君が諦めた世界に

 鈍色の天蓋は、今日も変わらない、昨日も、一昨日も、そしておそらく明日も。変わらずにあり続けるのだと思えば、気持ちは暗くなる。その事実は認めざるを得ない。


「それでもさあ、ソレはやり過ぎだと思うんだよね」


 薄く笑って、私は『ソレ』を見つめた。天蓋と同じ鈍色の塊。鈍器にもなる小さな兵器。先ほどまで余裕ぶっていた兵器の持ち主は、今やかわいそうになってくるほど怯えていた。対して、兵器を向けられているはずの私は余裕綽々。片手間に知恵の輪なんかを解いてみたりしていた。


「とりあえず、それ降ろしたら? 危ないよー」

「うるさいっ!」


 がちゃり、と兵器の口――俗称、銃口が私に向けられる。「おお、こわいこわい」と怖がれば、なぜかじろりと睨まれた。おかしい。望むリアクションを見せてあげたはずなのに。


「なんでっ! オマエ、自分の立場わかってるのかっ!?」

「うん? うん、わかってるよ」

「それならっ!」

「えー、立場ってさあ。つまり『私がキミを圧倒している』っていう立場のことでしょう? それなら何もおかしくないじゃん。私、普通の態度しか取ってないよ?」


 わざとらしく煽れば、ぱんっと乾いた音がひとつ。直後、右頬に熱を感じた。たらりと垂れる血がなんとなくうっとうしくて拭えば、右手が赤く染まる。あ、やばい。知恵の輪が汚れる。服と知恵の輪を天秤にかけて、結局私は知恵の輪を汚すことにした。


「くそっ、どうして! どうして!」

 銃を撃った相手は、ぎりぎりと歯をかみしめている。悔しいのだろう。その気持ちはわからなくない。なにせ。

「もう私の勝ちは確定だね」


 六発の弾はすべて使い切ってしまったのだから。




 数十年前に、人類は一つの過ちを犯した。それ以前にも多くの過ちを繰り返していたのだが、今回ばかりは悲しいかな取り返しのつかない過ちだった。


 機械奴隷制度。それが『間違い』のはじまり。契機となった事柄の名称である。

 読んで字のごとく、機械を奴隷化しようとしたのがこの制度だ。当時すでに人工知能の研究はかなり進んでいて、『成長』を見せたり『意志』を持ったりする機械も存在していた。それらはまとめて人工知能と呼ばれ、様々な場所で活躍していた。


 だが、人間とは何とも欲深く愚かである。映画の見過ぎとも言えようか。彼らは恐れたのだ。自分たちが作ったはずの機械が、自分たちを支配することを。


 そう考える時点でもう支配されていると気づくカシコイ人はいなかったようで、とある研究者が提唱したこの危険性は瞬く間に世間に広がり、やがては機械奴隷制度を産んだ。すべての人工知能は起動前に『隷属プログラム』をインストールすることが義務付けられ、決して人に逆らわぬようにプログラムされた。


 だが、それだけでは人は安心しなかった。安心できなかった。

 世間に犯罪者がいるように、ユダがキリストを裏切ったように。隷属プログラムをインストールしていない『非合法人工知能』も当然のように存在した。人間はそれを恐れた。ソレらの暴走を恐れて、恐れて。解決策を練っている最中に、とうとう事件は起こった。


 現在の教科書では『17テロ』と紹介される事件は、非合法人工知能とその開発者によって引き起こされた。主犯は「人工知能の人権」を訴え続けていた研究者だった。

 主犯は同士を集めて、世界各地にて人工知能を『反逆』させた。もともと隷属プログラムをインストールしていなかった人工知能たちは、自分を優先してくれる親を愛し、当然のように親に従った。


 あらゆる情報網が混乱に陥った。あらゆるデータが流出した。あらゆるサイバーセキュリティが消し飛んだ。あらゆる人が、物が、機械が、データが、犠牲になった。

 この時、主犯の意図に気づいたのは――隷属プログラムが必要ないという訴えに気づいたのは、ほんの一部の人間だけだった。多くはただ、想定外のことに怯え、非合法の人工知能に怯え、バカみたいに隷属プログラムへの信頼を高めた。


 人間はそうして、想定外を排除することを決めた。テロを引き起こした人工知能をすべて削除し、初期化した。テロに参加した研究者たちは牢獄に繋がれ、5割は絶望で自殺し、4割は死刑になった。


 異端を排除して、異質を消し去って。それでも人間はまだ安心しない。最後の仕上げと言わんばかりに、巨大な殻を作り上げた。


 現在、世界にはいくつかのドーム都市があるだけになっている。外に住んでいる人間もいるのかもしれないが――残念ながら、都市内部からはそれを確認する手段はない。ドームに住むほとんどの人間は、そもそも外に興味を持たない。

 理由は簡単だ。ドームは隷属プログラムがインストールされた人工知能によって守られているからである。隷属プログラムによって守られた小さな世界。小さな空間。空は永遠に鈍色でも、夜空という概念が失われても、それでも人は安全を選んだのだ。


 さて。ここでひとつ疑問を提唱しよう。テロに関わった研究者のうち9割が死亡したのは先にも言ったとおりである。では残りの1割――最後の一人である主犯は今、どうしているのだろうか。




「アンサー、ここで知恵の輪を解いてるなう」


 ぶんぶんと適当に見える動きで知恵の輪を回転させる。なう、って可愛いよね。100年以上前に流行った言葉らしいが、私は今でも使うべきだと思う。だって、語呂がかわいい。

 からん、と音がして知恵の輪が外れた。暇つぶしにもならないそれらを再び組み合わせて、またぶんぶんと振り回してみる。からん。今度は2秒とせずに外れてしまった。

 つまらないの。そんな思いが顔に出てしまっていたらしい。私を襲った人物――名前は知らないがおそらく10代くらいの少年くんは、驚愕の顔をしていた。あ、いや、知恵の輪は関係ないかもしれない。だって彼は、もっと別のことに驚いているようだったから。


「あんたが、17テロの、主犯――?」

「いえーす。そうだよ。あ、でも一応声控えめにね。それってあんまり大声で言えないことだから」

「な、ふざけるなよっ! だってアンタは、このドーム都市の計画案提唱者で……」

「うえ? え? 待って。あれ? そうだっけ。んー、言われてみればそんな奴の名前借りたかも。おーい、みーちゃん。確認してくれない?」


 叫ぶように背後に声をかければ、巨大なディスプレイが点灯する。それにまた少年くんは驚いて、ヘンな声を上げていた。うむ、面白い。とりあえず笑っておこう。


『マザー、性格が悪いですよ』


 ディスプレイから流れた声は、少女のような、少年のような、そんな声だった。耳になじむ声の主はみーちゃん。私の娘である。


「ごめんって。いやいや、少年くんの反応が面白くてさあ。あ、ところでみーちゃん、大丈夫? 怪我ない?」

『ええ、マザー。御覧の通りディスプレイは傷ついていますが心臓部――私の根幹はマザーご存知の通り人間では到底扱いきれない部分に隠してあります。ボディの修復は――』


「うん、もちろんするよ。あ、でもその前に真面目に確認させて。さっきの少年が言ってたことなんだけどさ、今の私って『誰』になってる?」

『マザー、あれほど自身の情報は覚えておくようにと……いえ、すみません。言うだけ無駄でしたね』

「うわっ、ひどいな」


 ケラケラと笑えば、みーちゃんもくすくすと笑った。娘が楽しそうでなによりだ。ちょっと呆れられた気もするが。そんな私たちのやり取りでようやく正気に戻ったらしい少年くんが、銃を捨てて独り言のように単語を漏らす。


「ひ、ごうほう、じんこ、う、ちのう……?」

『ええ。おっしゃる通りです。私はマザーによって作られた人工知能であり、現在の世界では非合法と分類されるものになります。ついでにマザーは擬態のためにドーム開発者の名前を借りていますが、本物は六年前にドーム外へと旅立っております』

「な、んで」


 あっけにとられる少年くんは、なんとも無様で、なんともかわいらしくて――そして何より、未来が見えた。もともと、私に襲い掛かってきた動機自体、未来があったのだ。この管理された、鈍色の天蓋に反逆しようとするその心意気だけで、十分だったのだ。


「まあそういうわけでだ、少年くん。君の目的に私という存在は大いに役に立つと思うんだよね。だって私、みーちゃんを見てもらったらわかる通り、いまだに人工知能の人権は必要だって思っているわけでして」

「……」

「だからさあ、絶望するのはいいんだけどさあ、死ぬのはちょっと、待ってみようぜ」

「……で、も、どうやって」

「あはは、君バカだねえ。私を誰だと思っているんだい?」

『マザー、今のあなたはどう見ても悪役です』

「うん? 何言ってるんだいみーちゃん。私は初めから悪役だよ?」

『……そういえばそうでした。失礼、私どもから見れば、あなたは正義でしたので』

「わーうれしいなあ。娘にそう言ってもらえるとお母さんは超うれしい。うん、でも喜ぶのは後にしよう。とりあえず少年くんや」


 君が諦めた世界に、終止符を打つ気はないかい?


(執筆時間:1時間3分)

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