第5話 ピンクのタオルと守り神様

 嫁のばあちゃんが亡くなったので、東北I県の田舎まではるばる葬式に行って来た。

 嫁とようやく1歳半になったばかりの娘を連れて飛行機に乗って県内のI空港へ。そこからはレンタカーで5時間。高速も通ってない山道ばかりってのはキツいわ。さすがに通夜には間に合わず、葬式だけの出席となった。

 ばあちゃんの財産は少々の蓄えのほかは住んでいた家と敷地ぐらいだった。遺産問題もこじれることなく、大部分を長男(嫁の父親)が相続することになった。そのあとは親戚の久しぶりの集まりといった感じで、ばあちゃんの思い出話を時にはしんみりと、時には笑って語り合った。

 その様子を見ているだけで、ばあちゃんの人柄と、嫁の親族たちの善良さが伝わってくるようだった。

 葬式は木曜だった。俺の職場では往復に時間がかかる場合も忌引きが認められていたので金曜も休めた。自然と、帰るのは日曜でいいかということになった。

 義父に嫁は「何か形見にしたいものでもあったら言いなさい。持って帰っていいから」と言われた。

 色々なものを見せられても嫁は特に欲しそうなそぶりにはならなかったのだが、ある箱の中身を見て態度が変わった。


 それは大きめの木箱で、中には大きな人形のようなものが2つ入っていた。

 よく見ると人形ではなく、ただの木の棒のようだった。ただ、服を羽織っているような感じで、何十枚もの布でくるまれていたので人形のように見えたのだった。一体は主に黒や青、もう一体は赤系の布が使われている。なんとなく男女一組といった感じで、ひな人形のさらに簡易版といった感じでもある。なんでも土地の風習で、守り神みたいなものなんだそうな。こうやって毎年、適当な布を重ねていくものらしい。

 嫁はその赤い方の棒から布をはがしはじめ、下から二番目に使われていたピンクの布を見て「やっぱり!」と叫んだ。

 それは『美少女○士セーラームーン』のタオルだった。

 嫁が言うには小さい頃、ばあちゃんの家に泊まりに行った時、持って行ってそのまま忘れてしまったものらしい。

 よほど懐かしかったらしく、嫁はそのタオルを持って帰り、娘に使わせたいと言い出した。けど、なにしろ20年も山んなかの家で、質素な木箱に入れっぱなしにしてあったわけだ。衛生面で心配がないわけではなかったが、嫁が丁寧に洗って消毒したので、まあいいかと思った。

 娘もそのタオルが気に入ったようで、「ぷーかー、ぷーかー」(プ○キュアと間違えているらしい)と呼んで、抱いて寝たりしてた。

 帰り道のことだ。

 俺らはばあちゃんの家を、土曜の夕方7時ころ出発した。空港近くのホテルで一泊し、日曜朝の便で帰る事にしたわけだ。

 ところが、行きと同じルートを通ったはずなのに、どういうわけか迷ってしまった。

 山間部でGPSの電波もろくに届かない。紙の地図と標識をメインに頼るのも久し振りすぎて、頼りない。それに気のせいであって欲しいものだが、何時間も同じところをぐるぐる回っているような気がする。もしかすると地図やナビに反映されてない新しい道ができてたりするのかもしれなかった。

 時計を見ると、すでに12時をまわっていた。

 娘はぎゃあぎゃあ泣いていた時もあったが、今はもう泣き疲れて、例のセー○ームーンのタオルに包まれてすやすや眠っていた。

 そのうちに俺は強い尿意を催した。

 男なんだから野外でしても良い……のだが、嫁はそういう不作法がキライなたちで、あんまりいい顔をしない。それに出発してかなりの時間が経っているのだから嫁だって多少は小便したいだろう。自分だけ星空の下でするのも気が引ける。

 我慢して走っていると、ふと灯りが見えた。レストランのようだ。

 田舎の道沿いに時々ある、休憩の運転者狙いなのかなんなのか知らないが、とにかく微妙な食事処だ。

「俺、ちょっとションベン。ちょっとトイレ借りてくるわ」

「使えるかしら?」と嫁は言う。

「トイレくらい貸してくれんだろ。お前も行っとくか? 後どれくらいかかるか分かんねえし」

「私は、いいや……」

 嫁は首を振った。

「あと、飯食ってこうか?」

 なぜか嫁は変な顔をした。

 とにかく俺は車を停め、そのレストランに入った。明かりこそついているが客はいないようだ。まあ無理もない。むしろこんな田舎道にぽつんとあるだけのレストランが、真夜中まで開いている方が不思議なくらいだ。

 ていうかレジにも人がいない。

「すいませーん、トイレ貸してもらえますかー」

 大きめの声で言うと「どうぞー」と言われたので、レジ横のトイレマークのドアに入った。


 さて、俺視点では特に何もなかった。

 用を足して車に戻った。5分とかかっていなかったはずだ。

 ところが帰ってくると娘は物凄い声でギャンギャン泣いており、嫁まで涙を流していた。

 俺が帰って来たのを見つけるや否や嫁は「アンタいったい何してたの!?」と金切り声を上げる。

「早く車出してッ!!早く!!早くッ!」

 あまりの叫び声に気圧され、俺は慌てて車を走らせた。


 どういうことなのかというと、ここからは嫁から聞いた話になるのだが。

 あのレストランは、そもそも明かりなんか点いてなかったというのだ。完全に潰れて壁の塗装なんかも剥げた廃屋状態だったらしい。

 廃屋のトイレを勝手に使おうとしてたと思ってたようだ。

 飯食ってくかという俺の言葉も「は?」って感じだったらしい。

 俺は誰もいるはずもない廃屋の扉を勝手に開けて入り「すいませーん、トイレ貸してもらえますかー」と言っていた、その声までは聞こえたそうだ。

 だがその後、俺は一時間以上戻らなかった。嫁に言わせれば。


 小便と明言してトイレに行ったのに、いや小便でなくても、そんなにかかるわけがなかった。

 いいかげん嫁がイライラしてきた頃、コンコン、と車の窓をノックした誰かがいた。

 横を見ると、赤ら顔の爺さんがニタニタと笑いかけている。地元の人かなと思って嫁は会釈した。

 爺さんは去らず、そこに立ったまま窓越しに娘に向かって、いないいないばあをしたりしている。いやに馴れ馴れしい爺さんだ。

 嫁も少々不気味に感じて、もう一度形だけの会釈をすると、逆の方に顔をむけた。

 爺さんは今度はそっちにいた。

 え? 素早すぎない? と思ってまた元の方向を見ると、そっちにも赤ら顔の爺さんはいる。

 二人いるのだ。似ていると言うんじゃない。全く同じ姿なのに、爺さんは二人いるのだ。


 ぎゅうっと娘を抱いたまま、嫁は後部座席の真ん中に移動した。

 爺さん達は、顔と手の平をガラスに貼りつけるようにしながら、娘の様子を伺っている。ペタペタ、ペタペタ……。

 恐すぎて嫁は、娘を抱き締めたまま下を向いて目を瞑っていた。

 が、俺が戻ってこないかと思って顔を上げた瞬間、嫁は危うく気を失うところだった。

 フロントグラスのところにも爺いがいたのだ。まったく同じ容姿の、赤ら顔の爺いが。ボンネットの上に載って、フロントグラスに手をついてニタニタ笑っている。

 両側の爺いのどっちかが前方に移動しているのではなかった。そいつらはそいつらで、まだ左右のドアのところにいるのだ。

 娘もフロントグラスを見ていた。明らかに怯えている顔で「バイバイ、バイバイ」と必死に言っている。うちの娘が恐がってる時にやることだ。バイバイと言えばいなくなると思ってて、何か恐いものがあるとバイバイバイバイと繰り返すんだ。

 ということは、嫁だけじゃなく娘にも「それ」がはっきり見えていたということだ。

 両脇の爺いは窓にペタペタ触るだけでなく、ドンドンと叩き始めた。表情は変わらない。相変わらずニタニタ笑ったままなのに、乱暴な手つきで窓を殴っている。

 火がついたように泣きじゃくる娘。


 ガチャ……


 そのとき運転席のドアが開いた。

 嫁は一瞬、俺が帰ってきたと思ったようだ。

 でもそうじゃなかった。

 四人目の爺いだった。嫁は自分の心臓が止まったと思ったという。まるで自分の車のドアを開けるように無造作に、自然な手つきで車に入ってきたのだった。

 嫁は絶叫した。狂ったように何度も俺の名前を叫んだ。

 それで俺が駆け付けてくることは……もちろんなかった。


「バイバイ、バイバイ、バイバイ、バイバイ」


 赤ん坊なりに必死の表情でバイバイバイバイを繰り返す娘。

 相変わらずニタニタ笑いながら、爺いは娘に手を伸ばす。嫁は娘を抱き抱えたまま、とにかく動かせる脚だけでも伸ばして、爺いを蹴ろうとした。だが、格闘技なんてしたこともない女の子が、不安定な体勢から脚を突き出してみてもどうなるものでもなかったようだ。

 爺いはその脚を蝿でも追い払うように手で払いながら、少しずつ娘に近づいてくる。

 嫁はとにかく必死で、何でもいいから何かで娘を隠そうと、例のタオルを娘に被せて、ぎゅっと抱いて縮こまった。もうそれ以外、彼女には何もできなかった。

 そいつの手が娘に触れた――正確には娘を覆っているタオルに触れた瞬間。


 バカンッ!!


 何か硬いもので人の頭部を殴る様な音とともに、タオルから物凄い火花が走った。

 ぎゃっと声がして爺いがフロントガラスまで飛んだ。頭を打った音がはっきり聞こえた。

「ああーーーーあああーーーーーああああああーーーー」

 苦痛の声ともなんともつかない声を上げて、そいつはまた運転席のドアから逃げ出していった。

 嫁が周囲を見渡すと、爺い達は四方へと駆け去って行くところだった。

 座席の下に落ちたタオルは、しばらくパチパチと音を立てながら、ぼんやり光っていたらしい。錯覚ではなかっただろう。車内は真っ暗だったはずなのに、○ーラームーンの顔がはっきり見えていたというから。

 それから俺が戻ってくるまでの間、嫁はずっと娘を抱き締めて泣いていたのだという。

 ちなみに後で嫁と俺の時計を比べてみたら、一時間ズレていた。


 あいつらを撃退してくれたのが、ばあちゃんの霊だったのか、地元の守り神様とやらだったのか。どっちにしても、今でも娘は――プリ○ュアとは違うらしいことを理解してからも――あのタオルを愛用している。

 のちに嫁は、実家に電話して、自分がもらってきたタオル以外の部分も「守り神」をまるごと送ってもらった。娘がタオルを使わなくなったら、もとに戻して娘の部屋に置いておきたいそうだ。

 そうしないと、あの爺い達がまた来るかもしれない。嫁はそう言っている。

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