2-⑤ むしろ邪魔だから抱き着いておれ!
シコロモートの提案はとても魅力的に聞こえた。
距離があるのに温かさが伝わるほどを湯気を立てる豚汁、全く敵意の見当たらない笑顔、台詞の端々から感じられる誠実さ。
しかしブリアは
「あなたの心遣い感謝します……」
そのどれもに未練も、感謝も、誠意も持ちつつも
「ですが私は勇者、ブリア・ペース! 魔族を討つものなのです! そのお椀は、取れません!」
勇者であることを選んだ。元魔王と戦う道を選択した。
言うと同時、彼女の体が破裂したかに見えた。
血液、肉片、骨が飛び散り、はしない。代わりに広がったのは、圧倒的高濃度水蒸気、霧だ。
彼女が魔法で木の持つ水分を全て収集、蒸発、拡散の3行程を一挙に行い、濃霧を発生させたのだ。
「む?」
眉こそ潜めたが、シコロモートは動かなかった。故に彼女の周囲360度、全てが白で覆われていく。
水蒸気による絶対包囲網。一切の視覚探知が及ばない世界。未知なる攻撃への恐怖を誘発させる現在。
(一瞬で終わらせます……!)
視界の効果が皆無となった世界の中で、ブリアはシコロモートを、見た。
魔法で一時的な肉体改造と光屈折無視を施し、視認できる範囲を大きく広げたのだ。
今の彼女は赤外線まで感知できるため、この異様な状況においてもシコロモートの姿のおおよそは確認できた。
そしてそんな彼女にシコロモートは目線を合わせてきた。
「そんなところで何をしておる?」
「な……っ!」
偶然か、かまかけ。そう思い脚力を使ってブリアは跳躍した。その際に全く音はしなかったうえに、かなりの距離を飛んだ。
しかしその着地点すらもシコロモートは見抜いた。ブリアがいるところへ目線を飛ばす。
(見えてると言うのですか……? これほどの中で……)
「眼球を一時的に改造する。この程度、容易いものよ。コツさえつかめば誰でもできる」
余裕綽々とばかりに目を指さすシコロモート。すぐ近くにいるギムコはそれができないらしく見当違いの方向を見回していたが。
(なら……)
当初の計画を変更した。見えない状況からの一撃による暗殺、という選択肢を捨て、違う案を取ることにした。
(見えているのなら、それに関係ない攻撃をするまで!)
大きさはわずかなもの。しかしそれは衝突したときに莫大な圧力をもたらすことの裏返し。
だからブリアは地面に落ちている石をいくつも拾い
「ふん!」
魔力を込め、それを投げつけた。
狙いはシコロモートの頭部。
魔力による加速、通常行う投擲速度を超えたそれは、亜音速ともいえるほどの速度で迫る。
「ふむ……」
微かな吐息の様に呟いき、右手人差し指と親指で輪を作った。デコピンの形。
「それっ」
衝突寸前だった石つぶてをシコロモートは弾いた。
刹那、澄んだ音が連続して発生、その数10は超える。
(一番近い石を跳ね返して全ての弾に激突、おはじきの様にしたわけですか……! さすが元魔王……!)
素直に称賛はしたが、ブリアにもこれで終わりとは思えなかった。
シコロモートならかわす。だからこんな弾丸をいくら撃ったところで意味は無い、というのを何となく察していた。
(ならば……これは如何です!?)
腰の剣を抜き放ち、切る。シコロモートではなく、彼女近くに乱立した木の根本を。それも一本ではない。
移動しながら数本を切り裂き、
(ふん!)
それらを軽く小突いて回る。
支えの無い物体は、力を受けた方角へ倒れる。この丸太も例外ではない。
次々にブリアの攻撃を受けた大木は倒木となるべくシコロモートへ降り注いだ。
「……ギムコ、余の側を離れるなよ。何なら抱き着いてもよいぞ」
「え?」
周囲の警戒をしているものの、ギムコは全く状況についてこれていない。しかも今のを完全には聞き取れていなかったのだろう。間抜けた声で聞き返してくる。
「というか、むしろ邪魔だから抱き着いておれ!」
「ひああ!」
力任せに引っ張り、ギムコの顔を自らの胸に押し付ける。
皮下脂肪がほぼ無いため、骨に直で当たったかのような痛さ。だがシコロモートは全く意に介しない。
今気にしているのは四方八方から迫り来る巨木だけだった。
「むん!」
その場で右足をあげ、下ろす。単なる足踏みだが、それを圧倒的な力で行うとどうなるか。
ドン!
大地をえぐり、衝撃波を発生する。その莫大なる力で倒木を押し返すことができるのだ。
同時に、ブリアが真上から投げてよこした石は
「ふっ!」
拳圧による風で急上昇、重力圏内を突破して通常の視覚では観測できない大きさになっていった。
感心と悔しさ混じりの歯軋りがブリアの口から出た。対するシコロモートは、こそばゆさを我慢をしていた。
「……ギムコ。余の胸の中で息をするでない。くすぐったくてかなわぬ」
「……!」
無言で両腕を激しく振り回すギムコ。
誰がやってるんだ! と抗議の意味が多分に含まれていたが、シコロモートはそれに気付かず、その右腕でさらに抱きよせる。
「これ、暴れるでない。離れてしまうぞ。しっかりと余の体を抱き締めるのじゃ。そうでなければお前もケガするぞ」
振り回していたギムコの腕を押さえつけ、自らの背中に回す。右腕も左腕も。
やがて完成した図は、両腕を背中まで回して胸に飛び込むギムコという絵。身長差があるため、彼の下半身は地面に寄り添っている。
すがり付いているとも泣きついているともとれる状態だが、例によってシコロモートはどこ吹く風であった。
「どうした? それで終わりか? 大人しく豚汁を食べるか? それともお前はショートコントが見たいのか?」
「……まさか! そのどれでもありません!」
霧の中からブリアが姿を現す。
手に鋭い抜き身の剣を持っており、それと共に地面と倒れ込むかのように脱力した動き。
(これこそ真なる本命……!)
至近距離からの無拍子。全身の筋肉を脱力した後に総動員して一瞬での突き。
初動の察知が困難である動作からの、攻撃範囲こそ狭いが、力が集中した一撃。
「!」
狙った場所は首。必殺にして確実に命を奪う場所。
「……ぬふ」
それも分かっていたシコロモートは、それを防いでいた。
俯くようにして顔の向きを変え、首への一撃を食いしばった歯で阻んだのだ。
「な……!?」
「……っ!」
軽く口を開けて、シコロモートはそのまま剣に食いつく。そして体を捻る。
右へ旋回。あまりの速さから剣はブリアの手から離れ
「ぺっ!」
後方へ吐き出される。さらにシコロモートは勢いを止めず、そのまま回転を続け
「……!」
「……」
ブリアと対峙する。全く変わらず笑顔のままのシコロモート、剣の有無と余裕がなくなったブリア。
現状、ブリアの圧倒的不利。
「……!」
そしてシコロモートは動いた。無拍子ではない、技術も無い。ただの力任せの所作。
それなのに全く感知できなかった。シコロモートの右腕が自らの顎を掴むことは。
「んぐっ!」
もがくがそれは無駄だった。ご丁寧に左足を絡ませて離れられない様にしている。引き離そうとする腕も全く効果を成しえていない。
「ようやっと捕まえたぞ……さあ、仲良くしようぞ……!」
「……!?」
ブリアの食いしばった歯から驚きの吐息が漏れる。
(何を言っているんですか……?)
一瞬疑問を感じるが、それは即座に溶解した。気付いたのだ。
今この瞬間も、そしてそれまでもシコロモートの左腕は使われていないことに。防御にも、攻撃にも。
ならば何をしていたのか。
簡単だ。ずっと同じだった。今まで持っていたのだ。
(豚汁──!)
「さあ、これを食べて胃袋を満たすがよい!」
シコロモートの右手親指と人差し指に力がかかる。そこまで痛みを覚えない、しかし歯を食いしばった状態ではいられない絶妙な力加減。
故に、開く。ブリアの口腔が。そして見えるのは舌、喉、食道。胃へと続く道。
そこに左腕に持っていた豚汁をシコロモートは一気に流し込んだ。
幾分かは冷えたものの、先ほどまで火にかけてグツグツに熱くなっていた豚汁を。
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