病み少女と迷える男は雨の中
咲兎
本編
病み少女と迷える男は雨の中
2018年8月上旬のある日。その日は、豪雨だった。
激しい雨が、ある部屋の窓を叩きその中にいた1人の少女は、耳を抑えて俯きながら雨音で酷くなる頭痛と戦っていた。
少女の名前は“十倉めぎ”。
めぎは、ある事情で体を悪くし、長い間外に出られない日々が続いていた。このまま、この日々が続けば死ぬだろう。
それなら、こんな時だからこそ、死ぬ前だからこそ、今までの自分には不可能だった何かが出来るかもしれない。
めぎは雨の中、そんな事を考え……思いついた。今の、この状態の彼女でなければ出来ない、その何かを。
◇
8月下旬、雨の中、街を歩く1人の青年がいた。
彼の名前は“花園塔矢”。
塔矢の人生は社会人2年目の今日に至るまで、目立った出来事こそないものの順風満帆である。だが、塔矢はそれでも現状に不満を抱いていた。塔矢自身を見てくれる人間がいないからだ。
会社の中で求められるのは、組織の一部としての自分だ。なら、自分である必要はないのではないか。会社でも、そして学生時代も仲の良い人間が少なかった塔矢は自分自身の存在に疑問を感じており、時たま、休日に街を歩きながら、そんな事を考えていた。
そして、それは、そんな塔矢が休日に街を歩き、もう遅い時間なのでと帰宅しようとしていた時の事だった。
自身の脳内に、直接女の声が響いたのだ。
「地に落ちた白い羽の鳥は、小鳥の止まらないその木に止まった……うーん。」
その声は少し幼く、恐らくまだ子供であったが、澄んでいて、綺麗で、明るく、塔矢は思わず聞き惚れた。
だが、肝心のその内容の意味が分からなかった。
塔矢は、この少女の声が聞こえるという怪奇現象よりも、「これは、一体何を話しているのだろう。」と強く考えた。
不思議と内容の方に、興味が湧いたのだ。すると、塔矢の脳に突然の大きな声が響いたのである。
「え!?今、どこかから声が!?
私、ついにそこまで危険な状態に!?」
脳に直接響く大音量に頭を痛めながらも、塔矢は今置かれている状況を考えた。
自分の心の声が、声だけ聞こえる謎の少女に届いている。つまりはこれは念話……。
と、そこまで一瞬考え、塔矢は慌ててかぶりを振りながら、それを否定した。
いくらなんでも非現実的すぎるからだ。なら、一体どういう事か。
そこまで考えて塔矢は1つの可能性に思い当たった。
塔矢には、今は治ったものの、幼少期から近年まで、微かな幻聴が聞こえるという持病があった。なので、持病が再発して、以前より悪化したのだとすれば、合点がいくと塔矢は思った。
現に数年前、塔矢は持病が一時的に普段より激しく悪化した時があり、その時に今回の声と同じくらいはっきりとした幻聴を聞いた事があるのだ。
塔矢の持病は、基本的に彼の人生に影響を与えない程度の軽度のものであったが、その時に限っては、非常に重くなり、塔矢なりに症状を緩和させる為に様々な事を試みたりと、当時、塔矢は苦労されられていた。その為、彼は当時の事をとてもよく覚えている。
塔矢は、以前とは違った精神的な病を患った可能性もあるが、いずれにせよ、また精神病の類いだろうと考え、ため息をついた。
……そのどちらでも無いという事に、心の奥底では気がついていたにも関わらず。
「失礼します。どなたかは知りませんが、一体何をしていたのですか?」
相手が妄想上とは言え、話してみる事で何か分かる事もあるかもしれないと考えた塔矢は、意を決して心で言いたい言葉を念じる事で会話を試みる事とした。
これで、うまくいくのかと少し心配したが、その心配は杞憂ですぐに少女の声が塔矢の脳内に響いた。
「えぇ……誰だか知らないけど、よく冷静に対応できるね。」
塔矢は、やはり自分が予想した通り、念話の如く言いたい言葉を念じる事で、言葉が届くものなのだなと思った。
また、そう自分が思った事に対して、相手の反応が無い事から、強く念じないと届かないようになっているのだろうと感じた。
やけに都合がいい、もし仮に念話が実在したとして、こんなに都合が良い訳がない。やはり妄想上の存在だ。塔矢はそう考えつつ、曖昧な表情を浮かべながら、会話を続ける。
「まぁ、幻聴……という可能性もありますしね。」
「あぁ、幻聴、なるほど……。」
少女の声は、先程までの明るい声とは打って変わって、どこか悲しげであったが、納得したようでこう続けた。
「まぁ、それでも良いか。
えっとね、私、物語を考えてるの。」
「物語、ですか?ポエムかとも思ったのですが。」
「大して変わらないよ。似たような物。」
「趣味なのですか?」
「うーん、趣味……っていうより……自分だけの生きた証を残そうと思ったからやってるってとこかな。」
塔矢には、生きた証を残そうと思ったという言葉が、ただのカッコつけで放った言葉ではないように思えた。
その言葉の響きが、余りに神妙であったからだ。
「それは……どういう事でしょうか?」
少女からの答えには時間がかかった。
塔矢が、もう声が聞こえなくなったのかと思ったほどに。
それでも、少女は確かに答えた。
そうして、答えたその理由とは、塔矢が想像するよりも深刻なものであった。
なんでも、彼女は数年前に受けたいじめが発端となった出来事が原因で重く精神を患ってしまい、今は家から出ることも出来ないという。そして、現在症状の治る見込みが無く、このまま自分は死んでしまうかもしれないと考えているらしい。
そんな状態だからこそ、出来る事はないかと最近始めたのが、今の自分にしか作れない自分だけの生きた証である物語を作る事だそうなのだ。
「……そうですか。」
塔矢は、そう返し、ふと考えた。
自分は彼女の人生の話聞いて、正直可哀想だ、と思った。
しかし、しかしだ。
それだけではない何かが、ある気がする。
それは、初めて彼女の声を聞いた時から、感じている様な気がする何か。
その時。
ふと強い風が吹いて、差していた傘が傾いた。慌てて、正位置に傘を戻そうとしたその時、ふと、彼は雨が小雨になっている事に気付き、小雨ならと傘を閉じようとし……そこで地面にある水たまりに気づいた。
いや、正確には、そこに映る自分にだ。
自分。
そこで、初めて塔矢はその何かの正体に気がついた。
彼女と自分はどこか似ているのだ。
塔矢には、少女のように虐められた経験はない。少ししか話していないが、性格はあまり似ていないとも考える。
だが、それでも、どこか似ている。
塔矢は自分と彼女の事を考えた。
自分を見てくれる者がいない現状、塔矢は他のものとは違う唯一無二になりたいと考えている。
もし、ここで仮に自分が彼女と同じような状況に追い込まれたとしたらどうするだろうか?
自分だけの何かを最期に作ろうとするのではないだろうか?
それが、まさしく今の彼女で……。
そこまできて、塔矢は思った。
もしかして、彼女は、あったかもしれない自分のもう1つの可能性ではないだろうかと。
精神のおかしかった過去の自分なら、あぁなる可能性もあったはずだと。
すると、塔矢は、彼女に途端に強い興味を抱いた。
「急に黙ってどうしたの?」
少女から、塔矢に声がかけられる。
しかし、塔矢は返事をしない。それは、今まさに塔矢が、彼女に興味を持ち、その上でどう接すれば良いか迷っている最中であったからだ。
少女の声を塔矢は先程から幻聴にしては、何かがおかしいと感じていた。なら、この声は、本当の念話なのかもしれないとも。しかし、そんなことはない、馬鹿馬鹿しい、所詮は幻聴だという考えも塔矢の中にはあった。
……だが、今ここでそう考えて、彼女と向き合うのをやめると、きっと自分は最終的に後悔する事になるはずだ。
もし、この声が本当なら、この雨の日の怪奇現象は、自分と似た彼女を助ける為に起きたものに違いない。なら、自分には彼女に出来る事がある。
塔矢はそう考え、意を決し、まだ雨がパラつく不安定な空と向き合いながら……決心した。
その決心が、正しいかは、誰にも分からなかったけど。
塔矢は、少女にこう告げる。
「その物語、私に聞かせてくれませんか?」
その言葉は、塔矢が考える自分が逆の立場に置かれた時にかけて欲しい言葉であった。
塔矢は、息を呑んで返事を待つ。
少しすると、彼女は、少し嫌がりながらも、嬉しさを隠し切れない様子で、自身の物語を語ってくれた。
塔矢も彼女の嬉しさを共有する様に、物語を聞いた。
その物語は、途中までだったが、とても考えられた作品であり、何より塔矢は面白いと感じた。
物語の主人公は2人おり、彼女自身と彼女の友人をモデルにしているらしく、名前はめぎとちどだと言う。
塔矢は中々、いない珍しい名前をつけたなと感じた。
そして、驚いた事に、登場する友人は数年前友達だったにも関わらず、彼女をいじめ、今の状況を作った元凶とも言える人物だというのだ。
「なぜ、そんな人間を主人公にするのか」と塔矢は聞いた。すると、少女はこう言った。
「そんな人間?私はあの子は親友で、今もそうだと思ってる。あの子のやった事を気にしてないっていうと嘘になっちゃうけど……。
それに、やった事が全ての原因になってると言われれば、確かにそれはそうだと思うよ。でも、やった事そのものは1人で出来るレベルのいじめで、今思えば大した事ない方なんだよ。
問題は、その後に続けて起きた事の方だから。とにかく、嫌ってるって事は絶対に無いから悪く言わないで。」
その口調は少し怒っている様であった。しかし、少女は悪いと思ったのか、すぐにこう言った。
「ごめん。普通、そう思うのは当然の事なのに。」
「いえ、大事に思っているんですよね。だから主人公にしたのですか?」
塔矢が、そう聞くと少女はまず、暗く悲しげに、そして口ごもる様にして、こう答えた。
「それも……あるけど……今思うと、私が鏡で見る顔とあの子のあの時の顔はどこか似てた気がしてて、あの子も追い詰められてたんじゃないかって思ったの。」
そう言った少女が直後に放つ発言に、塔矢は驚かされる事となる。
「だからね!2人とも心が追い詰められてないそんな世界があったらいいな!って思って、それで物語の主人公にしたの!」
それは、内容だけを鑑みれば、何のおかしな事もない普通の発言だ。だが、塔矢が驚いたのはその口調である。
その口調は晴れ晴れと明るいものであった。明るすぎるとも言える程に。つい、先程までの暗い感情を反転させたかの様に急激に彼女の口調は明るいものとなったのだ。この急激な感情の変化を見た塔矢は、ようやく本当の意味でこの少女の事を理解した気がした。
最初は明るいと思った少女の声。
しかし、これは本当の意味で少女の性格が明るいのではなかったのだ。
特に精神がおかしかったあの頃の自分と同じだ、今きっと彼女は不安定であぁやって自分を保っているのだ、そう塔矢は思った。
その予測が実際に正しいかは分からない。しかし、塔矢は今確かにそう感じたのだ。
そして、そんな過去があるから、自分にはこの声が聞こえたのかもしれないとも。
この時、もはや塔矢は先程までとは違い、これが幻聴だ、など考える事は微塵も無くなっていた。
「まぁ、聞いてくれてありがとね。幻聴さん。」
「……今日は本当にありがとうございました。貴女の事が気に入ってしまいましたよ。……本当に心から。最後に名前を伺っても、良いですか?」
塔矢がそう言うと、少女は少し恥ずかしそうにこう言った。
「“白羽ちど”……」
「……えっ?
もしかして、物語の中の名前って本名ですか?」
「う、うん。」
「では、友人も?」
「そうだけど。」
「……そうですか。」
「?」
◇
……同日深夜。
「開けるぞ、めぎ。」
「え!?な、なんで、あんたがここに!一体どうやって……」
1人の男が有無を言わさず、少女の部屋のドアを開ける。その男は、少女……“十倉めぎ”の年上の元彼の花園塔矢だった。
「どうでも良いだろ、それより白羽ちどって知ってるか?」
「良くない!っていうか、ちど?中学の時の友達だけど……何でその名前を?」
「実在するのかよ。めぎなんて、珍しい名前そうそういないから、まさかと思って来てみれば……で、お前がいじめてたってのは?」
「な、何で、それを。」
「事実だったのか。じゃあ、容赦はいらねぇな!」
そう言うと、塔矢は彼女を思い切り、殴りつけた。
「はは、懐かしいな。こうしてお前を殴るのも。今、あの子がどんな状態か知ってるか?お?最近は幻聴も聞かないし、あの時みたいにお前を殴る必要は無くなったんだけどな。」
塔矢が、再びめぎを殴りつける。
「俺は、あの子に答えをもらった気がする。あの子は治る見込みが無いと言っていた。って事は、死ぬっていうのはもしかしたら大袈裟かもしれねぇが、良くて一生家の中って事だぞ?
というか、それはある意味死よりも酷いだろ。お前と同い年って事は高校生、そんな事が許されるのか?
こうする事をあの子は望まないかもしれない。これは俺のエゴだ。
だがな、俺と似たあの子があんな状態で、元凶であるお前が平和に暮らす、そんな事があって良いわけがあるか。
動けないあの子に代わって復讐出来るのは、俺だけ。そう、これが、俺にしか出来ない事だ。」
めぎには、分からなかった。
なぜ、塔矢が引っ越した今の1人暮らしアパートの部屋を知っているのか、そして、なぜちどの事を知っているのか。
分かるのは、塔矢の頭がまたおかしくなっているという事だけだ。
やっぱり、私が悪いのか、めぎは遠い目でかつての事を思い返した。
2年前の2018年の夏休み、塔矢からの暴行を受け続け、外にも出られず、死ぬかもしれないと思っていたあの時。
そして、そのストレスを、自分の体が治ったら、ちどにぶつけてやる計画を考え始めてしまった、2年前の8月上旬の事を。
初めはどうせ死ぬなら、今までの自分と真逆の事、親友をいじめるという事をしてやろうと自棄になって、その計画を考えているだけだった。
それまでの正常な精神では出来なかった。正常な精神ではないから、出来てしまったのだ。
だが、彼女は死ぬ前だと思ったからこそ、この計画を考えたのであり、実行する事はないと考えていた。
しかし、それから、塔矢の病状が良くなり、めぎが死ぬ事は無くなった。
でも、めぎは暴行を加えられなくなっても、今までのストレスが溜まりっぱなしで……。
出してはいけないものに、手を出した。
怪我の回復を待って、夏休みから2ヶ月遅れで中学に復帰しためぎは、それまで溜め込んだ鬱屈した思いを全て晴らすようにして、本来実行するはずの無かった計画を実行し……
何もかもが始まった。
今思えば、馬鹿な事をしたとめぎも思っている。自分が悪いとも。
なのに、またこうなるなんて……めぎは、どこか遠い目で窓の外を見つめながらそんな事を考えていた。
今、先程まで小雨だった雨は、豪雨と化し、めぎの部屋の窓を叩いていた。
2年前の8月のように。
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