第2話タイムリープ1日目―2
大都会の東京から、街に出るまで路線バスを二本乗り継ぐほどの田舎に引っ越してから数週間が経った。窓を開ければ広がる田園風景に、俺は未だに慣れない。
生まれたときからコンクリートジャングルしか見ていなかったから、季節どころか日を追うごとに変わっていく植物の様子に驚いてしまうのだ。
生き物なんだから植物に変化があるのは当たり前だが、何年経っても変化しないコンクリートとプラスチックに囲まれていた俺の価値観は崩れ去ってしまった。
風景は変化しないで自分たちだけが成長したり老いたりするのだ、と思っていたけれども田舎は風景も人間と一緒に変化していく。
良くテレビとかで、田舎で暮らして人生が変わったという話しを聞く。
今ならば、その話が理解できる。自分と周囲が一つであるという感覚は、都会では忘れがちな感覚なのだ。
田舎の朝は、都会の朝より遅い。
引越しのせいで家と学校の距離が近くなったのだが、朝に時間の余裕があるのは嬉しい。東京といっても前は交通の便が悪いところに住んでいたから、学校に行く二時間前には起きて準備をしなければならなかった。今ならば、一時間半前に起きるだけで事足りる。
俺は伸びをして、ベットから起き上がった。
元の家から持ってきた古いベットは、それだけで軋んだ音を立てた。古いのはベットだけではなくて、家全体が古い。室内をあるけばそれだけで家鳴りが音を立てるし、蔦が壁一面を覆っている家の外観はお化け屋敷そのものだ。
家賃が月四万円と格安の一軒屋なのだが、築四十年のおんぼろである。バス停からも遠い最悪の物件状況なので、家主もきっと適当に値段を決めたに違いない。この家に俺達が住むと決めたとき、家主は驚いていた。きっと、この家に住みたいという貧乏人が現れるとは考えていなかったらしい。
俺たち家族は、格安で住むところが見つかってよかったけど。
俺は壁に張ったカレンダーを確認する。
四月六日。
今日から俺の高校生活が始まり、妹の中学校生活も始まる。記念すべき日だし、祝うべき日だとも思う。母親が仕事で、妹の晴れ姿を見せられないのが残念でならない。
高校入学のために買ってもらった制服に手を通す。
やはり、少し大きい。母親いわく俺自身がすぐに大きくなるから問題ないと言っていたが、本当にそうなのだろうか。精神ばっかりが古びた俺は、自分がこれ以上成長する未来を上手くは思い描けない。
「お兄ちゃん、おはよう」
ノックもせずに、妹が俺の部屋に入ってくる。
普通の人間相手ならば眉をしかめる無礼だが、妹ならば大歓迎だ。妹と俺は血が繋がってないけれども、彼女は凄く可愛らしい。小柄で、真っ直ぐな髪の毛をセミロングぐらいまで伸ばしている。清楚系のアイドルみたいな容姿だ。
「おはよう、真理」
「今日はね、お母さんが朝ごはんを作ってくれたよ」
食事を作るのは、当番制だ。ただし、誕生日とかの祝い事の時には母親が作ることになっている。俺は、ちょっとばかり浮かない気持ちになった。母の名誉のために言っておくけど、母親の料理は上手い。主婦だから手際もいい。
ただし、母親が育ったのは俺達が今住んでいる田舎と同レベルの田舎である。そんな田舎で育った母親の価値観に、現代っ子の俺達がついていけないだけだ。
台所の炊飯器を空けると、中に入っていたのは蜂の炊き込みご飯。母親は栄養満点の蜂料理こそがご馳走と思っている節がある。そのため、お祝いの日にはいつもこれである。俺達はなれたけど、あんまり食べたいものではない。
「真理。弁当はパンにしような。中学校には購買がないんだろ」
こんなもの弁当につめたら、登校初日からクラスメイトに避けられてしまう。もしかしたら、これが原因で虐めにあってしまうかもしれない。可愛い妹をそんな目には合わせたくない。
「うん。近くにコンビニがないとこういうときに不便だね」
困ったように真理は言う。
前に住んでいたところにはコンビニなど腐るほどあったが、ここには個人が営んでいるスーパーしかない。しかも、開店は十一時から。学生は利用できないシステムなのだ。高校には購買部があるらしいからいいけど、中学校にはないらしい。田舎の学校こそ、購買部を置いて欲しいのに。
俺は真理のために買い置きの食パンを取り出して、ハムとチーズだけの簡単なサンドイッチを作った。ラップにサンドイッチを包んで、お弁当は完成した。
真理も俺の分もご飯をよそってくれていて、妹と二人で朝ごはんを食べる。蜂の炊き込みご飯と漬物だけの食卓だったが、可愛い妹と二人ならば幸せだ。たぶん、これ以上の幸福なんてこの世にないんじゃないんだろうか。
「初の中学校生活も頑張れよ」
「お兄ちゃんこそね」
食べ終わった食器を水につけて、俺達は家を出る。
バス停が遠いから、俺達兄弟は自転車でそれぞれの学校に向うことになる。妹が自転車を漕ぎ出して学校に向う後姿を確認してから、俺は自分の自転車のペダルに足を乗せた。
永遠と続く、田舎道。
舗装されてない道はでこぼこが多くて、おんぼろ自転車では進むのも大変だ。けれども、この自転車は俺が生まれて始めてのアルバイト代で購入したものなのだ。どんなにおんぼろでも、愛さなければという妙な義務感があった。
ちなみに、妹の自転車も俺がアルバイトで買ったものだ。ピンク色の可愛い自転車に乗る妹は、青春ドラマの主人公みたいにさわやかに見えた。うん、ちょっとだけ高かったがやっぱりピンク色のを買ってよかった。
自転車を力強く自転車でこいでいると、携帯が震えた。俺の番号を知っている人間は、家族以外にはあまりいない。母親に何かあったのだろうかと思って、俺は急いで鞄に入れていた携帯を取り出した。
電話の相手は、妹の従兄弟からだった。
妹の父親も屑で親戚とはほぼ縁を切られていたが、唯一妹のことを心配してくれていた親族がいた。妹の従兄弟はその奇特な家族で――そこの息子(つまりは妹の従兄弟なのだが)と俺は同い年で気があった。そのため、携帯番号を交換していたのだ。田上美郷というフルネームが、俺の携帯に表示された。
「美郷、何かあったか?」
美郷との遣り取りは、ほとんどSMS上で済ませてきた。
電話の遣り取りをしたのは、母親が真理の父親と離婚したとき以来かもしれない。付き合いが薄いように思われるが、現代ではとくに珍しいことはでないだろう。
「おう、岬」
電話口で、美郷が俺を呼ぶ。
溝口岬というのが、俺のフルネームである。
俺と美郷が仲良くなったのは、なんだが名前の響きが良く似ているせいもある。
俺も美郷も自分の名前が好きではない。美しすぎて、女みたいな名前だからだ。そのおかげで、俺と美郷は仲良くなったけど。
「真理の親父、行方不明になっているらしいぞ。今日、朝一で警察が家にきたんだ」
美郷の言葉に、俺は一瞬言葉を失った。
真理の父親は、俺の父親と同じように屑だ。だが、母親と離間する際に真理の親権を求めた。真理の父親は俺達と娘は血が繋がっていないと主張し、俺達家族から妹を引き離そうとしたのだ。だが、屑の魂胆は分かっている。
真理の父親は、真理に寄生しようとしていた。
まだ中学生――当時は小学生だった自分の娘を守ろうとはせずに食い物にしようとしていたのだ。でも、俺と母親は真理の家族になる権利を勝ち取った。
けれども、俺も母親もいつか父親が真理を奪いに来るだろうと予測をしていた。恵美の父親の目をくらませるために、俺達はこんな田舎に引っ越してきたのだ。
「俺達がこっちに引っ越したこと、真理の親父には分かりっこないよな?」
少しばかり、不安だった。
都会でよく見かけた探偵社の看板。昔雑誌で読んだことがあるが、性質の悪い探偵は金をもらって真理の父親のような屑のために家族を探すらしい。もしも、真理の父がそんな探偵に依頼していたとしたら、俺たちの居所は簡単にバレてしまう。
「たぶん。母さんたちは、だれにも話していないっていうし」
美郷の母親は、真理の父親の姉だ。
真理のことを心配してくれている妹の唯一の親戚だが、一方でとことん真理の父親を甘やかしたダメ姉でもある。美郷の姉が真理の父親を甘やかしたせいで、あの屑は誰かを頼ればなんとかできると思って成長してしまった。それに迷惑しているのは、俺たちだというのに。
「とりあえず、こっちは親父の姿かたちも見てない。今は、バレないように祈っておくわ」
そうしてくれ、と美郷は電話を切った。
俺は、青空を眺めながら神様に祈った。ちなみに、俺は無宗教だ。でも、都合のいいことを祈る神様はいる。大抵の人は持っていると思う。自分の都合のいいものだけを押し付けて、時折憎しみだけをぶつける人型の想像上の人物が。そういうのが、俺は神様だと思うのだ。
「神様――どうか屑が全員しにますように」
「同感」
後ろから声が聞こえてきて、俺はぎくりとした。
こんな自分勝手な願いを他人に聞かれるとは思っても見なかったのだ。俺が急いで振り返ると、そこには俺と同じ制服を身に纏った男子生徒がいた。
短くて清涼感がある髪型で、いかにも生徒受けが良さそうな外見である。もじゃもじゃとした癖っ毛の俺とはまったく違う。笑えばそれなりに可愛いと思える整った顔立ちなのに、この世に楽しいことなんて一つもないなんて言いたげな無感情さであった。
「ひ……」
俺は、何を言おうかと考えながらもネクタイの色を見る。俺と同じ赤だから、高校一年生である。
「――人には絶対にいうなよ」
名前も知らない同級生を、俺は睨みつける。
道でこんな独り言をいっていたことがバレたら、俺の高校デビューが台無しになる。それどころか、田舎だから妹の中学校にまで噂が飛び火するかもしれない。そうしたら、真理の生活までめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。そんなの絶対にダメだ。
俺は殴りかかりたい気持ちを込めて、相手を睨む。同級生の癖に、俺の独り言を聞いた奴は俺よりも身長が高かった。俺は相手を見上げる形になってしまう。悔しい。
「別に言わないよ。そういう正しい願い事は」
男子生徒は、俺の話しなんて気にしていないって言うふうに歩いていく。本当に、ぜんぜん、俺なんかに興味はないようだった。
俺は舌打ちして、再び自転車を漕ぐ。徒歩で通学しているそいつを追い越して、「ざまぁみろ」と相手を内心罵る予定であった。
だが、俺があいつを追い越す瞬間――その瞬間に奴の顔を見た。
何故か、あいつは凄く悔しそうな顔をしていた。
その顔に俺は、見覚えがあった。かつては俺もしていた顔であり、真理も同じ顔をしていた。理不尽な暴力に屈している人間の顔であった。ふと、俺は彼も同士なのではないかと思った。屑に寄生されて、人生をめちゃくちゃにされている同士なのではと。
「まさかな」
屑が喧嘩を売るには、彼の肉体は大きすぎる。屑は勝てる喧嘩しかしないものだ。だから、俺は彼が浮かべた表情には別の意味があるのだと思った。
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