7.新しい生活が始まる

「ん~……」


 ベッドからむくりと起き上がり、背伸びをした。

 締め切ったカーテンの隙間から、朝の眩しい光が差し込んでいる。

 ふと時計を見る。……7時35分。うん、いい時間だ。


「うん、今日も目覚めすっきり!」


 軽くガッツポーズをして、シャッとカーテンを開け、窓をガラリと開けた。どこまでも突き抜けるような青空が、私の目に飛び込んで……。


「あ、おはよう、朝日」


 飛び込んだのは、青空ではなくユウのどこまでも爽やかな笑顔だった。

 初めて会った時に着ていた白い服で、ふわりと宙に浮かんでいる。


「うぎゃぁ!」


 反射的に声を上げ、カーテンをシャッと閉じる。

 慌ててベッドに逆戻りし、頭から布団に潜り込んだ。


 パジャマ姿見られた……。寝癖がついたままの髪の毛見られた……。そして何より、起き抜けの顔!

 何だってそんなところにいるのよ!


「……朝日、やっぱりその叫び声は直した方がいいと思う……」


 カーテンをひらりと巻き上げ、ユウがふわりと私の部屋に舞い降りた。

 布団の中からこっそり見上げながら、相変わらず優雅な身のこなしだ、と密かに感心しながら、ぐうう、と布団を強く握る。ユウの足元しか見えなくなる。


「何してんの、こんな時間にこんなところで……」

「ちょっと屋上から周辺の確認をしていたんだ。昨日はもう暗かったから、よく見えないところもあったし、念のため。今のところ異常はないけど……」


 ユウが言葉を切った。

 何だ?と思いこっそり見上げると……ちらりと私を見下ろしている。


「何で潜ってるの? すっきり起きたんじゃないの?」

「無理!」

「無理って何が」


 きょとんとした顔。

 まったく! こっちの身にもなってよー!


「恥ずかしすぎるから! 普通の女子は起き抜けの顔は見られたくないの!」

「そう? 気にしなくていいと思うけどな」


 気にするよ!


「とにかく早く出てって!」

「うーん……じゃあ……」


 ユウはスタスタと窓に近寄ると、足をかけて身を乗り出した。


「うぎゃあ! 落ちる!」

「さっき見たでしょ。大丈夫だから。じゃ」


 ユウはふわりと浮かぶと、そのまま隣の自分の部屋に飛んでいった。


 いろいろ話は聞いたけど、やっぱり慣れるのに時間かかりそう……。

 ユウがいなくなった窓を見つめながら、溜息をついた。




 制服に着替えて部屋を出ると、ちょうどユウも部屋を出たところだった。


「あ、おはよう」

「おはよう……」


 さっきの恥ずかしさがまだ残っていて、思わず俯いてしまう。顔はすっきり洗ったし、髪もきちんと梳かしたんだけど。


「……まだ怒ってる?」


 ユウが心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「怒っては、いない……うん」


 どう言ったらいいのかわからないから、曖昧な返事になる。


「……」

「……」


 気まずい空気が流れた。

 少し戸惑っている感じのユウを見て、やや気持ちが落ち着いてきた。


 こんな小さなこと、あんまり引きずるのも駄目だよね。

 昨日話を聞いて思ったけど、やっぱり、ユウは私たちとはちょっと感覚が違うところがあると思う。

 だから、これからはお互いのことを少しずつでいいから知っていって、ギャップを埋めていかなくちゃ。


 これからずっと一緒にいるのに、こんなことで距離を作ってしまうのはよくない。

 私は、ユウのよき理解者にならないといけないと思う。

 ……いや、むしろ一番の理解者でいたい。

 だから、ここはちゃんと気持ちを切り替えよう!


 そう考えて、パッと顔を上げると、ユウに笑顔を向けた。


「もう怒ってない。大丈夫」

「そう?」


 ユウがちょっとホッとしたように微笑んだ。

 しかしあんなことが何回もあったら困るから、釘は刺さないと。


「でも!」


 ユウをビシッと指差す。ユウはちょっとびくっとした。


「非常時以外は寝起き突入禁止!」


 私の迫力に押されたのか、ユウは

「わ、わかった……」

と少し後ずさりした。


「よし。じゃ、この話はこれで終わりね! さぁ~、朝ごはん~」


 今日は入学式。こんな小さいことでくよくよしてちゃ駄目だよね。


 寮の食堂に行くと、お盆に乗った目玉焼き定食みたいなのが2個カウンターに並んでいた。

 ここから持っていけばいいんだな。2個しかないってことは、私たちが最後か……。


 もう8時過ぎなので、上級生は学校に行ってしまっているらしく、食堂には私たち二人しかいなかった。

 一年生は10時集合だから、少しゆっくりできるね。

 ユウは私の真似をしてお盆を取ると、困ったような顔をした。


「……見たことないものがいっぱい……」


 飲み物はオレンジジュース・ミルク・コーヒーから選べるようになっている。

 私は迷わずミルクを選んだ。だって、もう少し背が高くなりたいし。

 ユウにもミルクにしておくか。身体、弱そうだし。


「そうなの? 給食とあんまり変わらないよ」


 ミルクを手渡す。


「それも視ただけで食べたわけじゃないから……」

「一日一食って言ってたけど、それは朝なの?」

「うん。だから夜は朝日が僕の分も食べてね」

「太るからイヤだよ。まぁ、残しておく方法もあるかもしれないから、おいおい考えよう」

「うん」


 目の前のユウはやっぱり女装のユウなんだけど、食堂のおばさんは何も言わなかった。

 二人で窓際の席に座り、朝ごはんを食べ始める。


「あ、そうだ、今朝のことなんだけど」


 ふと思い立って、ユウに切り出した。ユウは

「あれ、話は終わったんじゃ……」

と当惑していた。


「そっちじゃなくて。あのね、白い服着てたよね。最初会った時に着てた服」

「うん」

「周辺のチェックしてたって言ったけど、あれで宙に浮いてたらすごく目立つんじゃない? 誰かに見られたりしたらマズいんじゃないの?」


 私は目の前にいたからかなりびっくりしたけど、遠目でもあれは目立つんじゃないかな……。


「うーん、そう言えばそうだね。でも、やっぱりフェルティガを使うならあの服が一番かな。こっちの服は着慣れないから動きにくくて。なるべくさっと移動するようにするけど……見間違えたってことにならないかな?」

「うーん……」


 普通ならなるかもしれないけど、ユウの美少女っぷりだと無理じゃないかな……。

 だって、すごく目立つもの。


隠蔽カバーが使えればいいんだけどね。僕にはできないから……。ま、移動するときはちょっと気をつけるようにするよ」

隠蔽カバー?」

「えっとね……周りから隠すフェルティガ。本当に透明にする訳じゃなくて、まわりの認識を歪ませるって感じ?」

「へえ……」

「ヤジュ様ならできるけど……」


 ユウの声が不安を帯びたものになる。顔を曇らせ、ご飯を食べる手を止めてしまった。


「何かあったの?」


 心配になって聞くと、ユウはポケットから宝石を取り出した。

 昨日見た袋に一緒に入っていたものだ。

 よく見ると、それは指輪だった。ゴールドの台座に赤色の宝石が輝いている。


「それ、何?」

「これは、ヤジュ様がずっと身に着けていた指輪」


 ユウが光に当てる。宝石は赤色にも、青緑色にも見えた。


「テスラから、ミュービュリを覗ける話はしたよね。ヤジュ様の夢鏡ミラーで」

「うん」

「でも、僕にはできないんだ。だけどこうして術者が身に着けていたものを託せば、これを介して託した相手と会話ができるようになるんだ」


 直通電話みたいな感じかな……。

 でも、異世界にも指輪ってあるんだ。一つ学習した。

 ああ、でも、ユウも花のピアスをしてるものね。


「万が一のために、ヤジュ様が僕にもたせてくれたんだ。少し手順が必要なのと、フェルティガを使うからちょっと疲れるけど。だけど……」

「……」

「ヤジュ様に繋がらない。お身体の具合が悪いのかも」


 ユウはしょんぼりと俯いて

「何かあればこの宝石が反応するとは思うから、大丈夫だと思うけど……」

と呟いた。


 ヤジュ様って人は、ユウにとってすごく大事な人なんだ。

 そうだよね。ずっと、ユウの傍で守ってくれた人なんだもの。

 ずっと二人きりの生活で……ユウの世界には、ヤジュ様しかいなかったんだから。


 ユウは「朝日を守るために来た」と言っていたけれど、私の心情的には「ヤジュ様からユウを預かった」と言った方が正しかった。

 それほど、ユウは精神面が心もとない感じがする。力は凄いのかもしれないけど。


「でも、ヤジュ様からはユウが視えるんでしょ?」


 励ますつもりで言ったけど、ユウは顔を伏せたままだった。私はたたみかけるように続けた。


「昨日私と出会ったときも、今も、ちゃんと見守ってくれてるんじゃないかな? 会話すると疲れるんでしょ? 無駄にフェルを使わないようにしてくれてるのかもよ。それに、ユウがホームシックになっても困るじゃない」

「……そうだね」


 私の言葉に思うところがあったのか、ユウは私を見てちょっと笑った。

 少し明るくなったように見える。


「僕がヤジュ様を困らせちゃ駄目だよね。とにかく、僕は朝日を守り切ればいいんだから」


 ユウが少し元気を取り戻したようだったので、ちょっとホッとした。

 そうよね、ユウは今、何も頼れない状態なんだもの。

 ここでの生活が辛くならないように、私がちゃんとフォローしなくちゃ。


「僕からは連絡しないようにする。ヤジュ様もかなりご高齢だから……疲れさせたら駄目だし」

「うん」

「僕も、いざというとき動けないと困るもんね」


 そう言うと、ユウは再びご飯を食べ始めた。

 小食らしく、かなりちまちまと口に運んでいる。

 それにしても……私はなぜ、そして一体何から守られないといけないんだろう?

 根本的なことがわからないから、今いちピンとこないのよね。

 



 入学式が終わると、各自教室に戻ることになった。私とユウは同じクラスになった。

 昨日ユウが言った通り、その辺の手筈はちゃんと整えられたらしい。

 クラスでの説明が終わると、今日はお昼で下校になった。

 ただし、部活動の勧誘が廊下やグラウンドのあちらこちらで行われている。

 部活に入るつもりはなかったけど、面白そうだったのでユウと一緒に見てまわることにした。


「朝日、部活って何?」


 辺りをキョロキョロしながらユウが聞く。

 すらりとしたユウ(私には見えないけど、昨日の画像の通りならかなりの美少女)は、あちらこちらから注目を集めていた。


「放課後に活動する集まり、かな。サッカーとか野球とかのスポーツもあれば、合唱とか美術とかの文化系もあるよ」

「ふうん」

「マネージャー募集! 君、やらない?」


 ラグビー部のごつい先輩が強引に私たちの前に入ってくる。


「……あ、僕は……ごめんなさい」


 ユウが上級生の勧誘を丁重に断り、私の手を引っ張ってその場を離れた。


「……ねえ、朝日は何かしないの?」


 私の盾になりながら、ユウが聞いた。

 結構人が入り乱れているので、さりげなく、私を庇ってくれている。


「やらないよ。それより、もう見なくてもいい? 堪能した?」

「うん。……もう疲れちゃった」


 ユウが若干ヨレヨレしていたので、人ごみを抜けて、一度寮に帰ることにした。



「……すごい活気だったね……」


 勧誘の群れを振り返りながら溜息をつく。

 ユウも私と同じように振り返ると、ワイワイ盛り上がっている運動部の集団の方を指差した。


「ねぇ、朝日は何でしないの? ああいうの、好きそうな感じがするけど」

「……本当は剣道部にちょっと興味があったんだけど……ね」

「剣道?」

「うん。ほら、私、チビでしょ? 空手をやってるけど、もっとリーチの長い武道もしたいな、とは思ったんだ。でも、剣道部ってそういう目的の部活じゃないしね」

「朝日も闘いたいの?」

「……っていうか、強くなりたい。身も心もね。最強女子を目指してるんだ」


 拳を振り上げる。

 そしてその拳をドンと自分の胸に当てると、ユウを見上げた。


「だから、こっちの世界の暴漢からは、私が守ってあげる」


 私が力強くそう言うと、ユウは一瞬あっけにとられたような顔をしたあと、くすくすと笑いだした。


「昨日も言ったように、僕は戦闘系だよ。こっちの暴漢だって問題ないよ」

「そうじゃなくて、やっぱりフェルを使えば疲れるでしょ? 使わなくて済むならその方がいいじゃない。私も、日ごろの鍛錬の成果が出せるし」


 ふんっと気合を入れる。

 そんな私を眺めて、ユウは

「じゃあ僕が剣術を教えてあげる」

と言ってくれた。


「剣術?」

「朝日をガードするためには必要だから、体術も一通り教わったんだ。僕はあんまり得意じゃないけど。朝日なら、コツさえ掴めればどうにかなるんじゃないかな。興味ある?」

「あるある! すごくある!」


 その場でぴょんぴょん飛び跳ねる。

 身を守るための剣術なんて、何か凄そう! しかも、異世界の武道なんて。


「ありがとう! ユウ!」

「うわっ……」


 興奮しすぎて、思わずユウに抱きついてしまった。

 ユウが支えきれずよろける。


「あ、ごめ……」


 恥ずかしくなって慌ててユウから離れた。

 心なしか、ユウの顔もちょっと赤くなっていた。


「……とりあえず、基本からやってみようか?」


 ユウが赤い顔を誤魔化すようにあさっての方を向いて言った。

 私も小さい声で「うん」とだけ、返事をした。

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