第5話:人間性を捧げよ
どんよりと澱んだ空気、ぼんやりとした明かりしかない闇、どこまでも続く無機物たち。
足を踏み入れた先には駅とは名ばかりの、鋼鉄のジャングルが待ち構えていた。
壁一面には文字が掠れて読めない看板と、完全に閉じられたシャッターの列がある。
さっきまで外にはあれだけ人だかりが出来ていたが、人はまばらだった。明かりが乏しく暗いためによく見えないが、一般の人達のようだ。奥に進んでいく人も居れば、奥からこちら側へ歩いてくる人達も居る。
駅としては、異質だ。とりあえず何も考えず進んでみよう。グダグダしてると銀ぴか姉さんに怒鳴られる。
ふと、さらに異質なものに気付いた。闇の向こうに、こちらをじっと見つめて立ち尽くす者が居る。
違和感はあったが、警戒はしなかった。青い制服に身を包んだ駅員らしき人影だったからだ。
そして―――
「ハーーーーーーイ!1名様、ごにゅーじょーーーーーーーーーー!」
爽やかな、あたり一帯に響き渡る大声量。
あまりに場違いなその美声に、思わず闇の中で身を竦めてしまう。
駅員らしき人物は、片手を上げ、片手を腰に当てている。背筋はピンと伸ばされており、選手入場を告げる司会のようにおどけて見せた。そのシルエットはなんだか全体的に膨らんでいるのが分かった。
「さあさあ、遠慮しないで、ホームに来て!我が自慢である『ジャスティス号』にお乗りください!」
相変わらずの大声量を放つと、駅員はずんずん近づいてくる。
近づくにつれ、そいつの巨大さが分かる。身長は2メートル、いや3メートルはあるんじゃなかろうか。先程述べたように横にも大きいのだ。もはや威圧感を感じる。
しかし、至近距離まで近づいてそいつの姿が顕になった時、その威圧感は消える。
「どうしたのですかな?お客人!」
制服が窮屈そうなほどの長い真っ白の体毛が、少なくとも首から上に生えている。巨大な身体は全体的に丸みを帯びており、制服帽の横にはやはり丸みのある耳が生えている。
ずんぐりむっくりしたそいつは…どうみてもシロクマにしか見えない。
「何やら驚かれておられるご様子…」シロクマ駅員は神妙に目を伏せ、顎に手を当てた。
そりゃお前、驚くよ。駅員の制服に身を包んだシロクマに出会うとは思わないから…。
「なるほど、お客人は『ワームホールステーション』は初めてですな?心配はご無用。利用は簡単ですからな」
「えっ」
「ご説明いたしましょう!この先にあるタッチパネルから、行き先を選んで道なりに進むだけでございます!選択可能な行き先はあなたのセキュリティ・クリアランスに応じて決まりますので、あなた自身は何も悩む必要はございません!」
この際、理解出来ない事は置いておこう。…いや、理解せねばならない。シロクマが喋っている事も、駅員である事も。ワームホールなんてモノを使っている駅もだ。
これはゲームだ、突っ込みは野暮だ。そう言い聞かせる事にする。これも、慣れというやつなのかもしれなかった。
「では、こちらへ!」
シロクマ駅員は重量を感じさせる足音を立てながら闇の奥へと進んでいく。置いて行かれそうになった俺は、慌てて後を追った。
やがて着いた先は、大きな通路だった。
ここから先は3つの道へと分かれており、鉄条網で出来たフェンスがそれぞれ3つの通路を塞いでいる。ただ、フェンスは人一人分の裂け目があり、その横には「入口」と張り紙の書かれている。そして、裂け目の上には3つの通路それぞれにネオンの輝く看板がある。
左から、「easy」「nomal」「 hard」と書かれているようだ。そういうデザインなのか、崩し字で描かれており、辛うじてそう読める。
ふと気づくと、多くの人々が行き交っている。多くはリクルートスーツを着たサラリーマン風の男女だが、中には俺と同じくヒーロースーツを着込んでいる者も居る。
そのいずれも、入り口前で立ち尽くしている俺やシロクマ駅員に一瞥すらもくれず、前とも下とも言えぬ箇所を見つめて歩いていく。みな一様に仏頂面であり、表情には生気が無い。ヒーロースーツを着ている者は表情が分からないが、きっと同じような顔をしているのだろう。
通行人たちは、殆ど皆が「nomal」と書かれている真ん中の通路を進んでいくようだ。
…タッチパネルとやらは見当たらないし、それらしき物を操作している者は居ない。きっと、この先を進んでから操作をするのだろう。
「この先、道は3つに分かれております」今更な事をシロクマがのたまう。
「『逝き』の簡単な道、長く険しい冒険の道、バランスのよい普通の道…どれを進まれるかは、お客人次第でございます!」
「…ワームホールを使うのに、長いとか短いとかあるのか?」
「どれを使われるか大変興味深いところですが…くれぐれも、ご無事に帰られますよう、心から願っております。それでは!」
シロクマ野郎は俺の質問に答えず、一方的に話した後、元来た道を引き返していった。
「おい、ちょっと待ってくれ!」
必死の訴えに見向きもせず、シロクマは闇へと消えていった。
気を取り直し、鉄条網を見やる。そうだ、今大事な事はシロクマじゃない。
ダンジョンをクリアして本社に行く事だ。
このゲームをクリアするという大なる目的を達成するために、小なる目的を達成する事で下積みをするのだ。
怒涛の展開のような気がしなくもないが、渦中にいる俺の都合など路傍の石よりも価値が無いものなのだ。世界にとっては…。
そうと決めた俺は迷わず、歩を進めていく。
「easy」へ…!
ここでタフガイぶって「hard」の道を選択する俺ではない。というより、例え俺が単なるプレイヤーの立場であったとしても、ここは「easy」を選ぶだろう。
まだシステムを理解しきっていないからだ。例えば、このゲームにおける定石となる戦略・戦術があるかもしれない。知っておかないと死んでしまうカラい設定が存在するかもしれない。理解しておかないと活用できない機能を今、俺が握っているかもしれない。
まあ、情報が足りなすぎるという事だ。断じて俺がヘタレだからではない。
心の中でそう言い聞かせながら、歩を進める。
なぜか「easy」を通ろうとする者は一人として居ないが…まあ、俺と違ってゲームの初心者じゃないからだろう。
油断したかもしれない、俺はそう感じていた。「easy」という名が、俺の警戒心を多少緩めてしまったのは認める。
だが、出来る限りの備えはしたつもりだった。周囲に不審な者が居ないかを逐一チェックしていた。これまで起きた出来事を頭の中で復習し、ヴィランに襲撃されたとしても慌てずに対応する構えも取った。
だが、隠れる気も無いらしいヴィランが薄暗い通路でたむろしているとは思わなかった。
見える限り、ヴィランは4体いる。円陣を組むように固まっており、こちらに気付いた様子はない。
さてどうするか。
ヴィラン達の詳細な姿は、暗闇が邪魔してここからでは分からない。ただ、少なくとも先ほどのシロクマ駅員よりは細く小さいように見える。
無論、それは何の慰めにもならない。自分があの細く小さく見えるヴィランより強いという保証はどこにも無いからだ。
強い…と言えば。ある一つの事を思い出した。
俺はここに来る前、ムラサキトゲトゲ星人を倒し、レベルが1つ上がった。ランクEのレベル2だ。その時、スキルポイントなるものが手に入った…らしい。
リシェスがスキルポイントを割り振るようにと言っていたのだ。そして、そういうゲームには覚えがある。
キャラクターの成長をある程度自分でコントロールする事で、より愛着がわくのを覚えている。ただ―――
趣味で言えば速さのパラメータを重点的に上げるのだが…このゲームにおいて速さというパラメータの重要さが分からない以上、軽率な事は出来ない。
どうすればスキルポイントとやらを使えるのだろう―――とちょっと思ったが、ふっと笑いが出た。決まっているじゃないか。
スキルポイントを使おう。
そう念じた時、左腕のディスプレイから中空にウィンドウが浮かび上がる。ホログラム…と言うのだろうか?
もはや驚く事も出来ず、ただただ、この世界に『入りつつある』自分に気付き、自嘲ぎみに苦笑した。
まあそれはおいておこう。パラメータは、上から筋力、耐力、技巧、敏捷…など、おおよそ予想のつくものもあれば、直感、魅力、恩寵といった予想の難しい捻りのあるものもある。
パラメータがずらりと並ぶリストの右上には、スキルポイント:3という表示がある。恐らく、どれかを3ポイント上げられるのだろう。
どうするかな。生存率を上げるには耐力や敏捷なんだろうが、敵を倒す為には筋力がいる。
悩みに悩んだ挙句、耐力・敏捷・直感を1ずつ上げる事にした。
正直に言うと、楽しさを感じた。自分が強くなったという事実が嬉しいし、このパラメータを上げる事によってどんなことが起こるのかが不覚にも楽しみになったからだった。
ただ―――上げた後に思った。
所詮、3ポイントの上昇だと。
それこそ野暮な事は分かる。ただ、これから生き死にを賭けた戦いに赴かねばならない身の上であればこそ、たった3ポイントの上昇に何の意味があるのだろうと思った。
ポイントを割り振る前こそが、あるいは、最も幸せだったのかもしれなかった。
用事を済ませたところで、あらためてヴィランを見据える。
4体。それは、一度の戦闘を終えたばかりの俺にとってはあまりにも多い。
逃げたいところではあるのだが、例え逃げたところで、あるのはここより難易度の高いであろう「nomal」と「hard」の道しかない。
そう、この道は「easy」なのだ。つまり、これで簡単なのだ。きっと。
情報、情報、情報。ずっと情報不足によって苦しめられている。
というかなぜ、駅のくせにダンジョンになっているんだ。
なぜいきなりヒーロースーツを着させられなきゃならないんだ。
なぜこういう時に限って仲間が居ないんだ。
全然納得いかない。また腹が立ってきた。
何が嫌って、分からないながらもやらねばならないからだ。
「ちっくしょう…」
ヴィラン達を刺激しない為の小声での呟きに、また腹が立った。俺は敵に対して気遣いじみた真似をしている。そうせねばならない。それが気に食わないのだった。
「そう嘆くなよ、相棒」
突然、背後から声が掛けられた。
振り向くと…そこには一人の男が立っていた。
着ているのはヒーロースーツではない、西洋鎧のようだったが…。
そいつの姿は、あちこちが明滅している。肩が一瞬だけ透けたり、頭が一瞬だけ横にずれたり…。
「なんだ、お前!?」
上ずった声で聞くと、そいつは静かに答えた。
「俺は…」
「
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