2-④ そもそもこの世の中に敵などおらん

「あと食後にでもこれを食べてくださいね」

 小皿に盛られた何か。小さすぎてブリアには確認できなかったが、それを見たシコロモートの目の色が変わった。


「何じゃ……って梅干しではないか! しかもこれぶよぶよ系! 余計酸っぱい奴ではないか!」

(それがいいのに!)


 勿論カリカリの梅もまたおいしい。とブリアは考えているのだが、そこまでは口にも思考にも表現しなかった。

 だから空気振動は防がれ、2人への居場所を知らせることにはならない。まだ言い合う2人の姿を眺めることができた。条件反射的によだれが出るのも感じていたが。


「いいから食べてくださいよ。シコロモート様のために買ってきたんですから」

「余は梅干しが嫌いじゃ! 酸っぱいのは好かぬ! せめてはちみつと一緒に食べさせろ!」

「ダメです。梅干しは消化を促進させてくれるものなんです。食べ過ぎているシコロモート様にはちょうどいいものです。それとも大根おろしにしますか?」


 豚汁を作る際に切ったものの余りだろうか。おろし金の上に乗っかった大根を取り出し、ギムコはそれをすりおろす仕草をしてくる。

 しかしシコロモートは大根おろしも嫌悪していたのだろう、その形の良い眉を露骨に歪めてそっぽを向いた。


「大根おろしも嫌じゃ! だったらリンゴじゃ! あれは消化が良くなると聞いたぞ!」

「あれは『消化に良い』であって『消化を良くする』じゃないでしょ。あなたの食いすぎ解消のためのやつなんですから」


 相手の言うことをやり込める。ほぼ論破に近い形で一本取られたシコロモートは一瞬怯んだものの、止まらず再び自論を展開し始めた。


「ならパイナップル! あれは消化が良くなるぞ! リンゴと違いきちんと消化促進になるであろう! この森に生えているのを見たこと無いが!」

「もういいから梅干し食べてくださいよ! 豚汁あげませんよ!」


 駄々をこねる子供には付き合いきれん。とばかりにギムコは先ほど持った豚汁を片手で取り上げて、もう片方では梅干しを差し出す。

 だがそんなもので心服するシコロモートではなかった。左手でそれを拒否するように押しのけた。


「だったらそこの上にいる女にでもくれてやるわ! のう、そこのお前! 食うじゃろ! 梅干し欲しいじゃろ!」

 右手で上空を指す。

 当然そこにあるのは、空のみ。人など、女などいない。

 ブリア以外は、いない。つまりシコロモートは


(………………え?)

 

 自分のことをを指している。

 それに気付いたとき、ブリアの中では時が止まったかの様に感じた。が、それは彼女のみに適応されるものであり、他の2人の時間はそのまま流れる。


「きっと欲しがっておるぞ! たぶん食べたがっておるぞ! 需要と供給が一致しおった! ならば欲しがっている奴の元に欲しいものをやるべきじゃろ!」

「ちょ、ちょっと待ってください! 女ってなんの話ですか!?」


 慌てたことで片手に持ったお椀のバランスが崩れた。中の具が零れる、と思いきや、ギムコはそれを何とか倒さずにシコロモートから離れた場所に置いた。

 何を今さら、とばかりに呆れたながら、シコロモートは再び上を指し示す。


「上におるじゃろが。3日くらい前からずっと余たちのことを見ておったぞ。お前も気付いておったのじゃろ?」

(最初からバレてたというのですか……?)


 完璧なはずだった。

 魔力の放出も極力控え、吐息すら布越しで僅かずつしていた。人間の行うであろう生理的現象のほとんどは、距離を取って行ってきたはずだった。気付かれていないはずだった。


 しかしそれは幻想、シコロモートには最初からバレており、そして今ギムコにも分かるところとなった。

 組み上げた魔力を光として放出、ブリアが隠れていた闇を払ったためだ。


「くっ!」

 咄嗟に体をねじり、影になっている部分へ身を隠す。

 しかしギムコの目に入る光よりも早く身を隠せたわけではない。詳細を確認できたわけではないだろうが、シコロモートの証言を裏付けるものとなった。


「のう、そこのお主。そんなところに隠れてないでこっちへ来たらどうじゃ? ここんとこ、ろくなもの食べておらんのじゃろ? こいつの作る豚汁、一緒に食わぬか? そして梅干しも」


 周囲を警戒し見回すギムコを尻目に、シコロモートは自ら空のお椀に味噌汁を盛り付けた。本来ならそれはギムコのものなのだが、そこら辺は頓着していなかった。

 そしてそれをブリアがいる方へ、空へ左手で掲げる。

 食わぬか? というシコロモートの意思表示なのだが、ブリアには出てこられようはずは無かった。


「……」

 下で魔法をいつでも放てるように、ギムコの両手が輝きだしていたからだ。一瞬で何らかの魔法を放つべく、魔力が堆積しているのが分かる。

 だがシコロモートには隠れる理由が分からないのだろう、首を大きく傾げながら話し始めた。


「むう……何故出てこんのじゃ? こやつ、豚汁嫌いなのか? 食事制限でもしておるのか?」

「敵だから当たり前に決まってるでしょう! 何処の世界に敵から出される飯を食べると言うんですか!」


「敵? 余が? そんなわけなかろう。余はただのお笑い芸人じゃ。お笑い芸人を敵とするなど……いたわ、同業者じゃ! つまりこやつもお笑い芸人で、余のネタを盗みに来たか!」

「あんたは元魔王つうのをいい加減自覚しろ! こんな真夜中に来るなら殺し屋しか考えらんねえだろ!」


 色々限界になったのか、敬語を使わなくってツッコミを入れてきた。こんな緊迫している状況なのに。

 何となくだが、ブリアは彼に、キーテスと同じ匂いを感じていた。


「元魔王だからどうしたと言うんじゃ。それで襲われる心配など無かろう。心配症か?」

「この間勇者に姿を見せて襲われたのは誰だ! あんただよ! 勇者たちに喧嘩売ったのは誰だった! あんただろうが! そして今あいつが見張っていたのもあんただろきっと!」


「あれは降りかかる火の粉を払っただけじゃ。事実を歪めるでない。敵でないものを敵であるかのようにいうのは、いかがなものか思うぞ」

「3日間監視してた奴が敵じゃないとでも言うのかあんたは!」


 暗い夜の中だからこそ、ギムコの大声はなおさら響いた。

 当然間近にいたシコロモートはその影響をもろで受け、空いた手で耳を押さえた。


「だからあいつはお笑い芸人で、芸を盗むために来ている敵である、と言ったじゃろ? 芸への執念、見事であるのう」

「だからそういう話をしているんじゃ……」


 さらに抗議しようとするギムコだったが、そこで止まった。何故ならシコロモートの顔が違ったから。

 普段の笑顔笑顔している顔ではない。明るさしか存在していない表情ではない。

 いつにもまして真剣で、どこか悲しそうで。

 けれど、絶対に忘れないとばかりに覚悟を持っているようで。

 それに気圧されたため、ギムコは黙った。


「そもそもこの世の中に敵などおらん。もしいるとしたらそれは飢えや渇き。そして寂しさじゃ。こやつらこそ全ての生命の敵、そうじゃろ?」

「……いや、それは否定はしませんけど……」


 さらにこの言い分。これに感じるものがあったのだろう、ギムコの怒りも和らいだ。そしてそんな姿を見て、シコロモートは満足そうに微笑んだ。


「だからのう、そこな女。食べるのじゃ。余は先のものを憎悪しておるが、人族は憎んでおらぬ。仲良くできるとも思っておる。だからこそ一緒に食べて親睦を深めようではないか」

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