第2話:今、新しい伝説が生まれようとしている

 様々な出来事・物事が「点」であるとする。それらを繋ぐと別の点を導き出す「線」となる。

 そして、「線」を引き続ければ理解と言う名の「面」となる。


 つまり、今の俺には情報という点が全く、一切足りていないのだ。

 だって、そうだろう。

 着たいと思った衣服をノータイムで着用できるし、無駄にしか思えないほど大きな壁時計はさっきから一秒たりとも進まない。俺の知っている常識を覆す世界だ。

 俺の知っている―――というところで、今少し思う所がある。


 それは、実のところ自分の名前がいまだにおぼろげだ。本当にリッシュという名前なのか、自信が無い。

 それどころか、今までどこでどうしてきたのか、実年齢はいくつなのか、それすらもぼんやりとしているのだ。

 ここが何処なのか、どうして俺はここにいるのか。

 哲学的な問いかけではなく、マジで分からないのだから始末に負えない。


 そういった次第で、俺はドアを後回しにして、部屋中央に置かれているテーブルに向き合った。クッションが無かったので、ベッドの枕を敷く。

 そして、目的のブツをテーブルに置く。

 それは、青い大きな封筒だった。部屋の片隅にぽつねんと置かれているこいつこそが、俺にこの世界の情報を僅かばかりでも渡してくれる大いなる友となると思ったのだった。

 正直、この世界の人間を相手にして冷静でいられる自信がないので、落ち着く間が欲しいところでもあったのだが。


 封筒を眼下に据え、肺に空気を送り込む。一息に吸い込んだ後、どん、と座る。

 座りにくい枕はさておいて、テーブルだけは見事なものだ。大きいし、高さも丁度いい。花瓶は邪魔なので棚に追いやっているが、座椅子などがあれば中々落ち着く場所になりそうだ。なりそうなだけに、もったいない。

 それはさておき…封筒に手を差し入れ、中にある大きい冊子を抜き取る。

 Villain Hero's 会社規定。週刊誌ほどの厚みがある冊子には、全ページに渡って文字がびっしり書かれてある。

 この冊子に恐怖感を覚えているのには、未知の情報が詰まっているだろうからだ。

 それらに対する恐怖はある。あるのだが、知らないままの方が怖い。

 ページをめくると、最初の項目は『ヴィランとの戦闘規定』のようだ。


『ヴィランとの戦闘規定!

 銃火器の使用は厳禁!周囲に迷惑をかけないようにしよう!』

『ヴィランは世界の害悪だ!

 皆殺しにするため、正義の鉄槌を下せ!』

『ヒーローの力は無限大!ヴィランの力を奪い尽くせ!』


「………」

 分からない。何を言っているのか、全く分からない。


 まあ、そうだな。

 俺が何者か分からないということは、ひょっとしたら俺の知能指数は思ったより低いのかもしれん。

 気を取り直して、ページをめくっていく。

『ヒーローランク規定』という見出しが目についた。


『まずは、おおざっぱに言おう!

 ヴィランを殺した者はポイントを得られる!』

『ポイントを得たものは、レベルが上がる!

 レベルが40になった者はランクが上がるぞ!』

『ランクが上がればレベルは1に戻るので、より上位のランクを目指そう!』


 怖い。

 さっきから、殺すだの殺せだの、物騒な単語が行き交っている。

 まあ、そうだな。

 ヴィランってのがよくわからないが、まあ虫みたいなもんだろう。さっきからそういう扱いだし。


『ヴィランは人型の化け物だ!

 でも人ではないので、安心して殺すように!』


「………」


『正義の力を見せてやれ!

 徒党を組んで少数のヴィランを滅する事は、ヒーローの鉄則だ!』


「………」


『ヴィランにも利用価値はある!戦いに勝利して、その能力を奪うのだ!

 それ以外に利用価値は無い!』


「………」





「………」

 これでいいのか、会社規定?

 理解しがたい事だらけだが…とりあえず読了した。体感だが、2時間ぐらい経過している。時計はもちろん動いていないが、外から降り注ぐ日光も全く変わらない。眩しさも、角度も同じだ。俺が実は超速で読んだという事でなければ、やはり時間そのものが止まっているらしい。

 これも、ゲーム時間という事だろうか。何かをするまでは時間は経過した事にならないという事か?

 …それも理解はしがたいが、とにかく倫理観が崩壊しているのではないか?ヴィランってのがどんなのかは…結局、あまりよくわからんが…。

「…よし」

 そう、よくわからない。

 のであれば、目で見てみるしかない。ヴィランとやらを見てみれば、分かる事だ。

 ただ、ある一つの仮説が出来上がりつつある。


 …この世界がゲーム、あるいは、ゲームによく似せられたような世界だ。で、ひとまずこの仮説を真実だとして考えてみる。

 恐らく、この冊子は説明書だ。そして説明書でゲームを全て理解するなど、最初から無謀なんだ。

 俺は意を決し、外出する事に決めた。

 そんな仰々しい言い方をするのには、わけがある。外が怖いとか、他人と話す事が煮え湯を飲むより苦痛とかではない。いや、もっと深刻な問題だ。


 このピッチリヒーロースーツを着ている姿は、誰にも見られたくないのだ。


 確かに…少しはかっこいいと思える。

 だがそれは、ファンタジックなかっこよさだ。決して普段着のおしゃれなどではない。

「…ってそういえば、ドア開かないのか」

 そうだった。開けようとするとドアノブは回らないし、『スーツを着なければ…』と謎の声が聞こえるという謎のコンボが発生中だった。

 謎の声が、このヒーロースーツを着ろ、という事を言いたいのであれば、その願いは叶えてやったわけだが。

「こんなんで開くのかねぇ」

 半信半疑でドアノブに手を掛けると、凍り付いたようだったノブは嘘のようにくるりと回り、ドアはあっけなく開いた。

 蝶番の擦れる音が響き、部屋は密室である事をやめた。

 嬉しい事だが、開けた瞬間は驚きの感情の方が強かった。もちろん、もう少しの時間を置けば素直に喜べただろう。


「遅かったわね、リッシュ」


 ドアの向こうにはヒーロースーツを着た―――声からして女性―――が仁王立ちで待ち構えていた。

「ピィ!」

 ドアが開いた事と、謎の多すぎる人物がドアの向こうでずっと仁王立ちしていた(と思われる)という事。この驚きの二重奏によって俺の喉奥から奇怪な音が発生してしまった。いや、叫びそうなのを我慢しただけだが、高音の声となって漏れ出てしまったようだ。

 っていうか、なんだその恰好。変態か、と思ったが、今は自分も人の事を言えない。というか、この姿は誰にも見られないでほしかったというのに、ドアを開けてゼロ秒にしてその望みは打ち砕かれてしまった。

「…遅刻するわよ。早く本社に行きましょ」

 銀を基調とした赤縁取りのピッチリスーツを着た(恐らく)女性は、踵を返した。俺の奇声についてノータッチなのは優しさの表れなのかもしれない。

「おい、ちょっと…待ってくれ」いきなりの事でパニック寸前だが、ようやくまともに人と話せる機会がやってきたのだ。過呼吸になろうが、このチャンスは逃せない。

「…何?」銀ぴか女性は足を止めて、僅かに振り返った。

「その…ここ、どこ?…ですか?」

 我ながら、すごくたどたどしい。まるで片言だ。

「何言ってんの?あんたの家でしょうが」


 情報を整理する。ここはゲームであるという仮定が事実で、ここが俺の家であり、俺はリッシュという名である、というこれらが「この世界の事実」であるとすれば…。

「なるほどな…」

 そういう設定のゲーム…という事だろう。リッシュというのはあの暗黒空間で適当に答えた名前だ。それ以外に関しては既に設定が決まっているようだが…。

「なにを神妙に頷いてんの?中二病?」

「な、違う!そうじゃない!」

 俺は慌てた。こんなスーツ着ている以上外見について釈明の余地は無いが、内面については反論したい。やりたくてやってるわけではない。…内心でかっこいいと思っていたとしてもだ。

「…リッシュ」

「む…な、なんだよ?」

「あんた…まさかNPCじゃないの?」

「は?その…なんだって?」


「NPCよ!ノン・プレイヤー・キャラクター!つまり、プログラム上の人間ってこと!」

「え、ああ…違う。そりゃ違うだろう。何言ってるんだ?」

 女性の凄味がどんどんと増していく。それは俺の的を得ない問答のせいなのか、それとも彼女の性格なのか…。

「プレイヤーなのね!」

 女性は怒鳴るように言ってきた。ゴツいヘルメットで迫られる。怖い。

「し、知らないんだ。そう、訳が分かってないんだよ。ここがどこで、俺は誰なのかが…」

「…そう、そういうこと」

「なんだ?君は何か知ってるんだな?教えてくれ、ここはどこだ?俺は…誰なんだ?」

「ここがどこかは知ってるわ…ここはヴィランヒーローズの世界。アルクテクノロジー社の創った世界の中よ」

「アルクテクノロジー?なんだ、その会社?」

「ゲーム会社よ…でも、あなたが誰だかは知らない。よく聞いて、これから大事な説明よ」

「む…」

「既に察しているかもしれないけど、ここはゲームの世界よ。だけど、あなたはプレイヤーじゃない。ゲーム中の機能を活用できるだけの存在…『コマンダー』よ」

「…コマンダー?」

「コマンダーはゲームの中を自由に行き来できる。とはいっても、プレイヤーと同じ範囲で、だけどね。それでも、NPCとは違って自分の意思で行動出来る事に違いないわ」

「……」

「だけど…あなたはプレイヤーじゃない。一度ゲームオーバーになって、世界が『ゲームオーバー画面』になれば…あなたは消滅する」

「消滅…?俺が?どういう事だ?」

「例えば、ゲームの中でプレイヤーが負けたとする。そうすれば、『ゲームを操作する人』は悔しがって終わり。だけど『ゲームで操作されている人』は違うでしょ?負けたんだから、消滅する。そして、新たな『ゲームで操作される人』が創られて、『ゲームを操作する人』に操作される…」

「よく分からんが…つまり、あれか。俺はゲームの中の主人公か何かになったのか?」

「まあ、大体そんな感じよ。今のあなたはリッシュ。覇権会社である『Villain Hero's』に所属するヒーローの一人となって、巨悪に立ち向かう正義の会社員よ」

「…よく分からんが……いや、すまん。本当によく分からん。正義の会社員?『覇権』会社?」

「私に言わないでよ、私にも意味分からないし。こんな格好させるのもアルクテクノロジーの趣味と、時代の流行なんだから」

「流行って…これが?」

「多分ね…それより、コマンダーである貴方がここから元の世界に戻る方法は一つよ」

「知ってるのか?教えてくれ、どうするんだ!?」


「…このゲームをクリアする事。それによって貴方は『昇華』する。コマンダーからプレイヤーになるはずよ」

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