6.フェルってすごい

 しばらくして、私の部屋のドアからコンコンというノックの音が聞こえてきた。


「朝日、入って大丈夫?」

「あ、うん」


 返事をすると、ユウが海陽の女子の制服を片手に入ってきた。

 貰った制服、女子のだったんだ。

 ……ということは、事務員さんも女の子だと思ったってことで……。

 何だか、また頭がぐるぐるしてきた。


「……今から何が始まるの?」


 やっとそれだけ言うと、ユウはにこっと笑った。


「順序立てて説明しようと思って。朝日には、まず見せた方が早いと思ったからさ。びっくりさせちゃったけど」


 ユウはそう言うと、バサッと上の服を脱いだ。


「どえぇぇぇ~! 今から何を始める気なのー!」

「ちょっと落ち着いてってば」


 男の子の半裸見て落ち着けるほどコナれてないよ~!

 ……って、え?

 振り返って、その男の子の半裸をまじまじと見た。


「……男の子だ」

「そう。その通り」

「……」

「まずそこははっきりしておかないと、と思ってね」


 ユウは溜息を一つついて、今度は海陽の女子の制服に着替え始めた。

 正直面食らったけど、とりあえず黙って成り行きを見守ることにした。


「……でも、朝日以外の人には女の子に見えてる」

「へ?」


 訳がわからない。

 ユウは私の問いには答えず、何か指で四角い形を作って見せた。


「朝日、あの、映像を映す四角い物……えーと、何だっけ……」

「デジカメのこと? 携帯ならあるけど……写真撮りたいの?」

「そう。……あ、写真って言うんだったよね。僕の写真撮って」

「……」


 ここにきて、撮影会……? 本当にちんぷんかんぷんなんですけど……。

 ややげんなりしながら写真を撮る。

 撮った画像を確認しようとして……手が止まった。

 画面には、どこからどう見てもハーフの美少女が写っている。


「……」


 実物のユウと見比べる。

 実物のユウも綺麗だけど、あくまで美少年がスカートはいているだけで、ちょっと滑稽だ。


「わかってくれた?」

「どうなってんの……?」


 訳が分からなくて、もう何枚か写真を撮ってみる。画像を確認すると、すべて、美少女バージョンである。


「……これも、ユウのフェルなの?」


 やっと頭がまわってきた。

 ユウはちょっと首を横に振ると、やっぱり恥ずかしかったのか、制服を脱いで元の服に着替え始めた。


「フェルティガね。これは、僕じゃなくてヤジュ様のフェルティガ」

「ヤジュ様……も一緒に来たの?」

「ううん。さっき話したでしょ? ゲートを越えるには限界があるって。ヤジュ様はもう限界がきてて、越えられないって言ってた」

「じゃあどうやってフェルを? その、覗いてた夢鏡ミラーから?」

「だからフェルティガだって……もう、いいか」


 ユウは諦めたように溜息をついた。

 私がほけっとしている間に、さっきショッピングモールで買った服に着替え終わっている。

 そして気を取り直すと


「それができるんなら僕がこっちにくる必要はないよ」


と答えた。


 ……でも確かに。

 夢鏡ミラーでずっと視てて、危なそうならフェルで助ければいいんだもんね。


「……じゃ、どうやって?」

「ゲートを越える前にヤジュ様が僕にフェルティガを使ったんだ。誰から見ても、僕が女の子に見えるようにね。朝日が女子寮に入るってことはわかってたから……朝日のガードをするなら、つねに一緒にいないと駄目だって」

「……」


 ゲート……異世界とこっちの世界を繋ぐ道、って言ってたっけ。

 なるほど……。

 あれっ? でも……。


「どうして私の目には見えないの?」

「そこなんだよね。それは僕にもわからない」


 ユウは肩をすくめた。


「喫茶店に入ったとき、朝日、『男の子と喫茶店入るの初めて』って言ったでしょ」

「……うん」

「だから、ヤジュ様のフェルティガが効いてないんだ、と思ってびっくりした」

「そうだったんだ……。勘違いしてた」

「何を?」

「えっ、いや、それは、まあ」


 ごほんと咳払いをする。ユウは私の方を気にすることはなく、そのまま話を続けた。


「それで、さっきの箱だけど……」

「ああ、あれ! あれって一体何だったの? ユウのフェルでしょ」

「違うよ。僕のフェルティガはすべて戦闘系なんだ。物を動かす、破壊する、バリアを張る、とかね。あれは……ヤジュ様のフェルティガだよ。ヤジュ様のフェルティガは幻覚と幻惑」

「幻覚と幻惑……?」

「人の五感を惑わすことができる。ここの人に僕が『特待生の紙山ユウ』という偽情報を植え付けた」

「……」

「ヤジュ様のフェルティガを箱に入れて持ってきたんだよ。それをさっき開けた。そうすると、ここ一帯……そうだね、普段の学校生活を過ごす圏内はすべて効果がある。そうすると、その情報に合うようにまわりが動いてくれる」

「……はあ……」

「僕にかけられているフェルティガと違って、これはそんなに長くはもたないけどね。でも学校、寮で必要な手続きさえ済ませてしまえば何の問題もなくなる。だから、事務員さんと寮母さんにお願いしたんだ」

「……へえ……」


 なんか話が凄過ぎて間抜けな相槌しか打てなかった。

 でも確かに、あの事務員さんは操られたようにユウに制服を渡していた。

 寮母さんも、書類を確認せずに当然のようにユウに鍵を渡していた。

 ……そういうことなんだ。


 確かにこれは、口で説明されても全然わからなかったと思う。

 ヤジュ様って人が、かなりの力を持っているというのは何となくわかった。


「でも……」


 ユウは声を落として私をじっと見た。

 何かを見透かされそうで、思わず身構える。


「やっぱり、朝日にはフェルティガが効いてなかった。だって目の前で発動させたのに、僕がテスラの人間だということを忘れていなかった」

「……うん……それは……まあ……」


 箱を開ける前と後で、特に何も変わらないな。

 ユウとバス停の前で交わした言葉も、喫茶店で聞いた異世界の話も、ちゃんと覚えている。

 私が頷くと、ユウはちょっと笑った。


「でもヤジュ様は分かってたみたいだった。朝日には効かないだろうって。だから、最初に全部説明した方がいいって言われていたんだ」

「……そうなんだ……」

「でも、朝日だけは男だってわかってくれている方がいいな」

「えっ……」


 ちょっとドキリとする。

 それは、どういう意味なんだろう?


「だってこれから生活するのに、女の子になりきるのは難しいときもあるかもしれないしね。一番身近な人がフォローしてくれると助かるし」


 あ……そういうことね。ちょっとガックリ。

 何だか変な期待しちゃった。……って、私は何を考えてるんだ?


「そうは言ってもね……」


 ユウは少し顔を赤くした。


「さっき女子寮に足を踏み入れた時は、やっぱり緊張した。朝日以外はみんな僕を女の子だと思ってたみたいだし、ヤジュ様を疑うわけじゃないんだけど、やっぱりね……」


 あらぬ方を見て呟くユウが可笑しくて、私は声を出して笑った。


「笑わないでよ……」

「いや今のうちに笑っとかないと。だって、私だけは毎日ユウの女装姿を見せつけられるんでしょ?」

「女装って言わないでよ……」

「ごめんごめん」


 ユウに悪いとは思いつつも、私はそれからしばらくの間笑い転げていた。


   * * *

 

 今日はそのあと、ユウと二人で少し遠くにあるコンビニに歩いて出かけた。

 寮の御飯が食べられるのは明日から。今日は自分たちで用意しないといけない。

 なので夕飯を買いに外に行こうとしたら、ユウが一緒に来てくれた。

 帰る頃になると、辺りはもう真っ暗だった。


「今日は疲れたね。ユウは眠くない?」

と聞くと

「僕たちは『眠る』ということはしないよ」

という驚きの回答が返ってきた。


「そうなの!? じゃあ、ずっと活動しっぱなしなの?」

「休むことはするよ。瞼を閉じて横になることが、身体を休めることになっているんだ。逆に、意識がなくなることは、かなりまずい状態……寿命が削れていることを意味する」

「そうなんだ……」


 本当にいろいろと違うんだな……。


「僕はしばらく周辺の確認してくる。朝日は、今日は早く寝た方がいいよ」

「わかった。……ありがとう」


 寮に着いて私の部屋まで送り届けてくれたあと、ユウはそのまま出かけて行った。



 夜も更けて。

 部屋についているシャワーを浴びてパジャマに着替えると、電気を消してベッドに潜り込んだ。

 今日一日、いろんなことがあって……疲れた。

 あの、超能力みたいなやつ……フェル……なんだっけ?

 もう、フェルでいいか。


「――これからずっと、傍にいるから」


 ユウの顔が脳裏に浮かぶ。

 ユウは今も、私を守るために頑張ってくれている。

 クラスの女子を意地悪な男子から守ることはあっても、守られたことなんて、今までなかった。

 守るってなんだろう……。……それって……。


「……」


 さすがに疲れたのか、私はものの数秒で眠りについてしまった。



   ◆ ◆ ◆


 

 ――これが、私とユウが初めて出会った日の出来事。


 ……ねぇ、ユウ。

 私にとって、ユウは本当に白馬に乗った王子様みたいだったよ。

 そのことに浮かれてしまって、それがどういうことを指すのか全く分かってなかった。


 ……こんなに辛く厳しい戦いになるのに。

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