第2話 エーリアの森で (アフリカ・コンゴ民主共和国)

1.


 夕暮れの森に、ロコレ(通信用木太鼓)の音が響いた。手のひらと指先で、繊細に音を叩きわけ、意味を伝える。


 ――”エフェロコ(酔わない男)がやって来たぞ。ロソンボ(集会所)に集まれ。トカノ(歌、複数形)があるぞ。みんな集まれ。”


 それで、村の男たち、女たちは集まった。子ども達も。余所者の私に長老たちが語る物語を、いつしか皆が楽しむようになったのだ。

 長老が、ひとりの少年に声をかけた。

「ロココ。エーリア(ピグミーチンパンジー)の火を持って来い」

 ロココは黒い瞳を輝かせ、跳ねるように森へと駆けていった。数分して戻ると、少年は、シロアリの巣の欠片を集めていた。

「シロアリの巣が、何故『エーリアの火』なんだい?」


 この辺りは、川によって運ばれてきた土砂が堆積してできた土地で、板根やタコの足のような支柱根をもつ大木が、鬱蒼と茂っている。一方、岩や小石はほとんどない。だから、煮炊き用の壺を置く炉石の代わりに、彼等はシロアリの巣を使っていた。


 私が問うと、ロココは何故そんなことを訊くのだという風に首を傾げ、長老と私の顔を交互に観た。話してもいいと判断すると、得意げに教えてくれた。

「エーリアは、僕らの祖先なんだ。大昔、リフェケ(ヤシの木の一種)が人間の村に住むことになって、御礼にペクワ(腰布)を織って配ってくれた。村人全員がペクワを貰ったけれど、エーリアだけは森へ出かけていて、貰えなかったんだ。帰って来たエーリアは、自分の分け前がないことに腹を立て、森へこもってしまった。その時、火に炙られて赤くなっていたニューリア(シロアリ)の巣を、火種と間違えて持って行ったんだよ」

「しいーっ」

 誰かが歯を鳴らした。

「エーリアたちが通るぞ」


 暗くなった森の梢を揺らして、ざわざわと風のような音がした。それはすぐ、ヒィーッという甲高い鳴き声の大合唱となり、藍色の樹冠を渡る黒い影の集団となった。

 枝を揺らし、葉を叩いて跳んでいく彼らを、私たちは、息を殺して見上げていた。やがて、妖精たちは闇のなかへ消え去り、辺りは静寂に包まれた。

 私はロココと顔を見合わせ、秘密を共有した喜びに、ひっそりと笑い合った。夜目に少年の歯は、白く輝いていた。


「さて、誰が始める?」

 長老が言うと、大人達は顔を見合わせ、一人の男が立ち上がった。眉間に数条の入墨を刻んだ狩人ボッケンベは、精悍な身振りで踊り出しながら、こういった。

「では、私がひとつ、イカノ(歌・単数形)を歌おう。ボイッター(注①)の歌だ――」



2.

 ある女が、赤ん坊を産んだ。女の子だ。母親が娘を抱いて歩いていると、エスクル(ミミズク)が飛んできて、その子を攫い、高い木のてっぺんに連れて行ってしまった。母親は嘆き、森の動物たちに助けを求めた。

「誰か。娘がエスクルにさらわれてしまった。ここへ来て、娘を下ろしておくれ」

 通りすがりのボロコ(小型のレイヨウ、ブルーダイカー)が声をかけてきた。

「どうしたんだい? おっかさん」

「エスクルが、娘を攫ってしまった。木のてっぺんにいるんだよ。登って助けておくれよ」

「お安い御用さ。でも、僕は今、お腹が空いて動けないんだよ」

 そこで母親は、クワンガ(キャッサバ団子)を炊き、鶏肉をヤシ油で炒めて、ボロコに食べさせた。たんとごちそうになったボロコは、さあ、どうしたか?


     ♪ 木に登ったか、登らなかったか。

       登らなかったか、登ったか……


「あんな高いところに登るのは、まっぴらさ」

 と言って、ボロコは森へ逃げて行った。


 母親が木の下で泣いていると、今度はロンベ(オオトカゲ)がやって来た。

「おっかさん、そんなに泣いて、どうしたね?」

「エスクルが、まだ赤ん坊の娘を攫って、この木のてっぺんへ連れて行ってしまったんだよ。お願いだから、下ろしてちょうだい」

「いいけど、おいらは、腹がへって動けないんだよ」

 そこで母親は、米を炊き、山羊の肉を煮て、ロンベに振る舞った。腹いっぱい食べたロンベは、どうしたか?


     ♪ 木に登ったか、登らなかったか。

       登らなかったか、登ったか……


「あばよ。おいら、木登りは苦手なんだ」

 ロンベはそう言い捨て、ササッと茂みの中へ逃げて行った。


 ソンボ(イボイノシシ)、ケンゲ(大型のレイヨウ、ボンゴ)、ボロ(水牛)、ジョウ(象)、エーリア(チンパンジー)、コイ(豹)が、次から次へとやって来た。けれども、彼等はみんな、ごちそうを食べるだけ食べると、母親の頼みを聞かず、さっさと森へ逃げ帰ってしまった。母親は疲れ、涙も枯れそうになっていた。


 そこへ、ボゴンド(ジネット)がやって来た。オレンジの背中に茶色の斑点をもち、猫のようにしなやかな胴、太い尾に美しい縞輪をもつ彼は、首を傾げて訊ねた。

「そんなに泣いて、どうしたんだい? おっかさん」

「ああ、ボゴンド。娘がエスクルに攫われて、ほら、木のてっぺんにいるんだよ」

「僕が助けてあげるよ。その前に、リッケンバ(バナナ)を一本、煮てくれない?」

 母親は、リッケンバを一本煮て、ボゴンドに振る舞った。食べ終えたボゴンドは、どうしただろう?


      ♪ 木に登ったか、登らなかったか。

       登らなかったか、登ったか……


 ボゴンドは迷うことなく、するすると木に登り始めた。その様子を上から眺めていたエスクルは、慌てて赤ん坊をおいて飛び去った。

 ボゴンドは、赤ん坊を抱いて、またするすると木から降りてきた。


「本当に、娘を救けてくれたんだね。ありがとう、ありがとう。娘は無事だった、恩に着るよ。ありがとう」

 母親は涙を流して喜び、娘を抱いて何度もお礼を言った。

「なんでもないことだよ。じゃあね」

 ボゴンドはそう言って、森へ帰って行った。



3.

 狩人ボッケンベが長い腕をひろげ、鞭のようにしなやかな身体で跳ねながら歌うと、村人たちは手を叩いて囃し立てた。


    ♪ 木に登ったか、登らなかったか。

      登ったか、登らなかったか……


 掛け合いは、いつまでも続き、笑い声は森に木霊した。


*****


 赤ん坊はボソウボノーレコと名付けられ、すくすく成長した。とても美しい娘に育った彼女を、男達の目から守るため、母親は彼女を家に閉じ込め、柵をめぐらせて見張りをするようになった。それでも、噂を聞きつけた森の動物たちが、求婚に来るようになった。


 最初にやって来たのは、ボロコ(ブルーダイカー)だった。母親は、相手が誰か判ると、何気なさを装って訊ねた。

「おや、ボロコさん、何の御用だね?」

「娘さんを貰いに来たのです」

 と、ボロコは答えた。母親は、ふんと鼻を鳴らして歌い始めた。


    ♪ ボソウボノーレコ、ボソウボノーレコ。

      男が来たよ、ボロコだよ。

      な奴だから、追い返そうね。


 母親は、ビラ(アブラヤシ)の種を拾って、ボロコに投げつけた。ボロコは悲鳴をあげて逃げ出した。

「痛いよ、やめてよ。」

「やめるもんか。お前なんか、こうして、こうして……!」

 母親は、ビラだけでは気が済まず、棒でボロコを打ち据えたので、ボロコは、ほうほうの体で森へ逃げ帰った。


 次に来たのは、ロンベ(オオトカゲ)だった。母親は両手を腰にあて、胸を反らして冷たく訊ねた。

「おや、お前はロンベじゃないか。ここに何の御用だい?」

「あんたの娘を、貰いに来たのさ」

 と、ロンベは答えた。それを聞くと、母親は手を叩き、同じ歌を歌った。


    ♪ ボソウボノーレコ、ボソウボノーレコ。

      男が来たよ、ロンベだよ。

      嫌な奴だよ、追い返そうね。


 そして、ビラをロンベに投げつけた。ロンベは悲鳴をあげた。

「やめておくれ、痛いじゃないか」

「痛けりゃ、とっとと森へお帰り!」

 母親は、棒でロンベを叩いた。ロンベは、短い手足を不器用に動かしながら、慌てて森へ逃げて行った。


 ソンボ(イボイノシシ)、ケンゲ(ボンゴ)、ボロ(水牛)、ジョウ(象)、エーリア(チンパンジー)、コイ(豹)がやって来たが、皆、同じように母親に追い返されてしまった。


 最後に、ボゴンド(ジネット)がやって来た。足音をたてない彼がゆらゆら尾を振りながら来るのを見ると、母親は喜んで歌い始めた。


    ♪ ボソウボノーレコ、ボソウボノーレコ。

      男が来たよ、ボゴンドさ。

      いいひとだから、中に入れるよ。


「ボゴンドさん、待っていたんだよ。娘はとっくに、あんたのものさ」

 母親はこう言って、ボゴンドを家に招き入れた。娘ボソウボノーレコも、ひと目でボゴンドを気に入った。



4.

 お話は、これで終わるかと思われた。ところが、バホーチュレという名の鍛冶師が、立ってこう歌い始めた。

「儂のイカノ(歌・民話)は、こうなっとる――」


*****


 ボゴンド(ジネット)は、美しいボソウボノーレコをお嫁さんに貰い、自分の家に連れて帰ることになった。ところが、これを聞いた森の動物たちは、怒り出した。

「なに? ボゴンドの奴が、ボソウボノーレコを娶っただと。おれ達を尻目にかけるとは、生意気な野郎だ。思い知らせてやる」


 ボゴンドとボソウボノーレコが、仲良くボゴンドの村を目指して歩いていると、誰か、山刀で畑を切り拓いている者がいた(注②)。バサッバサッと枝を払っていたのは、ずるいボロコ(ブルー・ダイカー)だった。ボロコが訊ねた。

「そこを行くのは誰だ?」

「ボゴンドだ。妻を連れて、家に帰るところだ」

「ボゴンドだと? 通さないぞ、決闘だ!」

 ボロコは山刀を手に、道へ跳び出して来た。二人が戦い始めたので、ボソウボノーレコは、歌をうたって夫を応援した。


     ♪ ボゴンド、ボゴンド。負けないで。

      そいつを倒して、転がして。


 ボゴンドは、ボロコを地面に押し倒すと、喉を掻き切った。


 二人が再びボゴンドの村を目指して歩いていくと、今度はロンベ(オオトカゲ)に出会った。ロンベも山刀を持って、畑を拓いている最中だった。

「そこを通るのは誰だ?」

「ボゴンドだ。妻と一緒に村へ帰るところだ」

「なに、ボゴンド? そこを動くな! 決闘だ」

 ロンベは、山刀を持ってのっそり出て来た。ボソウボノーレコは、また歌をうたって夫を応援した。


     ♪ ボゴンド、ボゴンド。負けないで。

      そいつを倒して、転がして。


 ボゴンドは、ロンベを地面におさえつけた。

「さあ、これでおしまいだ」

 そう言って、ボゴンドはロンベを殺した。


 その後も、二人が出会った森の動物たちは、次々にボゴンドに挑戦した。ソンボ(イボイノシシ)、ケンゲ(ボンゴ)、ボロ(水牛)、ジョウ(象)、エーリア(チンパンジー)、コイ(豹)……。ボゴンドは、次々に彼等を倒していった。


 二人がもう少しで村に辿り着こうかというとき、道に、小さな動物が走り出て来た。臭いボスンガ・ンソレ(ジネズミ)だった。ボスンガ・ンソレは、ボゴンドに言った。

「さあ、ボゴンド。今度は、僕が相手だ!」

 二人が戦い始めたので、ボソウボノーレコは、歌って夫を応援した。


     ♪ ボゴンド、ボゴンド。負けないで。

      そいつを倒して、転がして。


 ところが、今度は逆になってしまった。ボスンガ・ンソレはボゴンドを倒し、彼の喉を掻き切ってしまった。


 ボソウボノーレコは、声をあげて哭きだした。

「私はボゴンドを夫にすると決めていたのに、殺されてしまった。この臭い、ちっぽけな獣の妻にならないといけないなんて!」


 ――しかし、彼女はもう、ボゴンドを倒したボスンガ・ンソレの妻になる以外に、道はなかった。ボソウボノーレコは、ボスンガ・ンソレの後について、とぼとぼと歩き始めた。今度は、彼の村へ行くのだ。


 しばらく歩いていくと、道をバヒンバ(サファリアリ)の行列が渡っていた。ボソウボノーレコは足を止め、悲し気に歌い始めた。


   ♪ こんなバヒンバの列の上を、裸足で歩いて通れと言うの。

     前の夫ボゴンドは、こんなところを通らせなかった。

     どうしても私に通らせたいのなら、モソロ(婚資)をくださいな(注③)。


 ボスンガ・ンソレは、彼女にロクラ(両刃のナイフ)を与えて機嫌をとった。二人がそこを通ってさらに行くと、今度は川が流れていた。ボソウボノーレコは、また歌った。


   ♪ 前の夫ボゴンドは、決して川など渡らせなかった。

     どうしても川を渡れというのなら、私にモソロをくださいな。


 ボスンガ・ンソレは、彼女にリコンガ(槍)を与えて機嫌をとった。二人は、ボスンガ・ンソレの家のロッパンゴ(庭)に辿り着いた。ボソウボノーレコは、柵の前に立ち止まって歌った。


   ♪ これがボゴンドの家のロッパンゴならば、どんなに嬉しいことでしょう。

     どうしてもここに入れというのなら、私にモソロをくださいな。


 ボスンガ・ンソレは、彼女に小さなコンガ(足輪)を与えて機嫌をとった。二人が家の戸口に着くと、ボソウボノーレコは、また足を止めて歌った。


   ♪ これがボゴンドの家ならば、どんなに嬉しいことでしょう。

     どうしても家に入れというのなら、私にモソロをくださいな。


 ボスンガ・ンソレは、彼女に大きなコンガ(足輪)を与えて機嫌をとった。二人が家に入り、部屋のまえまで来ると、ボソウボノーレコは、また歌った。


   ♪ これがボゴンドの部屋なら、どんなに嬉しいことでしょう。

     どうしても私に妻になれというのなら、モソロをくださいな。


 ボスンガ・ンソレは、大きなリコンガ(槍)を探し出して、彼女に与えた。こうして、やっと二人は夫婦になったのだ。



5.

「そんな話だったか?」

 と、ボッケンベが言った。

 バホーチュレは頷いたが、長老たちは互いにああだこうだと言い合い始めた。イカノ(民話)は、歌い手によって話の筋が変わると言ってよく、そのどれも正しいのだ。


 恋するボゴンド(ジネット)と結ばれなかった悲劇のヒロイン・ボソウボノーレコは、彼等の部族の英雄ボイッタードンゴの母親で、ボスンガ・ンソレ(ジネズミ)との間に、ボイッターを含め二人の息子と、十人の娘を産んだ。

 ボイッタードンゴは、実父を殺されたのち、仇を討ち、動物界と人間界を征服した。やがて、星、月、太陽へつづく道を拓いて、この世に光明をもたらしたのだ。



 あれから、十年以上――


 治安の悪化したコンゴから、私は離れなければならなかった。紛争が終わっても、なかなかかの地は落ち着かなかった。

 ようやく戻った私は、彼等の村を捜したが、跡形なく、森は小さくなっていた。ロソンボ(集会所)だった空き地には重機が入り、砂埃を舞い上げていた。


 川岸に朽ちたロコレ(通信用木太鼓)が放置されているのを眺めていると、声をかけられた。

「それはもう、使われていないよ」

 振り返ると、Tシャツに擦り切れたジーンズを穿いた青年が、ひとり立っていた。彼が銃を脇に抱えていたので、私は少し緊張した。しかし、よく観ると銃は錆びつき、弾倉はなかった。

 澄んだ黒い瞳の青年に、私は訊ねた。

「この村に住んでいた人たちは、どこへ行ったか知らないか? ロコレがなくて、どうやって連絡を取るんだい?」

 青年は、肩をすくめた。

「もう誰も、叩き方を覚えていないよ。今は中国製の携帯電話があるから、困らない。電波状況は良くないけれど」

「中国製……。」

「あんた、エフェロコ(酔わない男)だろ?」

 突然、懐かしい名で呼ばれ、私は息を呑んだ。いくら飲んでも翌朝には仕事に出る日本人の私を揶揄して、彼等がつけた異名だ。

 まじまじと見詰める私に、青年は、ぎこちなく微笑んだ。

「帰って来たんだ。オレ、ロココだよ。覚えてる?」

「ロココ……!」

 日焼けした顔にかつての少年の面影をみつけ、私の目頭が熱くなった。しかし、そこから言葉を続けることが出来ない。

 ロココもまた、決まり悪そうに横を向き、鼻の下を片手でこすった。

「村は、もうない。奴らに襲われた」


 彼の言う『奴ら』が、誰なのか――RCD (コンゴ民主連合:ルワンダが支援する反政府組織)か、大統領に私物化された政府軍か、MCL (コンゴ解放運動:ウガンダが支援する反政府組織)か、はたまた別の部族の民兵か――私は訊かなかった。子どもだった彼には、どこだろうと関係ない。


 ロココは項垂れ、洟をすすった。

「ボッケンベは、殺された。バホーチュレも。母さんと姉さんはレイプされて、母さんは死んだ。姉さんは、どこにいるか判らない……。オレは父さんと連れていかれて、オレだけ、帰って来た」

「…………」

「全て、忘れてしまった。ロコレの叩き方も、狩りも、罠の仕掛け方も……。今のオレに出来るのは、これだけだ」


 そう言うと、ロココは、抱えていたAKM(近代化カラシニコフ自動小銃)を、ものの数分で分解してみせた。呆然と見守る私の足元に、ばらした銃の部品を放った。


「連れて行かれた先で、教わったんだ。手入れしないといけないから。……持っていく?」


 武装組織は、好んで子どもを連れて行く。恐怖と暴力で彼らを縛り、兵士に変えるのだ。ロココを連れ去ったのも、そんな連中だったのだろう。


 私が慌てて首を横に振ると、青年は、くすりと哂った。

「ヨーロッパでは、芸術品になっているんだろ。この前は、日本人が持って帰った。大丈夫だよ、組み立てはやらない」

「ロココ」

 私は、ほっと息を吐いた。彼の視線の先には、国連のマークをプリントしたテントが並んでいた。きっと、キャンプには、彼の仲間がいるのだろう。


 ロココは、窺うように、私の顔を見上げた。

「エフェロコは、ここで学校を作っていると聞いた。何を教えている? 算数? 農業?」

「あ、ああ」

 私は肯いた。私達は、確かに、そういう活動をしている。

 ロココは、照れくさそうに微笑んだ。

「オレも教わりたい……。『ボイッタードンゴ』を、あんたは覚えているか? ボッケンベの話を」

「勿論だ」

 私は頷き、青年と握手した。ロココの手は荒れていたが、力強かった。


 そうして、私たちは森へと歩きだした。ニンゲンのではなく、エーリアの火を探しに。






~『Shakin' The Tree』第二話・了~

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『Shakin' The Tree』第二話、解説


《コンゴ民主共和国 (旧:ザイール共和国》


 首都はキンシャサ、アフリカ大陸中部、赤道直下に位置します。面積は234.5万平方キロメートル、人口は7,874万人(2016年世銀)。バンツー系、ナイル系諸民族で構成され、公用語はフランス語。キコンゴ語やスワヒリ語、リンガラ語なども使われています。主要な宗教はキリスト教(80%で、うち50%はカトリック)で、イスラム教(10%)となっています。

 1960年、コンゴ動乱を経てベルギーから独立し、コンゴ共和国となりました。1965年、クーデターによりモブツ政権が誕生し、1971年にザイール共和国に国名を変更しました。

 1996~1997年、第一次コンゴ内戦が勃発し、モブツ大統領は国外へ逃亡。ローラン・デジレ・カビラ大統領が就任し、国名もコンゴ民主共和国となりましたが、翌1998年には第二次コンゴ内戦が発生。ウガンダ、ルワンダが反政府組織を支援し、ジンバブエ、アンゴラ等がカビラ大統領を支援して派兵したため、国際紛争へと発展しました。2001年、デジレ・カビラ大統領が暗殺され、息子のジョゼフ・カビラ氏が大統領を継ぎました。2002年12月に国内全勢力が参加して「プレトリア包括和平合意」が成立し、その合意に基づき2003年7月に暫定政権が成立。2006年にようやく大統領選挙と国民議会選挙が実施され、ジョゼフ・カビラ氏が当選。2011年に再選され、任期は2016年12月で満了しましたが、次の大統領選挙を行う目途が立たないため留任しています。


 部族間対立や、天然資源(世界生産量1位のコバルト、2位のダイヤモンド、1位の金など)を巡る武装勢力・周辺国からの介入により、不安定な情勢が続いています。2014年以降、国連発表で700名以上の民間人が殺害され、女性の性被害も深刻です。


 2018年10月、同国で活躍する医師デニ・ムクウェゲ氏がノーベル平和賞を受賞しました。



《モンゴ族》


 バンツー系大部族のひとつ、コンゴ川中流域にひろがるコンゴ盆地、コンゴ大森林に暮らす焼畑農耕民族です。狩猟、漁撈も行います。狩猟は主に男性が行い、弓矢や罠、狩猟用巻き網「モキラ」を用いるものがあり、一定期間森に小屋(リロンベ)を作ってそこで暮らします。女性は「ブーハ」と呼ばれる特徴的な”かい出し漁”を行います。タロ芋やキャッサバ、トウモロコシなどの畑で栽培する作物の他、狩猟で得たダイカー(小型のレイヨウ)などの動物、魚、昆虫類も食べます。男女は分業しており、手伝い程度はしますが、互いの仕事を入れ替えることはしません。


(注①)ボイッター: モンゴ系部族で語られる英雄譚の主人公「ボイッタードンゴ」は、部族の始祖とされています。長大で複雑な物語で、ヴァリエーションも豊かです。主人公は「ボイッター」「ボロンガ」「イココヨーコンベ」「イクンバーデンゴ」など沢山の異名を持っています。物語自体を、主人公の名から『ボイッタードンゴ』、または『ボイッター』と呼びます。


(注②)畑を拓く: モンゴ族は焼畑農耕民族です。


(注③)モソロ(婚資): モンゴ族の結婚は、夫が「モソロ」を妻の家族に支払うことによって成立します。このモソロは儀礼的に特別に作られた槍や両刃のナイフ、足輪などで、実用的なものではありません。日本では結納に当たるのかもしれませんが、妻は結婚後も実家の村に所属しており、夫の村に「出向」している形です。妻の家族(姻族・モキロ)側は、結婚している間に何度もモソロを要求できますが、夫と死別したり離婚したときは、それまでに支払ったモソロを夫の家族に支払う必要があります(実際は話し合って決めています)。



《登場動物紹介(一部)》


エーリア (ピグミー・チンパンジー): コンゴ川流域南部の森林に生息する小型のチンパンジー。モンゴ族の暮らす地域にほぼ一致して生息しています。体重約35kg。


エスクル (ミミズク): モンゴ族の人々にとって、夜に鳴くミミズクはドキ(呪術師)の使徒とされ、忌み嫌われています。民話では、悪役の代表です。


ボロコ (小型のレイヨウ、ブルーダイカー): ダイカーのなかでも小柄で、体重約5~10kgほど。森に多く住み、狩猟の対象となっています。


ロンベ (オオトカゲ、アフリカン・モニター): 川辺に住むオオトカゲ。外見は醜いが、肉は美味しいそうです。


ケンゲ (大型のレイヨウ、ボンゴ): ウシ科、世界四大珍獣の一種。赤茶色の体に白く細い縞を10本ほど持ち、背筋にはたてがみを持っています。雌雄ともに角があります。体重約250kg


ボゴンド (ジネット): ジャコウネコ科、尾を除いた体長は約50cmほどで、毛皮は美しく利用価値が高い。娘を助ける役で、民話にしばしば登場します。


ボスンガ・ンソレ (「臭いネズミ」の意味、ジネズミ): ジャコウネズミ科、黒っぽい体で口吻が長く突き出したネズミ。道を横切っただけで強烈な臭いがする、と言われています。


バヒンバ (サファリアリ): 頭と顎がやたら大きい赤褐色のアリ。大群で隊列を作って森のなかを移動し、どう猛で何にでも噛みつく習性をもっています。


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