第4話 大きな影
そうやって春が半ばほど過ぎた頃、村の外れの草原に鹿の群れが現れた。何千頭もの鹿たちは、何かに追い立てられるかのように慌てていた。村の住人たちはこの幸運を無駄にはしなかった。結局100頭以上の鹿が狩られ、住人たちは久し振りに美味しい肉にありついた。
皆が浮かれているなかで、レチはなぜか沈んだ様子だった。そもそも彼には不思議なところが幾つかあった。例えば、ユエスレオネの様子や自分がここへ来た理由などを、全く話さないのだ。ある日、ぼくはレーナと一緒にレチの小屋の外に座って、彼の作業を見るともなく見ていた。戸外では眠気を誘うような暖かい風が吹いていた。蝶がひらひら舞って、小鳥がどこかでさえずっている。ぼくが気になっていたことを思い切って尋ねることにしたのは、きっと春の陽気のせいだ。
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レチは作業の手を止めて、思案顔をした。少し考えた後、彼はためらいがちに返事をした。その横顔は、どこか寂しそうだった。
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ユエスレオネはここ以上に緊迫した状況だったのだろう。きっと、大切な人を幾人も亡くしたに違いない。悪いことを聞いてしまった。
“
ぼくは謝った。レチはいいのだよ、という風に手をふって作業に戻った。気がつくと、レーナがぼくの隣で居眠りしていた。彼女の長い髪がぼくの鼻腔をくすぐる。ぼくは彼女に肩を貸してやりながら、これから自分たちはどうなるのだろうと、ぼんやり考えた。
次の日は春の嵐だった。レーナは少し前に自分の小屋に戻っていたが、嵐を避けて再びぼくの家に来ていた。朝方から降り始めた雨は、昼過ぎには暴風に変わり、夕方には雹が降った。屋根に当たる氷の塊の音を聞きながら、ぼくたちは暖炉を囲んでとりとめのない話をした。暖炉の火は、随分前からかなり小さくしてあったが、この日ばかりは冬と同じくらい大きくしないといけなかった。
嵐は日の入り前に収まり、ぼくと父は外に出て見た。雹があちこちに散らばっていたが、それを見分けることが困難なほど外は暗かった。日の入り前なのに、なぜかとても寒い。ぼくたちは特になにも考えずに空を仰いだ。 大きな黒い雲が空全体を覆っている。いや、雲などではない、それは《空に浮かぶ島》だった。
物心着いてから、島がぼくたちの村の上にやって来たのは数回しかなかった。その度に、島は数日留まってあたりを暗闇で覆った後、来た時と同じようにどこかへ去って行った。皆、今回も今までと同じように島はやがて去るだろう、と思って気にも留めなかった。
島がやって来て3日目の早朝、巨大な地響きと揺れでぼくたちは目を覚ました。慌てて家から飛び出したぼくたちが見たのは、遥か彼方、西の方で上がった大きな炎だった。なにが起きたのか分からなかった。家族は皆怯えたように固まって彼方を見つめた。その時、ぼくは気づいた。島の端が、地面に接触したのだ。
その炎はそれから数日燃え続け、この辺りにも灰を降らせた。島は、今や座礁した船のように身動きの取れない状態にあった。ぼくたちの村が太陽に照らされることは、それ以来二度となかった。
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