第10話 ゴスロリさん
バイト巫女Nです。またK兄ちゃんの話をします。
数年前のお正月のこと。
うちの神社は小さいけれど、それでもお正月はかきいれ時で、それなりに行列もできる。
でも、あれは確か1月3日だったと思うけど、その行列が途絶えはじめてきた頃だった。
絵馬掛所のあたりで、何やら揉めているような声が聞こえた。
本気で危なそうな喧嘩だったら一人で出ずに、K兄ちゃんを呼ぶところだけど。女の人、若い声とおばさんの声が言い争いしてる程度のものだったので、のこのこ出て行った。
おばさんは普通のおばさんだったけど、若い女の人のかっこうを見てちょっぴり引いた。
真っ黒でひらひらの、いわゆるゴスロリってやつだ。
市の中心街ぐらいに行くとたまーに見かけるけど、神社にいると真っ黒ってだけで喪服っぽい。
ゴスロリの人はおばさんの娘らしかった。
遅めの初詣に来たのだろう。
「いいじゃないのよ! 別に」
「いい加減にして! お正月くらいちゃんとしなさい!」
よく分からない口論。
詳しく聞いてみると、娘さんが書いた絵馬に、お母さんがやめなさいと言っているらしかった。
その人は2枚の絵馬に、彼氏が欲しいだの大学に合格できますようにだのといった普通の願い事と、あとナントカカントカ様(何か横文字の長い名前。十中八九アニメキャラ)が死にませんようにだのと祈っていた。アニメの方は達者な絵がついていた。多分そのナントカカントカというキャラクターなんだろう。
おばさんは申し訳なさそうに謝ってくる。
「ホントにすみませんねウチの子ったらバカなことして。こんな変なの付けませんから」
「ダメなのぉ」
口を尖らせてゴスロリさんは文句を言う。
ダメなのか、と面と向かって質問されると私も困った。
何を書いてはいけない、という決まりはない……と思う……少なくとも私はK兄ちゃんからそういうルールは何も聞いてない。
口ごもっていると、
「どうかしましたか?」
K兄ちゃんが現れた。
事の次第を話すとK兄ちゃんは「構いませんよ」とあっさり答えた。
「いいんですか? こんな、神社とも願い事とも関係のないことを書いちゃっても」
「お断りしている神社もあるようですが、うちは特には」
本当にあっさりしてるな、この人。
「ほらあ」
嬉しそうに絵馬を掛所に吊るすゴスロリの人。よく見ると結構美人だ。
一方、おばさんはK兄ちゃんに不満げな視線を向けた。おばさんとしては禁止してもらって、専門家の権威を盾に娘の奇行を正したいらしかった。「かまわない」と逆に明言されてしまい、そのプランが台無しだったんだろう。
「本当にすみませんねえ」
大きめの声でおばさんは言った。明らかにわざと娘に聞こせようとしてた。許してくれただけなのよ、本当はダメなのよと強調したいらしい。
そんなこと素知らぬ様子で、ゴスロリさんはとっとと帰ってしまった。
それっきり私もK兄ちゃんも、その母娘のことは忘れていた。
数ヵ月後、お祓いに来るまでは。
今度は母親だけでなく父親も一緒だった。
ゴスロリさんは、その日ばかりはゴスロリじゃなかった。
普通の地味な洋服だった。
そして何箇所かに包帯を巻いていた。こういう趣味の人だとファッションで包帯巻いたりするらしいけど、そうじゃなくて本当に怪我をして巻いていた。
K兄ちゃんが本人に状態を聞く。
刃物で斬りかかられる幻覚をしょっちゅう見るという話だった。
怪我そのものは本当に斬られてのことではなく、幻覚の刃を避けようとして、何かにぶつかったりしてついたものが多いらしい。車に轢かれかけたこともあったという。
両親が言うには、薬物使用をすでに疑った(というか決めつけて殴った。その傷もあったみたい)。けど、病院の検査ではその反応は全くなかったらしい。
手詰まりになって、お祓いならうちの神社がいいと人づてに聞いて来とのこと。
K兄ちゃんはゴスロリさん(今は違うけど)に、色んな事を根掘り葉掘り聞いていった。
正月以降、肝試しとかで心霊スポットに行ったりとかしたことはないかとか、周囲で不幸があったということはないか、自称でもいいから霊能者だという人に会ったりしなかったかとか。
話を正月以降に限っていたのは、あの絵馬事件の時点では彼女に異常はなかったとちゃんと分かっていたからだそうな。これは後から聞いた話。
でも、特に霊障を招きそうなそういうことはなかったらしい。
「お寺や神社なんかはどうです? 行って何かしませんでしたか?」
後から聞くと、これも元々は時期を絞るための意図がメインで聞いたようだ。
つまり、お寺や神社に行っただけならともかく、そこの専門家に会って何も言われなかったのなら、多分そのとき以降だろうと時期の見当がつく理屈。
だがゴスロリさんは、ある神社で絵馬を奉納したと言った。
そのとき彼女が口にした、その絵馬に描いたキャラクターの名前をK兄ちゃんは聞きとがめた。私もちょっと気になった。私でも知ってる戦国武将の名前だったからだ。
「○○神社で、××××が生き返るように、という絵馬を納めたのですか?」
はい、と小さな声で答えた。
前は何も言われなかったのに、なんで今回だけ怒られるの。そんな態度でびくびくしている。
K兄ちゃんはしばらく考え込んだ。
「じゃあ……」
それからまた幾つか質問していく兄ちゃん。質問は××××が出てくるそのアニメの内容にまでわたり、それからその人にお祓いをしてあげた。
「これで大丈夫だと思います」
お祓いが終わるとお父さんの方が「やっぱり絵馬が不謹慎だったんですかね」と聞いてきた。
K兄ちゃんが説明する。
ゴスロリさんが好きなアニメというのは戦国時代を描いたもので、××××は実在するけど、それに登場する人気キャラでもある。
アニメの中で××××はもう死んでしまっていたんだけど、ゴスロリさんはまた登場して欲しいと思っていた。それで生き返りを願う絵馬を奉納した。
ちなみに生き返りといっても、お話の中でも本当に生き返るわけじゃなくて、死んだことになってたけど実はどこかで生きてましたという展開になることも「生き返る」とアニメファンは俗に言うらしい。ゴスロリさんもそのくらいのつもりで書いたということだった。
問題はそれを納めた神社だった。○○神社は、史実上は××××の怨敵である武将を祀っていた。
そこまで知らなかったらしい。
それで、怒らせてしまったのだろうということだった。
「まったくお前はバカなことを!」「だから止めなさいってあれほど言ってるでしょ!」
両親に怒鳴られて、しゅんとなる娘さん。
仕方がないか。本人が悪い。
と思ってたが、K兄ちゃんは意外にも口を挟んだ。
「そんなことはありませんよ」
えっ、という顔でK兄ちゃんを見る親娘。
「今回は不運でしたが、人を描いたものや象ったものを奉納することは、それ自体悪い事ではないんです。昔からよく行われています。別に神社ゆかりの人物画でなければならないわけでもありません。そして、それらの品々を創る技法も、時代とともに変わり続けてきたものです。今の時代に親しまれているのがこういう絵なら、それも良いと思いますよ」
K兄ちゃんは、俯いているゴスロリの人の頬を撫で、手をそっと握る。
「また可愛い絵を描きにきてくださいね」
そう言って優しく笑った。
「……甘過ぎない?」
3人が帰ってから、私はK兄ちゃんに聞いた。
「絵を奉納することにかい? 小さい子が自分の親に、描いた絵をプレゼントするようなものじゃないかな。むしろ微笑ましいと思うけど」
K兄ちゃんはいつも通り優しく笑う。
「でも、よく知らないで奉納しちゃったからああいうことになったんでしょ」
「まあね」
兄ちゃんが言うには、あのゴスロリさんのようなことは、江戸時代にもあったらしい。
歌舞伎役者に入れ込んだ人が、演目に出てくる歴史上の人物のファンレターまがいの絵馬を奉納して、その人物と生前敵対してた神様の逆鱗に触れて祟られた話が。
「でもさ、一般の人に対して、神仏の背景にまで詳しくなれ、そうでないと関わっちゃいけないなんてルールでやってたらどうなる? ほとんどの宗教団体は信者がいなくなって潰れてしまうよ」
「……だけど禁止してるところもあるんでしょ」
「うん。でもそういうところは、大抵は素朴で卑近なものを排除するのが自分達の権威維持に必要だと思ってるだけだ」
そして真顔に戻って言った。
「神社以外でも同じだけど、宗教団体なんてものは、あるものを崇めて、というか、祀って、というか……時には封じていて、まあ色々あるけどさ。そういうことをしてる人達の一部が集まって、法律的な認可を取ったってだけのものでしかないんだよ。うちも含めてだけど。その人達が、自分達なりのやり方でそういう存在に敬意を表すのは自由だけど、他の人達のやり方を止める権利までは無い。たとえそれが、神様の知識があるわけでもない一介の漫画好きの女の子だとしてもね」
K兄ちゃんはそれを芸能人のファンクラブに喩えてみせた。
芸能人とかのファンクラブの人達が、そのクラブのルールを造るのは自由だ。普段からファンクラブを運営するのに自分の時間やお金を費やして、頑張ってやってる人達の気持ちを考えて行動するのも良いことだと思う。
でもファンクラブには、ファンクラブに属さない人がファンレターを出したりするのを止める権利はないはずだ。そのファンレターが実際失礼にあたるのかどうかは、芸能人自身が決めることであってファンクラブの決定事項じゃないって。
「ただ、俺みたいな考え方は、神を本当に『いる』ものとして捉えていればこそだ。そうじゃない人たちは宗教団体にも数多くいる。神様は、自分の団体の管理下にある架空の概念でしかなく、自分たちが『設定』を自由に決めていいなんて思える人達が」
そういう人達がしばしば、宗教の内部でも権力を掌握している場合があるという。
「一方、神様を信じていない人達は、宗教に対する付き合いを『神様に対する』マナーじゃなく、『神様を信じてる人に対する』マナーとして捉えてる。本当に神様がどう思うかなんて考えない。だって、そもそもいるとは思ってないんだからね」
「なんかむずかしいね」と私は言った。
「現代では信教の自由は保障されてるし、宗教団体に免税まで認められている。宗教は特別に保護されているものと言えるけど、それは神々を本当にいるものとして誰もが敬っているからじゃない。宗教が、無視できないほど強い勢力を伝統的に持っていたから、それらの利益調整をしているだけなんだ」
そういう人が多くなることの方が、むしろ問題じゃないかとK兄ちゃんは言う。
「そして、マナーや敬意を守ろうとする側が、逆に霊的な問題を生んでしまうことだってあるよ」
「破る人じゃなくて? そういうことってあるの?」
「あるさ。たとえば古墳だ。今なんとか天皇陵なんて呼ばれているものの多くは、政府が明治時代に、当時の未発達な考古学や歴史学に基づいて、しかもかなり国粋主義的な都合を考慮して決定したものだ。本当は誰の墓か怪しいものだってある。それが間違っていた場合、古墳に祀られているべき本来の霊は、墓を他の霊に対する供養に、いわば乗っ取られた形でいることになるだろ?」
「やっぱりそういう古墳だと、古墳に本当に埋まってる人の霊は怒ってるわけ?」
怒らせることもあるらしい。
「多くはなんとか宥めてるけどね……」
その話はそこで終わった。
数日後、またゴスロリさんは社務所に来た。
今度は彼女一人だけらしい。
「あの、こないだの神主さんいますか?」
また何かあったのかと、すぐに私は兄ちゃんを呼んできた。
こないだは有難うございましたとか何とか口ごもってから、ゴスロリさんは決意した表情になる。
そして、私が一番聞きたくなかった台詞を口にした。
「好きです! 付き合ってください!」
「……えっ、あの……あ、はい。俺で良ければ」
その野暮ったい返事で、神主とゴスロリオタク女の珍妙なカップルが成立したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます