第13話タイムリープ2日目ー8
妹を呼んだ声。
その声には、嫌になるほど聞き覚えがあった。
「こんなところにいたんだな」
真理の父親――いいや、違う。真理を殴っていた、屑野郎だ。
「真理、お父さんと一緒に帰ろう」
真理の父親は、真理とは全く似ていない。
痩せすぎていて、まるで干からびたミイラだった。顔艶もよくなくて、不健康な生活が人目で見て取れた。唯一、小柄であることだけが共通点だ。
「真理……真理……」
蘇った亡者のように、屑は真理に手を伸ばそうとする。
俺は、真理を背中に隠した。
「あんたは、もう真理の父親じゃない!!」
真理を殴っていた時点で、父親の資格なんてなかった。
だが、屑は俺を睨みつける。
「お前に何が分かる!俺と真理は、ずっと親子二人だったんだ。途中から現れた、お前に何が分かるんだ!!」
「お前は、屑だ!!」
俺は、叫んだ。
全世界の人間に、真実が届くように。
「屑のお前が父親なんて、笑わせるな!俺が生きているうちは、真理には指一本触らせるものか」
母親が再婚して、俺に妹が出来た。
突然のことだった。
けれども、妹が出来たときに思ったのだ。真理を大人になるまで守るのが、俺の使命だと。初めて会った女の子に、そんな感情を抱いた。
「……邪魔だ」
真理の父親は、俺にそう言った。
痩せた真理の父親が鞄から取り出したのは、包丁だった。どこにでも売っている、よくある包丁。それは前の時間軸で、美羽に突き刺さっているものと良く似ているような気がした。
「お前らさえいなければ……お前らさえいなければ」
念仏を唱えるような平坦さで、屑は恨みを呟く。
俺がいなければどうなっていた、というのだろうか。どうにもならなかった、だろう。屑は真理を殴り続け、いつか真理を殺していただろう。殺さなくとも、屑は真理に寄生して真理の人生を台無しにしてしまったに違いない。
俺と母親は、それを阻止した。
「お前さえいなければ……お前さえいなければ」
それでも屑は、恨む。
包丁の切っ先が、俺のほうを向いていた。
「お兄ちゃん!」
真理の悲鳴。
気がつけば、屑が目の前にいた。包丁もあと少しで、俺に突き刺さろうとしていた。俺は悲鳴を上げようとする。だが、俺が悲鳴をあげる前に俺の腹に包丁が突き刺さった。
「うわぁぁ!!」
痛みより、屑が近くにいることが耐えられない。
俺は、真理の父親を突き放した。
「岬!」
大和が、大声で俺を呼ぶ。
俺はぼんやりと、自分の腹を見た。
突き刺さっている包丁を見た。コレは屑から与えられた、暴力だ。俺は痛みよりも、暴力を嫌悪した。こんなもの与えられたくないし、与えられているところを見せたくもない。俺は、自分に刺さっている包丁に触れる。
「やめろっ」
苦しそうな、大和の声を聞いた。
俺は顔を上げて、大和のほうを見る。ほとんど表情を変えない大和が、苦しそうに表情をゆがめていた。まるで、大和のほうが刺されたようだった。
そういえば、昔も母親の前で殴られたことがあった。
この屑にも殴られたし、実の父親の屑にも殴られた。そのときに一番最初に感じるのは、痛みよりも心配だった。母親が俺のために、無茶なことをしないかどうかが心配だった。今も、俺は大和のことが心配になっていた。
俺は屑の血を引いている。
いつか、きっと、どうしようもない失敗をして地獄に落ちるのだろう。あるいは、神様に殺されるのかもしれない。そんな、どうしようもない俺のために馬鹿なことだけはしないで欲しい。
俺は、自分の腹に突き刺さった包丁を引き抜く。屑の遺伝子を含んだ真っ赤な血液が、どんどんと流れ落ちて――俺の足元に水溜りを作る。
俺は、ほんの少しだけ笑った。
コレは他殺ではなくて、自殺なのだ。だから、誰かが俺のために馬鹿なことをするはずもない。だってこれは、俺が自分勝手にやっている我がままなのだ。
俺の手から、包丁が零れ落ちる。
その包丁を拾ったのは、大和だった。
大和は俺の血でぬめる包丁を握り締めて、俺を指した屑を睨みつける。屑は大きな大和の存在に気がついて、怯えていた。
「俺は、悪くない。俺は……悪くない」
屑は、震えながら叫ぶ。
大和はそんな屑を一瞥し、冷たい表情を浮かべた。そして、獣のように屑に襲い掛かる。屑を押さえ込むと、その脳天に包丁を突き刺した。
一回で屑は、死ななかった。悲鳴を上げながら「ごめんなさい。許して、許して!」と心にもない悲鳴を上げる。その悲鳴を聞きながら、大和は何度も屑の脳天に包丁を突き刺そうとする。何度も、何度も、狂ったように。
「守れなかった……」
大和は、小さく呟いた。
「母さん」
その言葉は、まるで泣いているかのようであった。
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