第8話:超一流のB級

 巨躯であり剛腕、そしてその手に握られる断頭台の如き巨大な刃。

 そのどれもが、俺に恐怖心を植え付ける。

 ちらりと画面に―――正確に言うとHUDに―――映し出されているHPを見る。

 緑のゲージの横に、22。青いゲージの横に、14。


 つまり、HP22。どこまでも無情な現実がそこにあった。



 鬼が迫る。

 どうという事も無い雑魚敵のモーションの一つ一つを、リッシュはつぶさに観察する。

 そうする事で何があるわけでは無い。敵のターン中は一切行動出来ないのは分かっているからだ。

 それでも、僅かな希望に賭けるしかない。

 世の中には―――RPGでありながら戦闘中、ユーザーに対してまさかのコマンド入力(QTEクイックタイムイベント)を要求ゲームが存在している。

 リッシュとしては好みではない。が、今はそれを希求している。

 その緩慢な動作から繰り出される一撃は、どう見ても耐えられないからだ。

 もし通常通りの敵の命中力とこちらの回避力で命中率を計算したとしたのなら、恐らく回避率は―――否、生き残る確率は1%にも満たないだろう。

 だが、コマンドが要求されない。敵の歩が止まらない。



 先程までのどこか浮ついた気分は一瞬で消えてしまった。灯篭のか細い火が希望だとすれば、雨風という現実によって掻き消えてしまったかのように。

 怖い。

 もはや今の自分はヒーローでもなんでもなかった。

 一個の生命体、一個の一般人、一個の意思あるものに成り下がっていた――と思うのは増長というものだろうか。自分は別に何か変わったわけでもなんでもないのだから。

 如何に身体が恐怖に震えない不動のファイティングポーズを取っているとしても。だとしても―――もし涙が出るのなら、もうとっくに流れ尽くしているだろう。


 ――このまま終わりを迎えたくない。

 ――状況の推移をこの眼に映す事が恐ろしい。

 ――死にたくない。


 もし死なないというのなら、一般人モブでも、雑魚敵にでもなんでもなるだろう。身体の自由が効いていたら、土下座でもなんでもする。そうしないのは、単純に動けないからだった。


 助けて。


 今の俺に縋れるものは、あまりにも―――あまりにも少ない。

 そして、冷厳なる現実は容赦なく、目の前に横たわる。


 刃が振り下ろされた。

 予想通りというか、俺の身体は1ミリたりとも動かない。それに、最後の希望であるQTEも要求されない。


 嗚呼、神様―――。


 祈り、目を閉じる。

 これが最期の風景だと思えば、瞼の裏でさえも愛おしい。


 違和感に気付いたのは、それからたっぷり―――どれほどの時間かは分からない程の時間の後だった。

 何も変化が無い。

 再び希望がこみ上げるが、それもすぐに消えてしまう。

 いや、油断はできない。

 ひょっとしたら、目を開けた瞬間に終わりを迎える事になるのかもしれない。

 いや、もしくは自分はとっくに死んでいて、目を開ければそこに在るのは地獄なのかもしれない。


 最悪の推論ばかりが脳裏を過ぎる。無論、何の確証も無い。単なる怯懦だ。


「う……」

 呻き声と共に、薄目を開ける。

 暗い。よく見えない。眼前には大きな誰かが立っている。

 相当な努力を重ねて、もう少し目を開ける。

 そこには、少し距離を取った所に、さっきの鬼が立っていた。ついで言うと、死後の世界とは違うようだ。陰鬱ではあるものの、現実感のある埃っぽさ、無機質な錆びた鋼鉄の空間――つまり、間違いなくさっきまで立っていた駅構内だ。


 ――やられていない?相対距離が離れている?何故だ?


 気にはなった。しかし、今の精神状態は極限だった。

 すぐにでもこの状況を脱したいという逃避、機を逃してはならないという打算が心中に浮かび上がり、通常攻撃を『選択』する。


 全身の筋肉が反応し、2m程度の大げさな跳躍。

 右手は黄金に煌めく剣を肩の後ろにまで振りかぶり、左手は前方にかざしている。

 そのまま剣を振り、着地した。


 鬼の傍に8462という、やはり信じがたい数字が浮かび上がり、鬼は消滅した。






 ―――再度の質問となってしまうかもしれませんが、貴方自身から見た『彼』は、どのような印象を受けましたか?


「英雄。……それに、その言葉に、尽きるかと。類稀なる体術、正確な判断力。そこに恐るべき聖剣が加われば、もはや英雄と呼ぶ以外ありますまい」


 ―――今となっては知らぬ者のいない聖剣と目される、黄金の刃が彼の全てでは決してありえないということですか?


「無論です。聖剣だけが強いというのなら、体術と、完全隠密状態だったはずのグルラが真っ先に狙われた事も説明がつきません」


 ―――つまり、彼の強さというのは、まさか?


「ええ、つまるところ――」






 これは、どういう事だろうか。

 何が起こったのだろうか。

 恐怖し、絶望し、逃避した。時間にして何秒もない時の中で、幾多もの感情が螺旋を描いた。

 その結果――俺は、何もなかったかのようだった。ぽつねんと暗黒の中で立ち尽くしていた。

 ひとまず危難を乗り越えた事に安堵しつつ、本当に危機的状況を脱したのだろうかという疑念に囚われてもいる。


(何をしている)


 頭蓋に響くような声がした。囁くような小さい音ではあるが、一語一句聞き逃さない程に鮮明だった。

『相棒』の声だ。

(次が来るぞ)

 その言葉に、え、と呟いて現実に視点を戻してみれば、武器を振りかぶって襲い掛かって来ている。

 いつの間に来ていたのだろう。全く分からなかった俺は反応すら出来ない。


 目の前が暗黒に包まれる――が、死んだわけではない。

 いつも通り戦闘画面に移っただけのようだ。

 緑色の巨鬼は右手に大鉈を持っており、赤色の巨鬼は左手に大鉈を持っている。


「―――――――――」


 戦闘画面に移った!我ながら戯けている。結局、危機を脱していないではないか!

 俺の右手は高く掲げられ、その右手に光が集まってきて――黄金の剣となった。

 それはいい。

 それはさっきも見た。

 問題は、敵がまたも二体存在していることだ。一撃で倒しきれない事が確定している。

 またも絶望が首を擡げ――『Surprise Attack!』と、赤い大きな文字がHUDに表示される。

 Surprise Attack不意打ち――。

 その語句の意味を理解した時、総毛立ったのが分かる。

 通常攻撃!通常攻撃を!

 全力で念じたが、身体はぴくりとも動かない。

 それどころか、眼前の二体が同時に動いている。


 おかしい。

 RPGのお約束としては、一人ずつ行動するはずだ。現に、さっきのやつらもそうだった。

 まさか。


「てめえ、よくも兄弟を!食らえや!【二重牙撃ダブルアタック】!」


 やはり、特殊能力スキルだ。こういう嫌な予感はよく当たるようだ。嬉しくもないことだが。

 怒号と共に繰り出されたのは、袈裟斬りと袈裟斬りだった。

 そう言ってしまえばそれでお終いなのだが、完全なる同時攻撃である。緑と赤の鬼が振るう斬撃は交差クロスを描き、その中心点には俺の心臓が捉えられていた。

 その攻撃は速く、敵の判断は早く、そのはやさに俺の理解力は追いつかなかった。

 現実を受け入れられなかった。辛うじて出来る事は、固く目を閉じる事だけだった。

 当然、避ける事は叶わず。

 血飛沫が辺りを穢し、肉片をまき散らして、鋼の交差は俺を四等分に断絶する――


「……………」

 その、はずだった。

 そうでなければおかしい。

 しかし、先ほどの繰り返し。

 ゆっくりと目を開ける。

 距離は少し離れ、自分はといえば、いつの間にか剣を正眼に構えている。


(使え!)


 間抜けに茫然としていた俺に叱咤するように、しかし小さな、確かに聞こえる囁き声が響く。


(剣を、使!)


 どうすればよいのか分からない闇の中に投げ込まれた、思いがけない蜘蛛の糸。

 その声に縋るように、導かれるまま剣を掲げた。


 黄金の煌めきを湛えた剣は光を強め、刀身に閃光が宿ったかと思うと。

 その光は急激に照度を増していき、その場全てを真白く染めあげた。


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