギはようやく口を開いた。
『シナよ、私はトゥイフィティという。貴女を妻にするために、フィジーからやって来た神だ。私は魔法でウナギに姿を変えていたのだが、その魔法を忘れてしまったので、元の姿に戻れなくなった。ここまで貴女を追いかけて疲れ果ててしまったので、私はもうじき死ぬだろう。
一つお願いがある。私が死んだら、私の頭を切り取って、貴女の家の前に埋めて欲しい。そこから木が生えてくるはずだ。
トエラウの風(注⑥)が止む季節になったら、その木の葉を切り取って団扇を編むといい。実がなったら中の汁を飲んでくれ。そうすれば、貴女が実に口をつけて飲むたびに、貴女は私に接吻してくれることになる……。どうか、私の最期の願いをかなえてくれ』
憐れなウナギは、こういい残すと、地面に倒れて死んでしまった。
シナは可哀想に思い、彼の願いどおりウナギの頭を切り取ると、自宅の前に埋めた。
やがて、ある植物が芽を出した。それまで誰も見たことがない奇妙な木で、どんどん高く伸び、葉は大きく風になびいていた。それは最初のココ椰子の木だった。
ココ椰子の実には、トゥイフィティの目と口がついている(注⑦)。
~『Shakin' The Tree』第三話・了~
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『Shakin' The Tree』第三話、解説
《ポリネシア諸島 サモア独立国》
ニュージーランドの北に位置し、サバイイ島とウポル島の二つの大きな島を合わせた面積は約2800平方キロメートル(東京都の1.3倍)、人口約20万人。首都アピアはウポル島にあります。18世紀にオランダ人、フランス人航海者が到着した後、19世紀は捕鯨船基地として栄えました。1899年にドイツが西サモア、アメリカが東サモア(現アメリカ領サモア)を領有。国連信託統治期間を経て、1962年に独立しました。議会制共和国、国民の約90%はサモア人(ポリネシア系)で、他にメラネシア系、中国系、欧州系、混血など。公用語は英語で、サモア語も話されています。宗教は主にキリスト教です。
《ウナギの情夫とココ椰子の起源神話》
本作品は、サモア独立国で蒐集された神話に基づきます。
頭骨からココ椰子が生えるというモチーフは、フィリピン、ニューギニア、ヴァヌアツ共和国にも。ウナギの情夫が登場する類話は、クック諸島、タヒチ、ツアモツ諸島にも分布しています。
(注①)シナ、ヒナ、イナ: いずれも女神の名で、月の女神、あるいは太陽と月の娘とされています。
(注②)トゥイフィティ、トゥナ: ウナギ神。海霊または水霊で、洪水や高波を起こす神です。
(注③)ウナギ: インドや中国では蛇または龍、インドネシアやオーストラリアでは蛇が「神」として崇められていますが、蛇の生息していないポリネシア諸島では、ウナギに変わったと考えられています。精力の象徴であり、水神です。実際にタヒチやポリネシア諸島の人々がイメージするのは、ウツボのような魚です。
(注④)サモアは母系社会で、一夫一妻制です。女性(母親)が一家の主として権威を持ち、男性は首長(マタイ)や牧師を除き、強い権限は持っていません。
(注⑤)ウナギの稚魚は深海に棲み、魚の死骸や微生物を食べていると言われますが、詳しいことは判っていません。
(注⑥)トエラウの風: 5~10月ごろまで吹く強い東風、貿易風。
(注⑦)ココ椰子の実: 実についた三つの窪みが人の顔にみえることから、こういう神話があります。「頭骨=ココ椰子の実」という観念は、首狩りの習俗や死体化生型神話と結びついているとされています。
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