第8話 目覚め
規則正しいコトコトという音でぼくは目を覚ました。ここはどこだろう。柔らかくて暖かい布団に包まれて、ぼくは起き上がるのを先延ばしにしよう、という怠惰な欲求に駆られた。でも、ぼくには何か大切な、とても大切なものが、人が、いた。レーナ。その名前が脳裏にひらめいた刹那、ぼくは全てを思い出した。目を開く。長い間(いったいどのくらい?)寝ていたため動きの鈍った手足を何とか動かして起き上がる。そうやって、ぼくはそこが小さな木組みの部屋であること、そしてベッドの脇にはレーナが椅子に座ったまま眠っていることを見て取った。
ぼくはそっと手を伸ばして、彼女の肩に触れた。その長い髪が肩からこぼれ落ちて、彼女ははっとしたように目を覚ました。その目は、ひどく泣いた後のように見えた。彼女はぼくの名を呼んだ。
「セルコ、あなたは…」
言葉にならない言葉を発して彼女は安堵のうちに泣き崩れた。その手には、ぼくの手がしっかりと握られている。その熱が、その温かみが、その柔らかさがぼくの腕を通して冷え切った心臓を温める。
「あなたが死んだら、わたしはどうやって生きて行けばいいのか、って…。きっと、きっといつかあなたと結ばれるって、そう信じていたから…」
ぼくの心臓が熱を持って弾み、その瞬間、ぼくは全てを悟った。全て、つまり、この人生の織りなす意味を。意外なことに、驚きは思ったほど大きくなく、その柔らかな感覚はぼくをさも当然のようにふわりと包み込んだ。ずっとこの時を待っていた、そんな気がした。その感情はまるで長いこと留守にしていたわが家に帰った時のように、郷愁と懐古、安堵と安らぎをもってぼくを満たした。
何年間も耐えてきた苦痛、自分には意味がないのだという無自覚な自覚、世界からの疎外感。人並み以上に勉強ができたゆえに与えられた教師の厳しい要求に、恋を謳歌し結婚していった同輩たちの嘲笑するような眼差しに、日々耐え、日々すり減らしてきたこの心が、いまは血の通った暖かいものに思えた。孤独に軋る心を抱えてひとり泣いた幾夜が、自分の存在のあまりの偶然性に病んで流した血が、今やっと意味を持った。そうして、全ての苦痛と喜びが、この日のため、これからの日のためにあったのだと、今ではそう思えた。
ぼくはベッドに身を起こしてそっとレーナを抱き寄せた。涙に濡れたその大きな目が、ぼくをじっと見つめている。長い髪があちこち跳ねてぼくの顔をくすぐった。その小さな、この上なく小さな存在が、今は世界全体の意味だった。誰が何を言おうとこのぬくもりは真実で、その外に広がる荒涼たる現実も、押し寄せる暖かい波の向こうに峻厳な冷酷さを収めた。
そうやって、ぼくは暗い悪夢のトンネルから目を覚ましたのだ。
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