第5話タイムリープ1日目ー5

「……そんな怖いことがあったの?」

 学校からの帰り道。

 真理は、俺の話を目を見開きながら聞いていた。

 女の子が刺された事件があった直後、俺はすぐに真理に連絡を取った。「危ないから、今日は俺が迎えにいく」と妹に伝えるためだった。

 女の子は学校の内部で刺されていが、もしかしたらこの田舎町にまだ家の女子生徒を指した殺人鬼がいるかもしれないのだ。そう思うと、真理を怖くて一人で下校させたくなかった。

 高校であった事件は、どうやら近場の中学校では「事件があった」程度しか報告されなかったらしい。学校で生徒が刺殺されたなんてショッキングな内容だから、なのかもしれない。しかし、中学校側は今日は早くに生徒を帰したがった。もちろん、部活も禁止。

 高校のほうは救急隊が来て、警察が来て、それから生徒たちは速やかに帰宅という流れになった。俺はそこから真理を迎えに行ってから、本来下校する時間よりも俺も真理もかなり遅れてしまった。そのせいで、道には俺と真理以外の生徒は見当たらなかった。妹と二人で、田んぼが夕焼けで真っ赤に染まる光景を歩きながら見ている。

「田舎は平和だと思ってたけど……ずいぶんと怖いんだね」

 真理が、自転車のハンドルをぎゅっと握り締めたのを見てしまった。

 都会に住んでいた頃は、周囲に人が溢れていて色々な人がいた。だから、心のどこかで事件が起きるのは仕方がないことだと思っていた。だが、田舎は人が少ないから――都会でも滅多に起きないような事件が起きるとは思っても見なかった。

「こんな事件は滅多にないと思うけど、しばらくは一緒に登下校しような」

 田舎の警察なんて当てにならないし、自分と家族の身は自分で守らなければならない。それに真理の父親の件もまだ解決していない。兄妹二人で行動するのは、身を守る上では一石二鳥だと思った。

「でも、私の学校とお兄ちゃんの学校って道が反対だよ」

 いいの、と真理は俺に尋ねる。

「いいって、可愛い妹は兄が守らないとな」

 母親のことも気になったが、母は車で通勤している。

 俺が送っていく必要なんてない。

「お兄ちゃん、どうして私にそんなに優しくしてくれるの?血だって、繋がってないのに」

 真理は、申し訳なさそうに顔を伏せる。

 いじらしい妹の言葉に、俺は少しばかり考える。兄として、妹を絶対に不安にはさせたくはなかった。

「血の繋がりなんて、関係ないだろ。俺たちは兄弟なんだから」

 俺は真理の笑顔が見たかったが、真理は笑ってはくれなかった。顔を合わせたことがないとはいえ、人間が死んだと聞かされたばかりは無理もないかと思った。

「お兄ちゃん……あれ」

 真理に呼び止められて、俺は足を止める。

 夕日の向こう側から、誰かがこちらにゆっくりと歩いてきていた。高い身長と短い短髪が、逆光でもシルエットとなっていたから俺には分かった。夕日を背に、ゆらり、ゆらりと、とその人物はこちらに向ってくる。

 真理が、俺の袖を引っ張った。

 だが、俺は動くことができなかった。

「大和……」

 歩いてきたのは、大和だった

 とっくに家に帰ったはずの奴は、ぼんやりと歩いていた。ふらふらと歩く大和は、まるで熱病にうなされたようであった。

「どうしたんだよ……大和」

 俺の声が、震えていた。

 大和は、学校で見たときとは全然違う姿になっていた。全身、真っ赤な返り血を浴びていた。新品の制服は鮮血を吸って、ぐっしょりと濡れている。手には、家庭用の包丁を握っていた。

 ただ事ではない、姿であった。まるで、殺人を犯してきたかのような姿に俺は緊張する。真理を守らなければならない、と思った。

 俺は、真理の肩を押す。

 逃げろ、と言いたかったが言葉が出なかったのだ。なにより、大和を刺激してしまうことも恐かった。

 大和はぎろりと鋭い目で、俺と真理を見た。その目はぎらぎらとしていて、まるで獲物を見定めているかのようであった。真理は、その目に少しばかり怯えたようであった。

 だが、俺と目があった瞬間に大和の視線は和らいだ。まるで、少しばかり安心したかのような目であった。俺は、そのことにほっとした。大和には、理性が残っているように感じられた。大和はもしかしたら殺人を犯したかもしれないが、俺たちを殺しはしないだろう。そんな安心感が、俺のなかに生まれた。

「お前……本当にどうしたんだよ」

 今の大和は、正気ではなかった。いや、もっと正確に言うのならば狂気から正気に戻りかけているように見えた。誰かが戻さないと、永遠に大和は戻ってこないように俺は思った。

「お兄ちゃん!」

 真理が、俺と大和の間に入ろうとする。

 俺を守るために、妹が勇気を出したのだ。

「ダメだ!」

 俺は叫んだ。

 大和の瞳が、恐怖に揺らいだ。その時、俺はまずいと思った。俺の大声が、大和を刺激してしまった。大和の目は、再び色濃い狂気に染まっている。引き戻すことは、できなかった。大和は狂ったままだった。

 大和が動いた。

「危ない!!」

 咄嗟に、俺は真理を庇った。

 その動きに、大和は目を丸くした。本当は、大和は止めたかったのかもしれない。けれども、一度決断したナイフは止めることができなかった。俺の腹部に、大和の包丁は深々と突き刺さった。

 大和に刺されたのは――俺だった。

「お兄ちゃん!!」

 妹の――真理の悲鳴が聞こえる。

 俺を刺した大和は、戸惑った顔をしていた。そして、俺の血を浴びて大和はうなり声をあげた。助けて、とは一言も言わなかった。ただ、獣のように叫んだ。

 そして、立ち上がる。

 薄らぐ意識のなかで、俺は大和の足を掴んだ。

 真理を守らなければならないという思いからであった。腹部は痛んだが、絶対に大和の殺意を真理に向けさせてはいけなかった。大和は、ぼんやりと俺を見つめた。刺した俺をぼんやりと見つめて、涙を流した。

「もう、ダメだ」

 大和は、自分自身に向かって包丁を向ける。

 それは彼の首筋に、ぴたりと当たっていた。ほんの少しだけ力を入れれば、血が吹き出る。そういう血管に、大和は包丁の刃をつきたてる。

 俺は、大和の足をぎゅっと握り締める。

 死ぬな――と言いたかった。

 言いたかったのに、もう俺は言えなかった。

 大和は、俺を見る。そして、俺に向って手を伸ばした。自分で包丁を突き刺して、殺そうとしたくせに大和は俺の状態に涙していた。

「――ごめん」

 そういって、大和は首に包丁をつきたてる。

 真っ赤な血が噴出して、恐ろしいほどに周囲が赤に染まった。

 

 ああ――俺は死んだのだ。

 とても、あっけない人生であった。

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