第七場「僕とカンパネルラ」

ガタンゴトン、と列車の走行音が車内に響いていた。

ときおり、柔らかい星々の瞬きがチラチラと座席を照らす。


「あなたの持つ、三次空間からの切符は、ねずみ色の切符とは違い、どこにでもいける切符です」

「どこにでも……?」

「それは同時に、どこにもいけないのと同じなんです」

「なんだよそれ」

「元いたところに、戻るだけ。では終点まで、よい旅を」


車掌の幌舞さんも、そう言って去っていった。

僕と鉄郎と美加子ちゃんの三人でしばらくいたが、沈黙に耐え切れなかった。


「もう終点なの?」

「……嘘、ついてごめん」

「そんなこと聞いてない。お前が死んでて、僕が生きてて、それで終点に着いたら別れて終わりなんて、あんまりじゃないか……信じないぞ、そんなこと……!」

「晃くん……」


鉄郎が死んでいるなんて、悪い夢だ。

だってこうして目の前にいて、さっきまでくだらないことで笑いあっていたじゃないか。


「これはやっぱり夢なんだろ? 終点に着いたら、ちゃんと朝が来て、それぞれ自分のベッドで目が覚めるんだ。そしたらちゃんと連絡とって、一緒にどっか遊びいこうぜ、まだ夏休みは終わってないんだし」

「晃……」


そうだ、僕たちの夏休みはまだ終わっていないんだ。宿題なんて放っておいて、スマホでもネットでもなんでも駆使して連絡をとって、皆で遊びに行こう。


「もちろん美加子ちゃんも呼ぶよ、それに沢渡さんも。どこがいい? 海……山……キャンプとかいいな……星がよく見える所がいい……なぁ、面白そうだろ?」


突然連絡をとったら、きっと鉄郎は驚くだろうな。美加子ちゃんは海外にいるんだっけ?そんなの関係ないよ、そう、僕は不思議な夢を見ているんだ。


「……なんで何も言ってくれないんだよ!」


電車の走行音だけが、うるさく感じた。

鉄郎は黙りこくったままで、美加子ちゃんがひとつ、ため息をついた。


「……飛行機が……飛行機が、落ちていくってわかったとき、あぁ私どうしてこんなところにいるんだろうって思ったの。お父さんの仕事の都合で、五年生のときからいろんな国を転々としてて……こんなことになるなんて、ぜんぜん、思いもしなかった」

「そうだよ、だからこれは……」

「でもどの国で過ごしててもね、夜空は同じだったんだよ」

「同じって……?」

「私、星のことよくわからないから、本当は違ったのかもしれないけど……夜になって、空を見上げる度に、嫌なこと忘れられたり、日本で過ごしたときのこととか、思い出してた……その切符だって……」

「これ……?」

「覚えてる? お別れのときに渡した便箋と同じ色なの、偶然かな……?」

「あぁ、中身は、僕のことを……」

「思い出さなくて、いいよ」

「どうして?」


思い出の中よりも、綺麗になった美加子ちゃんは寂しげに微笑んだ。


「てっちゃん。だからこれは、意味のある旅路なんだよ」

「あぁ……」

「……晃くん」


最後にみた美加子ちゃんは、泣いていた。


「あなたに会えて、よかった」


直後、窓の外から星明りがぎらりと瞬いて、僕は眩しくて目を瞑ってしまった。

そして、目を開けると、彼女はどこにもいなかった。


「……美加子ちゃん? 美加子ちゃん!」

「お前に、まだ言えてないことがあるんだ」

「美加子ちゃんはどこ行ったんだよ!」

「本当の幸いって、なんだと思う?」

「ふざけんなよ」

「突き飛ばされたんだよ、俺」

「……突き飛ばされた?」


鉄郎から告げられた新たな事実に、僕はついていけない。


「窮屈だった……野球部のみんなと、川へ遊びに来たんだ。あいつらは、ふざけてたつもりだったんだと思う。高くなってる岩の上に集まって、いきなり……」

「どうしてそんなこと、今になって……」

「お前と同じだよ、お前がいなくなって、お前の立場になってみて、はじめて……俺は……」

「もしかして……いじめられてたの?」


僕がいじめられていたのは、小学生のときだ。そんな僕に唯一声をかけてくれたのは、鉄郎だったんだ。

彼は僕の動揺ぶりをみて、誤魔化すように笑った。


「ばーか……ウソだよ」

「は……?」

「ウソウソ。何信じてんだよ! ただの事故に決まってんじゃん」

「いやわけわかんねぇよ、はぐらかすなよ」

「そうだなー、溺れた子供を助けようとして、俺だけ助からなかった、ってことにしといてくれ」

「何の話だよ」

「俺の葬式には、きてくれると嬉しいな」

「おい鉄郎」

「言いたかったことは、それだけ」

「なぁ……!」

「もうなんだよ」

「どうして僕なんかを選んだの。他にもたくさんいただろ……」

「『僕なんか』なんて言うなよ」

「会ったの小学校以来だろ」

「それは……思い出したからだよ」

「なにを」

「最後の天の川をよ」

「わけわかんないよ!」

「あの後、壊されちゃったろ、秘密基地。せっかく二人で作ったのに、もったいなかったなーって」

「それだけ……?」

「あぁ。あの頃、一人ぼっちにみえたお前と、もっと遊びたかった。それだけ」


車内がガタリと揺れた。ずっと走り続けているかのように思えた電車が、停車してしまった。

馴染み深い到着音と、異様なアナウンスが流れる。


『銀河鉄道、幻想第四次冥府線をご利用くださいまして、ありがとうございました。終点、南十字サザンクロス南十字サザンクロス……』


窓の外には、石灰色のホームが広がり、そこは無音の人混みで溢れている。

終点である南十字サザンクロス駅は、死者だけが降車する駅だ。

死者は、天上にいかなくてはいけない。

鉄郎は窓の外の風景にうっとりと見とれ、立ち上がった。


「……行かなきゃ」

「駄目だ!」

「晃、」


僕は彼の目の前に立ち塞がる。


「ずっとこの電車に乗って行こう、お前に何があったかわかんないけど、きっとこの夢の中にいれば、苦しいことなんて何もない……!」

「晃、そこ退けよ」

「天上なんかに行くなよ!」

「じゃあ、お前も降りるか?」

「え……?」

「……ほら、迷ったから駄目だ。行くよ、俺は」

「鉄郎!」

「お前が戻る途中、ここから先は星たちの光が強すぎて目をやられる。だから……目を閉じて」


鉄郎の大きな両手が僕の目を塞ぐ。

つめたい、手だった。

僕は言われた通りその下で目をぎゅっと瞑って、名前を呼ぶことしかできなかった。


「鉄郎!」

「ごめん」

「え?」

「ずっと謝りたかったんだ。あのとき、何もしてあげられなくてごめん!」

「なんのことだよ」

「クラスでからかわれるお前を、ただみてただけだった」

「なんともないよ」

「都合のいいときだけお前の友達ヅラしてた。俺は卑怯だったんだ」

「鉄郎!」

「あの星をみた日、お前が遠くに行っちまうんだってことを知ってたのに、謝れなかった」

「そんなことない!」

「ずっとずっと言えなかったんだ」


真っ暗闇の中、彼の手が僕から離れていく。

彼の声だけが、切実さを増していく。

消えてしまわないように僕は呼びかけ続けた。


「昔のことなのに、そんな……どうして」

「中学にあがって、上手くもない野球をはじめて……何もかもおかしくなったんだ、なんでもないことでからかわれた、小さなことで暴力を振るわれた、他にも、数えきれないくらい……」

「どうして何も言ってくれなかったんだよ」

「ごめん……それを言うためだけに、会いたかったんだ」

「今の僕はもうなんともないよ!」

「見て見ぬフリしてたから全部バチが当たったんだ……! 俺が周りに強く言っていれば、お前は中学受験なんかせずに、一緒にいられたんじゃないかって」

「それとこれとは関係ないんだよ!」

「もっと連絡を取り合うべきだったんだ俺たち」

「そんな……」


鉄郎の後悔。

面と向かって言ってほしかった。そしたら僕は「もうなんでもないよ」って笑えたはずなのに。

終わりが、近づいている予感がした。


「あの日、星の名前を教えてくれてありがとう」

「嫌だ、行かないでくれ」

「ただ眺めていただけだった俺に、たくさんのことを教えてくれた」

「友達だ、俺たち友達だよ!」

「思い出がなきゃ、ここまで生きていけなかった」

「行っちゃ駄目だ、鉄郎……!」


僕は耐え切れなくなって目を開けた。

最後に見えたのは、真っ白な光の世界から消えていく、鉄郎の笑顔だった。


「……お前との、あの日の思い出が、一番の宝物だ」


大きく響く電車の走行音が、僕の声を、かき消していった。

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