泥棒を疑う
涼しい夜にはアイスが食べたい。
そう思い立って、コンビニに行くことにした。
アパートから最寄りのコンビニまでは30メートルほどしか離れていないので、最低限の財布と鍵だけ持って出ることにした。
風呂から上がった後なのでコンタクトも嵌めていないが、まぁ面倒なのでなんとかなるだろう。
そういえばツイッターでアイスの実をソーダに入れて飲むと美味しいという投稿がバズっていたのを思い出した。
試してみるか。
アイスの実とソーダを買って意気揚々とコンビニから出る。
8時をまわったところで陽が落ちてしばらくは経っているけれど、アスファルトから昼間にこもった熱が少し肌で感じられた。
空気は夏の気配を見せ始めていたが、風がそれを少しだけ和らげてくれていて、過ごしやすいことこの上ない。
えっちらおっちらアパートの入り口まで戻ると、エレベーターに載って自室のある803号室へ戻る。
1フロアに3部屋しかないアパートだから、エレベーターすぐ前が自室のドアだ。エレベータードアが一辺、三室のドアが三辺をなして四角になっている。
鍵を取り出して、差す。
回そうとする。
回そうとする。
回らない。
困った。鍵の種類は間違えていない。そもそも自分のキーケースには、自室の鍵と大学のロッカーの鍵、車の鍵しか留めていない。間違えようがない。
もう一度試せば回るかもと思った。再度鍵を入れてガチャガチャやってみるが、やはり錠は固く、回転を許そうとはしなかった。
すると恐ろしい思考が脳内を駆け巡り始めた。このドアの向こうで、物理的に鍵の回転を妨げようとしている人間がいるかも知れないということだ。
うちの鍵の内側はよくあるつまみ式のものになっていて、ここを逆回転で抑えておけば、鍵は回らない。
そもそも鍵はちゃんと錠に入るのだから、回らないことがおかしい。
また自分は一人暮らしだから、悪戯をしてくれる同居人なんていない。
では誰がそんなことをしているのか。
泥棒だろう。
自分が部屋を出たスキに泥棒が入って、今まさに金目の物を荒らしまくっているというわけだ。
すると思ったより早く部屋の主人が帰ってきてしまい、泥棒はなんとか部屋への侵入を防ごうとしている、そんなところだろう。
毎日の習慣だから、鍵は無意識のうちにかけているはずだった。けれど、今日に限って忘れていたのかもしれない。なんせこんな気持の良い夜だ。浮かれて鍵をかけずにエレベーターに載ってしまったのかも。
...大変なことをしてしまった。
さらに恐怖心が音をたてて湧いてきた。冷水を心臓に注がれているようだ。
思考がさらに深い闇に向かって回転し始める。
現段階でドアは閉じられているから、泥棒と自分が接触することはない。けれど、泥棒が機転を変えて「なるようになれ」的発想でドアを開放、自分を襲って来る可能性もある。
そうなったらどうしようもない。Tシャツとハーフパンツ姿、武道は特に嗜んでいない自分はひとたまりもないだろう。
死ぬ、直感的に思った。
そうだ警察だ。こんなときは警察を呼ぼう。スマホだ。
あ...
財布と鍵しか持って出ていない。
いつもズボンのポケットに入れているはずのスマホはなかった。
10分前の自分を恨む。何が最低限の、だ。現代人がスマホを身から手放すなど愚の骨頂ではないか。
さてどうしたものか。
隣人のサラリーマンに頼んで電話を貸して貰うのも良い。まだ夜遅くではないから、きっと起きているはずだ。
けれど彼が仕事からすでに帰ってきているかはわからないし、実は言うとそんなにそのサラリーマンと顔なじみだというわけではない。
時々偶然朝部屋から出るタイミングがかぶる程度で、しっかりと話をしたこともなかった。
突然インターホンを押して電話貸してくださいなんて言ったら、逆に怪しまれるかもしれない。
いや、今は有事だ。そんなことを言っている場合ではない。もしかしたら自分の命が危ういかもしれないのだ。
えいや、とインターホンを押す。
....返事がない、駄目だ。まだサラリーマンは帰ってきていないのだろうか。
クソ、こうなれば横の若い兄ちゃんの部屋はどうだ。あの兄ちゃんはサラリーマンと比べてもっと面識がない。なるようになれだ。
インターホンを思い切って押す。
...こちらも駄目だ。もしかしたら、居留守されているのかもれない。1階オートロックのあるこのアパートで、1階時点でのインターホンなしに突然ドアのベルを鳴らされるのは恐怖に等しい。
八方塞がりだった。
なんだか腹が立ってきた。クソ泥棒。どうしてこんな一般大学生の部屋になんて入るのだ。金もさほどないし、見込みなんて少ないではないか。
怒りにまかせてもう一度鍵を自室の錠に差し込み、乱暴に回そうとする。けれどやはり無惨にも機動を一切見せない。
とりあえず落ち着こう。
夢であって欲しいかったから、頬を抓ってみる。痛かった。
こんな詰んでいる状況でも小説やドラマみたいなことはできるらしい。
人を呼ばなければならないと思った。
アパートの外を通った誰かに110番してもらうか、協力してもらわなければ。
震えた手で、エレベーターの1Fを押し、下まで出た。
アパートを出て人を探し始めようとした、そのときだった。
偶然にも道路の向かい側の歩道に警察官2人を見かけたのだ。なんということだ。不幸中の幸いである。
「あ、あのーーー!」
大声で叫ぶと気付いてくれたのか、こちらに来てくれる。
「...どうされましたか??」
「僕の部屋に不審者がいるんです!おまわりさん何とかしてください!」
「あー!あなたが!わかりましたすぐ部屋まで案内してください!」
すぐさま2人の警察官とともにエレベーターの乗り込み、8を押した。
上昇中に感じる重力がなんとも恐怖心を煽る。
エレベーターが到着すると、すぐに出て自室のドアを指した。
「この部屋です!!」
必死の形相で警察官に言った。
「わかりました、ちょっと下がってて。」
一人の警察官がインターホンを押す。
ピーンポーン....
生殺しのような沈黙を噛む。
知らないうちに汗もびっしょりかいてしまっていて、気持ち悪い。
ゴクリと喉を飲んだ。
...その時だった。
「はい...」
か細い女性の声がインターホンから聴こえてきたのだ。やはり室内には不審者がいた。
「あの、警察ですけども」
「あ、来てくださったんですね!今開けます!」
ん?どういうことだ。泥棒がこんな簡単に警察に応えようとするのか?しかも女?
思考が混乱し始める。
まさか。
裸眼なので、なんとか目を細めて表札の番号を確かめようとする。
するとどうだろう。
そこには603という数字が記されていた。
急いで今出たばかりのエレベーターの階表示を確認する。
エレベーターのボタンは虚しくも"6"を点滅させ、今いるフロアを明確に示していた。
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