また服を脱ぎます、ってかすでに裸です

 ホームルームが終わった途端に教室がにぎやかしくなるのは普段通りだけど、明日から夏休みだって誰もが浮ついたそのノリ私は浸ることができない。帰り支度を済ませたしおちゃんに「どっか寄って帰らない」と誘われても「ごめん、今日ちょっと用があって……」と断らざるを得なかった。

 のろのろと荷物をまとめて私は教室を出る。足取りは重い。異性から体育館裏に呼び出されるというベタなシチュエーションに告白?なんて無邪気に喜んでいられないのは、相手が、透明化してトイレへ行ったときに私を見ていたあの彼だから。去年一年間一緒のクラスでありながらまともに会話をしたことがなくてあまり印象にも残っていなかったのに、終業式後の移動中に急に廊下で声をかけられて「放課後ちょっといい?」なんて言われたらタイミングがタイミングだから身構えてしまう。

 昇降口でローファーに履き替えて外に出ると、高く昇った太陽からさんさんと日差しが降り注いでいて、校舎を回りこんで砂利敷きの道に出るわずかな距離を歩いただけでリュックを背負った背中がじっとりと汗をかきますます気が滅入った。まだ部活も始まってもいないのにグラウンドへ出てサッカーボールで遊んでいる生徒は、時間からしてチャイムが鳴ると同時にお昼も食べず一目散にやって来たのだろう。グラウンドを突っ切って帰宅する生徒たちをよそにボールを追いかけて走るその彼らの元気な姿は、いまの私の目にはまぶしすぎて恨めしささえ覚える。

 すっぽかすという選択肢も思い浮かばなかったわけではない。けど、トイレへ行きたい一心でスルーしてしまったあのときの出来事を思い返してみると彼には私が見えていたんじゃないかって疑念が増して、彼の目的がなんであるにしても一度会って話の内容を確認しないとダメだと結論づける。

 体育館の側面に設置された鉄の扉は開け放たれていてステージ上に車座に座ってお弁当を食べている制服姿の男子のグループが目に止まった。そんな彼らを横目に角を曲がって体育館裏の空き地へと入ると、コンクリート塀が影を落とす体育館の裏手の空き地に彼がいた。

「青井!」

 思わず回れ右をしそうになった私の足を止めるくらいに彼の声は大きくて心臓が跳ねる。

「なぜ逃げる?」

「いや、だって……」

 言葉を交わしながらも彼のほうを向けなかった。さっきちらりと見えたのは、明らかに衣類を一切まとわず白い肌を晒して佇むヘンタイの姿だった。

「やはりか。やはりキミには見えているのだな」

「なんでもいいから服を着てよ~」

 なるべく視線を向けないようにブロック塀に目をやって懇願しつつも、なんで裸なの?意味わかんない?なにかのプレイなの?そういう趣味?裸を見せるために呼ばれたの?とぐるぐると疑問が頭のなかを駆け巡っていた。まったく状況が飲みこめない。

「ここにはない」

「え?」

「ここに着るものはない」

「それじゃあ、どうやってここまで来たの?まさか丸出しのままなんて言わないよね」

 校舎で服を脱いだのだとしたらこの場所まで移動するためにはグラウンドに面した道を通らなければならないから下校する生徒に裸体を見せつけるはめになる。体育館で脱いだとしても、ちょうどステージの裏手にあるこの空き地へは直接出られず、表か横から出る必要があって外から丸見えになる。どっちにしても人目を避けるのは不可能。すっぱだかで外を歩いて来たとするのは無茶、服を着たままここまでやって来てその場で裸になり、衣類は足元に置いた考えるのが自然だ。ここに着るものがないなんてのはありえない。嘘をついているとしか思えなかったけど、地面を見回してみても彼が言うように服は見つからなかった。もちろん植栽の陰だとかブロック塀の向こうだとかどこか死角に隠してある可能性はあるけれど。

「キミと同じさ」

「は?」

「瞬間移動なんかじゃないんだろう。僕は知っているよ」

 いきなりそんな単語が飛び出してくる意味が理解できなかったけど、瞬間移動なんて日常で耳にすることはほとんどなく、私がそれを聞いたのは授業をサボって第三棟の空き教室でしおちゃんとおしゃべりしたときくらいで、その言葉の響きに触発されてあのときの記憶が掘り起こされる。自分の透明化の能力を伏せるつもりもなく会話のなりゆきで私は瞬間移動能力者ということになってしまった。私ができるのは透明になることであって瞬間移動ではなく、私と瞬間移動を関連付けることができる人間は、あの会話の当事者である私としおちゃん以外にはいないはずだ。なのに、その事実に彼が言及したというのならば、彼もまたあのときあそこにいて私たちの話を聞いていたのではないか、盗み聞きをしていたのではないかという推論が立てられる。空き教室を出た私は廊下で人影を見た。直前にしていた幽霊話との符合のせいで幽霊に遭遇したと思いこんでしまったけど、あれは彼だったのではないだろうか。

「もしかして第三棟にいたのは……」

「すぐにでも声をかけたかったんだけどね。なかなかキミがひとりになってくれなくて困ったよ。それでこんなふうに呼び出したというわけさ」

 瞬間移動ではないと把握していると彼は言う。それなら――

「どこまで知ってるの?」

「全部だよ。キミの知らないことも含めてね」

「私が知らないこと?」

「キミは自分の力をどういうものだと認識しているんだい?」

「どういうものって、それは一時的に透明人間になるものでしょ」

 瞬間移動能力ではなく別の力が私にはあると彼はにおわせ、すべてを知っているとも口にしたのだから打ち明けてしまっても問題ないと判断した。

「たしかに僕たちは透明になれる。けれどそれは能力の一側面に過ぎない」

「ちょっと待って。今、僕たちって言った?」

「ああ、そう言ったけど。それが何か」

「つまり、舞坂君も透明になれるっていうの」

「ひとつ訂正させてくれ。僕は舞浜だ。舞坂じゃない。舞浜玄人クラウド。そして、キミ同様に透明になれる」

「は?見えてるし」

「まさしくそれなんだよ」

 語調に力が入ったので反射的に顔を上げてしまい、演技じみた大げさで腕を広げてポーズをつけた彼の黒い茂みが目に入ってしまう。

「せめて股間くらいは隠して!」

「すまない。これでいいかい?ともかくだ、キミはおかしいと感じなかったかい?他人から見えなくなる、つまり身体が光を透過するとしたら、網膜も光をすり抜けてしまう。透明な人間の目は何も映さない、そうでなくては矛盾するだろう」

 たしかに漠然と考えていたことではある。しっかりした考察によって導きだしたわけではなかったけど、透明になっているのではなくて他者の認識を阻害する類の超能力なのではないかなとなんとなく想像していた。擬態とするには環境に左右されず適応できて万能過ぎるけど、認識阻害としては自身の存在を見えなくするだけであまりに限定的で、私は自分の能力を透明化と呼称してきた。

「透明になっているわけではないのさ。存在そのものをこのセカイからズラしているのだよ。だからズレた者の間では、同じレイヤーにいる人間どうしではお互いが透明には見えない」

 心当たりはあった。能力を利用してトイレに駆けこんだ際、私はタイムリミットの五分を超過しているのに気づかず、鏡のなかの自分の姿を認めてようやくその事実を悟った。発動中は鏡像ができなくて解けたら映るようになるというだけならば、本当に透明になっていた場合でも発生する。問題は、鏡を目にするまでわからなかった点だ。私には自分自身の肉体が見えていた。能力の使用中であろうとなかろうとずっと見えたままの状態だったからこそ、知らないうちに時間をオーバーして透明化が解除されていたと気取れなかった。

 日中の屋外で真っ裸になっているとは思えないほど舞浜君が堂々としていて自分だけ恥ずかしがっているのも馬鹿らしくなってきて私は彼を正面から見据える。

 私は透明になった人間を視認可能なのだ。

 痩せぎすで色白の運動をしているふうではない舞浜君に近づいて肩に手を伸ばしてみる。

「触れる」

 霊的な存在などではなくてちゃんと彼はここにいた。霊だったらまず重力の縛りを受けているのが変だし物に触れることができないからドアを開いてトイレに入るのも不可能だったのだから当然と言えば当然なのだけど、それでも指先に体温を感じられるというのに少し安堵した。

 このセカイにいないのでもなく、別のセカイにいるのでもなく、彼の言葉を借りるならズレているだけでちゃんとこのセカイに彼の存在はある。

「これでわかっただろう。僕たちの力のことを」

「完璧に理解したかと言われたら微妙だけど、性質はなんとなくつかめたと思う。でも、なんでわざわざ裸になったの?」

「もし実演もせずに同じ力を持っていると言ってキミは僕の言うことを鵜呑みにしたかい?」

「どうだろう」

 なんでもかんでも嘘だとは思わないし、思いたくないと吐露したしおちゃんだったら舞浜君の言葉を疑うことなくただそのまま受け取り、そして信じてあげただろう。でも、私はいままでロクに話したこともない相手からいきなり衝撃の事実をカミングアウトされても、たぶん疑ってしまう。心のどこかでこの人は自分を騙そうとしているんじゃないかって考えてしまう。

「そういうことさ。口だけじゃ信用されない。人間なんてそんなものだよ。それでキミを責めるつもりはないし、だからこそこうして準備をしてきたのだからね」

「これが信頼を勝ち取るための手段?」

「全裸の僕はいてても服は周囲にない。ここへ至るためには一度は衆人の目に晒される場所に身を置かなければならない。つまり侵入経路がなくなるってことさ。さて、そんな密室にどうやって侵入するか。まるで透明人間みたいじゃないか」

「そういった環境を整えるために裸になったっていうの」

「あぁ、そうだよ」

 すっぽんぽんで校舎のなかをうろついた私の言えることではないのかもしれない。

 けど。

 この人、どっかおかしい。

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