8.違う何かが、始まった
その日から、放課後は寮の近くの公園で鍛錬をするのが日課になった。
……でも、まだ剣術らしいことは何もしてない。
「朝日は、まず呼吸法からやった方がいいかもね」
と言って、全然剣術らしいことをさせてくれない。
ユウが言っている『呼吸法』というのは、フィラに伝わる正式なもので、目をつむって精神を統一し、自然の中に溶け込んで感性を鍛えるもの、らしい。
それには、この公園がうってつけだった。
芝生の広場があるし、まわりには木々もたくさんある。
少し遠くには小さな川も流れている。
この『呼吸法』はエルトラのフェル……なんだっけ。
まあとにかく、フェルの人がフィラに修行に来た際に学んでいたもの、だそうだ。
「ねえ、フェルの人じゃなくても意味あるの?」
「あるよ。フェルティガエほどじゃないけど、気配を察知する能力は上がると思う。だから、戦うときに相手の呼吸を読むのに役に立つと思うよ」
「なるほど……」
今日で1週間。
広場の真ん中で胡坐をかき、目を閉じる。
遠くの小川の音は……ほとんど聞こえない。
今日はちょっと気温が高いのかもしれない……。
……………。
………。
……。
「……じゃ、ちょっと休憩しようか」
ユウの声に、ハッとして目を開けた。
最初よりはだいぶん集中できるようになった……気がする。気がするだけかもしれないけど。
「今日は、だいぶんうまく精神統一できてたみたいだね」
ユウが笑顔で見下ろしていた。
私は「うん」と答えると芝生を払って立ち上がった。
木陰にあるベンチに向かう。
「……ここの風景は、ちょっとフィラに似てるかも。この場所いいね」
ベンチに腰掛けると、ユウはあたりを見回して懐かしそうに目を細めた。
今日は天気がいいので木々の緑がすごく映えている。
ユウの髪の毛が金色に輝いて見えて、とても綺麗だった。
「……やっぱり、ユウは自然に囲まれている方がいいの?」
お茶を飲みながら聞いてみる。ユウは考え込みながら少しだけ頷いた。
「そうだね……。フェルティガエにとってはその方がラクに呼吸できる感じだね。なんか懐かしいな……。まだそんなに経ってないのに、もう長い間ミュービュリにいるみたいだ」
――一瞬、景色がだぶって見えた。夢で見た草原。そしてユウが、どこまでも続く青々と中に佇んでいる。
だけど、私の方を向いてはいない。その先――遠くの城、そして白い空を見つめている。
何だかユウが遠くに感じて、思わずユウの左腕の袖をぎゅっと握った。
「……どうしたの?」
急に袖を握った私を変に感じたのか、ユウは私の顔を覗き込んだ。
私は慌てて笑顔を作った。
「ううん。何か、ユウが急に消えそうな感じがして、ちょっと不安になっただけ」
「僕は朝日のガードだよ? ずっと傍にいるって言ったでしょ」
「……うん」
ユウにとって、やっぱりミュービュリは生きていくのが辛い場所なんだろうか。
初めて会ってから1週間経ったけど、ユウはふとしたときに遠くを見ている。
遠くの木々や、空や、多分……その向こうのフィラを。
ユウが私の傍にいるのはガードだからで、それ以上でもそれ以下でもない。
だから、私のガードがいつまで続くかは分からないけど……もし終わったら、ユウは……。
「……朝日、どうしたの?」
黙り込んだ私を見てユウが心配そうに聞いた。
その問いには答えず、私はしばらくじっとユウの顔を見つめた。
ユウは、この世界の人じゃない。このままこの世界にいるべき人じゃないんだ。
いつか、さよならする時が、来る。
「ユウは……いつまでここにいるの? 用事が終わったら、テスラに……帰るんだよね?」
「……」
勇気を振り絞って聞いてみた……けど、ユウは困ったような顔をして黙り込んでしまった。
その顔を見て、聞いてしまったことを後悔した。
そもそも、ユウ自身も任務がいつまで続くかわからないんだ、きっと。
だって、ヤジュ様がユウに伝えたのは、『テスラが、その色を変えるまで』という言葉だけだから。
この言葉の意味は、私には当然わからないけど、実のところユウにもよく分かっていないのかもしれない。
それに、私にそんなこと聞かれても答えようがないよね。
「ごめん、変なこと聞いて」
ユウに悪いことをした気がして、私はパッと目を逸らした。
ユウは慌てて笑顔を作り、私の頭についていた桜の花びらを取ってくれた。
「いや……。でも、すごく長くなると思うよ。テスラの戦争が終わるまでは、少なくとも帰らないと思うし……」
テスラの戦争……?
そうか、『テスラの色』……。テスラの状況って意味かもしれない。
私は再びじっとユウを見上げた。
「……テスラの戦争に、私、関係してるのかな?」
ユウは何か考え込んでいたけど
「どうかな……」
と答えただけだった。
「そんな曖昧な感じなの?」
「いや……」
ユウが何かを言いかけて――表情が一変した。
私の背中にも、悪寒が走った。
「朝日、俺の後ろに隠れて!」
「えっ……」
その瞬間、空の一点がきらりと光った。
一筋の光の矢が私たち二人に向かってくる。
「……!」
私が声も出せずにいると、目の前がユウの背中でいっぱいになった。
光の矢は、私たち二人の直前で弾かれ、光が四方八方に四散する。
「きゃあぁぁー!」
私はユウの後ろで頭を抱えてひれ伏した。
何が起こったのかよくわからなかった。ただ、ユウの背中がかなり緊張していた。完全に戦闘態勢に入っていて、凄まじいオーラが溢れ出ているように感じる。
おそるおそる顔をあげ、陰からこっそりと攻撃が来た方向を見上げた。
一つの人影がぐんぐん落ちてきているのが見える。
「朝日、俺に掴まって!」
「えっ……」
突然のことにきょろきょろしていると、ユウが突然私を抱きかかえた。小走りで移動する。
「ここにいて」
広場の中央に私を座らせる。
待って、と言おうとして手を伸ばすと、ぼよんとした感触が私を遮った。
ユウと出会ったときに触ったものと同じだ。
これ、攻撃を弾くバリアなのかも。
私を守るために、ユウが張ったものに違いない。
すかさずベンチの方を見ると、一人の人間が激しい音を立てて落ちてきた。
そのままぴくりとも動かない。
「朝日はこのまま動かないで」
ユウは私にそう言い残して呼吸を整えると、警戒しながら少しずつ近づいていった。
私は気が気じゃなかった。だって、急に起き上がって攻撃してきたら……。
「待って、ユウ!」
闘うって、こういうことなんだ。
いつ大怪我をするかもわからない、そういう状況なんだ。
守ってくれるという言葉で……浮かれていた自分に気づいた。
私を守って、ユウは死んでしまうかもしれない。
そして、私は見ていることしかできない……。
そんなこともありうる。そういうことなんだ。
「ねぇ、ユウってば!」
バリアがもどかしい。
私は両手を振り上げ、ありったけの思いでバリアを叩いた。
すると何故か、私の両腕に吸い込まれるように……目の前からバリアが消えた。
「……!」
びっくりしたけど、とりあえずバリアが消えたので慌てて立ち上がる。
……ユウは?
見ると、さっきの黒い人は倒れたままだった。
ユウはちょっと距離をとりつつ観察している。今のところ、起きそうにない。
私は走ってユウのところに行った。
「ユウ! 大丈夫? ケガしてない?」
「朝日、どうして……バリアは!?」
「何でかわからないけど消えたの。ねぇ……この人、死んでるの?」
すっぽりと頭を覆うフードがついた、上下とも真っ黒の服を着ている。なぜか仮面をつけていた。のっぺらぼうで、目と鼻の部分だけ開いた代物だ。
……そしてどうやら、すでに意識はないようだった。
「……」
ユウが警戒しながら仮面を外す。――苦悶の表情を浮かべた男の顔。
そして、仮面からはムッと鼻をつくような臭いがした。
「何だ、この臭いは……っ」
ユウは瞬間的に手を振り払った。悪臭がさっと消えた。
「清浄できたと思うけど……朝日は大丈夫? 具合悪くない?」
「う……うん」
ユウの背中から顔を覗かせる。かなり嫌な感じのする臭いだった。
次の瞬間、黒フードの男の目がぎょろりと開いた。
「!」
咄嗟にユウは私を抱えて後ろに飛んだ。男はのろのろと起き上がりしわがれ声を出した。
「×……××……」
「!」
ユウの表情が変わった。
私には、何を言っているのか聞き取れなかった。
「~~~!」
ユウが全くわからない言語で何か問いかけた。
……ひょっとして、テスラ語?
じゃあ、あのゾンビのような男はテスラからやってきたの?
そのゾンビのような男はユウの問いかけに何も答えなかった。
こぶしを振り上げ、何かしようとしていたが、低く呻いてガックリと膝をついた。
体の表面が灰色に変わり――瞬きした瞬間、目も鼻も口も無くなって、ただの砂の塊に変わった。
「きゃっ……」
「な……っ!」
ザザー……。
男の体だったはずの砂が風に撫でられザラザラと崩れていく。そしてそれすらも、やがて煙のように消滅した。
もうすでに何もなくなっている場所を、私は呆然と見つめていた。
ゾンビみたいだったけど、人だった。確かに人だったのに、跡形もなく消えちゃった。
現実に起こったこととは思えない。
気持ち悪かった。でもそれは、男の容姿とかじゃなくて、男から感じた、悪意……。
――長い沈黙が続いた。
「……ねぇ……なんで何もなくなってるの? 私、幻を見た?」
やっとの思いでそう言うと、ユウはゆっくりと首を横に振った。
「……朝日から見ても、あの男は突然降ってきて突然砂になって消えたように見えたんだよね?」
「……」
私は黙って何度も頷く。
「短い……でもあれはまぎれもないテスラ語」
ユウが独り言のように呟いた。
「フェルティガエで間違いない。低位の方だろう」
「……え?」
ユウが何を言っているのかよくわからない。
ユウはゾンビがいた場所を凝視したまま、私の手をぎゅっと握った。
「朝日、よく聞いてね」
「……」
ユウの緊張感が伝わってくる。
手が、驚くほど冷たい。
「テスラの民だったよ。それは間違いない。ゲートを越え、上空からこちらに出現したんだ。そして、攻撃を仕掛けた」
「……」
声が出ず、頷くだけで精一杯になってしまう。
「でも……落ちてきた時点でもう死にかけていた。もともと、ゲートを越える力はなかったんだと思う」
「ゲートって……越えると、死ぬの?」
「適性がない場合はね」
そう言うと、ユウはもう一度男がいたはずの場所を見た。
私も見てみた。もう……何もない。砂も、あの嫌な臭いも、すべて。
「僕たちにとっては、こちらが異世界だからね。適性がないと存在を維持できないらしいんだ。だから、越えられる人間はかなり限られる。まず、フェルティガエでなければ越えられない」
「そうなんだ……」
じゃあ、私は越えられないんだね。
ユウが元の世界に帰ったら……もう二度と、会えないんだ。
「ミュービュリとのゲートを開くフェルティガとは別に、越えるための潜在能力の限界があるんだ。行って戻ってこれる人は本当に少ない。それを何回もこなす、となると数えるほどしかいない」
「ユウは……?」
「僕は結構こなせる方だから大丈夫だよ。ちょっと消耗するけどね」
それでも……限りがあるんだね。何回も行き来できる訳じゃないんだ。
だから、いつかは……。
そこまで考えて、私は慌てて首を横に振った。
今考えることは、そんなことじゃない。
この、目の前で消滅してしまった人は何だったのか。それを聞かないと。
「じゃあ……この人は適性がないのにゲートを越えたから、消滅したってことなの……?」
「……」
ユウは黙って頷いた。
「本人の意識は最初からなかった。あの変な臭いのするものによって操られ、無理やりゲートを越えて攻撃を仕掛けてきたんだと……思う。でも、攻撃もかなり中途半端で……」
そこまで言うと、ユウは何か考え込んでしまった。
それってつまり……誰かがゾンビに無理やり行かせたってこと? 死ぬのが分かってて。
完全に使い捨てだ。そんな残酷なこと……。
「朝日……」
「な、何?」
ユウがゆっくりと私の方に振り返った。
私はちょっとびくびくしながらユウを見上げた。
「君は、キエラに狙われていると思う」
「えっ……」
ユウが何を言っているのか一瞬分からなかった。
目の前がクラクラする。立っていられる気がしない。
ふらりとよろけて……咄嗟に、ユウが私の身体を支えてくれた。
キエラって……フェルの人を無理矢理攫ったり、フィラに侵入して滅亡するきっかけを作った……。
そして、こんな風に人間を残酷に扱う国……。
そんな国に、私が?
「でも大丈夫。僕が、守るから」
「……」
声が出ない。私は小さく頷いた。
「こんな攻撃がしばらく続くかもしれない。今のところ、朝日をどうしたいのかはさっぱりわからないけど……」
「……」
「絶対、守るから。信じて」
「……」
私は返事をする代わりに、ユウの手をぎゅっと握りしめた。
――私たち二人はしばらくの間、そのまま立ち尽くしていた。
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