第2話 訪問者

 短い夏が終わり、秋がやって来た。作物の出来は例年にないほど悪く、気候変動の影響だと言う噂が流れた。なんでも、大昔は雨季と乾季しか無かったらしい。ぼくとレーナの関係はあれから特に変わることもなく、ふたりは連れ立って出かけたり出かけなかったりした。


 ある日のこと、秋晴れの草原でぼくたちは《空に浮かぶ島》を眺めていた。彼女は昔からそうやってよく空を見ていた。高校の窓際で頬杖をついて空を眺める彼女の姿に見惚れたのも、そう昔のことではない。緑の草原で心地よい風に吹かれながら、彼女はやっぱり空を眺めて何か考えているようだった。ぼくも黙って空を見つめた。巨大な《空に浮かぶ島》は地面に黒々と影を落としながら、ゆっくりと漂っている。大きすぎて実感がわかないが、その島は何千万人もの人が悠々と暮らせるだけの面積を持っていて、主人たちが死に絶えた後も律儀に空に浮かんで一定の高度を保っているのだ。


 ぼくは視線を下げて横目でレーナを見た。相変わらず空を見ている。傍らには編みかけの花輪があった。青い花が、緑のつるに幾つも咲いている。ぼくはポケットから本を取り出して読みはじめた。ぼくたちの住んでいるところでは、いまだにリパライン語が書き言葉として使われていた。というより、もはや本を大量に安く印刷するだけの技術は失われていて、昔の文献の写本くらいしか読むものがなかったのだ。中学と高校では、リパライン語の教科書が使われていたし、ぼくは本が昔から好きだったのでリパライン語には自信があった。


 その本では、ユエスレオネという架空の世界での歴史が語られていた。人々が資本主義の圧政から自分の国を取り戻し、共産主義による共生社会を作り上げる、というその物語には、銀髪の少女と黒髪の青年が主人公として出て来た。青年はどこか他の世界からやって来て、ユエスレオネで少女と出会い、レトラという街で様々な冒険を繰り広げる。今読んでいる場面は、青年がバスに乗って町外れの学校に行くところだった。この物語では自動車が頻繁に出てくる。きっとこの本が書かれた頃には、誰でも車を所有できたのだろう。


 どうやらぼくはそのまま眠ってしまったらしい。気がつくと、レーナがぼくの肩を揺すって起こそうとしていた。寝ぼけたままレーナに何があったのか尋ねると、彼女は静かにするように身振りで伝えた。そして、そっと空を指差した。そこには大きな鳥のようなものが見えた。いや、鳥ではない。人間が作った乗り物だ。大きな翼を広げたその乗り物は、優雅に旋回しながら呆気にとられてただ見つめるだけのぼくたちを横目に、草原のさほど遠くないところにふわりと着陸した。恐る恐る近づいてみると、その乗り物には、男が一人乗っていた。気を失っているようだった。


 その男は結局ぼくの家に引き取られた。父が医者だったこともあるが、ぼくの家の農場は草原からすぐ近くだったからだ。男は見慣れない服装をし、黒い髪を短く刈っていた。この辺りでは見かけないような風貌で、どこか遠いところから来たのだと、根拠もなくそう思えた。


 男は数時間後に目を覚ました。横で見ていた母とレーナが話しかけると、男は戸惑ったような顔をした。そして、ためらいながら


Mi es私は mol harmue?どこにいる?


と尋ねた。母とレーナは驚いて顔を見合わせた。その言葉は、リパライン語だったからだ。この世界にまだリパライン語を話す人がいたなんて。ふたりはあまりリパライン語が得意では無かったから、ぼくが代わりに話をした。と、言ってもぼくのリパライン語の知識は書き言葉の範疇をわずかに出る程度だったから、会話にはなかなか苦労した。


Miss es私たちは mol fal Dexylデシィルにいる。. Harmue co'd icco es?あなたはどこから来た?


Mi’d icco私は es Yuesleone.ユエスレオネから来た


 そうして、ぼくたちはユエスレオネが実在すること、そしてそれが《空に浮かぶ島》の上にあることを知ったのだ。

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